シンポジウム |
| 時間: | 13:00-16:00 |
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| 場所: | 東京国立近代美術館 講堂 (先着150名、聴講無料、申込不要) |
主催:東京国立近代美術館、国際交流基金
ドローイング。狭義では、紙などの支持体の上に線を引く行為およびその結果できた作品を示す。
言うまでもなくそうした行為は、年齢を問わず、プロアマを問わず、洋の東西を問わず、時代を問わず確認できる。また、画家、彫刻家、建築家、漫画家など、表現者であれば、ジャンルを問わずドローイングをつくっている現実もある(ときには写真家でさえも)。
「ドローイング」をタイトルに含むここ数年の展覧会が、水彩やインスタレーションだけでなく、アニメーションや、ときにはキャンバスに描かれた作品までをも含むのは、おそらく、ドローイング本来の脱ジャンル性を理由としている。
いや、本当にそれだけだろうか。いろいろなジャンルの作品を集めたとき、名づけ方として便利なのは、端的に「アート」と形容するか、あるいは、なんらかの概念的テーマを設定することであろう。
しかし、それらをあえて「ドローイング」と呼ぶ人がいる。この事実を見逃してはならない。
なぜなら、その事実は「ドローイング」としか呼びえないなにかが、質的ななにかがあるということを意味しもするのだから。
ここで思い出すべきは、ドローイングはひとつの行為であり技術であること、そして、「アート(art)」の語源はギリシャ語で技術を意味する「テクネー(techne)」であることだ。
そのことを確認するならば、次のような仮説を導き出せるだろう――ドローイングは、アートでも技術でもあるところで(あるいはそのどちらでもないところで)表現者によって選択された。そして、そのアンビヴァレントな在り方こそが作品に流動性を与え、その結果、作品を介した、情動や感情の、つまりはエモーションの交換が許されるようになった。
この仮説こそ、「エモーショナル・ドローイング」展の、そして、このシンポジウムの端緒にあったものにほかならない。
シンポジウムでは、
①表現形式、あるいは作品としてのドローイングがアート界に占める位置(中林、ヤン)
②美術教育やアカデミーにおいてドローイングが占める位置(金井)
③精神分析の立場によるドローイングの位置づけ(斎藤)
といった様々なテーマについて、日本と韓国で活躍する第一線の研究者がそれぞれの立場から発表し、討議する。ドローイングの生々しさに向かいあっていくためにも、未完成を恐れぬ討論を目指したい。
金井直(信州大学人文学部准教授)
1968年福岡県生まれ。京都大学大学院博士課程修了、文学博士。豊田市美術館学芸員を経て、2007年4月より現職。専門は新古典主義および近現代彫刻。担当した主な展覧会に「アルテ・ポーヴェラ:貧しい芸術」(豊田市美術館)、「消失点―日本の現代美術」(インド)など。近年、アジア各国の美術教育における「素描」について調査を重ねている。
斎藤環(精神科医、爽風会佐々木病院精神科診療部長)
1961年岩手県生まれ。筑波大学大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。専門は思春期・青年期の精神病理学。「社会的ひきこもり」の治療、支援に取り組む一方、アート、アニメ、ゲームなど現代文化について精神分析の立場から評論を展開。ヘンリー・ダーガーを著書で紹介し、アウトサイダー・アートへの関心を高めたことでも知られる。
ヤン・ジョンム(韓国芸術綜合学校美術院美術理論科准教授)
1967年韓国大田(テジョン)生まれ。Ph.D.(ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ)。企画した主な展覧会に「紙ではない紙」(ギャラリー175)、「韓国のドローイング 1870-1989」(ソウル・オリンピック美術館)など。美術史学、美術批評論、視覚文化論についての論考多数。ギャラリー175(ソウル)や韓国芸術綜合学校視覚芸術センターのディレクターも務める。
中林和雄(東京国立近代美術館企画課長)
1961年東京生まれ。京都大学大学院修士課程修了。専門は絵画を中心とする近現代美術。担当した主な展覧会に「現代美術への視点4 絵画、唯一なるもの」(東京国立近代美術館)、「現代美術への視点5 連続と侵犯」(同)、「アンリ・ミショー展」(同)など。
モデレーター
保坂健二朗(東京国立近代美術館研究員、「エモーショナル・ドローイング」展キュレーター)
1976年茨城県生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。専門は近現代芸術。