展覧会

会期終了 企画展

アジアのキュビスム:境界なき対話

会期

会場

東京国立近代美術館本館企画展示室

展覧会について

① キュビスム―――直訳すると立方体主義、でしょうか。一説によれば、1908年、ピカソのアトリエでブラックの風景画を眼にしたマティスが、幾何学的な線と面によって表現された画中の家を「小さなキューブ(立方体)」と評したのが、この名称の起こりとされています。

② 「存在のリアリティは、多数の視点から対象を分析し(解体)、それを一枚の画布上で概念的に再構成(総合)していくことによってこそ、十全に表現される」という認識に支えられた、キュビスムの新たな「まなざし」の発明は、同時期にアインシュタインによって提唱された相対性理論にも比されるべき、20世紀美術最大の革新とみなされています。

③ では、いわば西欧モダニスムの本流といえるこの「キュビスム」と、「アジア」とが出会った時、そこには何が生まれたのでしょうか。「アジアのキュビスム」、一見対極にあるようにも見えるこの二つの言葉が組み合わさると、実に不可思議な響きを帯びてきます。本展は「アジア」と「キュビスム」、両者の出会いが生み出した芸術的所産を包括的に紹介する、初めての展覧会となります。

④ ピカソとブラックが1910年前後のわずかな期間に生み出したキュビスムはきわめて観念的な造形実験であり、当時彼らの作品を直接見ることができたのは限られた人だけであったにもかかわらず、様式においても、芸術観においても、その後の美術の展開に地域を越えた広範な影響を及ぼしてきました。アジア諸国も例外ではありません。今回の出品作が1910年代から1980年代にまで渡ることからもわかるように、キュビスム受容の時期や内実は、当然ながらそれぞれの地域によって異なります。しかし「キュビスム=視覚の革命」というフィルターを通すことではじめてあらわになる多様性と普遍性は、個々の国家的枠組みを越えた「アジアの近代美術」の在り方を明らかにし、そしてまた「西対東」という単純な二項対立を超えたところに見出される、新たな「アジア」の輪郭を描き出すことになるでしょう。

本展は東京国立近代美術館、国際交流基金、韓国国立現代美術館、シンガポール美術館の四者による、国際的な共同企画として実施されます。

ここが見どころ

アジア11ヵ国から120点

これまで国内の美術館で紹介されることが稀であったスリランカの近代美術を含め、11ヵ国(中国、インド、インドネシア、日本、韓国、シンガポール、マレーシア、スリランカ、フィリピン、タイ、ベトナム)からの出品作品、約120点を展示します。

「国別」の展示ではなく、「テーマ別」の展示により、アジアの近代美術を綜合的に再考

一運動としてのキュビスムの紹介を超えて、アジアにおける国ごとの美術史を綜合的に捉え直すという狙いのもと、国というカテゴリーを解体し、「1.テーブルの上の実験」、「2.キュビスムと近代性」、「3.身体」、「4.キュビスムと国土ネイション」の4つのテーマから、アジアの近代美術の在り方を再考します。

展覧会構成

第1章 「 テーブルの上の実験 」 Chapter 1: On the Table

「静物画」は、西欧において長く「肖像画」、「風景画」、「歴史画」などに劣る地位に甘んじてきましたが、19世紀以降、その重要性は徐々に高まり、20世紀に入ると多くの画家にとってしばしば最も重要なジャンルとなります。描かれたものの意味内容を伝達することよりも、造形的探求に重きをおく近代絵画においては、画家自らが対象を自由に組合せながら構成できる「静物画」が最適であったといえるでしょう。ピカソ、ブラックのキュビスムにおいても、そのモティーフの多くは静物でした。アトリエのテーブル上で瓶やパイプ、カップ、楽器などを構成しながら形態の探求を試みる彼らの制作は、さながら化学実験のようです。アジアの作家の多くも「静物」をモティーフにさまざまな造形的実験を試み、その土地の風物などを織り込みながら、自らのスタイルを「発明」していくことになります。

ジョージ・キート(George Keyt)
スリランカ [1901-1993]

 スリランカの近代美術における最重要画家の一人で、1943年に首都コロンボで生まれた前衛芸術運動「43年グループ」の創設メンバーである。スリランカの風物、風景やヒンドゥーの神話といったテーマをキュビスムを用いて表現し、スリランカ美術の近代化を推し進めた。出品作はキートがキュビスム的な様式を取り入れた最初期のもので、マンゴーや団扇といったローカルなモティーフを、キート特有の曲線的な色面分割によって捉えている。

李樺(リー・フア Li Hua)
中国 [1907-1994]

 1926年に広州美術学校を卒業後、30年に日本に留学。帰国後、34年には「現代創作版画研究会」を組織し、『現代版画』の主編となるなど、中国における30年代の木刻運動の中心的役割を果たす。出品作は彼の個人版画集『李樺色刷木刻十幀』からの一枚。もともと木刻運動は魯迅との関係が深かったこともあり、魯迅が賞賛したドイツ表現主義の版画家ケーテ・コルヴィッツの強い影響を受けていた。李樺自身も「圧政に耐える民衆」といったプロレタリア的なテーマを、表現主義的なスタイルで描き出す作品が主であった。そのなかで、この画集は30年代の中国において、表現主義だけではなく、キュビスムや、未来派などが受容されていたことを示す貴重な作例である。

第2章 「 キュビスムと近代性 」 Chapter 2: Cubism and Modernity

ルネサンス以来の一点消失法によるイリュージョニスムを放棄したキュビスムによって提示された、多数の視点から同時に対象を捉えるという認識の方法は、「近代」という時代が生み出した新たな「まなざし」といえるかもしれません。アジアの国々において、「進歩」という理念のもとに進められた社会的な近代化(工業化、都市化)に歩調を合わせるように、各国の芸術家たちも、旧来の自然主義的絵画を打破し、美術の「近代化」を推し進めるために、キュビスムを重要な戦略として利用していきます。

ソンポート・ウッパイン(Sompot Upa-In)
タイ [1934- ]

 彫刻家としてスタートしたウッパインは1950年代に現れた一群の若手作家の一人として注目を集めた。1930年代にタイ政府に招聘され、後に「タイ近代美術の父」と称されるイタリア人彫刻家コッラード・フェローチ(シラパ・ビラスィー)のもとで学んだ時期に、キュビスム、未来派などの様式を吸収したウッパインであるが、出品作の〈政治家〉は分析的キュビスムを意識的に取り入れた一点。断片化され上下反転した政治家の全身像が、彼の横顔と組み合わされ、再統合されている。ウッパインは政治家を逆さ吊りに描くことで、思い上がりの激しい政治家に対する彼の不信を表明したと述べており、社会的、政治的な問題を多く扱ったウッパインの特質を良く表す作品となっている。

アフマッド・サダリ(Ahmad Sadali)
インドネシア [1924-1987]

 戦後インドネシアにおいて、前衛的なモダニスムの牙城となった「バンドゥン工科大学美術デザイン学部(ITB)」で中心的役割を果たした画家。当時ITBではオランダ人のリース・ムルダーが教鞭をとっており、サダリをはじめ1950年代にバンドゥンで頭角を現した作家の多くはムルダーから大きな影響を受けた。出品作はサダリがアメリカ留学から帰国した後の作品で、ニューヨークのセントラル・パークの状景をモティーフとしたものである。ここで見られるような、絵画を多面的に構築するというよりは、むしろ平面を線によって分割していく傾向は、サダリのみならずインドネシアのキュビストたち一般に当てはまるものであり、ステンドグラス画家であったムルダーの影響とされている。

第3章 「身体」 Chapter 3: Cubism and Body

「身体」という有機的に統一されたモティーフは、キュビスムという幾何学的な形式によってとらえることが、きわめて困難に思われます。しかしピカソやブラックの初期キュビスムにおける肖像画が示すように、身体を幾何学的に分析、再構成していくさまは、とりわけ見る者に衝撃を与えるものであったのではないでしょうか。アジアの作家たちもまた、「裸婦像」、「群像」、「自画像」といった、絵画に伝統的なテーマをキュビスムという形式を用いて表現することで、新たなスタイルを獲得しようと試みています。

萬鉄五郎
日本 [1885‐1927]

 1885年岩手県土沢に生まれる。1903年に上京し、白馬会第二洋画研究所でデッサンや油彩を学ぶ。06年に渡米するも美術の勉学の目的は果たせず同年帰国。翌07年に東京美術学校に入学、12年、日本におけるフォーヴィスムの先駆的作品と評される〈裸体美人〉を卒業制作として卒業。同年岸田劉生らとともにフュウザン会の結成に参加。14年から16年にかけて故郷の岩手県土沢に移住していた時期に、萬はキュビスムの造形原理を意欲的に自らの作品に取り込むが、出品作はその探求の一つの到達点を示す作品。キャンバスの矩形に基づき理知的に構成された画面からは、萬のキュビスム理解がかなりの段階に達していたことが見て取れる反面、緑色の日本髪や赤茶の人体はその構成に収まりきらない、呪術的でなぞめいた存在感を放っている。

チョン・スーピン(Cheong Soo Pieng)
シンガポール [1917‐1983]

 シンガポールにおける近代美術の成り立ちは、1930年代末以降に移住してきた中国系の画家達の存在を抜きには語れない。スーピンも上海で美術を学んだ後、46年に共産党と国民党の内戦を避けてシンガポールに渡ってきた。1940年代末には早くも、マレー半島固有の文化を摂取しながら、強調された線や平坦な色面、形態の単純化などが特徴的な自身の様式を確立していく。出品作の〈マレーの女〉は、彼の作品の中でもキュビスムの影響が色濃い一点。鋭い線で色面分割された空間の中で、部分的に身体が透過したマレー人女性が、謎めいた表情で頬杖をついている。画面上部から身体を貫くように三角形の色面が切り込んでおり、光にさらされた身体と陰の中に浮かぶ身体、あたかも複数の視点が一つの画面で総合されているかのようである。

第4章 「キュビスムと国土ネイション」 Chapter 4: Cubism and Nation

アジアという地において、キュビスムは伝統的風物や歴史的事件と、あるいは豊穣なる収穫の営みや混沌として猥雑な都市と、そしてまた宗教や神話といったモティーフと結びつきながら、独自の様式へと爛熟していきます。「キュビスム」と、これら「国土」とでも総称できよう要素との結びつきは、ピカソ、ブラックのキュビスムには見られなかった、極彩色を多用したあざやかなキュビスムを誕生させる大きな要因の一つとなります。

タ・ティ(Ta Ty Cpre-V-wan)
ベトナム [1920- ]

 仏領インドシナのインドシナ美術学校の最後の卒業生。1954年国家が南北に分断されるまでハノイに在住したが、以後は南ベトナムに住む。75年国家統一に際し、再教育キャンプに送られ、83年からカリフォルニアに居住。出品作は画家が自らの「キュビスム期」と呼ぶ頃の一点。キュビスム的な面の分割と鮮やかな色彩の組合せが目を惹く。現状の「北」中心のベトナム近代美術史において語られることは希であるが、「南」における美術活動を知る上で、貴重な作家である。

ヴィセンテ・マナンサラ(Vicente Manansala)
フィリピン [1910-1981]

 フィリピン大学卒業後、カナダ、フランスへ留学。フィリピンにおけるキュビスムを考える際の最重要作家。ガラスのような色面が重層するその様式は「トランスペアレント・キュビスム(透明なキュビスム)」と称される。人物、都市風景、政治、宗教(教会の壁画)、歴史など、あつかうモティーフも多彩であった。出品作は19世紀末のフィリピンの国民的画家フアン・ルナの〈血の同盟〉(註)をキュビスムの様式で変奏させたポスト・モダン的ともいえる異色作。

註:1565年、フィリピンを統治したスペインの初代総督ミゲル・ロペス・デ・レガスピが艦隊を率いてボホール島へ上陸、当時の島の酋長シカツナはレガスピを受け入れ、事実上のスペイン軍の支配とキリスト教を受け入れ、両者が互いの腕を傷つけて流した血をワインに落して飲み干したという史実。

宗教と神話 Religion and Myth

アジアのキュビスム独特の要素として、とりわけ目立つのがキュビスムと宗教・神話との結びつきです。1950年代にカトリック信仰の篤いフィリピンで、マナンサラやガロ・B・オカンポ(表紙参照)といった作家がキリストの磔刑図とキュビスムの融合を図るなど、精神的、象徴的なテーマをモダニスム的な視点から解釈するという傾向が広くアジア全体に認められます。

ガガネンドラナート・タゴール(Gaganendranath Tagore)
インド [1867-1938]

 詩聖タゴールの従兄の長男。独学で絵画を習得し、弟アバニンドラナートとともにベンガル・ルネサンス運動の中心的人物としての役割を果たす。同時代の西欧の芸術動向に強い関心を向け、版画、写真、舞台装飾も手がけるなど多彩な才能を発揮した。親交のあった横山大観に感化され、日本画の技法を用いた制作も行なう。1920年代にインドで初めてキュビスムや未来派の様式を取り入れた画家とされ、構成的な様式とインドや東洋の神秘主義との融合を図った。

イベント情報

トークイベント

聴講無料、申込不要、先着150名

中村一美(美術家)&松本透(当館企画課長)

日程

8月27日(土)

時間

14:00 – 15:30

場所

当館講堂

木下長宏(評論家)&林道郎(上智大学助教授)

日程

9月17日(土)

時間

14:00 – 15:30

場所

当館講堂

担当学芸員によるギャラリートーク

日時

9月3日(土)14:00 – 15:00
9月24日(土)14:00 – 15:00

要観覧料

開催概要

会場

東京国立近代美術館 本館 企画展ギャラリー (1階)

会期

2005年8月9日(火)~10月2日(日)

  • なお、会期は都合により変更となる場合があります。
開館時間

午前10時から午後5時まで
金曜日は午後8時まで
(入場はそれぞれ閉館30分前まで)

休室日

月曜日
(9月19日は開館、翌日休館)

観覧料

一般650(550/450)円
大学生350(250/200)円
高校生200(150/100)円
小・中学生無料

  • ( )内は前売/20名以上の団体料金の順。
  • いずれも消費税込。
主催

東京国立近代美術館、国際交流基金、韓国国立現代美術館、シンガポール美術館

協力

JAL

巡回
  • 徳寿宮美術館: 平成17(2005)年11月11日(金)~平成18(2006)年1月30日(月)
  • シンガポール美術館: 平成18(2006)年2月18日(土)~4月9日(日)
お問合せ

03-5777-8600 (ハローダイヤル)

関連企画

国際シンポジウム2005「アジアのキュビスム」
2005年9月10日(土)・11日(日)
会場:国際交流基金フォーラム
   東京都港区赤坂 2-17-22 赤坂ツインタワー 1F
*入場無料、定員200名、日英同時通訳付
お問合せ:国際交流基金芸術交流部(担当:古市)
tel: 03-5562-3529 fax: 03-5562-3500
URL: http://www.jpf.go.jp

同時開催

「所蔵作品展 近代日本の美術」 所蔵品ギャラリー(4 – 2階)

  • 観覧料:一般420(210)円、大学生130(70)円、高校生70(40)円
  • 小・中学生、65歳以上無料、9月4日、10月2日は無料(所蔵作品展のみ)
  • ( )内は20名以上の団体料金、いずれも消費税込み
  • 「アジアのキュビスム」展観覧券で「所蔵作品展」をご覧いただけます
次回展覧会

「ドイツ写真の現在」
2005年10月25日(火)~12月18日(日)

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