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<title>「建築はどこにあるの？7つのインスタレーション」展 : work in progress</title>
<link>http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/</link>
<description>建築家によるインスタレーションは、いつも美術館が展示しているそれとはちょっと違います。意味のある新しい「空間」をつくるために、会場を実測し、模型などでスタディし、見積もりをとって唸り、次の案を考える……こうしたプロセスが、できあがった作品と同じくらい重要なのです。そこで彼らの「work in progress」を、特別にご紹介することとしました。各建築家が、不定期に、制作状況をアップしてくれています。人によって「スピード」や「量」が異なるのもポイントのひとつ。ちなみに空間の割り振りが全て決定したのは、2009年12月中旬のことでした。　保坂健二朗（本展キュレーター）</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2010</copyright>
<lastBuildDate>Mon, 26 Apr 2010 16:40:24 +0900</lastBuildDate>


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<title>鈴木了二　20100426</title>
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<![CDATA[<img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100426_01.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100426_02.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100426_03.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100426_04.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100426_05.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100426_06.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100426_07.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100426_08.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100426_09.jpg" border="0"><br />ジャンルそのものがDUBのこともある。
写真は原理が引き延ばしだからDUBだ。柴田敏雄さんの写真のようにオリジナルプリントの大きさが重要な場合ももちろんあるけれど。 
服飾などもそうだ。SMLでデザインの質が変わってしまったら具合が悪い。 
とはいえこれらのジャンルにおいても、よりDUB的な作家がいる。 
１例をあげれば写真ならヴォルフガング・ティルマンス、服飾ならナルシソ・ロドリゲス。 ロドリゲスのデザインが建築的に思えるのは、袖や襟やカフスといったパーツを繋げるのではなく、それらを布の面の広がりのうえに溶かし込んで置き直し、身体の流れに沿って裁断しているように思われる点だ。その縫い目は、縫い合わされることによって強度の稜線となって見える。デザインのアクセントでもないし、単なる繋ぎ目ではない。薄い布を平面から空間へと立ち上げる力の稜線。デザインといえば折り返して縫い合わせたHEMだけ。その関係さえ決まってしまえばあとはなにもいらないというシンプルさである。 
このシンプルさは分節化の究極であるミニマリズムとはまるで違う。 
関係さえ押さえてあれば膨張も圧縮も自在である、そこが「DUBHOUSE」の感じだ。
もっとも衣服自体が、建築と同じように空洞（衣服の場合はそれが身体）を内部に取り込むことのできる滑らかな何かだろう。そこには腕や頭を通すためにいくつかの穴が、窓や出入り口のように空いている。 脱ぎ捨ててあっても、ハンガーに掛けてもデザインは何も変わらない。
家具にもDUB MASTER はいる。惜しくも亡くなってしまったマルテン・ヴァン・セヴレン。感じがどこかテラーニに似ている。TERRAGＮI DUB。テラーニの残した走り書きの小さなスケッチひとつを頼りに試してみたらこれが予想を超えてなかなか困難。 
レイフ・オヴェ・アンスネスがノルウェー・チャンバー・オーケストラを連れてやって来た。オペラシティでモーツアルトのピアノ協奏曲NO.18、NO.23のふたつを聴く。ピアノを舞台の中央に持ってきて向こう向きにセットし、それをコンパクトに取り巻くようにオーケストラを配置。観客に背中を向けてオーケストラを自ら指揮をしながら、それに応えるようにピアノを弾くアンスネスの背中を見ていたら時代差がぼやけてきて、モーツアルトもきっとこうだったのではないかと思えてきた。モーツアルトの音楽もゴスペルやジャズと同じコール・アンド・レスポンス、つまり対話であることが判明。ピアノの音もヌケがよく美しい。<br />]]></description>
<link>http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/#/suzuki_ryoji/</link>
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<pubDate>Mon, 26 Apr 2010 16:40:24 +0900</pubDate>
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<title>鈴木了二　20100331</title>
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<![CDATA[<img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100331_01.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100331_02.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100331_03.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100331_04.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100331_05.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100331_06.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/2_suzukiRyoji_20100331_07.jpg" border="0"><br />いま私の周りで始まっている事態ををとりあえず「DUBHOUSE」と呼んでみた。この場合のHOUSEは、住宅／HOUSEでもあり、また音楽／HOUSEでもある、という二重の意味を含んでいてうまい命名だとひとに褒められたが、私は音楽方面のHOUSEを知らないのでなんのことか分からない。
 「DUBHOUSE」の始まりは、物質試行50（いつのまにか50です）となるかもしれない住宅を「世界に３つの穴の空いたモデル」として定義したときだった。3つの穴とは、この住宅に空けられた３つのヴォイドのことである。 
ドーナツとコーヒーカップはヴォイドがひとつだから性質が同じなのだそうである。とすれば、３つのヴォイドさえあるならばこの住宅もどのように引き伸ばしても圧縮してもその性質は変わらないことになる。まさか。ほんとうだろうか。それを試したいのである。 
「DUBHOUSE」の特徴は第一に、スケール（尺度）とプロポーション（比率）から自由であることだ。どんなに縮小／拡大しても、あるいは、縦、横、高さの比率を変えても「DUBHOUSE」の特性は維持される。
 ダビング・サンプリング・ミキシングの時代において議論の中心はもはや規模や形態には存在しない。問題は「世界に幾つ穴が空いているか」である。
もっとも「DUBHOUSE」は、いまここでいきなり始まったわけではない。ただその起源と歴史が、長期にわたって忘れ去れていたにすぎない。
予想では、ローマ時代の「ローマンハウス」を起源とし、ルネサンスからバロックに至る間に消滅した。 
DUBがかかる建築か、かからない建築か、それはいままでの評価基準を根底的に覆すかもしれない。たとえばコルビュジエ、ミースはダメだが、テラーニならOKという風に。
先日はアラン・レネの新作「風にそよぐ草」を観た。素晴らしい老け方だった。ボブ・ディランは2時間立つ自信がなかったので諦める。残念だけど2009年リリースのアルバム「トゥゲザー・スルー・ライフ」を聞いて我慢。<br />]]></description>
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<pubDate>Wed, 31 Mar 2010 17:08:39 +0900</pubDate>
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<title>鈴木了二 20100311</title>
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<![CDATA[<img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/02_suzukiRyoji_20100311_01.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/02_suzukiRyoji_20100311_02.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/02_suzukiRyoji_20100311_03.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/02_suzukiRyoji_20100311_04.jpg" border="0"><br /><img src="http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/log/02_suzukiRyoji_20100311_05.jpg" border="0"><br />しらべてみると、「DUB」はレゲエから発祥した音楽手法、あるいは音楽ジャンルであり、ときにはダブワイズ（dubwise）とも呼ばれている、とある。 

「DUB」とは、楽曲（とくにレゲエ、でも何故？）のリズムをより強調するようにミキシングし、エコーやリバーブなどの過剰なエフェクトをほどこし、加工することにより、まったく別の作品に作りかえてしまうことであり、それがいわゆる「リミックス」の元祖でもある、ということだ。
オリジナルの根拠が怪しくなったことを証明するかのように登場してきたミュージックが「リミックス」であることはいうまでもない。 

いっぽう「DUB」には、これと関連はするものの、少し違った意味合いも含まれる。それはダブプレート（Dubplate）のことである。
ダブプレートとは元々、12インチ、10インチ、７インチのアセテート盤にダイレクトカッティング方式で録音したレコードのことで、塩化ビニール製の通常のアナログ盤よりも安価で素早く録音できるが、その代わり強度が弱く再生回数が限られる。
したがってプレスの数は極めて少ないが、それに引き替えインデペンデントの度合いは高くなり、そのために、一般にはリリースされない録音、入手できないヴァージョン、独創的なリミックスが残された。つまりレコードにおける最強のオリジナル盤といえるだろう。

したがって「DUB」とは、どちらの意味においても、オリジナルをめぐる攻防にほかならない。オリジナルを変形し、歪ませ、引き延ばし、圧縮すること。
ここまで来れば、「DUB」が音楽に限らず、建築の問題でもあることは明らかだ。 

物質試行50を「DUBHOUSE」と名付けてはみたものの、私がとくにダブミュージックに詳しいわけではない。というか、ほとんど聞いたことがない。だいたいレゲエが苦手だ（ったのだ）。もっとも、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズだけは別だったが。その証拠に、かれらが来日したときには中野サンプラザにまでコンサートを聞きに出掛けている。それはまあどうでもよい、問題は……
というわけで、この2010年には「DUBHOUSE」の「DUB」をハンドルにして、オリジナルが終わった後のオリジナルの行方についてしばらく考えたい。<br />]]></description>
<link>http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/#/suzuki_ryoji/</link>
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<pubDate>Thu, 11 Mar 2010 21:54:04 +0900</pubDate>
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