女性と抽象の検索結果

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「女性と抽象」展からはじまる

近年、美術館のコレクション展や常設展に、女性アーティストの作品が並ぶようになった。フェミニズム的関心やジェンダー公正の必要性から、これまで周縁化されてきた人々の創造性へ光があてられている。じっさいに国立美術館の顔である常設展に変化が生まれれば、美術の理解と歴史に相当の変容がもたらされるだろう。「展示」そのものは入り口にすぎない。本展は、分野や役割の異なる6名の学芸員によって考案され、1940年代から2010年代の16人のアーティストの作品を、三章をつうじておおむね時系列に並べることで構成されている。しかしここで示されるのは「女性による抽象芸術の歴史」でもなければ、「女性による抽象の三つの特質」でもない。そうではなく、抽象という芸術領域や概念と女性を結びつけるときに見えるものを暗示し、個別の観察、さらなる調査、考察を引き寄せ、作品の理解を新たにするきっかけを差し出しているのである。 有名なアルフレッド・バー・Jr.の相関図を思い出すまでもなく、抽象芸術は従来、男性を中心とする美術家や評論家によって発展、構想され、モダンアートのある到達点として美術史に書き込まれてきた。他方で、1970年代の女性解放運動と同時に発生したフェミニスト・アートはパフォーマンス・アートやコンセプチュアル・アートなどの、身体を巻き込み、芸術の自律性を批判する方法を重視したため、抽象芸術と女性の関係はフェミニズム美術の観点からも説明しづらいものとなっていた1。それもあって近代主義的抽象にかかわった女性アーティストによる作品の検証は、少しおくれて1990年代以降に活性化したと言って良い2。たとえば『アブストラクト・アートについて』の著者ブリオニー・ファーは、抽象芸術が包括的概念でありながら理論的に限定されたカテゴリーであったことを指摘し、女性アーティストの仕事を早くから理論化してきた。ファーは芸術のモダニズムを批判するために、「抽象」を最終的に、男性性と女性性、シュルレアリスムと幾何学抽象、抽象と具象といった歴史的対立を保留にし、別の可能性を示唆する一連のファンタジーとして再想像することを提唱している3。 会場風景|撮影:大谷一郎 本展の、とくに前半の展示作品を眺めると、そのような再想像によって、日本の美術的歴史における抽象と女性の間にみられた結びつきを説明することができるように思われる。第二次大戦後、長谷川三郎、江川和彦、瀧口修造など戦前にモダンアートを推進していた人々によって戦後に美術史的見取り図が示された4が、そのとき、フォービズムやキュビズム、幾何学抽象やシュルレアリスムといった近代ヨーロッパの芸術運動は、それらが複雑に結びついた「抽象」として同時代的に・・・・・受け入れられていた。それゆえ、抽象絵画は多彩な試みを包み込む領域として認識され、女性を含む、新しく、分類不能な美術的表現の受け皿として機能したのである。 会場風景|撮影:大谷一郎 本格的な美術教育を受けた者から、学校教育を避けた者まで、女性たちは抽象表現に積極的に取り組んだ。本展のはじまりに展示されている桜井浜江や三岸節子作品は、テーブルの上の花や壺を「優雅に描く」という女性向けの静物画ルールを破り、形態と色彩を対象から独立させる抽象絵画へと更新して、戦争で途切れた日本のモダンアートの復活と抽象の発展に寄与した。その少しあとには、戦後の新人女性たちのユニークで折衷的、独学的な表現が、やはり抽象の名のもとに取り上げられることとなった。国立近代美術館の当時の展示を顧みるだけでも、1953から54年に開催された「抽象と幻想」展には色面と線で構成された井上照子の抽象的風景画や岡上淑子の空想世界のコーラジュがあり、1957年に開催された「前衛美術の15人」展には、本展でもみることができる福島秀子の夢幻的なグワッシュの抽象があったほか、江見絹子、赤穴桂子らによる色面と有機的形態を大胆に構成した絵画が取り上げられた。知られるように、本展出品作である草間彌生の「インフィニティ・ネット」は、日本画から出発した彼女が、戦後の前衛美術運動のもとでシュルレアリスムや象徴主義の表現を会得し、渡米後に抽象化を極限まで突き詰めることによって生まれた作品である。同時代の田中敦子は、具体美術協会でアクション・ペインティングの画家に囲まれながら、幾何学的形象や工業画材を駆使し、非人間的な表現主義という矛盾した抽象の方法を導き出した。 会場風景|撮影:大谷一郎 展示後半に集められた1970年代末の脱絵画的作品—オブジェ化した絵画、彫刻や写真など—からは、「現代アート」誕生以後の抽象が試みた、具体的な物質と感覚を結びつける概念的操作がみられる。木下佳通代がつくる透明な画面は視線を写真と色彩の間で行き来させ、沢居曜子のコンテは黒い帯を紙面から空間に浮き上がらせる。二人は抽象的形態や平面的色彩を用いることで、ジャンルやメディウムの曖昧さを暴きたて、人の知覚に挑戦している。スイスの構成主義の系譜を継ぐ吉川静子の作品は、グリッドを立体化して空間へと迫り出させ、構成主義の概念性を具体的な空間との交歓へと開いていった。青木野枝による鉄の円の不安定な立体構成にとおく響いているように、これらの作品にみられる抽象表現は、抽象の最盛期に優勢だったもの派の重厚な立体やミニマリズムの大規模インスタレーションが迫る、物々しい「世界との出会い」とは別のやり方で、目にみえ、手に触れる世界の認識を更新している。日本の抽象芸術における女性アーティストの仕事には特定のカテゴリーや一般的歴史分類に回収されない抽象の力が潜在しており、そうした作品に出会うことによって、ほかの男女の作品にも、そのようなまだみぬ可能性があることが感じられるのではないか。 会場風景|撮影:大谷一郎 近年、アジアを含む世界各地で抽象と女性をテーマとした展覧会が顕著にみられるが、2010年代からすでに抽象芸術を主題とした展覧会に女性アーティストの作品は欠かすことができないものとなっており、また女性アーティストに関する総合的研究でも抽象表現は重要な要素として取り上げられてきている5。本展のような展覧会は一時的傾向ではなく、美術の歴史の拡張と多層化の大きなうねりの一部を成すものだと言えるだろう。女性学芸員の比率があがるなかで展示はますます変容し、美術館の常設展が、一定の解釈を提案しつつ、作品を解放する場になっていくと予期させるような展覧会である。こうした常設展の試みから、美術館に収蔵されているものの日の目を見ていない、多くの作品に今後出会うことができると期待したい。     註1 たとえば、初期のフェミニスト・アート批評家のルーシー・リッパードはフェミニストの最大の功績はモダニズムに加担しなかったことだと述べてきた。Lippard, Lucy, “Sweeping Exchanges: The Contribution of Feminism to the Art of the Seventies”, Art Journal, 1980, vol.41, no.1/2.2 『女・アート・イデオロギー』(萩原弘子訳、新水社、邦訳は1992年)でロジカ・パーカーとグリゼルダ・ポロックがヘレン・フランケンサーラーの作品を取り上げたのは1981年だったが、女性の抽象表現に関する本格的な論考は、ポロック自身の仕事も含め、1990年代以降に充実する。3 Briony Fer, On Abstract Art, Yale University Press: New Haven and London, 1997.4 1938年に初版が出てから戦後復刊した瀧口修造の『近代美術』や、1951年の『アトリエ』に掲載された江川和彦の「抽象絵画小史」、国立近代美術館で1953–54年開催の「抽象と幻想」展で展示された長谷川三郎のパネルなどをはじめ、欧米近代美術における抽象芸術は日本の評論家によって独自的な目線で分類、説明されており、当時の美術家や評論家の抽象芸術の思想に独特の影響を与えた。5 たとえば前者にニューヨーク近代美術館で2012–13年に開催されたInventing Abstraction展、後者にModern Women: Women artists at the Museum of Modern Art, Cornelia Butler and Alexandra Schwartz eds., the Museum of Modern Art, New York, 2010など。 『現代の眼』638号

女性と抽象

展覧会について 福島秀子《凝視》1956年 近年、海外では台北市立美術館「她的抽象(彼女の抽象)」展(2019年)、ポンピドゥセンター「Elles font l'abstraction(彼女たちは抽象芸術を作る)」(2021年)など、女性のアーティストによる抽象芸術をテーマにした展覧会が開催され、既存の美術史における「抽象芸術」の枠組み自体を問い直すとともに、個々の背景をもつ女性のアーティストによる抽象表現を再評価する試みが進んでいます。本展は3つの章で構成し、戦後から現代まで、当館のコレクションから多様な抽象表現を紹介します。1章「女流画家協会」では、戦後まもなく女性たちの連帯によって結成された同会に参加したアーティストの抽象的な作品を取りあげます。2章「増殖する円」では、円のモティーフを増殖させることで空間を作り上げた作品に注目します。3章「抑制と解放」では、大胆な省略や要素の純化によって抽象的な表現へと至った作品を集めています。本展が抽象芸術への新たな視点を得るきっかけとなれば幸いです。 1章「女流画家協会」 この章では、戦後まもなく女性たちの連帯によって結成された同会に参加したアーティストの抽象的な作品を取りあげます。 桜井浜江《花》 1947年 三岸節子《静物》1963年 ⒸMIGISHI 藤川栄子《塊》1959年 田中田鶴子《無 Ⅱ》1956年 芥川(間所)紗織《スフィンクス》 1964年 桂ゆき(ユキ子)《作品》1978-79年 2章「増殖する円」 この章では、円のモティーフを増殖させることで空間を作り上げた作品に注目します。 草間彌生《No. H. Red》1961年 ⒸYAYOI KUSAMA 青木野枝《雲谷 2018-I》2018年 福島秀子《凝視》1956年 辰野登恵子《May-7-91》1991年 3章「抑制と解放」 この章では、大胆な省略や要素の純化によって抽象的な表現へと至った作品を集めています。 木下佳通代《'79-38-A》1979年 沢居曜子《Line Work Ⅳ - 77 - 3》1977年 吉川静子《色影》1979年 ⒸShizuko Yoshikawa and Josef Müller-Brockmann Foundation 杉浦邦恵《Botanicus 18》1989年 春木麻衣子《outer portrait 1》2009年 ※「女性と抽象」リーフレット内で図版の公開に差支えがある場合は、公開を控えさせていただいております。   開催概要 東京国立近代美術館2Fギャラリー4 2023年9月20日(水)~12月3日(日) 月曜日(ただし10月9日、11月27日は開館)、10月5日(木)、10月10日(火) 10:00–17:00(金曜・土曜は10:00–20:00) 11月27日(月)は臨時開館(10:00-17:00) 入館は閉館30分前まで 一般  500円 (400円) 大学生 250円 (200円) ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 5時から割引(金曜・土曜 :一般 300円 大学生 150円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 ※「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。※「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ) 11月3日(文化の日) 東京国立近代美術館

女性と抽象|トークイベント

「女性と抽象」展示風景 撮影:大谷一郎 コレクションによる小企画「女性と抽象」に関連して、フェミニズムやジェンダーの見地から近現代美術を研究されている中嶋泉さんと内海潤也さんを招き、同展担当者とのトークイベントを開催します。 2023年10月22日(日)14時-16時(開場13時半) 中嶋泉(大阪大学大学院文学研究科准教授)、内海潤也(石橋財団アーティゾン美術館学芸員)、小川綾子(当館研究補佐員)、横山由季子(当館研究員) 東京国立近代美術館 地下1階講堂 140名(先着順) 入場無料。事前予約不要。 参加無料(観覧券不要)。 講演の撮影、録画、録音はお断りしております。 講演会参加後の展覧会への再入場は可能です。 内容や日時は都合により変更となる可能性があります。あらかじめご了承ください。 登壇者プロフィール 中嶋泉(なかじま いずみ) 大阪大学大学院文学研究科准教授。一橋大学大学院言語社会研究科美術史専攻博士課程後期単位取得満期退学。博士(学術)。広島市立大学芸術学部准教授、首都大学東京人文科学研究科准教授をなど経て、2016年より現職。専門分野は近現代美術、フェミニズム美術、フェミニズム・ジェンダー理論。主な著書に『アンチ・アクション―日本戦後絵画と女性画家』(ブリュッケ、2019年) 内海潤也(うつみ じゅんや) 石橋財団アーティゾン美術館学芸員。1990年東京都生まれ。2018年東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻修了、ラリュス賞受賞。ジェンダーに関心を寄せ、日本と東南アジアの現代美術を調査・研究しながら、展示企画、執筆などを行う。黄金町エリアマネジメントセンター、キュレーターを経て2021年2月より現職。

生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ

はじめに 「世界のムナカタ」として国際的な評価を得た版画家・棟方志功(1903-1975)。一心不乱に版木に向かう棟方の姿は、多くの人々の記憶に刻み込まれています。棟方が居住し、あるいは創作の拠点とした青森、東京、富山の三つの地域は、それぞれに芸術家としての棟方の形成に大きな影響を与えました。棟方の生誕120年を記念し、各地域の美術館(富山県美術館、青森県立美術館、東京国立近代美術館)が協力して開催する本展では、棟方と各地域の関わりを軸に、板画、倭画、油彩画といった様々な領域を横断しながら、本の装幀や挿絵、包装紙などのデザイン、映画・テレビ・ラジオ出演にいたるまで、時代特有の「メディア」を縦横無尽に駆け抜けた棟方の多岐にわたる活動を紹介し、棟方志功とはいかなる芸術家であったのかを再考します。 見どころ 国際展受賞作から書、本の装画、商業デザイン、壁画までー「世界のムナカタ」の全容を紹介 代表的な板画作品はもちろん、最初期の油画や生涯にわたって取り組み続けた倭画に加え、高い人気を博した本の装幀や、長く大衆に愛された包装紙の図案など、優れたデザイナーとしての一面も取り上げ、棟方芸術の全貌に迫ります。 青森ー東京ー富山、棟方の暮らした土地をたどる、初の大回顧展 生誕120年という節目をとらえ、棟方志功が芸術家として大成していく過程のなかで大きな影響を与えた土地である三つの地域―故郷・青森、芸術活動の中心地・東京、疎開先・富山―を、最大規模の回顧展として巡回します。 棟方畢生の超大作、久々の公開 縦3メートルの巨大な屏風《幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風》(五島美術館蔵)を約60年ぶりに展示、また、ほとんど寺外で公開されることのなかった倭画の名作《華厳松》(躅飛山光徳寺蔵)は通常非公開の裏面とあわせて展示します。 会期中一部展示替えがあります。 棟方志功略歴 1903年 9月5日、青森市大町一丁目一番地に生まれる。1924年 油画家を志し、帝展入選を目指して上京。1926年 帝展落選が続くなか、川上澄生の《初夏の風》を見て版画に目覚める。1928年 油画《雑園》で帝展初入選。1932年 日本浪曼派の文士たちとの交流が始まる。国画会奨学賞を受賞。版画に道を定める。1936年 国画会展に出品した《瓔珞譜・大和し美し版画巻》が縁となり柳宗悦ら民藝運動の人々との知遇を得る。1939年 《二菩薩釈迦十大弟子》制作。翌年の国画会展で佐分賞受賞。1945年 富山県西砺波郡石黒村法林寺に疎開。5月の空襲で東京の自邸と戦前の作品や版木のほとんどを焼失。1951年 11月末、東京都杉並区に転居。1955年 第3回サンパウロ・ビエンナーレ版画部門最高賞受賞。1956年 第28回ヴェネチア・ビエンナーレ国際版画大賞受賞。1959年 ロックフェラー財団とジャパン・ソサエティの招きで初渡米、 滞在中の夏、約1か月かけて欧州を巡る。1961年 青森県新庁舎の壁画《花矢の柵》など公共施設への大作提供が増える。1970年 文化勲章受章。文化功労者となる。1975年 9月13日、死去。青森市に棟方志功記念館開館。 カタログ 「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」公式図録 価格:2,800円(消費税込) 仕様:B5サイズ 総頁数:304ページ(ハードカバー) 言語:日本語、英語  目次 メイキング・オブ・ムナカタ——棟方志功のつくり方|花井久穂 棟方志功の遺し方|石井頼子  プロローグ 出発地・青森 第1章 東京の青森人第2章 暮らし・信仰・風土——富山・福光第3章 東京/青森の国際人第4章 生き続けるムナカタ・イメージ  棟方志功の青森——雑話三題|池田亨 『The Japan Times』がうつし出す「世界のムナカタ」——エリーゼ・グリリの批評と戦後の日本美術|花井久穂 棟方志功と富山の美術|遠藤亮平 棟方志功 年譜 棟方志功 著述目録 座談会・対談 目録人名解説 出品目録・フォトクレジット  展示風景 展示風景 撮影:木奥惠三 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2023年10月6日(金)~ 12月3日(日) 月曜日(ただし10月9日、11月27日は開館)、10月10日(火) 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00) 11月27日(月)は臨時開館(10:00-17:00) 入館は閉館30分前まで 一般  1,800円(1,600円)大学生 1,200円(1,000円)高校生 700円(500円) ( )内は20名以上の団体料金、ならびに前売券料金(販売期間:8月22日~10月5日)。いずれも消費税込。 中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズの学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。 本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)、コレクションによる小企画「女性と抽象」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。 東京国立近代美術館の窓口では、10月6日以降の開館日に限り当日券を販売いたします。 東京国立近代美術館での前売券の販売はございません。 当日券の窓口購入は混雑が予想されるため、事前のチケット購入がおすすめです。 オンラインチケットや各種プレイガイドでのご購入方法は本展公式サイトをご確認ください。 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞 棟方志功記念館 DNP大日本印刷 石井頼子 富山展:富山県美術館 2023年3月18日(土)~5月21日(日)青森展:青森県立美術館 2023年7月29日(土)~9月24日(日)

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11月27日(月)臨時開館のお知らせ

東京国立近代美術館は、11月27日(月)に臨時開館いたします。 開館時間 10:00~17:00(入場は16:30まで) ※ミュージアムショップ、レストランの営業時間は各ページでご確認ください。アートライブラリは休室いたします ※11月20日(月)は休館日です 開催中の展覧会(12月3日まで) 企画展「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」 所蔵作品展「MOMATコレクション」 コレクションによる小企画「女性と抽象」

連載企画 「研究員の本棚#4|学芸員としての歩み/デッサンをめぐる本」

このコーナーは、アートライブラリの担当者である東京国立近代美術館研究員の長名大地が聞き手となり、館内の研究員に、それぞれの専門領域に関する資料を紹介いただきながら、普段のお仕事など、あれこれ伺っていくインタビュー企画です。第4回目は、横山由季子研究員にお話を伺います。 聞き手・構成:長名大地(東京国立近代美術館主任研究員)-2023年7月28日(金)東京国立近代美術館ミーティングルーム 研究員プロフィール横山由季子(よこやま・ゆきこ):東京国立近代美術館研究員。1984年生まれ。東京大学大学院博士課程満期退学。パリ西大学ナンテール・ラ・デファンス校留学。世田谷美術館、国立新美術館、金沢21世紀美術館を経て、2022年より現職。専門はピエール・ボナール、近現代美術。担当した展覧会に「ルノワール展」(2016年、国立新美術館)、「ジャコメッティ展」(2017年、同館)、「ピエール・ボナール展」(2018年、同館)、「大岩オスカール 光をめざす旅」(2019年、金沢21世紀美術館)、「内藤礼 うつしあう創造」(2020年、同館)などがある。 きっかけはゴッホ 長名:横山さんは、昨年度着任されたばかりですが、MOMATコレクション展の展示調整に関わる仕事を中心に、作品収集に関する情報収集、企画展の準備、論文や展覧会レビュー等の執筆など、幅広く活躍されています。また、これまで在籍されてきた美術館では、毎年のように企画展を担当されています。今回はこれまでのキャリアに関するお話を中心に、ご自身の研究テーマについて、特にピエール・ボナール(Pierre Bonnard, 1867–1947)やドローイング、デッサンに関して、資料を交えてお話しいただければと思います。まず、どのようなきっかけで学芸員の仕事を意識するようになったのでしょうか。 横山:初めて学芸員という言葉を知ったのは高校生の頃、将来やりたい仕事について発表する機会があり、そこでクラスメートが「学芸員になりたい」と言っていたんです。その時に初めて学芸員という職業を意識したと思います。ただ、言葉としては知らないながらも、最初に学芸員の仕事に通じるような、作品研究の面白さを知ったのは中学生の時です。「ゴッホvsダ・ヴィンチ」というディベートに参加することになり、本やインターネットでゴッホについて調べて、すっかり彼の芸術や人生、言葉に魅了されました。 長名:きっかけはゴッホだったんですね。 横山:そして高校生になった時に、阪神・淡路大震災を経てリニューアルオープンした兵庫県立美術館で「ゴッホ展」(2002年9月7日-11月4日)が開かれることを知って、母親とツアー旅行で見に行きました。ゴッホの絵画を前にして、絵筆で描かれた一つ一つのタッチをなぞるように見たのを覚えています。100年以上前に、ゴッホという人がこのカンヴァスの前に立って、この絵を描いたんだなあと。 長名:(カタログをめくりながら)有名な作品が多数展示されていたようですね。 横山:はい、名品がたくさん展示されていて魅了されました。ただ、大学生になってナタリー・エニックの『ゴッホはなぜゴッホになったか』(三浦篤訳、藤原書店、2005年)という、ピエール・ブルデューが先鞭をつけた社会学的なアプローチによる本を読み、ああ私自身もこのゴッホ神話の渦中に取り込まれていたんだということに気づくわけですが(笑)。それでもやっぱり、フランス留学時代にはゴッホゆかりの地であるアルルやオーヴェール=シュル=オワーズに足を運び、お墓にもお参りしました。 長名:そこから学芸員を目指されることになったのですね。 横山:明確に学芸員を志すようになったのは、東京外国語大学のフランス語学科に進学して、松浦寿夫先生の授業を受け、美術の歴史や理論の面白さを知ってからです。最初大学に入った時は、将来国連かJICAで働きたいと思っていたんですが、大学3年生の頃には目標が学芸員に変わっていました。 長名:最初は国連かJICAだったのですね。では、ピエール・ボナールの研究をはじめるようになったきっかけは。 横山:大学3年生の時、パリに交換留学をしたのですが、ちょうどその時期にパリ市立近代美術館で大規模なボナール展(2006年2月2日–5月7日)が開催されていて、それを訪れたのがきっかけです。それまでもボナールの作品は画集で見ていましたが、ぼんやりとした印象しかなくて。でも初期から晩年まで、実際の作品を目にして、ボナールが作り出す絵画の時空間にすっかり引き込まれました。一目では把握できず、時間をかけて眺めることで、少しずついろんな要素が見えてきて、その場で絵画空間が開かれていくような感覚でした。よく分からない部分も多く、混沌としているけれど、とても緻密に構成されている印象で、研究してみようと。 長名:それがきっかけだったのですね。昨年度、横山さんは当館の所蔵品である《プロヴァンス風景》(1932年)に関する研究ノートも書かれていますね(註1)。 横山:はい、これまで数多くのボナール作品を見てきましたが、その中でも突出して混沌としていて、何を描いているのかよく分からない作品です。先行研究では、ボナールの作品は「知覚のプロセスの絵画化」と言われたりもしていますが、《プロヴァンス風景》も、じっくり見ることで分かってくることもあり、絵画を見るという体験の面白さを教えてくれる作品です。 長名:国立新美術館時代には、「ピエール・ボナール展」(2018年9月26日-12月17日)も担当されていますよね。なかなか研究対象としている画家の回顧展を担当できる学芸員の方も少ないのではと思います。 横山:とても貴重な機会でした。オルセー美術館のイザベル・カーンさんと一緒に時間をかけて作品選定をしたのを覚えています。オルセー美術館の所蔵品が中心でしたが、国内にある作品も全てリスト化して、フランス国内の個人蔵の作品まで含めて、幅広く調査をしました。 インターンを経て学芸員へ 長名:横山さんは、過去に当館でインターンをなさっていたんですよね。 横山:大学卒業後、東京大学大学院の表象文化論コースに進学して、修士で学芸員資格を取りながら、1年の時は国立新美術館でサポートスタッフというボランティアをしていました。そして2年の時に東京国立近代美術館の企画課でインターンをしました。インターン初日は「生誕100年 東山魁夷展」(2008年3月29日–5月18日)の撤収作業の日で、学芸の方々に同行し、作品のコンディションチェックをやらせてもらったことを覚えています。それ以外にも、「建築がうまれるとき:ペーター・メルクリと青木淳」展(2008年6月3日–8月3日)の模型の掃除や、「沖縄・プリズム1872-2008」展(2008年10月31日–12月21日)のカタログのお手伝い、「ヴィデオを待ちながら:映像、60年代から今日へ」展(2009年3月31日–6月7日)に出品される映像の字幕の書き起こし、「河口龍夫展:言葉・時間・生命」(2009年10月14日–12月13日)に向けた資料収集などなど。 長名:そんなに!幅広い内容のインターン活動だったのですね。 横山:どの仕事も新鮮で、毎週通うのが楽しみでした。なかでも一番大きく関わったのが、「エモーショナル・ドローイング:現代美術への視点 6」展(2008年8月26日–10月13日)です。特に印象に残っているのが、企画者だった保坂健二朗さん(現・滋賀県立美術館ディレクター)と、出品作家の方とのやりとりです。新作を出品予定だった海外の作家の方がいたのですが、思うように制作が進まない、もう作れないと連絡が入り、それを保坂さんが励まして、制作へと導いたことがあったんです。 長名:展覧会の準備をするだけでなく、そういった仕事もこなさないといけないのですね。 横山:学芸員って大変だ、と思いました。現代作家との仕事は、どれだけ真摯に相手と向き合い、状況に応じたコミュニケーションをとれるかにかかっていることを学びました。 長名:インターンの後、世田谷美術館に行かれたんですよね。 横山:東近美でのインターンがとても楽しかったので、とにかく早く働きたくて。でも大学院での研究ももう少し続けたかったんです。そこで博士課程に進学しつつ、世田谷美術館の非常勤学芸員に応募しました。運よく採用していただき、当時の世田美には、ベテランのザ・学芸員という先輩たちがたくさんいらして、作品の扱い方、展示の仕方、作品カードや調書の作り方、ギャラリー巡りなど、学芸員のイロハを学びました。最初に勤めたのが世田美で本当に良かったなとつくづく思います。当時の先輩たちとは今でも交流が続いています。 長名:特に記憶に残っている仕事はありますか。 横山:世田美に入ってしばらくした頃、若林奮さんの手彩色を含めた版画や資料およそ1000点を整理することになったことです。全点の採寸、技法やエディション、署名の有無の確認、撮影を2年くらいかけて進めました。若林さんは彫刻家として知られていますが、版画の線による表現を見ていると、自然や人間や動物に対してどのような視点をもっていたのか、その思考のプロセスがより現れている部分もあると感じました。 長名:若林さんの作品については、昨年度から当館所蔵の約3000点ある素描作品のデジタル撮影も始まりましたよね。何か似た作業をされていますね。 横山:そうなんです。摩訶不思議なモチーフが次々と出てきたり、一つのモチーフへの異様な執念が見えてきて、面白いです。そして世田美でのもう一つ大きな出来事が酒井忠康館長との出会いです。日本の近代美術の歴史をその身に宿したような方ですが、博識なのはもちろん、語りのリズムというか、話の運び方、語彙がとても面白くて。 長名:たくさんご著書も書かれていますよね。 横山:酒井館長はお昼時になると館長室から学芸の部屋にやってきて、よくみんなで砧公園の向かいにある市場の食堂にお昼に行っていました。そこで、いろんな話をされるんですけど、あれは読んだか、これはどうだと、とにかく本を勧めてくれて。当時、『鞄に入れた本の話:私の美術書散策』(みすず書房、2010年)という本が出版されましたが、館長のおかげで美術の本だけでなく文学の本もずいぶん読みました。そして文章の書き方もいろいろアドバイスをいただきました。大学院の指導教授だった小林康夫先生も、研究や企画を続ける上での指針となるような言葉をかけてくださいましたが、酒井館長にいただいた言葉も、折に触れて思い出します。そして館長は2回目の留学の際にも背中を押してくれて、本当に感謝しています。 2度目の留学を経て 長名:2011年に世田谷美術館が休館に入るタイミングで、再度フランスに留学されているんですよね。 横山:パリ第10大学に留学しました。その時の指導教授が近代美術と装飾美術がご専門のレミ・ラブリュス先生でした。 長名:その時の研究テーマもボナールだったのでしょうか。インターンや学芸員を経て、研究テーマに変化はありましたか。 横山:学部、修士とボナール研究をしてきたので、博士課程に進学した時に、もう少しテーマを広げたいなと思い、デッサン研究をしようという大風呂敷を広げました。ボナールの絵画は独特の色彩が魅力ですけど、実はデッサンも面白くて、西洋のアカデミスムの伝統から逸脱した線を生み出しているんです。例えば、アルバート・ボイム『アカデミーとフランス近代絵画』(森雅彦、阿部成樹、荒木康子訳、三元社、2005年)で書かれているように、西洋におけるデッサンはアカデミスムの根幹を成す規範で、西洋の合理主義の象徴とも言えるものです。それに対して、19世紀末に現れた支離滅裂な線というものは、ポール・ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』(清水徹訳、筑摩書房、2006年)でも言及があるように、西洋の合理主義に対する反抗や逸脱の表現であるということから関心をもつようになりました。 長名:そこから徐々にデッサンへの関心が高まっていったのですね。お話を聞きながら、インターンや仕事でもデッサンやドローイングに縁があるように感じました。 横山:今思えば、潜在的に影響を受けていたのかもしれません(笑)。レミ・ラブリュス先生からは、デッサンというだけだと漠然としすぎているため、19世紀末から20世紀前半の装飾デッサンに絞ったらどうかとアドバイスを受けました。 長名:装飾デッサン? 横山:この時代のフランスでは、国を挙げての装飾美術の振興のため、装飾デッサンというものが初等教育にまで浸透していました。アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869–1954)をはじめ、装飾美術学校で学んでから画家になるケースも多かったんです。装飾というと、モダニズムとは真逆にあるものというイメージですが、実は装飾デッサンは形を点や線といった幾何学にまで分節して突きつめることで、新しいフォルムを生み出す原動力となっていて、20世紀の様々な絵画の潮流とも繋がっているんです。 長名:デッサンから派生した線の系譜があるのですね。 横山:パリでは、図書館でひたすら理論書や、例えばこのグラッセ&セギー『ヨーロッパ花の装飾文様』(学習研究社、1979年)のような図案集を調査していました。この分野だと、天野知香先生の『装飾/芸術: 19-20世紀フランスにおける「芸術」の位相』(ブリュッケ、2001年)は必読書です。 長名:デッサンやドローイングと聞くと、下絵という印象を抱いてしまい、なんとなく絵画よりも下位に置かれたものと思ってしまいがちですが。 横山:1970年代頃からドローイングというものが、作品の下絵ではなく自律した作品としてみなされるようになります。ニューヨーク近代美術館で開催された「ドローイング・ナウ(Drawing Now : 1955–1975)」展(1976年1月23日–3月9日)を皮切りに、ドローイングをテーマにした展覧会がたくさん開催されるようになります。その流れにも関心がありました。インターン時代に関わった「エモーショナル・ドローイング」展の他、「ドローイングの現在」展(1989年10月7日–11月26日、国立国際美術館)や「ドローイングの可能性」展(2020年3月14日–6月14日、東京都現代美術館)もその流れに位置付けられると思います。 長名:なるほど。他に挙げていただいたカタログはどのような内容なのでしょうか。 横山:「アンリ・マティス、エルズワース・ケリー:植物のデッサン(Henri Matisse, Ellsworth Kelly : dessins de plantes)」(2002年1月16日–4月8日、ポンピドゥー・センター)はアンリ・マティスとエルズワース・ケリー(Ellsworth Kelly, 1923–2015)という時代の異なる画家のデッサンに見られる共通性に注目した展覧会で、「デッサンの快楽(Le plaisir au dessin)」(2007年10月12日–2008年1月14日、リヨン美術館)は哲学者のジャン=リュック・ナンシーが企画した西洋における古今の様々な線の類似を浮かびあがらせる展覧会、「線の歴史(Une brève histoire des lignes)」(2013年1月11日–4月1日、ポンピドゥー・センター・メス)は人類学者のティム・インゴルトが著した同名の研究書を下敷きにした線をテーマにした展覧会です。いずれもデッサンやドローイングを自律した表現として扱っています。 長名:留学後、国立新美術館に移られていますが、その時のお話をお願いします。 横山:2年間留学していたのですが、いよいよ資金が底をついて(笑)。ちょうど国立新美術館でフランス近代専門のアソシエイトフェローの募集が出ていたので、面接を受けるために一時帰国しました。無事に採用されたから良かったものの綱渡りの状態でした。 長名:そうだったのですね。新美では、主にフランス近代に関する展覧会を多数担当されていますね。 横山:はい。特にオルセー美術館の女性の学芸員の方々とお仕事できたことは、大きな糧になりました。「オルセー美術館展:印象派の誕生:描くことの自由」(2014年7月9日–10月20日)ではカロリーヌ・マチューさん、「ルノワール展:オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵」(2016年4月27日–8月22日)ではシルヴィ・パトリさん、「ピエール・ボナール展」ではイザベル・カーンさんとご一緒しました。研究者としても学芸員としても長年重要な仕事をされていて、心から尊敬する方々です。新美では私は5年任期のポストでしたが、役職とか、年齢とかは関係なく、仕事ぶりを認めてくださって。とても嬉しかったですし、私自身もキャリアを重ねた時に彼女たちのようにありたいと強く思いました。 長名:いずれもブロックバスター展ですね。 横山:新美の展覧会はどれも数十万人の方が訪れる大規模な展覧会だったので、解説の執筆には心を砕きました。専門的すぎてもいけないし、かといってカジュアルすぎてもいけない。「ジャコメッティ展」(2017年6月14日–9月4日)の時は、独りよがりなテキストになるといけないので、担当者みんなで読み合わせをしました。 長名:彫刻で有名なジャコメッティ(Alberto Giacometti, 1901–1966)ですが、たくさんデッサンも残していますよね。 横山:ジャコメッティにとって、ある意味では、彫刻も油彩もデッサンの延長であり、作家が現実を把握するための手段でした。そして、過去の芸術家たちのものの見方を知るための手段でもあり、それを検証したのが、『アルベルト・ジャコメッティ:過去の模写(Alberto Giacometti: les copies du passé)』(Fage / Fondation Alberto et Annette Giacometti, 2012)で、作家にとってのデッサンがどういうものかを知る手がかりになりました。 国立新美術館時代に担当した展覧会カタログ 長名:では、金沢21世紀美術館でのお話を聞かせてください。 横山:金沢では現代アーティストの方々と一緒に展覧会を作ることになりました。飛び込んでみて分かったことは、様々な表現方法を試みる現代の作家たちの制作は、自分自身で完結しているというよりも、建築や施工など様々な条件との兼ね合いもあるので、学芸員と共同で作り上げていく部分も大きいということです。 長名:それまでは完成された作品を扱う機会の方が多かったということですね。 横山:「大岩オスカール 光をめざす旅」展(2019年4月27日–8月25日)は、オスカールさんの絵画展でしたが、作品を天井から吊るしたり、展示室で交響曲を流したりと、インスタレーションのような構成もありました。また、オスカールさんには27メートルの壁面ドローイングを描いてもらい、私も立ち会ったのですが、ほとんど下描きなしで、線や形がどんどん生まれていき、イメージができあがる。圧巻でした。 長名:作家の方々の希望をいかに反映できるかが重要というわけですね。 横山:はい。もちろん私だけでは力不足なのですが、21美には、インスタレーション・コーディネーターという展示に関する専門職の方がいるんです。その方が施工に関わる業者選定や仕様書の作成などを担ってくれるおかげで、作家からの様々な要望に細やかに応えられています。 長名:それは心強いですね。他館でも同じようなポストを設けているところはあるのでしょうか? 横山:水戸芸術館や、21_21 DESIGN SIGHTなどにも、いらっしゃると聞いています。東近美にも必要なポストではないかと、ひしひしと感じています! 長名:たしかに。次に担当されたのが、「内藤礼:うつしあう創造」展(2020年6月27日–8月23日)ですね。 横山:内藤礼さんの展覧会は2年近くの間、下見と実験を繰り返し、内藤さんと無数の対話を積み重ね、時に施工や様々な企業の方とも相談しながら、作品空間を作り上げていきました。私はもともとおおざっぱな人間なんですけど、内藤さんと同じ時間や空間を共有する中で、少しずつ内藤さんの視線を内面化していったような気がします。いろいろなものを見る精度が上がるというか。 長名:ちょうどタイミング的にもコロナ禍と重なりますね。 横山:はい。内藤さんの展覧会の展示作業に入ろうかというタイミングで、ちょうど新型コロナウイルスの感染が拡大してしまって。2か月遅れで開催できたのですが、会期は半分になりました。その次に同僚の企画をお手伝いした「日常のあわい」展(2021年4月29日–9月26日)もコロナ禍で生まれ、コロナ禍で開催された企画でした。7組の作家さんに参加していただき、とても良い企画だったのですが、最後は緊急事態宣言で再開できないまま閉幕してしまいました。出品作家の中に、小森はるかさんと瀬尾夏美さんというユニットがいらして、「見える世界がちいさくなった」という映像とテキストと参加型の展示を展開してくれました。展示の中に震災やコロナについてのワークシートがあり、大勢の来場者のみなさんが真摯に回答してくださって、訪れる人一人一人に、様々な日常の背景があるという、当たり前のことを改めて実感できました。 長名:最後に企画に関わったのが「コレクション展2 BLUE」(2021年11月20日–2022年5月8日)。 横山:コレクション展なのですが、招聘作家として、画家で映像作家の石田尚志さんに《絵と窓の間》(2018年)(註2)という映像インスタレーションを出品していただきました。石田さんは、ドローイングをコマ撮りの映像にしていて、絵画が生まれるプロセスを見せてくれるような作品が特徴です。 金沢21世紀美術館時代に担当した展覧会カタログ等 コレクションを育てる 長名:「BLUE」展を経て、当館に着任されましたが、現在の仕事内容について教えていただけますか。 横山:コレクション展示計画室に配属され、年間3~4回のコレクション展の計画をしています。全12室ある所蔵品ギャラリーとギャラリー4で行う企画案を募り、各部屋の担当者が章解説と作品解説を執筆し、英中韓の翻訳、キャプション制作を経て、展示替えをする、というほぼ企画展のような力の入れ方です。当館では基本的には1室から12室にかけて、日本の近代美術の流れを見せていくのですが、毎回企画が変わることで、作品が置かれる文脈も変わり、作品の見え方も変わるのがポイントです。 長名:これまで経験されてきた企画展のノウハウが生かせそうですね。 横山:昔、世田美で最初に担当した企画展が「ザ・コレクション・ヴィンタートゥール:スイス発—知られざるヨーロピアン・モダンの殿堂」展(2010年8月7日–10月11日)だったのですが、酒井館長が、学生へのレクチャーの時に、ヴィンタートゥール美術館の所蔵するピカソは、その町で長く展示されることで、ヴィンタートゥールのピカソになっていく、それが文化だ、とおっしゃったことがあって。そこで「文化」という大きな言葉が出てきたことに驚いたんですが、今なら分かるような気がします。長い時間をかけて、様々な文脈で作品を展示し、訪れる人々に見られることによって、コレクションは育っていくんですね。 長名:コレクション展の意義はそこにあるということですね。 横山:そういう意味では、着任してからの1年半で、コレクションについて調べ、企画を考える中で、せっかく収蔵しているのにほとんど展示されていない女性作家の作品が多くあることに気づきました。 長名:次回のコレクション展(2023年9月20日–12月3日開催予定)で、新しい企画を準備されているんですよね。 横山:はい、次回のギャラリー4の企画として「女性と抽象」と題して、戦後から現代にかけての日本の女性のアーティストたちによる抽象表現を取り上げます。この企画はコレクション展を担当する美術課内の6人のスタッフで企画していて、みんなで問題や課題を共有しながら準備を進めています。女性のアーティストについては、今後も継続して調査・研究・企画を進めていく予定です。 長名:コレクション展での新しい企画やデッサンやドローイングに関するご研究を含め、楽しみにしています。本日は貴重なお話をありがとうございました。 註 横山由季子「ピエール・ボナール《プロヴァンス風景》(1932年)をめぐる覚書」『東京国立近代美術館研究紀要』27号(2023年3月)、4–15頁(https://momat.repo.nii.ac.jp/records/738)。 網野奈央、森かおる編『石田尚志:渦まく光』(青幻舎、2015年)に掲載。 横山さんの本棚 『ゴッホ展』北海道新聞社、2002年 ナタリー・エニック『ゴッホはなぜゴッホになったか:芸術の社会学的考察』三浦篤訳、藤原書店、2005年 Bonnard: l'oeuvre d'art, un arrêt du temps, Musée d'Art moderne de la Ville de Paris, 2006. 『ピエール・ボナール展:オルセー美術館特別企画』国立新美術館、2018年 『若林奮版画展:デッサンと彫刻のあいだ』世田谷美術館、2005年 酒井忠康『鞄に入れた本の話:私の美術書散策』みすず書房、2010年 保坂健二朗他編『エモーショナル・ドローイング:現代美術への視点 6』東京国立近代美術館、2008年 アルバート・ボイム『アカデミーとフランス近代絵画』森雅彦、阿部成樹、荒木康子訳、三元社、2005年 ポール・ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』清水徹訳、筑摩書房、2006年 グラッセ&セギー『ヨーロッパ花の装飾文様』学習研究社、1979年 天野知香『装飾/芸術:19-20世紀フランスにおける「芸術」の位相』ブリュッケ、2001年 Drawing now : 1955–1975, Museum of Modern Art, New York, 1976. 国立国際美術館編『ドローイングの現在』国立国際美術館、1989年 関直子、小高日香理編『ドローイングの可能性』東京都現代美術館、2020年 Henri Matisse, Ellsworth Kelly : dessins de plantes, Gallimard, 2002. Le plaisir au dessin, Musée des Beaux-arts de Lyon, 2007. 『オルセー美術館展:印象派の誕生:描くことの自由』国立新美術館、2014年 『ルノワール展:オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵』国立新美術館、2016年 『ジャコメッティ展』国立新美術館、豊田市美術館、2017年 Alberto Giacometti: les copies du passé, Fage / Fondation Alberto et Annette Giacometti, 2012. 横山由季子、三宅奈穂美編『大岩オスカール:光をめざす旅』求龍堂、2019年 『内藤礼:うつしあう創造』金沢21世紀美術館、2020年 内藤礼『空を見てよかった』新潮社、2020年 『日常のあわい』金沢21世紀美術館、2021年 瀬尾夏美『あわいゆくころ:陸前高田、震災後を生きる』晶文社、2019年 網野奈央、森かおる編『石田尚志:渦まく光』青幻舎、2015年 『ザ・コレクション・ヴィンタートゥール:スイス発 知られざるヨーロピアン・モダンの殿堂』読売新聞社、2010年 『現代の眼』638号

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