開催中の展覧会

  • 2021.10.5- 2022.2.13
  • 所蔵作品展

MOMATコレクション

MOMAT Collection

2021年10月5日-2022年2月13日の所蔵作品展のみどころ

佐伯祐三《ガス灯と広告》1927年

 MOMATコレクションにようこそ!19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れを、国際的な関連も含めてご紹介します。
 いつも当館選りすぐりの名品が凝縮された4階1室、今回は「ハイライト改めインデックス」と題し、名品ぞろいは従来のままに、少し趣向を変えてみました。3室では、1階で開催される「民藝の100年」展(10月26日より)に関連して、柳宗悦も参加した雑誌『白樺』周辺の画家たちを取り上げました。3階7室と8室では、戦後にグラフィックデザインと絵画との境界を超えて活動した作家たちに焦点をあてます。2階11室では、田中功起《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》(2013年)の「手話とバリアフリー字幕版」を公開します。昨年度に当館が、幅広い鑑賞の機会をつくるための取り組みの一環として試みたもので、今年度いっぱい、ウェブ上でもご覧いただけます。
 今期も盛りだくさんのMOMATコレクション。どうぞごゆっくりお楽しみください。

 

出品作品リストは、こちら (PDF)

今会期に展示される重要文化財指定作品

■今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。

  • 原田直次郎《騎龍観音》1890年 寄託作品|1室ハイライト
  • 和田三造《南風》1907年|2室
  • 萬鉄五郎《裸体美人》1912年|3室
  • 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年|3室

  4点の重要文化財(1点は寄託作品)についての画像と解説は、こちら

展覧会構成

4F

1室 ハイライト
2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで

「眺めのよい部屋」

美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。

「情報コーナー」

※MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムは、現在ご利用いただけません。

 

1室 ハイライト改めインデックス

ポール・セザンヌ《大きな花束》1892-95年頃

 いつもは館を代表するような作品を展示している第1室ですが、今期は趣向を変えてみました。目指したのは序論のような部屋。次のふたつのことを意識して作品を選んでいます。
 ひとつは、今期のMOMATコレクション展全体のインデックスとなること。第2室から第12室には、それぞれの部屋のテーマに沿った作品が展示されています。それをいくつか先取りして、この部屋にも関連作品を交ぜました。解説文の最後に関連する部屋の案内を添えたので、興味をそそられたらそこだけ見に行くのもアリです。
 もうひとつはコレクション全体の幅を示すこと。当館のコレクションで最も制作年が古いのは1840年代の写真作品、最も新しいのは2020年作の洋画(寄託作品)と版画です。ここでは1880年代から2019年まで、130年余りの間に生み出された作品が、ガラスケース内の日本画は約25年刻み、紺色の壁にかかった額装作品は約15年刻みで並んでいます。最近は現代美術のコレクションも徐々に厚みを増してきました。

2室 和洋がなじむまで

和田三造《南風》1907年、重要文化財

 ひとつ前の部屋で原田直次郎《騎龍観音》をご覧になったでしょうか。仏教という東洋的な主題を西洋の技術(油絵)で描く和風洋画と呼ばれるスタイルはいま見れば奇妙に感じますが、その奇妙さこそが貴重な始まりの気運を伝えます。
 幕末以来急速に押し寄せる西洋化の波の中で、外来の技術を取り込みながらいかに日本の絵画を作り上げるか。それがすなわち日本美術の近代化の出発点でした。
 欧化と国粋化の間で揺れ動いた時代を経て、1907(明治40)年、フランスのサロンに倣った文部省美術展覧会(文展)が開設されます。日本画、洋画、彫刻のジャンルを規格化した文展が、日本の美術の形式や様式に落ち着きをもたらしました。この部屋で紹介している作品は、久米桂一郎の作品以外すべて文展出品作です。和田三造の描く理想的な(西洋的な)身体、陰の中の色彩を細密に描く久米の(西洋的な)写実、油気を抑えた(東洋的な)小杉未醒(放菴)の描き方、落差のある近景と遠景がつながる和田英作の(東洋的な)構図。和洋が揺すられ、攪拌され、溶け合い、なじんでいく過程をご覧ください。

3室 ほとばしるフライハイト ―『白樺』と青年たち

岸田劉生《B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)》1913年

 1階で開催される「民藝の100年」(10月26日より)とゆかりの深い白樺派に関連した作品を中心に紹介します。柳宗悦らが1910年に創刊した雑誌『白樺』は、個性を鼓舞する斬新な論説で若い世代の芸術家たちを刺激しました。『白樺』創刊と同年に高村光太郎が発表した評論「緑色の太陽」は、この時代のムードを色濃く伝えます。「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている」。太陽は緑で描かれて構わない。それは個性の尊重であると同時に、(目を閉じたときに太陽が緑に映じるように)内面性の肯定、生命賛美の宣言でもありました。
 作者の恋情を託してうねる荻原守衛の彫刻、前世代を挑発する萬鉄五郎の強烈な色彩は、この時代の象徴といっていいでしょう。『白樺』は西洋近代美術を積極的に紹介し、同時代の作風の形成に直接の影響も与えました。前の部屋の穏健さから、がらりと様子が変わっていることがわかると思います。風景を刻み込むセザンヌの視点が、燃え立つようなゴッホのタッチが、筋肉の緊張を伝えるロダンの手法が、各作品に流れ込んでいるのが見て取れます。

 

4室 「 生」を刻む― 近代日本の木版画から

山本鼎《ブルトンヌ》1920年

 明治末から大正期にかけて、西洋の新しい美術思潮の移入に刺激され、近代的な自我意識や芸術の独創性への意識が高まりをみせるなかで、単なる複製技術ではない、芸術としての「版画」を立ち上げようとする機運が高まりを見せました。印刷技術の発達や浮世絵版画の分業体制への反発も背景にもちながら、絵を描くところから刷るところまで、一貫して画家が制作に携わる創作版画が提唱され、1918(大正7)年には日本創作版画協会が結成されましたが、木の板に直に彫る木版画はその中心的な役割を担います。そこには「民藝」が重きをおいた手仕事に通じる精神も見ることができるでしょう。民藝運動に関わりの深い棟方志功も木版画家でした。画家の内面や感情と直接的に結びついた表現から、次第に単純な形態、黒白の対比、力強い線といった木版表現の特質の追究も加わり、個性豊かな多様な作品が制作されました。

5室 パリの空の下

アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》1905-06年

 ユベール・ジロー作曲の有名なシャンソンでは「パリの空の下、歌が流れ、恋人たちが歩く」といいますが、アンリ・ルソーによればパリの空には芸術家たちを導く自由の女神がいるようです。女神のラッパに従って、芸術家たちは作品を片手に展覧会場に集まっていきます。審査を受けずに発表できる展覧会、それはすなわち、芸術家ひとりひとりの個性の尊重を意味します。そうした思想は明治時代末以降の日本の芸術家たちにも大きな影響を与えました。芸術の都にあこがれ、パリをめざした日本人芸術家は、とりわけ二つの世界大戦の間におびただしい数にのぼります。彼らはさまざまな視点からパリを描きましたが、当館のコレクションをあらためて眺め渡してみると、いわゆる観光名所のような華やかな景色よりも、裏道や、場末のカフェや、労働者といった、どちらかというと目立たない存在に光を当てるものが多いようです。それらは異邦人としてパリに身を置いた者にとって共感できるモチーフだったのかもしれません。

3F

6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋(ソル・ルウィット《ウォールドローイング#769》

 

6室 激動の時代を生きる

靉光《自画像》1944年

 この部屋には、日中戦争の始まった1937(昭和12)年から、戦後の1949年までの、さまざまな人間像を集めました。靉光の《眼のある風景》は人間像とはいえないかもしれませんが、しかしここに描かれている眼は印象的です。これはいったい誰の眼で、何を見つめているのか、しばし考えながらこの部屋をめぐっていると、麻生三郎の《自画像》の、切迫したまなざしにも似ていることに気づかされます。だとするとやはり、《眼のある風景》に描かれている眼は、靉光自身の眼なのでしょうか。しかしながら彼が戦争へ行く直前に描いた《自画像》では、その眼は全く異なる印象を私たちに与えます。
 画家たちはまた、この激動の時代に、身近な人の存在のかけがえなさをキャンバスに刻み付けたようにも思われます。前述の麻生は、妻や幼い娘を繰り返し描きました。脇田和の《画室の子供》に描かれているのは、彼の二人の息子です。
 彼はこの直後に陸軍の委嘱でフィリピンに渡る予定でした。彼は何を思いながらこの絵を描いたのでしょうか。

7室 純粋美術と宣伝美術 その1

山城隆一《日本宣伝美術会展》1952年

 日本初のグラフィックデザイナーの職能団体である日本宣伝美術会(日宣美)が設立したのは1951(昭和26)年でした。設立当時に会のメンバーが記した文章を読むと、デザインという言葉は見当たらず、宣伝美術という言葉が用いられています。また、宣伝美術が一つの分野として独立性を持たないことに対して不満を抱えている一方で、芸術性や作家性を重んじたいという思いがあったことを感じ取ることができます。
 日宣美のなかには、美術同人として活動している者もいました。例えば、瑛九が中心となって活動したデモクラート美術家協会には、早川良雄や山城隆一が参加していました。造形の類似性も指摘できます。シュルレアリスムの絵画でよく用いられる白昼夢の風景や擬人化といった手法は、宣伝ポスターでも見ることができます。ヤマハのピアノや三協のカメラのデザインをした山口正城は、抽象画家としても作品を発表しています。美術とデザインの間に今ほどはっきりと境界線が存在していなかったことが分かります。

8室 純粋美術と宣伝美術 その2

山口勝弘・大辻清司《『APN』ポートフォリオより(2)》1953-54年

 あるものの要素や性質を抽出してそれに形を与える、いわゆる抽象化という過程が美術やデザインには存在します。美術家やデザイナーは、表現における抽象度の度合いを巧みに操ることで作品を介して鑑賞者とのコミュニケーションを図ります。例えば、宣伝ポスターでは適度に抽象化された表現を用いた方が情報の伝達が早い場合があります。絵画や彫刻において、感覚的な「イメージ」を伝えるには、写実的な表現を避けた方がいい場合があります。
 1950年代、60年代の抽象表現でよく用いられていたのは、おおらかな曲線のフォルムです。有機的で、なんとなく生き物を思わせる形象はビオモルフィックといわれ、家具の造形においてもその影響が見られました。
 菅井汲や小磯良平、北代省三が制作した絵画や彫刻作品と、彼らがデザインしたポスターとの比較もお楽しみください。小磯は新制作協会、北代は実験工房というグループに属していたので、その仲間の作品も一緒に展示しています。

9室 石元泰博:落ち葉・ あき缶・雲・雪のあしあと

石元泰博《落ち葉》1986-93年
©高知県, 石元泰博フォトセンター

 生誕100年を記念して、石元泰博が1980年代後半から90年代半ばにかけてとりくんだ、「うつろいゆくもの」をめぐる四つのシリーズを特集します。
 雨に打たれて朽ちていく路上の落ち葉をとらえた〈落ち葉〉に始まる四つのシリーズのうち、〈雲〉と〈雪のあしあと〉が発表された個展のリーフレットには、『方丈記』の一節が引かれていました。
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある人と栖と、またかくのごとし」
 一連の作品は、時の流れという主題をめぐるものであり、のちに他のいくつかのシリーズを加えて『刻−moment』(2004年刊)という写真集にまとめられます。
 アメリカ、シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称ニューバウハウス)に学んだ生粋のモダニストとして知られた石元ですが、この一連の仕事を通じて見出したのは、螺旋形を描いて流れる日本的な時間感覚であり、また自らの中にも、そうした日本的な感性が強く息づいていることだったといいます。

10室 音はみえるか、きこえるか(前期:10月5日―12月5日)

中村大三郎《三井寺》1939年
(展示期間:10月5日―12月5日)

 絵を見る時の私たちの意識は、色や形、構図など、目を通して得られる情報に頼っています。だからと言って、視覚芸術は音と無縁だったわけではありません。むしろ、音という見えないものをどのように表現するかということは、古くから多くの画家たちにとって重要なテーマでした。
 ワシリー・カンディンスキーやハンス・リヒターは、音の組合せだけで旋律やリズムが成り立つ音楽の構造を絵画に取り入れました。何かを表すための色彩や形態ではなく、キャンバスの上で色彩と形態それ自体が純粋に響きあう、新しい表現を生み出そうとしたのです。
 奥の部屋では、日本画と版画を中心に、音が聞こえてきそうな作品をご紹介します。音楽を主題にしたものだけでなく、日常の生活の中で自然に生じる音や、生き物たちのざわめきまで、見えないものをどうやって表すかは作者の腕の見せどころ。耳を傾けると、静かな展示室からさまざまな音がしてきませんか?目と耳をリラックスさせて、あなただけに聞こえる音を楽しんでみてください。

10室 機械メカの美(後期:12月7日―2022年2月13日)

太田聴雨《星をみる女性》1936年
(展示期間:12月7日―2022年2月13日)

 近代化が進展した1920–30年代は、都市文化の繁栄とともに、機械ならではの美しさに対する意識が新たに芽ばえた時代といえます。あたかも機械の部品のように、人体を各パーツへと解体し、幾何学的な形態と組み合わせて再構成した萬鉄五郎の《もたれて立つ人》。パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックがフランスで創始したキュビスムの影響を受けていることは明らかですが、人間と機械を等価なものとするまなざしを見てとることもできます。
 一方、同時代の日本画はどうでしょう。望遠鏡やカメラは新しい時代の到来を象徴するモチーフとして描かれ、金属の硬さや重量感が、女性の若々しい透き通るような肌やしなやかさと引き立てあう効果を生んでいます。戦後になると、パンリアル美術協会の三上誠や星野眞吾らは「写実的」という意味のリアルではなく、「現実社会」という意味のリアルと向き合うための日本画を追求しました。
 彼らの作品には、生命感の希薄な動植物あるいは意思を持った機械のようなモチーフなど、生命と機械が融合した心象世界が広がっています。

2F

11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで

 *ギャラリー4(13室)

※今期のギャラリー4は「民藝の100年」の展示会場になります。

 

 

11室 協働する

田中功起《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》「手話とバリアフリー字幕版」(2013/2021年)より

 近年、美術館での映像展示の機会は増えていますが、バリアフリー字幕や手話映像が付いているものは少なく、ろう者、中途失聴者、難聴者にとっては、美術館での映像作品鑑賞に高いハードルがあります。2020年度、東京国立近代美術館は、幅広い鑑賞の機会をつくるため、アーティストの田中功起氏の全面的な協力のもと、所蔵作品である《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》(2013年)の「手話とバリアフリー字幕版」を制作しました。この作品は、出自や境遇、性別、考え方の異なる人々の「協働」をテーマとしています。今回制作した「手話とバリアフリー字幕版」も、アーティスト、ろう者、美術館スタッフ等、様々な立場の人々が一つの作品を制作する「協働」でした。複数人で目的を共有することは時に困難を伴いますが、そのプロセスは立場の異なる他者を理解することへの始まりでもあります。
 この部屋では、この新たな鑑賞機会の試みとともに、「協働」にまつわる作品を合わせてご紹介します。

12室 近代の領分テリトリー

辰野登恵子《Work 84-P-1》1984年

 この部屋では、(1点の例外をのぞいて)1960–80年代末の作品を紹介します。
 東京国立近代美術館(1952年開館)の「近代」とは、「modern[モダン]」など西欧言語の訳語で、近代の、現代の、近頃の、いま風の、と時に応じてさまざまな訳が当てられてきました。70–80年代、日本では美術館の建設ラッシュが起き、「近代」を冠した美術館が各地に開館します。そしてこの建設ラッシュと近代という名づけ(のブーム?)は、80年代末頃に終息していきます。これにはバブル崩壊や、80年代に盛んに語られたポストモダン(モダン以後)という動向も関係しているでしょう。
 「近代はすでに終わってる?」、「近代と現代の区分は?」、「いや、名前の問題じゃないのでは?」…、 同時代の美術を90年以降も扱い続ける「近代美術館」には、なかなか大問題です。以上のような関心から、今回の展示の結びを「近代」にとってひとつの転換点である80年代末の美術としました(みなさまとこの問題を少し共有してみたいという希望を込めつつ)。

小特集:純粋美術と宣伝美術(3F、7室8室)について

山城隆一《宣伝美術会展》1952年

山口勝弘・大辻清司《「APN」ポートフォリオより(2)》1953年-54年

石元泰博『工芸ニュース』
Vol. 23-7、1955 年 7 月号表紙
© 高知県, 石元泰博フォトセンター

展示を読み解くキーワード

展示を読み解くうえで、知っておくと理解や鑑賞がぐっと深まるキーワードを解説付きで紹介します。

展示を見る前の予習にもおすすめです。

スマートフォン用PDFはこちら

 

キーワード一覧

 ※タイトルをクリックすると該当箇所にとびます。

1.純粋美術

2.宣伝美術

3.日本宣伝美術会

4.シュルレアリスム

5.コラージュ

6.デモクラート美術家協会

7.実験工房

8.新制作協会

9.工芸ニュース

10.商工省工芸指導所

 

・展示に関連する順番に記載しています。

・引用文に用いられている旧字体は新字体に変換しています。送り仮名等は原文のままです。


 

1.純粋美術

 現代では聞き慣れない言葉ですが、本小特集が焦点をあてている1950〜60年代頃は絵画や彫刻のように、芸術的価値の追求、鑑賞を目的とした美術を純粋美術と呼ぶことがありました。便宜上の単なる区分と理解できますが、単に美術と言わず、「純粋」をつけることで非純粋な美術も存在することをうかがわせています。ちなみに純粋美術と対になるのは非純粋美術ではなく、応用美術です。応用美術は美術的表現に加え、生活や宣伝といった機能や実用性を持つものを指します。例えば、インテリアの装飾、家具や食器、ポスターやチラシなど商業を目的とした印刷物などが含まれます。

2.宣伝美術

 応用美術のひとつである商業美術に属します。商業美術は商業を目的とした制作物を指しますが、特にディスプレイやチラシ・ポスターなど、何かを宣伝をするためのものを宣伝美術と呼びます。普段私たちが目にする日用品の広告を呼ぶ際にはあまり用いませんが、演劇やダンスといった公演のチラシやポスターのことを宣伝美術と呼ぶことがあります。劇場で演じられるパフォーマンスのための舞台装置や衣装を舞台美術と呼びますが、それと対になって使われている印象です。 
 1950年代初頭はこの種の仕事に従事する人たちの呼称として、宣伝美術家以外に図案家、商業美術家などが用いられました。50年代後半になると徐々にグラフィックデザイナーと呼ばれることが増えてきます。

3.日本宣伝美術会

 1951年に設立したグラフィックデザイナーの職能団体です。山名文夫あやお、河野鷹思たかし、原弘、今泉武治、高橋錦吉きんきち、新井静一郎、亀倉雄策の7名が世話人となり発足しました。略称、日宣美。宣伝美術の向上と宣伝美術家の職能地位の確立と支援を目的としており、全国組織として運営されました。年に一度開催される日宣美展以外に、定期的に研究会や日本各地のメンバー交流も行われました。約20年間活動を継続しましたが、時間の経過とともにグラフィックデザイン界における権威的な組織としての側面が際立つようになり、60年代末には美術系の学生たちが起こした反体制運動で批判の的となりました。その後、1970年に解散します。

4.シュルレアリスム

 1924年にフランスの詩人アンドレ・ブルトンが提唱したことから始まった芸術運動です。文学に加え、美術、映画など多分野で展開されました。日本語では超現実主義と訳されます。精神分析学者であるジークムント・フロイトの理論を基軸にし、芸術を通じて無意識の自由な表出を試みました。シュルレアリスムは、自動筆記やフロッタージュ、コラージュといった多様な表現技法を生み出しました。日本でも20年代後半には紹介され、その影響は波及、30年代を通して前衛美術のスタイルとして大きな潮流を生み出します。その中心にいたのが美術評論家、詩人そしてアーティストでもあった瀧口修造です。
 非現実的なものや奇抜で幻想的なものを見ると私たちは「シュール」という言葉を使いますが、シュルレアリスムから転じたカタカナ語です。

5.コラージュ

 はり絵(コラージュ)とは、写真や新聞、絵など様々な素材を切り貼りし、新しいイメージや性質を作成する技法です。素材となるものが元々持っていたイメージや性質が本来の意味から切り離され、他のものと組み合わされることで新しい意味が生み出されます。「糊付け」という意味のフランス語「coller」に由来し、シュルレアリスムの作品でよく用いられました。
 ポスター《平和祭》をデザインした今竹七郎もシュルレアリスムに注目しており、シュルレアリスムの作品に用いられる様々な技法のなかでも、特にコラージュは商業美術で効果的に作用すると言っています*。コラージュで生まれる個々の無関係な素材の組み合わせは、現実を破壊し、そこに詩的な表現を発生させますが、商業美術においては、それが伝えたい内容へと転換されるのだそう。みなさんは《平和祭》の宇宙、薔薇と原子力の組み合わせに、どんなメッセージを読み取ることができるでしょう。

*今竹七郎「どうして商業美術はシュール化したか」『広告界』1939年9月号

6.デモクラート美術家協会

 1951年に瑛九を中心として大阪で結成されたグループです。名前の頭に付く「デモクラート」とは、デモクラシー(民主主義)を意味するエスペラント語です。その名の通り、自由と独立の精神を大切にし、既存の美術団体や権威主義を否定しました。またメンバーの活動ジャンルも幅広く、芸術家の泉茂、森けい、郡司盛男らに加え、デザイナーの早川良雄、写真家の棚橋紫水しすい、河野徹らが創立メンバーとして参加。1957年の解散まで、展覧会の開催や機関誌の発行などを行いました。
 ポスター《カロン洋裁》をデザインした早川良雄は、自著で瑛九に初めて会った時のことを回想し、「困惑にも似た戸惑い」を感じたと記しています*。その不思議な魅力と懐の深さに惹きつけられ会に参加し、解散までメンバーとして活動しましたが、その経験はとても「エキセントリック」だったと語っています。

*早川良雄「ふたりの思い出=山口正城と瑛九」『徒然感覚』、用美社、1986年

7.実験工房

 1951年に結成された芸術家たちの集まりです。美術や音楽、文学などジャンルを超えて結成されました。芸術家の山口勝弘、北代省三、駒井哲郎、福島秀子、大辻清司きよじに加え、作曲家の武満徹やピアニストの園田高弘、詩人・評論家の秋山邦晴、舞台照明家の今井直次らが参加。瀧口修造によって「実験工房」と名付けられました。
 実験工房は芸術活動だけでなく、企業と協働で行うプロジェクトにも参加しています。日本自転車工業会の海外用PR 映像を製作したり、東京通信工業(ソニーの前身)が開発した発売前のオートスライドと呼ばれる装置を用いて、抽象的な写真と音響を組み合わせた映像作品の制作をしたりしています。

8.新制作協会

 美術界での派閥争いを否定し、真摯な気持ちで芸術活動に専念することを目的とし、1936年に新制作派協会として結成されました。画家の猪熊弦一郎、小磯良平、脇田和、鈴木誠、伊勢正義らが初期の中心メンバーです。1949年には、丹下健三、谷口吉郎、吉村順三、山口文象、前川國男、池辺きよし、岡田哲郎の7名によって建築部が設けられました。1951年に日本画部が設けられ、新制作協会と改称します。
 建築部の設置の際に、丹下は、「創造的な世界では、建築、彫刻、絵画は一つである。それをModernismと呼びたいと思う」と創造活動の統一の必要性を『新建築』で論じました*。
 新制作協会で誕生した領域を超えた協力関係は、会の活動以外にも見ることができます。例えば丹下が設計した香川県庁舎の東館1階にある壁画は猪熊によるものですし、当館から徒歩圏内にある帝国劇場は谷口による設計で、ロビーには猪熊の絵のステンドグラスが使われています。ちなみに当館の建物も谷口の設計です。

*丹下健三「建築・彫刻・絵画の統一について」『新建築』24巻11号、1949年11月号

9.工芸ニュース

 1932年に商工省工芸指導所の編集により創刊された研究機関誌です。工芸指導所での試験・研究発表の他、国内外の工芸・デザイン関連のニュースを詳細に伝える貴重な情報源の一つで、1974年まで刊行されました。
 キャプションに表記されている巻・号情報は、正式な書誌情報に基づいていますが、表紙の表記と一致しないのでご注意ください。今だったらあり得ない誤植(あるいは単にルールがなかったのか?)ですが、ともかくおおらかな時代だったことが分かります。

10.商工省工芸指導所

 国内の工芸の近代化、産業化と東北地方の工芸業界の発展を目的とした国立の研究・指導機関で、1928年に仙台市に設立されました。素材や技術の研究や情報交換、海外との交流の中継等、日本におけるものづくりの発展に寄与しました。剣持勇、秋岡芳夫、豊口克平といった、日本のデザイン史を彩る面々が所員として所属していました。1952年に、工芸指導所は産業工芸試験所と改称し、インダストリアルデザインの指導・研究が主な業務となります。
 1950年に工芸指導所を訪れた彫刻家イサム・ノグチは、剣持勇の協力を得て、一時的に指導所内にアトリエを構えました。当時関わっていた慶應義塾大学の新萬來舎のための家具や彫刻作品の制作にあたるためです。その後、アメリカに帰国したノグチが仲介となって、イームズ夫妻がデザインしたアームチェアが剣持と柳宗理のもとに届けられます。この逸話も含め、工芸ニュースにはイームズに関する記事が多数掲載されています。

 

文:野見山桜(本小特集企画者|東京国立近代美術館工芸課 客員研究員)

 

岡上淑子《室内》1951 年
©OKANOUE Toshiko

チャールズ&レイ・イームズ
《合板ラウンジチェア》1946 年
©Courtesy of EAMES OFFICE, LLC

北代省三《ギーゼキング演奏会》1953年

特別インタビュー

小特集「純粋美術と宣伝美術」では1950年代に制作されたポスターを取り上げています。それに関連して、その当時まさに駆け出しのグラフィックデザイナーだった永井一正さんに展示の企画者がお話をうかがいました。どんな時代だったのでしょうか、そして今回の小特集のテーマになっているデザインと美術の関係性をどのように見ていたのでしょうか。その模様を一部こちらでご紹介します。

全編は2022年春に発行予定の東京国立近代美術館研究紀要に掲載予定です。

 

特別インタビュー

 永井一正     (11月公開予定)

イベント

オンライン・キュレータートーク公開中

新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止の観点から、当面の間、すべての講演会などのプログラムを中止しております。

代わりに、YouTube公式チャンネルにて、「オンライン・キュレータートーク」を配信しております。所蔵作品を約3分ほどの短い動画でご紹介しておりますので、こちらからご覧ください。

 

会場:
東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F-2F)
会期:
2021年10月5日(火)-2022年2月13日(日)
開館時間:
10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで
休室日:
月曜日[2022 年1 月10 日は開館]、年末年始[12 月27 日(月)ー 2022 年1 月1 日(土)]、1 月11 日(火)
 →月間カレンダーもご参照ください。 
チケット:
会場では当日券を販売しています。
会場の混雑状況によって、当日券ご購入の列にお並びいただいたり、入場をお待ちいただく場合がありますので、オンラインでの事前のご予約・ご購入をお薦めいたします。

新型コロナウイルス感染症予防対策のため、 ご来館日時を予約する日時指定制を導入いたしました。
こちらから来館日時をご予約いただけます。

※観覧無料についても、上記より来館日時をご予約いただけます。
※お電話でのご予約はお受けしておりません。

観覧料:
一般 500円 (400円)
大学生 250円 (200円)
※( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
5時から割引(金曜・土曜):
一般 300円 
大学生150円
※高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
「友の会MOMATサポーターズ」「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。

「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ)

・作品リスト(PDF)

・プレスリリース

主催:
東京国立近代美術館

所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内

9室「写真・映像」

9室「写真・映像」*

10室 「日本画」*

「眺めのよい部屋」*

「眺めのよい部屋」*

 「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる13,000点(うち重要文化財15点、寄託作品2点を含む)を超える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。最近は工芸館で管理する工芸作品も登場させるようになっています。
ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋からなるスペースに生まれ変わりました。その1室から12室までを番号順にすすむと、1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのうちのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。
「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。


展示替えについて

年間数回大きく作品を入れ替えています(会期によっては、さらに日本画を中心とした一部展示替があります)。

このページ内の会場風景はすべて撮影時のものであり、現在の展示と同じとは限りません。
*印:いずれもphoto: 木奥恵三

 

所蔵品ギャラリーについて

 「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。

所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。

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