MOMAT の国指定重要文化財

 東京国立近代美術館(本館)は、国から指定を受けた重要文化財を14点収蔵しています(日本画9点、油彩画4点、彫刻1点、そのうち日本画1点、油彩画1点は寄託作品)。

 このページでは、当館を代表するコレクションであるこれらの重要文化財を、制作年順に並べ、簡単な解説とともにご紹介いたします。

 なお、現在展示されているかどうかにつきましては、所蔵作品展「MOMATコレクション」のページでご確認いただけます。保存上の理由などにより、展示期間が限られる作品もあります。どうぞお見逃しなく!


原田直次郎 《騎龍観音》 (はらだなおじろう、きりゅうかんのん)

1890(明治23)年
油彩・キャンバス
272.0×181.0cm
寄託作品(護國寺蔵)

 白い衣を身にまとい、右手に柳、左手に水瓶(すいびょう)を持って、龍に乗る観音を大画面に描いています。ドイツに留学した原田直次郎は、ヨーロッパの宗教画や日本の観音図の図像等を参考に、この作品を制作しました。油彩のもつ迫真的な描写を日本の伝統的な画題に適用しようと描いた意欲作です。その主題や生々しい描写をめぐって、発表当時、大きな議論を巻き起こしました。

【重文指定年月日:2007(平成19)年6月8日】

 

菱田春草《王昭君》 (ひしだしゅんそう、おうしょうくん)

1902(明治35)年
絹本彩色 額
168.0×370.0㎝
寄託作品(善寳寺蔵)

中国・前漢の元帝の時代、匈奴の王へ嫁すことになった後宮一の美女、王昭君。絵師に賄賂を贈らなかったために肖像画を醜く描かれたこの高潔な美女を、さまざまな感情を秘めた後宮の女性たちが見送る場面を描いています。線描を用いない、いわゆる「朦朧体」の試みがもたらした実りの一つで、巧みな暈しがなめらかな質感と夢想的な雰囲気を与えています。
山形県鶴岡市の善寳寺が所蔵するこの作品は、寄託先である鶴岡市の致道博物館が工事のため、2014年秋以降、期間限定で当館に寄託されています。

【重文指定年月日:1982(昭和57)年6月5日】

 

菱田春草 《賢首菩薩》 (ひしだしゅんそう、けんしゅぼさつ)

1907(明治40)年 絹本彩色 軸
185.7×99.5cm

 賢首菩薩は華厳宗(けごんしゅう)第三祖のこと。唐の則天武后(そくてんぶこう、在位690-705年)の問いに対し、庭にあった黄金の獅子を例に華厳の教えを述べたと伝えられています。この作品では、点描で彩色した上に、細かく模様を描き入れているのが特徴的です。線を用いずに色彩の濃淡で空気や光線を表現する描き方を一歩進め、色調の微妙な変化で遠近感や立体感を表現しています。

【重文指定年月日:1979(昭和54)年6月6日】

新海竹太郎 《ゆあみ》 (しんかいたけたろう、ゆあみ)

1907(明治40)年 石膏 189.0×46.0×39.0cm

《ゆあみ》石膏 撮影:大谷一郎 (主に展示されるのは、この石膏原型をもとにブロンズに鋳造された《ゆあみ》です。)

《ゆあみ》ブロンズ

 ドイツで彫刻を学び、その技術と東洋的な主題との融合をもとめた新海竹太郎が、第1回文部省美術展覧会(文展)に出品した、日本における裸婦彫刻の先駆的作品。

 天平風のまげを結い、薄布を手にした控えめなポーズをとる日本人をモデルとして、ヨーロッパ風の理想化された人体像を示しています。和洋美術の融合を見せつつ、清楚な姿には気品が漂っています。

【石膏原型重文指定年月日:2000(平成12)年6月27日】

萬鉄五郎 《裸体美人》 (よろずてつごろう、らたいびじん)

1912(明治45)年
油彩・キャンバス
162.0×97.0cm 
八木正治氏寄贈

 東京美術学校の卒業制作。炎のように揺れ動く下草の描き方や単純化された裸婦の表現などに、当時雑誌などで紹介されるようになったゴッホやマティ スの影響が見られます。その強烈な色彩と筆致による表現は、黒田清輝ら当時の指導教官たちを困惑させたと伝えられています。表現の自由、個性の尊重が叫ば れた大正時代のさきがけとなる記念碑的作品といえます。

【重文指定年月日:2000(平成12)年12月4日】

岸田劉生 《道路と土手と塀(切通之写生)》 (きしだりゅうせい、どうろとどてとへい きりどおしのしゃせい)

1915(大正4)年 油彩・キャンバス 56.0×53.0cm

 劉生が当時住んでいた代々木付近の光景を描いた作品です。古典絵画の感化を経た眼をもって、改めて自然に肉薄しようとする作家の視線が注がれています。作 者自身によれば、ちょうど「クラシツクの感化」すなわち西洋の古典的絵画の影響から脱しはじめ、再び「ぢかに自然の質量そのものにぶつかつてみたい要求が 目覚め」た時期の作品です。密度の高い画面作りと、見る者に迫るような特異な空間把握によって、大正時代の絵画の中でも傑出した独自性を持つ作品です。

【重文指定年月日:1971(昭和46)年6月22日】

川合玉堂 《行く春》 (かわいぎょくどう、ゆくはる)

1916(大正5)年 紙本彩色 屏風 6曲1双
各183.0×390.0cm

 晩春の桜花が散りゆく渓谷。川に繋留されている3隻の水車舟。玉堂は前年の秋と同年の早春にスケッチ旅行で秩父の長瀞(ながとろ)を訪れ、川下りを楽しんでいます。その時の風景を出発点として、小雪のように舞う桜をあしらったのがこの《行く春》です。

  作者は繰り返し同じリズムでまわる水車に特に興味をおぼえ、その動きを伝えようと、勢いよく水が流れるさまを表現するのに最も苦心したといいます。自然の 雄大さと季節の移ろいが見せる繊細さ、そうした自然の多様な表情とそこに生きる人々の生活とを結びつけながら、詩情豊かな世界を描き出しています。

【重文指定年月日:1971(昭和46)年6月22日】

 

土田麦僊 《湯女》 (つちだばくせん、ゆな)

1918(大正7)年 絹本彩色 屏風 2曲1双
各197.6×195.5cm

 山並みは平安時代の大和絵、生い茂る松の樹は桃山時代の障壁画、そして真っ赤な着物をまとう官能的な女性はルノワール。第1回国画創作協会展出品作であるこの《湯女》は、古今東西の様式への共感と参照のもとで生まれました。

 自然の美しさと女性美、風景画と人物画が融合しながら、理知的に統一されています。伝統や枠組みに捉われず、新しい近代日本絵画を創ろうとした、若き麦僊の意欲作です。

【重文指定年月日:1999(平成11)年6月7日】

 

村上華岳 《日高河清姫図》 (むらかみかがく、ひだかがわきよひめず)

1919(大正8)年 絹本彩色 軸
142.5×55.7cm

 道成寺縁起の一場面に取材した作品。平安時代の10世紀、醍醐天皇の御代、若僧に恋した宿の女主人清姫は、逃げる僧を追い日高河のほとりにたどりつきます。やがて大蛇となってついには自らの炎で僧を焼き殺す、激情に翻弄された女性です。

 ここで取り上げられているのは、物語のクライマックスとなる、清姫の大蛇への変身の直前の場面。しかしこの作品の清姫は、怨念にかられたイメージからほど 遠く、寂しく立つ一本の松やかたわらに打ち捨てられた杖、眼を閉じた表情などからは、悲しみや切なさが伝わってきます。抑えた色遣いと繊細な描線により、 人間の感情の奥深さを表現しています。

【重文指定年月日:1999(平成11)年6月7日

 

中村彝 《エロシェンコ氏の像》 (なかむらつね、えろしぇんこしのぞう)

1920(大正9)年 油彩・キャンバス 45.5×42.0cm
大里一太郎氏寄贈

 この作品のモデルとなっているのは盲目のロシア人青年エロシェンコ(1889-1952)です。魯迅(ろじん)の短編にも登場するエスペランティストの 詩人で、1914年に初来日。その後アジア諸国を放浪し1919年に再来日、新宿中村屋に身を寄せていました。当時彝が傾倒していたルノワールの作風を思 わせる柔らかい筆づかいが特徴的です。色彩は黄褐色系のごく少ない色数だけで描かれています。穏やかな光に包まれながらも、モデルの深い精神性が浮かび上 がる作品です。

【重文指定年月日:1977(昭和52)年6月11日】

 

横山大観 《生々流転》 (よこやまたいかん、せいせいるてん)

1923(大正12)年 絹本墨画 画巻 55.3×4070.0cm

 

(部分)

 天から降った雨の一滴が、あつまって渓流となり川へと成長し、さらに大河になって大海に注ぎ、最後は飛龍となって天に昇るという、流転する水の一 生を描い ています。全長40メートルにもおよぶ絵巻物に描いた壮大なスケールの物語ですが、決してこれで終わりではありません。龍として天に昇った水は再び一滴の 雫に姿を変えて新たな一生を送るのです。水の流れに万物の移り変わりを見る壮大な自然観、人生観が、水墨画のさまざまな技法を駆使して描かれています。

【重文指定年月日:1967(昭和42)年6月15日】

 

鏑木清方 《三遊亭円朝像》 (かぶらききよかた、さんゆうていえんちょうぞう)

1930(昭和5)年 絹本彩色 軸 138.5×76.0cm

 人情噺(ばなし)の名人として知られた明治時代の落語家、三遊亭円朝(1839-1900) は、清方の父の旧友で、画家自身も身近に接していたといいます。この作品では正座した円朝が、湯呑みの向こうの客席にひたと視線を向けた、噺に取りかかる 前の一瞬の姿が描かれています。姿かたちは記憶の中の面影をたよりに描かれ、円朝の鋭く光る眼、結んだ口元からは名人の厳しさや緊張感が伝わってきます。 その一方で、着物や帯、座布団、小道具は、遺愛の品のスケッチをもとに、入念に描写されています。

【重文指定年月日:2003(平成15)年5月29日】

 

上村松園 《母子》 (うえむらしょうえん、ぼし)

1934(昭和9)年 絹本彩色 額
168.0×115.5cm

 母の衿元をつかんで身を乗り出す幼子と、その子をしっかりと抱き、愛情に満ちた眼差しを注ぐ母親。親子のなにげない日常のひとこまが、崇高な母子像 へと高められています。松園は実母の死をきっかけに、母や母性を主題とする作品を描くようになりました。この作品は母を亡くした年の秋に帝国美術院展覧会 に発表されたもので、まさに松園晩年の新境地を拓くことになった記念すべき作品です。肌や髷、衣裳の描写に、松園が美人画で培った感性と技術が見て取れます。

【重文指定年月日:2011(平成23)年6月27日】

 

安田靫彦 《黄瀬川陣》 (やすだゆきひこ、きせがわのじん)

 1940/41(昭和15/16)年 紙本彩色 屏風 6曲1双
各167.7×374.0cm

 源頼朝が挙兵したと聞き、弟の義経が黄瀬川陣に馳せ参じるという、『吾妻鏡』に記された一場面が描かれています。広い余白を用いた緊密な構図に よって、 視線を交わす二人の間の緊張感と、後に待ち受ける悲劇を暗示するかのような冷ややかさが生み出されています。頼朝は神護寺の伝頼朝像(現在では足利直義像 とされる)、義経は平安時代の毘沙門天像、衣裳は『義経記』の記述を参照したとされ、細部の表現にも意を尽くした歴史画の名作です。

【重文指定年月日:2011(平成23)年6月27日】