鈴木清(1943-2000)の作品を顧みるうえで、「書物」は重要なキーワードです。読書家であり、愛読書から得たインスピレーションをしばしば自らの写真の指針としたことだけでなく、編集やデザインの多くの部分も手がけた彼自身の8冊の写真集が、いずれも「書物」と呼ぶにふさわしいものだったからです。
そこで、「鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴」では、開催に際し4人の作家の方々に小さなエッセイを寄せてもらいました。それぞれのエッセイがもつキーワードは、鈴木の作品のモティーフにもなった、同時代の社会や旅の時間、文学作品などです。テーマもタイプも異なるこれらのテキストは、いくつもの要素が交錯する鈴木の作品世界を読みとくヒントになることでしょう。


小説家。大阪府堺市出身。高校時代から音楽活動を始め、1981年、アルバム『メシ喰うな!』でデビュー。1996年には処女小説「くっすん大黒」を発表。同作にてドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞を受賞。2000年に小説「きれぎれ」で芥川賞受賞。2001年、詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞受賞、2002年、短編『権現の踊り子』で川端康成文学賞受賞。2005年『告白』で谷崎潤一郎賞を受賞。2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。最新刊は『人間小唄』(講談社)。 公式ウェブサイト
ン、と音がして手前に透明の花が開いた。この、見えない花こそが俺である、と思った。花は周囲にやはり透明の横線と四角い光を伴っていた。これこそが、俺の求めていたものである、と思った。
その頃、俺は中心に抗っていた。どうしても盛り上がっていく自分の中心、そして、どうしても窪んでいく世の中の中心が、現在というポイントにおいてぴったりくっついてしまうことに二重に抗っていたのである。なので戦線がふたつにあって、ひとつのことをやると、ひとつの方に吸い込まれそうになっていくし、ならばというので、もう一方に集中すれば、こんだ、こっちが盛り上がっていって、俺は米どころで麦飯を食っているような感じになっていたのだ。
つまり俺は時間というものを制御する必要があったのだ。しかし、それは死を制御するということで、有限の肉体のなかに閉じ込められている以上、それは無理と云うもの。だとすれば俺は時間を盗むしかなかった。しかし、俺は俺の場所で、そして俺でない場所で時間を盗みながら旅をした。その道程とは、俺が盗んだ時間をつなぎ合わせて先に延びる時間であったので、俺はとても忙しく、盗む時間を選んでいる暇はなかった。時間がなくなれば旅が終わり俺は一応、死んでしまうから。
俺は片端から時間を盗んだ。それは例えば以下のような時間だ。
音楽ではなく産業をDJし物質を狂乱させる時間。ふたつの異なった虚構を身にまといながら、ふたつの異なった真実にすがりつく時間。その四つから人の表情がはみ出た時間。四人の男が意図しないままそれぞれの孤独を露にしてしまっている時間。四十年後にロサンゼルスの寂れた日本人街で青膨れに膨れたまま呆然と死を待つ時間のそのまだ瑞々しかった頃の、しかし、四十年後にそうなる徴候が明らかに見て取れる時間。
そんなものをつなぎ合わせながら、俺は抗いを進んでいった。
それは大変辛いことで、もっとましな時間を盗みたかったが、俺は中心に抗っていたのでそれはできなかった。
そんな風にして苦しい旅を続けていたら、唐突にその美しい町にたどりついた。町の中央に川が流れ、一定の間隔で美しい木橋が架かっていた。川の両側は遊歩道になっていて、花が咲き乱れていた。古くて風格のある家、倉、ギャラリー、カフェ、がところどころにあった。それでなお、中心の感覚はなかった。俺は、「ああ、俺はここにくるために旅をしてきたのだ」と、心の奥底から感じ、百年ぶりに身体を伸ばし、時間を盗むのも忘れて、散策した。川が流れる音と小鳥の声は既に音楽であった。ところが。
遊歩道が尽きると、一転、そこはみすぼらしい平屋のバラックが建ち並ぶ陰惨な売春街であった。
遊蕩的な雰囲気はまったくなく、外壁は事務色で、看板も即物的、装飾のようなものは一切なかった。時間はまたいきどまって、彼方から虚無が迫ってきていた。
「あなたは観世音菩薩ですか」
登楼った家で俺をむかえた女に俺は問うた。女は笑わないで言った。
「違うよ」
「そらそうだよな」
俺も笑わなかった。俺は女の背後で時間が逆三角形になっているのを見逃さなかった。俺はただちに観音経を唱えた。女はそんな俺を黙ってみつめていた。
そして俺はあの音を聞いたのだった。ははは。この透明の花は俺。中心を俺のなかで俺とともに滅却して雑多なものと一緒に光ってブルブルふるえている。花として花にふれている。もう時間を盗まないでよいのだ。まあそれも今夜限りの話だけどな。
著者:町田康


1970年大分県生まれ。作家、フランス語圏文学研究者。明治学院大学文学部専任講師。著書に『浦からマグノリアの庭へ』(白水社)、『夜よりも大きい』(リトルモア)など。訳書にマリー・ンディアイ『ロジー・カルプ』(早川書房)など。
は何かを閉じ込めているのだろうか。何かに穿たれた穴なのだろうか。丸い輪郭線が光(あるいは闇)を閉じ込めるや、私たちの意識は、この○の外部に広がる闇(あるいは光)の海の無辺さ、底知れなさに打たれ、捕えられ、おののく。あるいは、いまここにぽっかり○が穿たれるや、この穴の奥から、遠い彼方が呼びかけてくる。視線や想像力を招き寄せ、吸い込む。いずれにしても円は、内と外を作り出し、だから同時に、〈ここ〉と〈ここではないどこか〉を、〈いま〉と〈いまではないいつか〉を、対立させるのではなく、共存させる。
円あるいは○は、炭坑の町に生まれ育った鈴木清にとっては何よりもまず、まっくらな地の底での労働を終えて、体にこびりついた汚れと疲れを落とそうと浴場に歩いていく坑夫たちが手に持った洗面器であり、衣類や食器を洗い、夏の暑い日には水遊びする子供たちのプールにもなったたらいだったにちがいない。丸い口を開いた容器とは、だから、まず何よりも水を溜めるものだ。だが、『DURASIA』(1998年)に見られるように、それは同時に水に浮かぶものでもある――メコン川に浮かぶ大きなたらいはそれ自体が、「メコンを北に遡る河蒸気」が送ってくる波にもてあそばれ、どこにも行けず、ただひたすら、沈む/沈まぬの際(きわ)を永劫に行きつ戻りつする船のようだ。そういえば、水の入ったたらいの写真から始まる『修羅の圏(たに)』(1994年)の末尾のほうに現われる老婆の手には雪の入った椀、"雪のさいごのひとわん"が握られていたではないか――○の遍在。
鈴木清のまなざしを引き寄せる円は、洗面器やたらいばかりではない。光の、したがって闇の創造者である太陽。『ブラーマンの光』(1976年)を構成する闇と光で二分された世界を見ればいい。そこでは、影の本体たる人間が黒い影そのものとなって倒立する。白い光となった母が黒い闇の塊となった子を抱きかかえる。荒野には、おそらく盛り上がった土の影なのだろうが、まるで濃い闇を湛えた沼のような円、そう、黒い太陽が輝いている。直視できぬ光輪がこうして可視化される。鈴木清は、見えぬものを、見てはいけないものを、私たちのまなざしにあらわにする。いや、「見せてやろう、目を開け」などという押しつけがましさほど鈴木清からほど遠いものはない。感動的なのは、見てはいけないもの、見ずにすませておきたかったことに、鈴木清のまなざしがなぜかつねに触れてしまうということなのだ。
そう考えるとき、『天幕の街』(1982年)において、土管を――これも円筒形である――家代わりに暮らしていたあの「路上の愚者・浦崎哲雄」に思いを馳せずにいることはむずかしい。この仮寓の○から追い出されようとする愚者――「空き地を立ちのかされる浦崎哲雄」――を、鈴木清の○、すなわちレンズが見捨てることはない。むしろ鈴木清の○こそが、以後愚者の新しい住処となるのだ。あるいはまた、終焉しつつある「昭和」の東京を撮った『愚者の船』(1991年)で、足蹴にされるボールのような――そう、ここでも○が現われる――「八丈沖のフグちょうちん」を見つめる鈴木清は同時に、フィリピンから来たカップルや、花見に来たのか、満開の桜の下に横たわるガイジンのカップルにふと目を留めずにはいられない。自伝的な側面の強い『修羅の圏』のページをめくってみよう。いまや廃墟と化したかつての炭坑の土地を、流れ坑夫であった父、そして母の足跡を追いながら旅する鈴木清。そのまなざしは、炭坑で死んだ囚人たちの墓、「中国人強制連行者たちの階(きざはし)」、「朝鮮人労働者たちの"二号長屋"」という〈地獄〉の現前に不意打ちされ、そこからおのれを引きはがすことができない。劈頭に置かれた「In the Midst of Life」という言葉、そしておのれの過去を辿りながら、地獄=「修羅の圏(たに)」に降りていくこの写真集は、『神曲』を想起させる。ダンテの地獄は地球の中心に向かって降りていく九つの「圏」=cerchio(「輪、円」)から構成されていたはずだ――円形の深い谷としての地獄。しかしそんなときでも鈴木清のまなざしは、炭坑会社の旧社宅の空き家に住み着いた「ペルー人労働者」たちに出会ってしまうのだし、異国の地に生きる彼らをやさしく歓待することを忘れない(そして外国人労働者たちの横、空き家の壁には、皮肉なことにも、「イメージやムードでは真の政治は生まれない」というどこまでも空疎なスローガンの印刷された当時の政権党のポスターが見えてしまうのだ)。
鈴木清の作品にあっては、○を描くものの多くは、洗面器やたらいといった容器である。容器は水を抱擁し、水に抱擁される。光を抱擁し、影に抱擁される、あるいはその逆。まるで○は、何かを抱擁し、そうすることで何かに抱擁されるという事態を特権的に示す形象であるかのようだ。第一写真集『流れの歌』(1972年)で夜の闇のなかにぼうっと浮かんだ盆踊りの光の輪――たしかに、闇と光の境界で踊る人々は自分たちより大きなものに包まれているように見える。そもそもカメラのレンズが、我々の眼球が、世界に抱擁されながら、世界を抱擁する○ではないか。
鈴木清にとっては、すべてはなだらなか曲線を描きながら、ほぼ円に近い形が現われれば、それが容器だろうが何であろうが構わない。だったら、例えば『天地戯場』(1992年)に見られる、あのきわめて印象的な白い洗面器、あれはひっくり返されたサーカスの天幕、鈴木清少年の記憶に刻印された旅芸人たちの天幕だと言ってはまずいだろうか? そして天幕とは、私たちの社会のへりを、近代的なものと前近代的なものとのあいだを、〈ここ〉と〈ここではないどこか〉の境界線の上を綱渡りし、足を滑らせては落ちてくる者たちを受けとめる容器でもあるのだと言ってはいけないだろうか?
なぜなら、空の高みへと飛翔する者、彼方へ旅立つ者は、ついに自分のものとは異なる現実に触れることができたと思ったのも束の間、重力から逃れることはできず、必ずや地上に落下する、〈いまとここ〉に連れ戻されてしまうからだ。『DURASIA』の鳥たちを見ればいい。地上近くを、羽根を飛び散らして行く鳥たちは、翼にのしかかってくる重力のさだめを誰よりも何もよりも重く知っている。だが、落ちても大丈夫だ。Cholonで撮られた一葉にあるように、地に落ちた鳥を水だか湯だかの入ったたらいが受けとめてくれるのだから――絞められた鶏なのか、たらいからは鳥の脚がぬっと突き出し、その横の小さな容器には、おそらく切り裂かれた喉から流れ落ちた色濃い血が受けられている……。だが、これは鳥たちだけに限られた運命ではない。そのことは、『夢の走り』において写真家がすでに、路上の染みのような、行き交う車輪に押し潰されて原型をとどめぬほど変形した小鳥の死骸を、滅多にないことだがカラーで、それも憑かれたようにフィルムに焼きつけているのだから、あえてここでくり返して言うまでもないのかもしれない。
失われてゆくものに対する深いノスタルジーに貫かれながらも、鈴木清の写真は、甘美な痛みに浸る自己陶酔とは無縁である。自己を忘れるどころではない。写真はそのつど自己を、〈いまとここ〉に縛りつけられた哀れなおのれの現実にいやおうなく連れ戻す。得体の知れぬ闇とまぶしくて直視できない光とがせめぎあう場所としての自己の輪郭を強く感じること。〈いまとここ〉に、より強く、より激しく、出会う、いや叩きつけられる――だが、それが生きるということではないのか――ためにこそ、時間的にも地理的にも遠い彼方へと飛翔しなくてはいけないかのようだ。
『流れの歌』から『DURASIA』まで、鈴木清は8冊の写真集を残した。写真家の死は、これから彼の手によって撮られる写真が存在しないという意味では、彼の仕事を完結させてしまった。しかしその軌跡を、途中でぷつんと断ち切られてしまった一本の線のようなものとして思い描きたくはない。ひとつの円環が閉じられたのだ。そして円は完成したとたん、○の内にも外にも無限を出現させる。鈴木清の作品はまだ終わっていないし、終わることはない。
著者:小野正嗣


音楽・文芸批評、早稲田大学教授。 さまざまな場における音・音楽のありようについて考えようとしている。著書に『魅せられた身体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』(青土社)、『無伴奏 イザイ、バッハ、そしてフィドルの記憶へ』(アルテスパブリッシング)、『武満徹 音・ことば・イメージ』(青土社)ほか。

をかいている。湿度がたかいな。
『デュラスの領土』のページをめくっていた、
十月もそろそろ半ばだというのに、ジャケット下のシャツはどことなくじっとりとして。
汗をかいているのは、湿度がたかいのは、
写真のなかにあるひとでありものであり風景、
[である/な]のか、
カメラを手にしている写真家、
[である/な]のか、
写真集のページをめくりながら感光された化学物質の痕跡を視線で追っているこの身、
[である/な]のか、わからなくなっていた。
そういえば、
と、『流れの歌』でも『愚者の船』でも、どこか、湿度を感じていたことをおもいだす。
湿度は大気と身体とをちかづける。
空気中にある水分が飽和し、身体からあふれてくる汗と親和し、
あいだ、があいまいになる。
写真をとるとは、カメラをあいだに、境にして、隔てられること。
みる/みられるが写真というかたちになってのこされる。
隔たったことの記録が写真、
であるはずなのに、
湿度、が、
カメラを手にしたものと、みられ、とられるものをつなげてしまう。
さらに、
写真=集をみるものところまでしめりけがとどいてくる。
カイカン、では、かならずしもない、
いやむしろ、往々にして/ときとして、フカイだ。
ここから、この状態からぬけでたい、
皮膚をしめらせ、シャツにしみをつける汗から開放されたい、
のに、よういにこの湿度はさることがない。
からだから、肌をとおして、外へとしみだしてくる汗。
外気が肌にふれ、とけこみが飽和してくるもの。
感触はからだの表面にだけとどまってはおらず、だんだんと、肌のおくにしみこんでくる。
からだのおく(まで)が湿度をおぼえ、さらには記憶と、夢と、なる。
執拗にあたまのなかでひびいてくるうたのよう、
そのひびきから去りたいと願ってもただひたすらにルフランをつづける、
こわれたレコードのように。
病気なのか、ならいおぼえた性癖なのか、習性なのか、生理なのか、
もう、わからなくなっている。
写真を一目みて、全体がとらえられたような気になる。なっている。
仮でも嘘でも、一目みの全体が、印象をつくりだし、固定する。
この印象をゆさぶり、ゆるがし、ずらしてゆく。
印象?
im-pression=こちらのなかに押しこんできたものは何だったかと画面のなか、
ちょっとした光と影のコントラストを、何かにみえてしまうものたちを、まなざしは徘徊し、
細部から細部へ、
さらには、
ひとつの細部をすこしずつ範囲をひろげ、
何にみえるかみえないか、これがそれがあれが何なのか、既知のものへと翻訳し、わかった、
そう、ふたたび、また、わかった、気になる。
気になるたびをつづけ、つづけて。
写真-集にある写真-たち。
紙に印刷された一枚、一枚の写真、写真-たち。
写真-集にはタイトルがあり、日本語と、外国語、がつけられていながら、
ことば"的"に対応してはいない。
翻訳? transcription、書くことを「トランス」する?
いや、むしろ、編曲、だろうか?
つねに、どことなく、つりあいを欠いて(変えて)いて。
ときに外国語では、音楽の、ある楽曲のタイトルがつけられ、
連想がべつのところに横滑りしてゆく。
横滑りは、バランスのわるさ、ではなく、
その土地が、写真のある、写真にとられ(撮られ/盗られ/……?)た湿度のせいか。
どことなく、ある、しめりけによるすべり、
それはまた、すべり、でありつつ、ねばりつく、ぬめり、でもあるのか、どうか。
デュラスの領土、Durasia--------
Durasの土地、土地をあらわす-a、
Duras-Asia、でありつつも、状態を、心身の状態をあらわす-aがかさなって、
ひとつの狂気が招かれているのかもしれない。
原-型、原-風景、原-体験、
原-、archi-という。
原-は複数形だ。
ひとつに解釈されたり、回収されてしまったりすることもすくなからずあろうけれども、
その「原野」には無数の細部が息づき、異なった相と層が併行して奏でられている。
写真を撮ったり、文章を綴ったり、音楽を奏でたり、
なかったものをつくりだしてしまうひとがもっているのは、
ひとつにとらえられがちななかに複数をみいだす力。
『デュラスの領土』の、『流れの歌』の、写真家は、みる対象とみずからの心身とのあいだ
じっとりとした湿度を刻々に感じながら
原-の多層/多相をみいだしてゆく。
時間のながれのなか、層/相はさらにべつにたちあらわれ、
写真家はひとつの写真-集を編み終えると、
あらたなおくへと旅だってゆく。
旅先にみちているのは、
ゆびさきを、ふたつ、みっつのゆびさきをあわせなければ触知しえない、
しみ、しめり、
しめりけ-----のあと。
写真集をくっているこのゆびも、いつのまにか、しめ、っていたのか、いないの、か。
著者:小沼純一


1977年東京生まれ。写真家。写真集『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞受賞。『Mt.Fuji』(リトルモア)、『VERNACULAR』(赤々舎)を含む活動によって東川賞新人賞を受賞。最新刊に『CORONA』(青土社)がある。開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)他、著書多数。 公式ウェブサイト
稿を書くのが大幅に遅れてしまった。締め切りはとうに過ぎ、美術館の人には大変な迷惑をかけている。展覧会の会期も半ば終わりかけている。ぼくは原稿を引き受けていながら、なんということをしているのだろう。謝っても謝りきれない。なぜ書けないか、さまざまな理由があるのだが、それは自分がまだお会いしたことのない鈴木清さんに対して多大な思い入れがあることに起因する。何を書いても彼に見透かされそうな気がして、一向に執筆は進まなかった。
数ヶ月前に沖縄に滞在していた際、浦添にある行きつけの飲み屋(カフェといったほうが正しいかもしれない)で、偶然にもぼくは鈴木清さんの写真集を手にとった。店主が写真家で、その店には多くの写真関係者が集まってくる。鈴木さんの写真集は客の一人である地元のカメラマンの女性が店に置いていったものだった。彼女は、日吉の綜合写真専門学校の卒業生で、そこで先生をしていた鈴木さんに直接写真を教わっていたのだという。店に集まってくる写真好きの人々に鈴木さんを紹介したいという気持ちもあって、数冊の写真集をその店主に貸していったらしい。
ぼくは沖縄という場所で鈴木清の写真と出会えたことが嬉しかった。カウンターの席に座って、飽きることなく写真集のページをめくり続けた。静かに気持ちが高揚する。揺さぶられる。言葉以前の世界に引きずり込まれる。
店にあった全ての写真集には、一ページ目に鈴木さんのサインと自分の教え子に向けた一言のメッセージが記入されていた。これまで世に出ている鈴木さんの写真集は一冊をのぞいて、いずれも自費出版である。印刷した部数が少ないから今では非常に手に入りにくいわけだが、当時鈴木さんは沖縄に来た手みやげの一つとして彼女に自分の写真集を渡していた。沖縄で生まれ、今は母として地元で写真を撮り続けている彼女は、鈴木さんからもらった写真集を大切に保管していて、それゆえにぼくはこうして貴重な書物とめぐりあうことができたということになる。
特に興味を惹かれたのは『ブラーマンの光』である。カバーの袖には、ジャン・グルニエの『孤島』の一節が引用されていた。
「・・・幸福感がわきおこるとき、たしかにそうだ、存在は実在する。千分の一秒のあいだ『放心する』だけで十分なのだ。鎖は断ち切られる。」
『孤島』はかつて自分が太平洋の島々を旅していたときに肌身離さず持ち歩いた一冊だった。あらゆるページが示唆に富んでいて何度読み返しても飽きることがない。住み慣れた場所を離れて見知らぬ彼方へ向かって歩き続ける旅人は、どこか満たされない飢えや秘密を常に抱えているものだが、『孤島』にはそれを暗示するような言葉が点在していた。例えばこんな箇所がある。
「見知らぬ町における秘密の生活についての私の夢にもどろう。私は自分をありのままに名のることはないだろう、そればかりか、異邦の人に口をきかなくてはならないときは、むしろありのままよりも以下の人間であるかのように自分を名のるだろう。たとえば、実際にある国を私が知っているとすれば、その国を知らないふりをするだろう。私に親しい思想を人が得々と述べたてるとすれば、私はそれをはじめてきくような態度をとるだろう。私の社会的地位がなんであるかを人にきかれるとすれば、私は自分の地位をひきさげるだろうし、私が労務者の監督であるとすれば、私は自分を労務者だというだろう。」
グルニエは、このような自らの卑下への欲望は、内的なよわさを示すものだと説き、その一方で、それこそが孤立した自分自身を奮い立たせることに繋がるとも言っている。鈴木さんの写真集をめくっていてぼくが感じるのは、これと似たような控えめな卑下と自らを奮い立たせようとする何かである。旅の途上にあるぼく自身、グルニエの言うある種の弱さを抱えていることを自覚している。だからこそ、鈴木さんの写真集のどの一冊をとっても、激しく惹かれるのかもしれない。
「大切なのは、全世界を一周することではない。全世界の中心を一周することだ・・・。」これも『孤島』の一節である。
鈴木さんは沖縄や韓国やインドにいても、いつも世界の中心にいた。遠い世界にいながら、最も近いものを見ていたし、果てへと歩きながら、内なる島を見つめていた。残された写真によって、人はその中心の一端を目の当たりにすることができる。彼の写真は、千分の一秒間、ぼくを幸福に"放心"させる。そこにあるのは夢ではない。確かな存在のしるしなのだ。
著者:石川直樹







