2005年1月12日(水) −2月27日(日)
東京国立近代美術館 本館 企画展ギャラリー(1階)
| タイトル | 痕跡――戦後美術における身体と思考 |
| 会期 | 2005年1月12日(水) −2月27日(日) |
| 開館時間 | 午前10時から午後5時まで 金曜日は午後8時まで (入館は閉館30分前まで) |
| 休館日 | 月曜日 |
| 主催 | 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館 |
| 会場 | 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー (1階) |
| アクセス | 東京メトロ東西線竹橋駅1b出口 徒歩3分 〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3−1 |
| 観覧料 |
一般850(700/600)円、大学生450(350/250)円、高校生250(150/100)円 小・中学生無料 ( )内は前売/20名以上の団体料金の順。 いずれも消費税込。
「痕跡」展割引引換券
このページをプリントアウトして、 チケット売り場にお持ちください。 下記の割引料金でご覧いただけます。 *お一人様1枚につき1回限り有効。 一 般 850円→800円 |
| お問合せ | 03-5777-8600(ハローダイヤル) HP http://www.momat.go.jp |
| 講演会など |
1月30日(日) 14:00-15:300 「痕跡が美術になるとき」 尾崎信一郎(京都国立近代美術館主任研究官、本展企画者) 聴講無料 定員150名同時開催 |
「河野鷹思のグラフィック・デザイン―都市とユーモア」展(ギャラリー4)
「所蔵作品展 近代日本の美術」所蔵品ギャラリー(4-2階)
*観覧料:一般420(210)円、大学生130(70)円、高校生70(40)円
*小・中学生、65歳以上無料、2月6日は無料(所蔵作品展のみ)
( )内は20名以上の団体料金、いずれも消費税込み
*「痕跡」展観覧券で「河野鷹思」展と「所蔵作品展」をご覧いただけます
次回展覧会「ゴッホ 孤高の画家の原風景」 2005年3月23日(水)− 5月22日(日)
画家の激しい身振りを想起させる飛び散った絵具やカンヴァスに青くなすりつけられた人のかたち、紙の上に残された自動車の車輪の跡。第二次大戦後、様々な斬新な表現が美術作品として登場しました。今日、画期的な表現として高く評価されるこれらのイメージは、肖像画や風景画のように「何かに似ている」のではなく、「何ごとかの結果として」意味を与えられているといえるでしょう。この展覧会ではこのようなイメージに「痕跡」という名を与え、戦後美術を新しい角度から見直してみたいと考えます。
1950年代から70年代後半まで、およそ30年にわたる美術の流れの中に「痕跡としての美術」は多様に姿を変えて登場します。そして日本のみならず、アメリカやヨーロッパの戦後美術においてもこのような美術の系譜は脈々と続いています。日本における具体美術協会の活動、読売アンデパンダン展周辺の作家たち、もの派の動向、あるいはアメリカにおけるネオ・ダダやボディー・アート、コンセプチュアル・アート、そしてヨーロッパにおけるウィーン・アクショニズム。国籍も時代も表現も全く異なったこれらの動向を「痕跡」という視点から捉える時、現代美術の思いがけない同時性や共通性、表現の多様性と独自性が明らかになるように思います。
ジャクソン・ポロックやアンディ・ウォーホルといったよく知られた作家から、ヘルマン・ニッチやアナ・メンディエッタといった日本ではほとんど紹介されたことのない作家まで、日本、アメリカ、ヨーロッパのおよそ60名の作家、120点の作品で構成された本展覧会は美術という営みを新しい角度から問い直す、得がたい機会となることでしょう。
第二次大戦後、多くの画家たちが絵画の表面に傷をつけることによって、新しい表現を模索した。彼らは競うようにカンヴァスを切り裂き、新聞紙で作った画面に穴をあけ、パネルの表面を焦がして誰も見たことのない絵画の創造を試みた。これまでイメージが描かれる前提として疑われることのなかった絵画の表面は、切る、突く、焼くといった攻撃の対象となった。通常の絵画とかけ離れたこれらのイメージになんらかの意味を見出すとすれば、それは作家の行為の痕跡として成立している点に求められよう。
痕跡を主題とする展覧会の導入として、本セクションでは1940年代後半以降、相互に無関係に、さまざまな作家たちが表面に残した「痕跡」を紹介する。1950年前後、ヨーロッパ、日本そしてアメリカで類似した実験が繰り返されたことは、このような問題意識が当時多くの作家に共有されていたことを暗示している。さらに60年代以降、アンチフォームやもの派といった動向に連なる作家たちによる関連した作例は、この問題の射程の広がりをうかがわせる。
ジャクソン・ポロック《カット・アウト》1948-50 大原美術館蔵 (図1)
ルーチオ・フォンタナ《空間概念−期待》1962 滋賀県立近代美術館
1950年代、激しい身振りをともなって絵画を制作する画家たちが登場する。ニューヨークに、パリに、芦屋に現れたこのような絵画は今日、アクション・ペインティングと総称されている。デ・クーニング、マチウ、そして具体美術協会の作家たちはそれぞれの地域におけるこのような動向の代表的な作家である。批評家ハロルド・ローゼンバーグの次の言葉は彼らの特質を的確に示している。「画家たちにとってカンヴァスが実際の、あるいは想像上の対象を再生し、再現し、分析し、あるいは表現する空間であるより、むしろ行為する場としての闘技場に見え始めた。カンヴァスの上に起こるべきものは絵画ではなく事件であった」これらの画家において身振りの痕跡はストロークや時に足の動勢、指跡として画面に刻まれた。60年代に入るとこのような身振りはさらに激しさを増し、時に行為そのものが自立して、ハプニングと呼ばれる動向と結びついた。さらに土や鉛といった存在感のある素材に様々の行為を仕掛けることによって素材の特性を引き出そうとする一群の作家たちも登場する。このセクションでは、作家の行為の痕跡として成立した絵画と立体を紹介する。
ジョルジュ・マチウ《豊臣秀吉》1957年 神奈川県立近代美術館
篠原有司男《ボクシング・ペインティング》1960/91 作家蔵
古来より美術においては身体が様々な痕跡として画面や素材に残された。身体の直接の接触を介して刻印される手や指、皮膚の痕跡をこのセクションで紹介する。アクション・ペインティングが一定の距離を伴って残された身体の痕跡であるとすれば、ここで紹介する表現は距離が介在しない直接の接触によってかたちづくられた。イヴ・クラインやアナ・メンディエッタのボディ・プリントはその典型的な作例である。
これらの表現が身体の外的な痕跡とするならば、血液や尿、精液といった体液は身体の内的な痕跡と呼ぶことができよう。あまりの直接性のゆえにこれまで現代美術史において黙殺されていた体液による表現もまた60年代美術の中で一つの系譜をかたちづくっている。
イヴ・クライン《人体測定(ANT170)》1960年 広島市現代美術館(表紙)
ロバート・ライシェンバーグ&スーザン・ウェイル《無題(スー)》1950年頃 スーザン・ウェイル氏蔵(図2)
ヘルマン・ニッチ《無題》1961年 フリードリヒスホフ・コレクション、ツルンドルフ蔵(図3)
アンディ・ウォーホル《ピス・ペインティング(小便絵画)》1978年 アンディ・ウォーホル・ファウンデーション蔵(図4)
アナ・メンディエッタ《無題(ボディ・トラックス)》1974年 ギャラリー・ルロン蔵(図5)
デニス・オッペンハイム《日焼けの第二段階のための読書姿勢》1970年 広島市現代美術館(図6)
3 ヘルマン・ニッチ 無題 1961 フリードリヒスホフ・コレクション、ツルンドルフ蔵 |
4 アンディ・ウォーホル ピス・ペインティング(小便絵画) 1978 アンディ・ウォーホル・ファウンデーション蔵 ©Andy Warhol Foundation for the Visual Arts / ARS, NY & JVACS, Tokyo 2004 |
5 アナ・メンディエッタ 無題(ボディ・トラックス) 1974 ギャラリー・ルロン蔵 ©Estate of Ana Mendieta Collection & Galerie Lelong, New York |
6 デニス・オッペンハイム 日焼けの第二段階のための読書姿勢 1970 広島市現代美術館蔵 |
痕跡を残す主体が身体であるとすれば、痕跡が刻まれる場は物質である。このセクションでは、痕跡が残された場としての物質に注目し、物質と痕跡の関係を検証する。既に1956年に発表された「具体美術宣言」において身体と物質との新しい関係が示唆されていたが、痕跡を受肉する物質はもはや作家によって統御される従順なそれではない。物質はそれ自体の存在感と抵抗感をもち、時に九州派にみられたがごとき社会性さえ帯びる。物質性とは具体美術協会から読売アンデパンダン展周辺のアンフォルメル絵画、そして九州派のアスファルト絵画を結ぶ、戦後美術に共有された主題であった。
吉原治良《作品A》1955年 大阪市立近代美術館建設準備室蔵
桜井孝身《リンチ》1958年 福岡市美術館
作家の行為は痕跡として作品に残される。しかし時として激しい行為は作品自体を破壊してしまう。破壊された作品は作品として残されないため、このセクションに出品された作品はその存在自体が一つの矛盾をはらんでいる。破壊の痕跡をとどめながらもなお作品としての価値をいかにして保つか、あるいは破壊の痕跡をいかにして作品へと昇華するか。1960年代、世界各地で作家たちは新しい表現を求めて、物体や廃物を破壊した。1966年、ロンドン各所で開かれたDIAS(芸術における破壊シンポジウム)においてはピアノが斧で砕かれ、書籍が燃やされ、衣服が切り裂かれた。同様の傾向は日本でもネオダダイスム・オルガナイザーズらの過激なアクションに認められる。物体に刻まれたこれらの破壊の痕跡にあわせて、落書きや無意味な記号によって白い無垢の表面を汚し、完結したまとまりとしての画面をキャンセルする作家たちの活動を紹介する。
アルマン《ダマスカスの婦人の腰》1974年 いわき市美術館(図7)
村上三郎《入口》1955/2002年 個人蔵(図8)
7 アルマン ダマスカスの婦人の腰 1974 いわき市立美術館蔵 ©ADAGP, Paris & JVACS, Tokyo, 2004 |
8 村上三郎 入口 1955/2002 個人蔵 |
一つのイメージを別の場所に置き直す、転写という表現も痕跡の一形態といえよう。従って、全ての版表現を痕跡の美術とみなすこともできるが、本セクションでは転写という行為そのものを主題としたいくつかの作品を紹介する。ロバート・ラウシェンバーグは、スーザン・ウェイルやジョン・ケージとともに制作した《無題(スー)》や《自動車タイヤプリント》以来、ほぼ一貫してこの主題に取り組んでいる。自らの身体や雑誌や新聞のイメージは様々な手法を介してほかの表面に転写され、新しい効果を生む。転写の特質とは一つのイメージが同じサイズで再現される点であり、この点はシュルレアリスムにおけるフロッタージュという技法との親近性を暗示している。ジョーンズやモリスの作品は現代におけるフロッタージュの可能性を探求するものであろう。これらにあわせて影や地図といった本質的に転写的な性格をもつイメージに関わった日本人作家のいくつかの作品を紹介する。
ロバート・ラウシェンバーグ&ジョン・ケージ《自動車タイヤプリント(部分)》1953年 サンフランシスコ近代美術館蔵(図9)
高松次郎《影(母子)》1964年 滋賀県立近代美術館
痕跡とはなにごとかがなされた結果であり、私たちは痕跡を常に事後においてしか認識できない。したがって痕跡とは常に時間を内包しているといえよう。このセクションでは時間との関わりを強く意識させるいくつかの作品を紹介する。行為やパフォーマンスが行なわれた時間を視覚化する試み、物質の化学的変化や状態の変化を記録する試み、これらはいずれもなんらかの痕跡を提示することによって作品化されている。アメリカのアースワークやボディ・アート、日本のもの派の活動。表現としては多様なこれらの動向の背後に、痕跡によって時間を表現するという発想があったのではなかろうか。
ロバート・スミッソン《グルー・ポア》1969年 国立国際美術館
野村仁《ドライアイス》1969年 作家蔵
1970年代以降、美術は概念的、主知的な傾向を強める。実体としての作品に代わり、概念としての、思考としての作品が登場する。しかしながらいかなる概念もなんらかのかたちとして残されない限り、作品として認識されない。本セクションでは作家の思考がなんらかの痕跡として形を与えられた作品を紹介する。一種のルールブックとして分類された作家の思考にウォール・ドローイングというかたちを与えるルウィットの一連の作品はこのような傾向の最もわかりやすい例であろう。ルウィットやボックナーら、ニューヨークのコンセプチュアル・アートを代表する作家たちにあわせて、日本における同様の傾向の作家、そして「絵画」がもはや自明ではない時代に、表面に残された機械的な線やグリッドを手掛かりに来るべき新しいイメージを模索した画家たちの作品を紹介する。
ソル・ルウィット《ウォール・ドローイング#4》1969年 作家協力
メル・ボックナー《メジャメント:影》1969年 作家蔵
辰野登恵子《Untitled-18》1974年 国立国際美術館蔵