過去の展覧会

  • 2021.5.25 6.1- 9.26
  • 所蔵作品展

MOMATコレクション

特別編 ニッポンの名作130年

MOMAT Collection Special:

Masterpieces of Japanese Art from the End of the 19th Century to the Present

2021年5月25日-2021年9月26日の所蔵作品展のみどころ

岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生) 》1915年、重要文化財

 MOMATコレクションにようこそ!近現代の日本の美術の流れを紹介するコレクションの展示を、今回はオリンピック・パラリンピックの開催にあわせた特別編としてお届けします。
 江戸時代(1603–1868)の長い鎖国の後、海外に向けて門戸を開いた日本には、急激に西洋の文化が紹介されることになりました。美術もそのひとつです。それ以来、日本の芸術家たちは、西洋への憧れと、自らの伝統との間で揺れ動きながら、アイデンティティを模索してきました。あるいは急速に近代化してゆく日本の社会の現実を見つめながら、個人としての問いを投げかけるような表現を生み出してきました。その歩みを、前半(5月25日―7月18日)と後半(7月20日―9月26日)で一部の作品を入れ替えながら、8点の重要文化財を含む約250点の作品によってご紹介します。また2階のギャラリー4では、2017年度に購入したデイヴィッド・スミス《サークルⅣ》を中心に、鉄の彫刻の展開をご紹介します。どうぞお楽しみください。

 

出品作品リストは、こちら (PDF)

今会期に展示される重要文化財指定作品

■今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。

□通期(5月25日―9月26日)で展示される重要文化財

  • 原田直次郎《騎龍観音》1890年 寄託作品
  • 和田三造《南風》1907年
  • 萬鉄五郎《裸体美人》1912年
  • 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年
  • 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年
  • 横山大観《生々流転》1923年(ただし前期・後期で展示箇所が異なります)

□前期(5月25日―7月18日)に展示される重要文化財

  • 土田麦僊《湯女》1918年

□後期(7月20日―9月26日)に展示される重要文化財

  • 安田靫彦《黄瀬川陣》1940/41年

  8点の重要文化財(1点は寄託作品)についての画像と解説は、こちら

展覧会構成

4F

1室 ハイライト
2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで

「眺めのよい部屋」

美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。

「情報コーナー」

※MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムは、現在ご利用いただけません。

 

1室 伝統絵画のゆくえ

横山大観 《生々流転》(部分)1923年、重要文化財

 この部屋では、明治時代から昭和の戦前期までに描かれた「日本画」の代表的な作品を紹介します。「日本画」とは、1868年の明治維新を機に、西洋から伝えられた油彩画が「洋画」として定着してゆくのにともない、それまで普通だった膠を溶剤とする絵画をひとくくりに区別してできたジャンルでした。その成り立ちからすれば、「日本画」は伝統的であることを宿命づけられていたと言えますが、1880年代に活躍した狩野芳崖による《仁王捉鬼図》(7月20日から9月26日に展示)が、アメリカから来日したフェノロサの指導を受けて、伝統絵画の改良を試みた作品であったように、「日本画」は草創期からすでに、時代に対応した新しい絵画表現を目指すものでもあったのです。この部屋に並んだ作品からは、平面性や装飾性といった日本(東洋)の伝統を近代的に解釈した表現を見て取ることができます。と同時に、豊かな色彩や光の表現といった西洋美術からの余波を見逃すことはできません。

2室 明治の美術

和田三造《南風》1907年、重要文化財

 明治時代(1868–1912)は、日本が西洋から「美術」を学び、自らのものにしようと模索した時期でした。例えば西洋の油彩画における陰影の技法や遠近法は、伝統的な日本絵画の平面的な表現にはない、三次元の対象をリアルに写し取ろうとするものでしたから、当初はその技術的側面の習得が目指されました。原田直次郎《騎龍観音》には、東洋的な題材と西洋的な描写との結合を見ることができます。
 けれども、学ばれたのは技術的側面だけではありません。美術が社会の中で果たす役割や、鑑賞の場である展覧会のしくみなど、美術にまつわるさまざまな制度そのものが学ばれたといってよいでしょう。そうした西洋に倣った近代的な美術の制度が、日本でおおよそ確立されるのが、1907(明治40)年です。この年、文部省美術展覧会が開設され、日本画・西洋画・彫刻の三部門で作品が公募されました。和田三造《南風》は、この第1回展で西洋画部門の最高賞を受賞した作品です。

3室 萬鉄五郎と岸田劉生を中心に

萬鉄五郎《裸体美人》1912年、重要文化財

 1907(明治40)年に開設された文部省美術展覧会(文展)は、芸術家たちにとって公的な評価を得る場となりましたが、それは当時の価値観の最大公約数的な枠を作り出すことにもなりました。一方で同じ頃から、芸術家の個性を尊重し、常識的なものの見方の枠を踏み越えようとする傾向が現れてきました。その代表が、1910(明治43)年に「緑色の太陽」という文章を発表した彫刻家の高村光太郎です。高村は萬鉄五郎や岸田劉生らとともに1912(大正元)年に「フュウザン会」を結成して、文展の価値観には収まらない表現を打ち出しました。萬の東京美術学校卒業制作である《裸体美人》は、そうした傾向を代表する記念碑的作品です。この作品にはゴッホからの影響だけでなく、芸術家の内的な生命の発露を認めることができるでしょう。また岸田劉生は、いったんゴッホの影響を受けた後、対象の存在そのものに迫ることに価値を見出し、《道路と土手と塀(切通之写生)》のような独自のリアリズムを確立しました。

4室 小原古邨(祥邨)

小原古邨(祥邨)《 [紫陽花]》昭和初期頃
(前期:5月25日~7月18日)

 江戸時代に町民たちに親しまれた浮世絵は、明治時代以降は、西洋から伝わった石版画や写真など新しい印刷技術が普及するにつれ、次第に衰退していきます。しかしその中で、浮世絵の伝統を新しく再生させようとする動きもありました。この動きは大正時代(1912-1926)に顕著となり「新版画」と呼ばれて、海外にも多く輸出されて愛好されることになりました。美人画の橋口五葉や伊東深水、風景画の川瀬巴水らが有名ですが、ここで紹介する小原古邨(祥邨)は、花鳥画で名をなした画家です。彼ははじめ日本画を学び、古邨と号しましたが、1926(昭和元)年以降は祥邨と号して、「新版画」の版元である渡辺版画店から写実性と装飾性を兼ね備えた数々の花鳥画を発表して人気を博しました。その後、日本では半ば埋もれた存在でしたが、海外ではオランダやアメリカに大規模なコレクションがあり、近年は日本でも再評価が高まりつつあります。当館には浮世絵研究者の藤懸静也の旧蔵品が収蔵されており、今回はその中から32点を前期と後期に分けて紹介します。

5室 中村彝を中心に

中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年、重要文化財

 芸術家の個性が重んじられた大正時代(1912–26)には、彼らを支える人たちがいたことも見逃せません。1901(明治34)年にパン屋「中村屋」を開業した相馬愛蔵・黒光夫妻は芸術を愛し、1909年に新宿に店を移すと、そこには荻原守衛、戸張孤雁、中村彝、中原悌二郎、柳敬助ら多くの芸術家が集いました。ロダンに学んだ荻原守衛は、相馬黒光への秘めた想いを《文覚》や《女》に昇華させ、また中村彝は相馬夫妻の愛娘、俊子に想いを寄せますが、悲恋に終わり、その傷心を《大島風景》のざわめく木々に表します。その後、俊子はインドから亡命してきた独立運動家のラス・ビハリ・ボースの妻となり、また中村彝はロシアから来日した詩人・音楽家のエロシェンコを描くなど、中村屋は国際的に人々の交わる場でもありました。
 もうひとつ忘れてならないのは、この部屋に紹介する芸術家たちがいずれも比較的短命であったことです。彼らはその生のすべてを芸術に燃焼させたといえるでしょう。

3F

6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋(ソル・ルウィット《ウォールドローイング#769》

 

6室 梅原龍三郎と安井曽太郎

安井曽太郎《金蓉》1934年

 梅原龍三郎と安井曽太郎はともに1888(明治21)年に京都に生まれ、浅井忠に学んだ後フランスに留学し、帰国してからは日本美術のアイデンティティを模索して、1930年代以降は日本の油彩画の二大巨匠として並び称され、1952(昭和27)年には揃って文化勲章を受章するなど、よく似た軌跡をたどります。とはいえ、二人の追究の方向性はそれぞれ異なっていました。留学時代の二人の作品を見ると、梅原はルノワールから、安井はセゼンヌとピサロから、強い影響を受けていたことがわかります。そして帰国後、梅原は主に色彩において、安井は形態において、独自の探究を進めていくのです。梅原は1930年代半ばから油絵に日本画の岩絵具を加えるようになり、その鮮やかな発色は北京を題材とした作品によく認められます。一方、安井は卓越したデッサン力をもとに、形に誇張を加えることで《金蓉》に代表されるような活き活きとした肖像画や、《奥入瀬の渓流》のような豊かな風景画を描きました。方向性は異なれども「日本独自の油彩画とは?」というあくなき問いが、二人の作品には見られます。

7室 藤田嗣治

 ここまで見てきた近代日本の油彩画家たちの多くは、西洋に憧れ、その影響を受けながら、自らのアイデンティティを模索してきました。それに対して藤田は、おそらく日本で初めて、日本美術の特性を積極的な武器として、西洋で成功を収めた油彩画家といえるでしょう。1913(大正2)年に渡仏した彼は、第一次世界大戦中もパリにとどまり模索を続け、1920年代には陶磁器のような白く滑らかな絵肌に、日本画の面相筆による極細の輪郭線で繊細な女性像を描き、パリの画壇で大きな反響を得ました。その後、第二次世界大戦中は日本に戻って、逆に西洋の歴史画の大作を思わせるような戦争画を描いた彼は、観衆が求めているものは何かということを熟知していたといえます。戦後は、戦争責任を問われて再びパリに渡り、ついに日本に帰らなかった彼ですが、日本の近代美術と西洋との関係を考える上では、決して欠くことのできない存在であることはまちがいありません。

8室 具体とアンフォルメル

元永定正《作品》1961年

 具体美術協会は、吉原治良をリーダーとして1954(昭和29)年に関西で結成されました。「決してひとのまねをするな」という吉原のモットーをもとに、足で描いたり(白髪一雄)、斜めにたてかけたキャンバスに絵具を流したり(元永定正)、電球で服を作ったり(田中敦子)、ラジコンカーに絵を描かせたり(金山明)、木枠に張った紙を体当たりで破いたり(村上三郎)するなど、従来の美術の枠を大きく逸脱した彼らの表現は、その先鋭さによって近年ますます国際的な評価が高まっています。
 彼ら具体美術協会の作家たちは、1950年代後半にはフランスを中心とした「アンフォルメル」という抽象絵画の運動に呼応しました。この運動には、日本からパリに留学していた今井俊満らも参加しましたが、興味深いのは今井の作品の変遷です。運動に参加した当初の荒々しい筆致は次第に洗練され、日本的な要素が加わっていくのです。同じ頃パリで活躍した田淵安一や菅井汲の作品にも、抽象的な造形の中に日本的な要素が窺えます。

9室 富山治夫「現代語感」(前期:5月25日―7月18日)

富山治夫《 「現代語感」より 過密》1964年
(展示期間:5月25日~7月18日)

 前回の東京オリンピックが開かれた1964(昭和39)年、東京はどのような様子だったのでしょうか。1964年から翌年にかけて『朝日ジャーナル』に連載された「現代語感」は、高度経済成長を遂げつつも、成長の急激さによってあちこちにひずみを見せる日本の社会を巧みに捉えています。けれどもこれらの写真は、厳しい告発調のものではなく、皮肉をこめたユーモアを感じさせるでしょう。それぞれの写真には漢字二文字の題名がつけられていますが、実はこれ、写真をもとにつけられたのではなく、逆なのです。連載記事は文章と写真とで構成されていましたが、文章を担当する作家(安部公房や大江健三郎など)が、世相を反映した熟語を毎週選び出し、その熟語を「お題」として社内カメラマンたちが街へ出て撮影、締切までに集まった写真の中から、これぞという一枚が選ばれたといいます。富山治夫の写真は連載全68回のうち42回掲載されました。時代を切り取る冴えた視点はいま見ても古びていません。

9室 高梨豊「オツカレサマ」(後期:7月20日―9月26日)

 前回の東京オリンピックが開かれた1964(昭和39)年、東京はどのような様子だったのでしょうか。この時期、一般家庭に急速にテレビが普及します。それはまさに人々がオリンピックを自宅で楽しみたかったからでしょう。そしてテレビの普及は、テレビタレントという存在を生み出すことになります。「オツカレサマ」は、当時人気を博していたタレントたちを高梨豊が捉えたポートレイトの連作で、『カメラ毎日』に一年間連載され、彼はこれにより日本写真批評家協会新人賞を受賞しました。
 高梨はテレビタレントを、視聴者がそこに代理体験をゆだねようとする「仮面」をつけた存在と捉え、その仮面を分析することによって、当時の人々の趣向や社会状況を明らかにできると考えました。タレントたちがふだんはテレビの中で行っている演技は、これらの写真ではニュートラルな白い背景によって、観察の対象であることが強調されています。

10室 横山大観と竹内栖鳳 (前期:5月25日―7月18日)

横山大観《白衣観音》 1908年
(展示期間:5月25日~7月18日)

竹内栖鳳《宿鴨宿鴉》1926年
(展示期間:5月25日~7月18日)

 5月25日から7月18日までの会期、10室奥のスペースでは、横山大観と竹内栖鳳を紹介します。「東の大観、西の栖鳳」と並び称され、ともに1937(昭和12)年の第1回文化勲章を受章した二人は、近代日本画の確立に大きな役割を果たしました。大観は師と仰いだ岡倉覚三(天心)から、西洋絵画にも通じる空気や光の表現を示唆されて、いわゆる「朦朧体」と呼ばれた表現に挑戦しました。栖鳳は円山四条派の写生の伝統の上に西洋的な自然観察を加えることで、因習的な表現を打破しようとしました。二人は辿った道すじこそ異なりますが、西洋の視点と出会いつつ日本(東洋)の伝統を見つめ直し、新しい時代の日本の絵画を生み出そうとしたのです。

10室 加山又造 (後期:7月20日―9月26日)

加山又造《春秋波濤》1966年
(展示期間:7月20日~9月26日)

 7月20日から9月26日までの会期、10室奥のスペースでは、加山又造を特集します。1945(昭和20)年の敗戦後、国内では戦前の文化に対する反発から、あらゆる伝統的なものが否定される状況にありました。そのなかで画業をスタートさせた加山は、「世界性に立脚する日本絵画の創造」を目指す日本画家のグループに所属し、ラスコーの洞窟壁画やピカソに影響を受けた動物画を発表していました。しかし、その後、彼は改めて日本(東洋)の古典絵画を発見し、大きく画風を展開させることになります。《春秋波濤》にみられるように、やまと絵や琳派を参照した作品や、あるいは《仿北宋雪景水墨山水》のように、中国の水墨画にならった作品は、日本(東洋)の伝統を現代的に捉え直すことで生まれたのです。

10室 東山魁夷(通期)

東山魁夷《道》1950年
(展示期間:5月25日~7月18日)

東山魁夷《秋翳》1958年
(展示期間:7月20日~9月26日)

 10室の手前のコーナーでは、戦後日本画を代表する東山魁夷を特集します。彼は、実際の風景のスケッチから出発しながらも、細部を省き、簡潔でゆるぎない構図にまとめあげ、日本人の誰もが原風景と感じるような、抒情性をおびた風景画を生み出しました。

2F

11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで

 *ギャラリー4(13室)

コレクションによる小企画鉄とたたかう 鉄とあそぶ ディヴィッド・スミス《サークルⅣ》を中心に(2021/6/18-2021/9/26)

 

 

11室 現代工芸の座標

小川待子《無題》2008年、撮影:アローアートワークス©2010

 ここでは、昨年10月に石川県金沢市に移転した国立工芸館のコレクションより、1970年代から2000年代の陶磁、金工、漆工(としてカテゴライズされている)作品をご紹介します。柔らかい不定形の細胞のような栗木達介や橋本真之の作品、風化した遺物のように長いときの流れを思わせる荒木高子、秋山陽、古伏脇司の作品。はたしてこれは工芸なのか?と首をかしげる人もいるかもしれませんが、用いられる手法はきわめて高度で「工芸的」です。
 工芸作品において、土や金属、漆は、媒体としての存在を超えた構成要素といえます。戦後間もない時期の工芸に、素材と真っ向からぶつかり合う熱量を見出すとすれば、これらの作品からは、それぞれの素材特有の物質性と、そこに介入する作り手との関係性を相対化し、作るという行為との距離を探るような、客観的な思考がうかがえます。現代工芸の展開は、造形表現の座標上に工芸という領域そのものを拡張してゆく軌跡として輪郭をあらわしています。

12室 この30年の美術

加藤翼《The Lighthouses – 11.3 PROJECT》2011/18年

 ここまで近代日本の約130年の歩みをたどってきましたが、この部屋では1990年代以降、まさに現代日本の作品を集めました。この30年間の世界を見渡すと、東西の冷戦構造が終わりを迎えつつも、民族や宗教をめぐる別の対立が顕在化してきました。また国内に目を転じても、震災をはじめ、社会を揺るがすさまざまな出来事がありました。そして情報テクノロジーの発達が、そうした世界中の出来事を瞬時に伝え、私たちの知覚や認識を大きく変えてきたといえるでしょう。このように国境を越えて情報が自由に行き来する現代において、「日本の美術」という枠組みはもはや意味をなさないかもしれませんが、しかしそれでもなお、私たちが生きているこの日本の社会の現実に向き合った表現であれば、それは現代日本の美術と呼ぶべきものでしょう。作家たちは彼らをとりまく世界を細やかに見つめ、彼ら自身が捉えた世界の姿を鮮やかに示し、あるいは私たちに問いを投げかけるのです。

イベント

オンライン・キュレータートーク公開中

新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止の観点から、当面の間、すべての講演会などのプログラムを中止しております。

代わりに、YouTube公式チャンネルにて、「オンライン・キュレータートーク」を配信しております。所蔵作品を約3分ほどの短い動画でご紹介しておりますので、こちらからご覧ください。

 

出来事を興す 加藤翼インタビュー

00年代末から、木材で作った巨大な構造物を大勢の人がロープで引っ張り、倒したり立ち上げたりする行為を写真や映像で発表してきた加藤翼(1984-)。当館では、東日本大震災後の福島県いわき市に集まった約500人が参加した大規模なプロジェクトを撮影した《The Lighthouses – 11.3 PROJECT》(2011)を収蔵する。MOMATコレクションでの展示(2021年6月1日~9月26日)を機に、作品の制作背景や理念を伺った。

聞き手:成相肇(東京国立近代美術館主任研究員)
2021年7月27日|オンラインでのインタビュー

 

 

加藤翼《The Lighthouses – 11.3 PROJECT》2011年 キャプチャ画像

――まず、《The Lighthouses―11.3 PROJECT》の制作背景や経緯をお聞かせください。なぜあの場所で、なぜ灯台なのでしょう。

 東日本大震災が起きたときに僕は大阪にいて、3月12・13日に大阪城公園で「引き倒し」のパフォーマンスをやる予定でした。現地の人たちの家の形をトレースした構造体を作って引き倒すというプランだったんです。その搬入作業中に震災の速報があり、夜に映像で被災状況を知って、家を引き倒すというパフォーマンスをやるわけにはいかないんじゃないかと考え直すことになった。翌日のイベントはひとまず中止にしてもらって一昼夜悩んだのですが、全部なかったことになるのも違うと思ったし、変化があることは大事なリアクションにもなりえるという気がした。そこで、水平に寝ている構造体を一方向から引っ張るプランを二方向から引っ張るプランに変え、パフォーマンス名の「引き倒し」を「引き興し」に改めることにしたんです。一方向から引っ張るだけだと構造体の自重で勢いよく倒れるんですが、反対方向からも引っ張れば、ゆっくり転がすことができる。ゆっくり倒せるようになったことは大きな変化でした。
 東日本から遠い大阪でどうしていいのかわからない気持ちが残っていたこともあって、4月の下旬から知人たちと被災地ボランティアに行きました。東北各地を回ってみると、他と比べて被災状況がそれほど報じられていなかった福島のいわき市には瓦礫がまだたくさん残っていて、ボランティアも少なかった。そこで炊き出しや建物の修繕や整体などを行いながら、いわきなら東京から通いやすいし、ずっと関われるんじゃないかと思ったんです。
 その後、緊急支援的なボランティアの必要が徐々になくなってきて、地元で知り合った土建屋(小泉工業)さんから瓦礫撤去が大変だと聞いて手伝うことになりました。ボランティアというのはどうしても支援する側とされる側に立場が分かれちゃうんだけど、撤去作業員になることで、地元に近づけた。作業中に自宅の瓦礫を見に来る人から思い出話とかを聞きながら、その距離の縮まり方がすごく大切なことに思えたんです。外から来た非被災者の立場でありつつ中に混ざっていって、ここでひとつのプロジェクトができたらいいんじゃないかと考え始めました。
 それから自分がアーティストであることを周囲に話して、相談していきました。山積みになった木造家屋の瓦礫は今まで使ったことのない大きな角材だったんですが、それを使って作品を作ってみたい、というより、そのくらいのことをしないと瓦礫撤去を通じて関わっている地域に対するリアクションにならないんじゃないかという気がしたんです。とりあえず何を作るかは決まらないまま、木を集め始めました。
 いわき市はそもそも合併して生まれた大きな市で、海側と山側では文化も違います。僕らが作業していた海側にあたる豊間地区では皆が高台へ避難して移住し、そのまま戻らずに地区が成り立たなくなる懸念があった。そのことを踏まえて作品のモチーフも決まりました。豊間地区とその北の薄磯地区にまたがって立つ塩屋埼灯台が津波の被害を受けて消灯していたことに着想を得て、人を呼び戻す意味合いと、航行の目印である灯台というシンボルを重ねて、モチーフは灯台がいいだろう、と。
 土建屋さんが別の地域の瓦礫も集めてくれて、被災したコンビニの店長から提供してもらった場所で自家発電しながら制作しました。半年くらいかかったので、今までで一番長いプロジェクトですね。できあがった構造体は起こせるかわからないほど重くなって人数も必要だったので、じゃあお祭りにしちゃおう、と地区長さんが言ってくれたんです。あの頃、震災後の自粛で夏祭りはどこも中止していたので、祭りをやりたいという思いもあったと思う。演歌歌手、よさこいやフラダンスのダンサー、和太鼓の人たちも呼んで、一時的な集合のポイントを作ることになりました。
 11月3日(3.11を逆にした日)当日の「引き興し」の様子は作品の映像に収まっている通りです。灯台はそのまま固定して1ヶ月くらい立ったままにして、自分たちが使っていた発電機と大きな照明を仕込んで、近くの住人にお願いして毎日点灯してもらっていました。それから取り壊して間もなく、塩屋埼灯台が再点灯しました。

「引き興し」当日の様子 提供:加藤翼

「引き興し」当日の様子 提供:加藤翼

――当館に加藤さんの作品が収蔵されたのは、東日本大震災にまつわる作品であること、また、それに伴って災害後の人々の協力や協働の姿が描かれていることが大きな要素になっています。それが作品の主題であるとして、協力や協働は単にひとつの目的が与えられるだけでなく、対立や異論を前提にしてこそ成立し、効果を発揮するものだと思います。本作の制作過程において異なる立場はありましたか。

 作品に関しては、外部から来た者によるイベントであることや、瓦礫を使うということへの批判も予想していました。露骨に家の形がわかるような部材を避けたこともあって、そこに異論は意外とありませんでしたが、地区に関して言えば、同じ地区の中でもいろんなレベルの被災があって、当事者をめぐる軋轢がありました。前提として、僕を含めて参加者の中に立場の違いがあったわけです。それと、「引き興し」はそもそも、二方向から引っ張ることで構造体の向こうの人が自ずと見えなくなる仕組みなので、見えない人同士が協力して調整しつつ引っ張るという特徴があります。
 ただ、「引き興し」そのものが何かを解決するわけではなくて、僕はいろんな立場の人が混在するポイントを作っているだけです。そして、それがすごく重要なんです。常に存在しているけれど、きっかけがないと流れてしまう点。それを目に見える形で記録したいと思っています。協力や協働が主題と言えるかどうかはわかりませんし、それが大事だという感覚はありません。もちろん大事だけど、それだったら別のやり方もあるでしょう。協働は目的じゃなくて結果で、すでにプロセスにおいて発生して終わっています。僕にとっては、出来事を作ることにプライオリティがある。やってみないとわからない、すべてをコントロールできない、出来事。そのときどきの重力、そのときどきの動きが作品として結晶化されるんです。
 もちろん土地や時代に結びついた条件からは離れられず、この作品の背景には震災という前提があります。でも、引っ張っている人全員が、途中から楽しいからやっているんだと切り替わるタイミングがあると思う。避難した人たちを呼び戻すためだけのお祭りではなく、joyが発生する。
 僕と地元との距離が縮みすぎて同一化しちゃうと、被災者のためという目的が強くなって、例えばソーシャリー・エンゲイジド・アートだ、というように作品がカテゴライズされてしまう。それはいいことだとは思っていません。その関係を引き戻すバランスを考え続けています。

加藤翼《The Lighthouses – 11.3 PROJECT》2011年 キャプチャ画像

――加藤さんの初期作品では、大きな構造体を引き倒すというナンセンスな自己目的が作品の重要な要素であったと思います。それは、綱引きのようなスポーツや祭りの神輿のような、大人数が瞬発的に力を発散する遊戯に近い文化イベントを連想させます。ここでは、地区長が発案したお祭りという設定がポイントになっていますね。

 お祭りというのは、どこまでが中心の構成員でどこからが参加者なのかわからない。誰が作っているかわからないところにおもしろさがあります。例えばテキ屋のお店があったとして、そこに並ぶ人もまたお祭りの雰囲気を作っている。「引き興し」もそうでありたいと思っています。被災地のプロジェクトだけど参加者が全員被災者である必要はなくて、「引き興し」が持っているある種の身体性やゲーム性によって、「出来事」化されて別物になるところがあると思う。

 

――出来事であるからこそ、表現媒体として映像を選ばれているわけですね。起き上がる構造体を撮ったカメラと構造体に仕込まれたカメラの2つの視点が合成された画面になっているのも、「出来事」と関わるでしょうか。

 このタイプの作品を始めてからは、引っ張っている人の背後や横から説明的に撮っていて、試行錯誤を経て構造体の視点が一番しっくり来たんです。人間の主観的な視点だけではなく、構造体の視点は出来事そのものに近づくんじゃないかと。特にこのプロジェクトの場合、いろんな立場の人がぐちゃぐちゃっと混ざっていたので、ひとつ上の視点、灯台そのものの視点が欲しかったんです。
 僕が好きなアーティストに、ロバート・スミッソン(Robert Smithson, 1938-1973)やフランシス・アリス(Francis Alÿs, 1959 -)がいます。スミッソンの《スパイラル・ジェッティ》(1970)もひとつの出来事だと思うんです。アリスの作品もまた、出来事性というか、時間を使ったパフォーマンスの要素を持っています。彼らのように壮大なスケールを持ちながら、詩的で美的なパッケージに最終的に持ち込むことが、僕の理想です。出発点にある固有のストーリーからどれくらい飛躍して、作品として閉じ込めることができるか。それが問われていると思っています。

 

(『現代の眼』636号)

 

 

会場風景 撮影:大谷一郎

会場:
東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F-2F)
会期:
2021年5月25日(火)6月1日(火)-9月26日(日)
開館時間:
10:00-17:00(金・土曜は10:00-21:00)
9月19日(日)、20日(月・祝)、23日(木・祝)、26日(日)は10:00-18:00
*入館は閉館30分前まで 【当面の間、金・土曜日の開場時間は 10:00~20:00(*最終入場19:30まで)となります】
休室日:
月曜日[ただし、7月26日、8月2日、8月9日、8月30日、9月20日は開館]
6月17日[木]、8月10日[火]、9月21日[火]
 →月間カレンダーもご参照ください。 
チケット:
会場では当日券を販売しています。
会場の混雑状況によって、当日券ご購入の列にお並びいただいたり、入場をお待ちいただく場合がありますので、オンラインでの事前のご予約・ご購入をお薦めいたします。

新型コロナウイルス感染症予防対策のため、 ご来館日時を予約する日時指定制を導入いたしました。
こちらから来館日時をご予約いただけます。

※上記よりチケットも同時にご購入いただけます。
※観覧無料対象の方(65歳以上、高校生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名、招待券をお持ちの方等)についても、上記より来館日時をご予約いただけます。
※お電話でのご予約はお受けしておりません。

観覧料:
一般 500円 (400円)
大学生 250円 (200円)
※( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
5時から割引(金曜・土曜):
一般 300円 
大学生150円
※高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
「友の会MOMATサポーターズ」「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。

「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ)

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主催:
東京国立近代美術館

所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内

9室「写真・映像」

9室「写真・映像」*

10室 「日本画」*

「眺めのよい部屋」*

「眺めのよい部屋」*

 「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる13,000点(うち重要文化財15点、寄託作品2点を含む)を超える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。最近は工芸館で管理する工芸作品も登場させるようになっています。
ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋からなるスペースに生まれ変わりました。その1室から12室までを番号順にすすむと、1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのうちのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。
「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。


展示替えについて

年間数回大きく作品を入れ替えています(会期によっては、さらに日本画を中心とした一部展示替があります)。

このページ内の会場風景はすべて撮影時のものであり、現在の展示と同じとは限りません。
*印:いずれもphoto: 木奥恵三

 

所蔵品ギャラリーについて

 「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。

所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。

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