杉浦非水(1876‐1965)は、印刷媒体がもっとも有効だった今世紀初頭に目覚 しい活躍振りを展開したデザイナーです。はじめは日本画家を志して上京した 非水ですが、1901年に黒田清輝がヨーロッパから持ち帰ったアール・ヌーボー 様式のポスターやチラシに強い刺激を受け、「断然図案の方面に進出して行こ う」(「非水自伝六十年」1935年)と決意したといいます。その年に手がけた 『文学叢書 巣林子撰註』以来、彼の名前は、日本のグラフィックデザイン界の 先駆者として、今日なお重要な意味を響かせています。
彼が走りだした時代は、ちょうど、日本における都市文化の幕開けと重なっ ていました。今では見慣れた街の景観、そうしたものにはじめて触れたときの 人々の感慨はどれほど深かったことでしょう。国内初の地下鉄開通や観光案内 を謳ったポスター、『三越』他さまざまな雑誌の表紙など、非水の仕事には、 新しい生活様式への期待や憧れが息づいています。そして消費型社会の隆盛は、 同時に、広告制作側の意識を一層高める効果をもたらしました。非水も自ら中 心となって国内初のデザイナー集団「七人社」を結成し、研究雑誌『アフィッ シュ』を刊行しています。
今展は、平成8年度にご遺族よりご寄贈戴いた600点以上の作品や資料の中か ら、ポスター、雑誌表紙、書籍の装幀、絵葉書、原画など約300点を選び、グラ フィックデザインの創成期に大きな足跡をしるした杉浦非水の業績を辿るもの です。
| 会 期 | 2000年5月30日(火) 〜 7月29日(土) 日曜・月曜日休館 午前10時30分 〜 午後6時(入館は午後5時30分まで) | |||||||||||||||
| 会 場 | 東京国立近代美術館フィルムセンター7階展示室 〒104-0031 東京都中央区京橋3-7-6 営団地下鉄銀座線「京橋駅」下車、出口1から昭和通り方向へ徒歩1分 有楽町線「銀座一丁目駅」下車、出口7より徒歩5分 都営地下鉄浅草線宝町駅下車、出口A4から中央通り方向へ徒歩1分 | |||||||||||||||
| 観覧料 |
*団体観覧は20名以上 | |||||||||||||||
| インフォメーション | TEL 03-3272-8600(NTTハローダイヤル) http://www.momat.go.jp/(東京国立近代美術館ホームページ) |
| 明治9年 | (1876) | 5月15日、愛媛県松山市に白石朝忠、レイの長男として生まれる。幼名は一雄。 |
| 明治19年 | (1886) | 母の実家杉浦家の養子となる。本名・朝武(つとむ)。 |
| 明治26年 | (1893) | 四条派の画家松浦巖暉に師事。 |
| 明治30年 | (1897) | 上京し、川端玉章に師事。東京美術学校(現東京芸術大学)日本画選科に入学。 |
| 明治31年 | (1898) | 黒田清輝と知り合い、フランス語、洋画、欧風図案の指導を受ける。 |
| 明治34年 | (1901) | 東京美術学校卒業。最初の表紙図案制作(餐庭篁村著『巣林子撰註』)。 |
| 明治35年 | (1902) | 大阪三和印刷所図案部主任就任。翌年図案部解散のため退社。第5回内国勧業博覧会関係雑誌『三十六年』の表紙等で、アール・ヌーボー風の図案を発表し評判となる。 |
| 明治37年 | (1904) | 岩崎翠子と結婚。島根県第二中学教諭として浜田に赴任。 |
| 明治38年 | (1905) | 同校を辞任。上京し、東京中央新聞社に入社。 |
| 明治41年 | (1908) | 三越呉服店嘱託。翌年第7巻第4号から『みつこしタイムス』の表紙を手がける。 |
| 明治43年 | (1910) | 三越呉服店図案部主任。東京中央新聞社を退社。 |
| 明治44年 | (1911) | 雑誌『三越』発刊。同誌の表紙を『みつこしタイムス』共々、以後13年間担当する。 |
| 明治45年 | (1912) | 日比谷図書館で非水作品による「書籍装丁表紙図案展覧会」開催。中沢弘光らと〈光風会〉を創立。同展のポスターを制作。 |
| 大正2年 | (1913) | ジャパンツーリスト英文日本案内パンフレットの装丁を手がける。 |
| 大正4年 | (1915) | 『非水図案集 第一輯』(金尾文淵堂)を出版。 |
| 大正10年 | (1921) | 日本美術学校図案科講師に就任。カルピスの顧問となる。 |
| 大正11年 | (1922) | 絵画研究および古美術見学のためヨーロッパへ留学。 |
| 大正13年 | (1924) | 帰国。留学中に収集したポスターは300種。創作図案研究団体「七人社」創立。 |
| 大正15年 | (1926) | 三越で七人社第1回創作ポスター展覧会開催。 |
| 昭和2年 | (1927) | 月刊ポスター研究雑誌『アフィッシュ』創刊。「地下鉄開通」のポスターを制作。 |
| 昭和4年 | (1929) | 帝国美術学校教授工芸科図案科長に就任。 |
| 昭和8年 | (1933) | 渡辺素舟との共著『実用図案資料大成』(アトリヱ社)を出版。 |
| 昭和9年 | (1934) | 三越を退社。たばこ「桃山」のパッケージをデザイン。 |
| 昭和10年 | (1935) | 帝国美術学校を辞任。多摩帝国美術学校(現多摩美術大学)創立に参加。同校校長、図案科主任教授を兼任。 |
| 昭和11年 | (1936) | たばこ「光」のパッケージをデザイン。「杉浦非水図案生活三十年記念連合展覧会」を開催。 |
| 昭和12年 | (1937) | 全日本商業美術連盟結成、委員長に就任。 |
| 昭和24年 | (1949) | 疎開先の軽井沢から帰京。たばこ「日光」のパッケージをデザイン。 |
| 昭和28年 | (1953) | 多摩美術大学理事長兼図案科主任教授に就任。 |
| 昭和30年 | (1955) | 芸術院恩賜賞受賞。三越で個展開催。 |
| 昭和33年 | (1958) | 紫綬褒章受賞。 |
| 昭和40年 | (1965) | 勳四等旭日小綬章受賞。日本橋三越で個展開催。8月18日死去。 |