平松保城《ブローチ》1978年
会場
東京国立近代美術館 工芸館 会期
2006年10月7日(土)~12月10日(日) 開館時間
10:00-17:00 休館日
月曜日(ただし10月9日は開館、翌10日休館) 観覧料
一般500(400/350)円、大学生300(200/150)円、 前売チケット取扱
チケットぴあ、ファミリーマート、サンクス(一部店舗を除く) 無料観覧日
11月3日(文化の日) 主催
東京国立近代美術館 助成
財団法人 花王芸術・科学財団 指輪や首飾りを身につける習慣が長い間途絶えていた日本で、ジュエリーが用いられるようになったのは、明治時代以降、服装の西欧化が進んだ時代のなかでのことでした。作家がジュエリーを制作の対象として意識し始めるのは、それよりさらに遅れ、ようやく昭和に入った頃からです。以後、今日まで芸術の一分野としての地位を求めて、活発な制作活動が繰り広げられてきました。そのなかで、同時代の思想や芸術の動向を吸収しつつ「ジュエリー」は多くの概念の変遷を遂げました。展覧会では、この流れを、①美を念として:戦前期、②ジュエリーの地位:1950年代~1970年代、③素材の解放:1970年代~1980年代、④変わる身体:1990年代以降という4つの大きなテーマのもとでご覧いただきます。 ◇ 36作家によるおよそ200点の作品で、戦後日本のジュエリーの流れを概観する初めての展覧会です 第一章 美を念として:戦前期
海外から輸入されたジュエリーなどほとんど見ることのできなかった戦前期、「すぐれたグウとよきエスプリ」が与えられた納得のいく指輪が世の中にないという不満から、洋画家・奥村博史(1891-1964)は、ジュエリーを制作するようになります。本来ジュエリーデザインを職業としていなかった奥村が、石を集め、それを切り磨き、土台となる金属の加工までを一貫して手がけるという方法で、指輪を制作するようになったのです。その原動力となったのは、美しいもの、美しい生活を創りあげようとするひたむきな情熱だったと言えるでしょう。美しい生活を希求する奥村の姿勢は、陶芸家、富本憲吉の共感を呼び、富本が焼いた陶器をブローチにした作品も生まれました。
第二章 ジュエリーの地位:1950年代~70年代
急速な生活スタイルの変化にともない、戦後、新しいジュエリーの創出への気運も高まってきました。1956年には本格的なジュエリー団体、UR(ウル)アクセサリー協会(現・URジュウリー協会)が、また1964年には日本ジュウリーデザイナー協会が結成され、ジュエリーの地位を高めようとする運動が起こります。
第三章 素材の解放:1970年代~90年代
ジュエリーの素材として伝統的に使用されてきた金や銀といった貴金属を中心に、実験的な制作が展開されてきましたが、オリジナリティを求める上で、この貴金属という素材の限定に疑問が投げかけられるようになります。伝統的にジュエリーでは使われてこなかった銅やアルミニウム、あるいは紙や繊維であっても、ジュエリーとなりうる、という考えが広がってきたのです。一方で、素材にこだわらないという考えは、ジュエリーをジュエリーとして成立させているものは何かという、根源的な問いを提起しました。これ以後、コンテンポラリー・ジュエリーには、ジュエリーをいかに捉えるかという概念の問題がつねにつきまとうことになります。
第四章 変わる身体:1990年代以降
戦後、大きく発展してきたコンテンポラリー・ジュエリーは、今や自分自身に根源的な問いを投げかけ、深い自省に沈潜しているかのように見えます。ジュエリーとは何か―これまでさまざまな定義が試みられてきました(コンテンポラリー・ジュエリーの歴史自体がこの問いに対する回答のいくつかを提出しています)。このセクションでは、近年の動向を「身体」と「祈り・祝祭」というキーワードで紹介します。造形性とともに、ジュエリーに対する作家の姿勢を鮮明にした作品は、それと対峙する私たちの問題意識や考え方も鋭く問うてきます。
出品作家によるギャラリートーク 会期中の毎週水・土曜日は当館ボランティアスタッフが、会場でさまざまなエピソードを織り交ぜながら、今展覧会の見どころをご紹介します。また実際の作品をお手にとってご覧いただけるコーナーもご用意しています。 ~山口小夜子 日本のアートジュエリーと遊ぶ~
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」をモチーフに、山口小夜子氏が日本のジュエリーアーティストの精神をまとい、音と映像を組み合わせた独自の美学にいざないます。 |
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