The National Museum of Modern Art, Tokyo
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特別展・亀倉雄策のポスター
1996年8月6日(火)〜9月21日(土)
亀倉雄策のポスター 白石和己
日本のこれまでのポスターの中で、人々に最もよく知られているものは、お
そらく1964年に開催された東京オリンピックのポスターだろう。オリンピック
という大きなイベントを象徴するものであり、日本が、敗戦後の混乱と貧困の
時代を脱して、高度成長の時代に向かって、大きく展開していった象徴ともい
うべきものだった。ポスターは一回限りのものであるにもかかわらず、このポ
スターは人々に今もって強烈な印象を残している。
この東京オリンピックポスターをデザインした亀倉雄策は、中学生のころ、
近代ポスターの父と称されるカッサンドルの作品、パリの百貨店・ギャルリ・
ラファイエットのポスターの図版を見てグラフィックデザインに進む決心をし
たという。生家の環境が芸術的な雰囲気に囲まれたものであり、彼は早くから
芸術の方面に才能を発揮していた。しかし、どちらかというと定規やコンパス
によるはっきりとした幾何学的表現を好み、デザイナー志望だったとのことで
ある。カッサンドルのポスターは、直線と曲線を組み合わせた画面構成に特色
をもち、ロートレックなどによる、それまでのポスターが、絵画をそのまま、
あるいは絵画風の描写をポスターのデザインとして用いたのに対し、きわめて
明確で力強い表現と伝達すべき目的が分かりやすく表されている。カッサンド
ルのポスターとの出会い以降、彼は一筋に、グラフィックデザインの道を歩み
続けるのである。
中学を卒業した彼は、独力でデザインの研究を進めたという。そして1935年、
新進の建築家、川喜田煉七郎の主宰する新建築工芸学院へ入学し、バウハウス・
システムによる構成理論、方法論などを学んだ。ここには桑沢洋子らが共に学
んでいた。桑沢によれば、この学校の教育内容は、色彩・点・面・テクスチュ
アなどの造形の要素の理論、それを応用したコラージュ・立体構成といった基
礎実習だった。川喜田の意図としては、基礎を軸にしての建築・工芸・美術・
演劇等のいわば芸術とデザインの専門分野における新しい造形教育をめざして
いたという。1938年、彼は日本工房に入社した。日本工房は写真家・名取洋之
助が1933年に設立した組織である。日本工房は1939年に国際報道工芸と改称し、
亀倉はタイ国向けのグラフ雑誌の編集責任者を務めたりしている。この会社は
『SHANGHAI』『CANTON』などの海外向け雑誌を発行していたが、1945年終戦の
一週間後に解散した。こうした仕事を通じて、彼はデザインの基礎をしっかり
身につけるとともに、さまざまな人々との出会いなどを含めて次第に力を蓄え、
グラフィックデザイナーとして成長して行った時期といえるのではないだろう
か。
戦後の混乱した社会は経済的な疲弊をもたらし、これまでの価値観を崩壊さ
せるとともに、一方でアメリカなどの圧倒的な量と質の文化の流入があった。
これまでの束縛から解放された自由な空気の中で、欧米からの刺激を受けてさ
まざまな新しい芸術運動が繰り広げられたが、グラフィックデザインの分野に
おいてもいろいろな動きが見られた。その代表的なものが日本宣伝美術会(日
宣美)の設立である。1950年、東京で仕事をしているデザイナーが集まって、
広告作家懇話会がつくられ、そこでの会合を重ねる中で、「宣伝美術という社
会的責任の上にたつ仕事として、生活擁護の問題や社会的文化的意味の団体と
して創立する」ため、全国のデザイナーを糾合しようということになった。そ
してそのための準備委員会が作られ、1951年発足したものである。日宣美はこ
の年から会員の自由な作品を発表する展覧会を開催し、3回展からは会員展の
ほか公募も行われるようになって、実力主義によって幅広い表現方法の中から
優秀な作品を展示したため、非常に多くの応募があり、新人の登竜門として数々
のデザイナーを生み出した。また、海外へ日本の作品を紹介したり、デザイン
講座を企画したり、機関紙を発行するなど積極的に啓蒙・普及活動を行って、
日本のグラフィックデザインの急速な発展に大きな役割を果たした。亀倉はこ
こで中心的な活躍を行ったのである。
大きく発展していった当時の日本のグラフィックデザイン界だが、亀倉は作
品制作の面でも優れた仕事を行って、目覚ましい活躍を示している。例えば、
1954年の『ニコン』ポスターをはじめとする日本光学の一連の作品などにみら
れるように、抽象的な曲線を組み合わせて、商品のイメージを具体的に表した
ものなど、直線と曲線による強いイメージを与えるポスターは、これまでのポ
スターと比べてみても格段に新鮮で鮮やかな印象を受ける。まさに「今までの
絵画的ポスターあるいは図案といったものとはっきり訣別した、日本の現代デ
ザイン誕生のシンボルとも言うべき作品である」との強い思いを感じさせる画
期的なデザインポリシーを確立した作品といえよう。
ところで1955年、グラフィック´55 展が日本橋高島屋で開かれた。参加し
たのは亀倉のほか原弘、伊藤憲治、河野鷹思、早川良雄、山城隆一、大橋正と
いった日本のトップクラスのグラフィックデザイナーに加え、ポール・ランド
を招待作家として加えたものだった。この展覧会はすでに印刷された作品を展
示するということで注目を集めた。このころの大きな展覧会だった日宣美展は、
ほとんどがデザイナーのオリジナル作品をポスターカラーで描いた原画だった。
実際に使用される印刷されたポスターこそがデザイナーにとって完成作品であ
り、印刷というプロセスを通して出来上がった作品は絵画とは異なった機能、
表現をもっているのである。印刷されたポスターを陳列したこの展覧会の成功
は、デザイナーに大きな力と勇気を与えるものだったし、グラフィックデザイ
ンを時代・社会と密接に関連した新しい分野の芸術として人々に認識させるも
のだった。このようなさまざまな機会に、亀倉が努力を重ねながら力を発揮し、
激しく動いていた時代をリードしたことは言うまでもない。
1964年に開催された東京オリンピックは、単にスポーツだけではなく、いろ
いろな意味で時代を画するイベントだった。この東京オリンピックのためのデ
ザインについて、勝見勝を中心とするデザイン委員会が設けられて一貫したデ
ザイン・ポリシーが計られた。それは、東京大会マークを一貫して用いること、
五輪マークの五色を重点的に用いること、書体を統一すること、つまり視覚言
語の重視だった。そして指名コンペによって亀倉の制作したシンボルマークが
決定されたのである。そして、このシンボルマークを中心にオリンピックのデ
ザインポリシーが展開されたのである。そして、鮮烈な印象を与えたシンボル
マークをポスターにした作品を1961年に制作し、1962年には陸上競技のスター
トダッシュの一瞬を真横から撮った写真を使用したポスターを、翌1963年には
水泳のバタフライの泳者を真正面からとらえた写真を使用したポスターを制作
している。競技者の力のこもった瞬間を画面に定着させ、激しい息づかいさえ
感じさせる。画面の優れた構図と下部に鮮やかに記された日の丸と五輪、そし
て「TOKYO 1964」の金色の文字。オリンピックの意味を端的に表現している画
面、そして力強く明快な構図は、他の美術とは異なったポスター独特の美しさ
をもっている。「アメリカやヨーロッパと比べると、大きく遅れていた」我が
国のデザインを「アメリカのデザインの芸術的レベルに早く追いつきたかった」
ため懸命に努力していた彼らだったが、この一連のポスターによって早くも世
界のトップレベルに到達したのである。事実、ポーランド国際ポスタービエン
ナーレで芸術特別賞を受賞するなど海外でも高い評価を受けている。オリンピッ
クのポスターではこれまで写真は用いられたものがなく、思い切って挑戦した
とのことであるが、激しい動きのある写真を巧みに用いる方法は、この後も亀
倉の作品の中にしばしば登場する。亀倉のポスターには写真を効果的に用いた
もののほか、幾何学的なデザインによるものも多い。彼はもともと幾何学的表
現を好んでいたのだが、戦前のデザインが画家の描いたような絵画風のものを、
何の批判もなく用いていたことへの反発もあったのではないだろうか。先述し
た『原子力エネルギーを平和産業に!』をはじめ日本光学のポスターなど、
1950年代にすでに高い完成度を示している。その後も彼の特徴的なデザインと
して続けられており、例えば、1967年制作の『EXPO' 70』は中心にシンボルマー
クを置き、黒地に金色でそこから周囲に広がっていく線を表して、世界へ向け
て発信する万国博のイメージを気品あるデザインに仕上げている。これら亀倉
のポスターを見て行くと、次々と新しいデザインが生み出されていることがわ
かる。彼独特の感性を示す構成と色彩の使用によって、創作的デザインとなっ
ているばかりでなく、ひとところに止まらないで、時代の進展と共に変わって
行く彼の積極的姿勢を表しているものと言えよう。さらに亀倉作品において、
イラストレーションを効果的に使った『Hiroshima Appeals』や『フランス革
命200年祭 』などの作品も、豊かな感性を感じさせる優れた作品に仕上げてい
る。これらも彼の代表的ポスターの一つと思われる。
近年、ポスターの役割の終焉が叫ばれて久しい。たしかにテレビをはじめさ
まざまなメディアの発達、コンピューターなどの技術的発達によるインターネッ
トの利用など、ポスターを取り巻く環境は著しく変化しており、これまでのよ
うにポスターが広報の主流とは言えない時代になって来ている。しかし、そう
したさまざまなメディアの中でも、ポスターは依然として生き続けて行くだろ
う。「ポスターとトレードマークはデザインの原点である。…その上デザイナー
が自分を羽ばたかせて空想の世界に浮遊することも出来る。だからポスターを
作ることは楽しい。」と述べているように、ポスターは単に情報の伝達だけで
はなく、デザイナーの心の広がりをも表現できる手段でもあるようだ。芸術性
の豊かな作品が次々と生み出されているのは、このような事情によるものなの
であろう。亀倉雄策は戦後、1950年以降の日本のデザイン界を、明るい包容力
のある個性とリーダーシップで強力に引っ張って来た。グラフィックデザイン
は、それぞれの社会と密接な関わりを持つものであるが、情報の伝達性ととも
に作者の芸術的感覚を鋭敏に込め、芸術的で、欧米の諸国からも高い評価を得
たレベルの高いポスターを制作している。時代を象徴する大きなイベントのポ
スター、時代の要求を敏感に感じて時代をリードしたコマーシャルポスターな
ど、時代の精神を反映し、時代を作って行った彼のポスターをたどることは、
まさに日本のデザイン史を見ることだといえるだろう。