NFC Digital Gallery – No.10

公開日:2015年5月30日

第10回 戦前期日本の映画館写真(8)―日本各地篇

20世紀最大の娯楽産業として君臨してきた映画―それを担ったのは、昭和初期までに各地に建設された豪奢な映画館の数々でした。大衆を惹きつけるその堂々たる建築、そして華やかな宣伝装飾は、娯楽の王者としての映画の圧倒的なパワーを象徴しています。「戦前期日本の映画館写真」の最終回となる第8回は、北海道から九州まで全国各地の映画館写真を紹介します。なお、このシリーズの写真はすべて国立国会図書館からの寄贈によるものです(社団法人日本映画連合会旧蔵映画公社資料)。

札幌 東宝映画劇場(1938年) Toho Eiga Theater, Sapporo (1938)

札幌 東宝映画劇場(1938年)
Toho Eiga Theater, Sapporo (1938)

写真/Photo

東宝映画劇場は1935年に「宝瑩座」の名前で映画館として開館、その後改称した。掲載写真の時期は東宝直営で定員は1054名。上映作品は1938年の正月番組で、原節子主演『母の曲』(1937年、山本薩夫監督)とフランス映画『南方飛行』 (1937年、ピエール・ビヨン監督)、東海林太郎と淡谷のり子の実演もあり、正月三日間は一日1万人以上を越える驚異的な興行成績を上げた。

小樽 松竹座(1934年) Shochikuza Theater, Otaru (1934)

小樽 松竹座(1934年)
Shochikuza Theater, Otaru (1934)

写真/Photo

1934年12月の開館を控えた館前風景。定員は1508名。開館番組は松竹キネマの『その夜の女』(1934年、島津保次郎監督、田中絹代主演)とアメリカ映画『喇叭は響く』 (1934年、スティーヴン・ロバーツ監督、ジョージ・ラフト主演)

仙台 文化キネマ(1935年) Bunka Kinema Theater, Sendai (1935)

仙台 文化キネマ(1935年)
Bunka Kinema Theater, Sendai (1935)

写真/Photo

「文化キネマ」は1925年に開館、1935年に掲載写真のように新築された。上映作品は松竹キネマの『恋愛豪華版』(1935年、清水宏監督、上原謙主演)とアメリカ映画『十字軍』 (1935年、セシル・B・デミル監督)ほか。「文化キネマ」に隣接した通りは、映画館の名前をとって「文化横丁」と呼ばれた。

盛岡 内丸座(年代不詳) Uchimaruza Theater, Morioka(year unknown)

盛岡 内丸座(年代不詳)
Uchimaruza Theater, Morioka(year unknown)

写真/Photo

芝居小屋の内丸座が映画館になったのは1916年頃。掲載写真の年代は不詳だが、モダン建築になったのは1921年で、その当時は松竹キネマの封切館であった。『盛岡映画今昔』の著者盛内政志は、昭和初期の内丸座を「盛岡における文化の殿堂の観があった」と書いている。

横浜 オデヲン座(1938年) The Odeon Theater, Yokohama (1938)

横浜 オデヲン座(1938年)
The Odeon Theater, Yokohama (1938)

写真/Photo

オデヲン座は1911年12月に開館した外国映画専門の封切館。この写真が掲載された『キネマ旬報』1938年4月1日・第641号(グラビア「六大都市新館紹介」)では映画評論家池田照勝がオデヲン座の思い出を綴り、東京よりも1、2週間早く封切るので待ち切れないファンはわざわざ出かけたとし、「洋画一本立興行を断乎率先したのと英文プロを発行したは我が国ではこゝが最初」と書いた。英文ブロとは英語による番組プログラム週報のこと。写真の鉄筋コンクリート4階建てに新築されたのは1936年4月で、定員は1100名。1973年に閉館、解体された。

横浜 横浜常設館(1938年) Yokohama Josetsu Theater, Yokohama (1938)

横浜 横浜常設館(1938年)
Yokohama Josetsu Theater, Yokohama (1938)

写真/Photo

掲載写真が載った『キネマ旬報』第641号(グラビア「六大都市新館紹介」)で、映画評論家池田照勝は次のように書いた。横浜常設館はオデヲン座と同じくらい歴史が古く(1910年12月開館)、もとは相撲興行も行ったことから「角力(すもう)常設館」と言ったが、現在では「横浜常設館」を名乗り、通称は「横常」。松竹直営で東京と同時封切り、松竹が大船に撮影所があることから松竹映画ファンの女性客に定評がある。上映作品は『新しき翅』(佐々木啓祐監督、川崎弘子主演)と『緋牡丹伝奇 解決篇』(近藤勝彦監督、高田浩吉主演)。

甲府 甲府館(1932年) Kofu Theater, Kofu (1932)

甲府 甲府館(1932年)
Kofu Theater, Kofu (1932)

写真/Photo

甲府館は1911年に山梨県で最初に開館した映画館。掲載写真は1932年の新築時のもので、当時は日活の直営館であった。

石川県小松町 日本館(年代不詳) Nihonkan Theater, Komatsu (year unknown)

石川県小松町 日本館(年代不詳)
Nihonkan Theater, Komatsu (year unknown)

写真/Photo

 

金沢 松竹座(1929年) Shochikuza Theater, Kanazawa (1929)

金沢 松竹座(1929年)
Shochikuza Theater, Kanazawa (1929)

写真/Photo

上映作品は松竹キネマの時代劇『お坊吉三』(1929年、冬島泰三監督、林長二郎主演)と『春容恋達引』(1929年、重宗務監督、柳咲子主演)。看板には「松竹映画北陸封切場」「民衆娯楽の最優者は活動写真なり」などの文字が見える。

姫路 南座(年代不詳) Minamiza Theater, Himeji (year unknown)

姫路 南座(年代不詳)
Minamiza Theater, Himeji (year unknown)

写真/Photo

新築記念のポストカード。南座は戦後に「東宝南座」と改称。1964年に「姫路OS劇場」に改築され、現在も複合ビルの中に映画館がある。

宇和島 丸の内映画劇場(1938年) Marunouchi Eiga Theater, Uwajima (1938)

宇和島 丸の内映画劇場(1938年)
Marunouchi Eiga Theater, Uwajima (1938)

写真/Photo

1938年4月28日開館、定員は1500名。上映作品はアメリカ映画『男の魂』(1937年、ヘンリー・ハサウェイ監督、ゲーリー・クーパー主演)と東宝映画『母の曲』(1937年、山本薩夫監督、原節子主演)。

博多 弁天座(1933年) Bentenza Theater, Fukuoka (1933)

博多 弁天座(1933年)
Bentenza Theater, Fukuoka (1933)

写真/Photo

弁天座は1922年に外国映画専門館「バッテン館」として開館、その後改称や改装を経て1933年7月新興キネマの封切館「弁天座」となった。開館番組は阪妻プロ作品『燃える富士』(1933年、東隆史監督、阪東妻三郎・森静子共演)、『新女性線』(田中重雄監督、中野かほる主演)などで、森静子が開館挨拶に来館した。その後、日活館と名前を変え、戦後は「オークラ劇場」となった。

佐賀 佐賀東宝映画劇場(1939年) Saga Toho Eiga Theater, Saga (1939)

佐賀 佐賀東宝映画劇場(1939年)
Saga Toho Eiga Theater, Saga (1939)

写真/Photo

開館間近の劇場外観。開場作品は大河内傳次郎・長谷川一夫主演の『忠臣蔵』(1939年、滝沢英輔・山本嘉次郎監督)。