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現代の眼 アートライブラリ 連載企画 「研究員の本棚#1|写真室の仕事/年表で見る写真関係資料」

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このコーナーは、アートライブラリの担当者である東京国立近代美術館研究員の長名大地が聞き手となり、館内の研究員に、それぞれの専門領域に関する資料を紹介いただきながら、普段のお仕事など、あれこれ伺っていくインタビュー企画です。第1回目は、美術課写真室の増田玲主任研究員にお話を伺います。

聞き手・構成:
長名大地(東京国立近代美術館研究員)

2021年5月18日(火)
東京国立近代美術館アートライブラリ

研究員プロフィール
増田玲(ますだ・れい):東京国立近代美術館主任研究員。1968年神戸市生まれ。筑波大学大学院地域研究研究科修了。専門は写真史。92年より東京国立近代美術館に勤務。95年に発足した当館写真部門の開設準備からたずさわり、以来、写真コレクションや写真展の企画などを担当してきた。

東近美の写真コレクション

長名:写真の研究を志すことになったきっかけを教えてください。

増田:80年代の後半に学生だったのですが、1989年がちょうど写真が発明されて150周年ということで、当時いろんな雑誌が写真の特集をしたり、写真に関する展覧会が開かれたりしていました。それがきっかけといえばきっかけだったと思います。別に写真少年だったわけではないんです。でもたまたま僕の指導教官の一人、嶋田厚先生1 は、写真が専門というわけではないのですが、写真評論家の飯沢耕太郎さん2 が大学院で写真研究をするために師事した人だったので、写真史研究というものがなんとなく身近に感じられましたし、附属図書館の資料が充実していたのも大きかったように思います。筑波大学には体育・芸術図書館というのがあって、僕は芸術のコースの学生ではなかったのですが、よく利用していました。大学図書館としては珍しく開架式なので、よく知らないままに書架の間をふらふらしながら海外の写真集や文献を手に取ることができました。後から考えると重要なものが揃っていたのですが、それは芸術学系の教授として大辻清司先生3 がいらしたからだったのではないかと思います。そうこうしている間に、こうなったという感じです。

長名:学生時代の研究対象は何だったのでしょうか?

増田:修士課程の時は、ウォーカー・エヴァンズ(Walker Evans, 1903-75)の研究をしていました。エヴァンズについては修論を出した頃に比べると、現在はアメリカでもかなり研究が進んだので、今となっては専門というより、ただエヴァンズの写真集をたくさん持っている人になっています。美術館に入ってからは、主に日本の戦後の写真について研究しています。

長名:写真室では、普段どのようなお仕事をされているのでしょうか?

増田:写真コレクションの担当として、作品の収集・保存・展示に関わるさまざまな仕事をしています。

長名:写真コレクションの収集はどのようにして行われていますか?

増田:購入、寄贈それぞれいろんな場合があります。展覧会の出品作から収蔵したり、それとは別に収集方針に照らしてこのシリーズをぜひ収蔵したいという時は、ギャラリーや写真家の方とお話したりすることもありますし、コレクターから寄贈のオファーをいただくこともあります。

長名:写真部門が設立されたのは1995年ですが、増田さんはそこから担当されていますでしょうか?

増田:はい。

長名:設立以降、写真コレクションを形成する上で意識されていたことなど伺えますか?

増田:東近美の写真部門は、1995年にフィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)を拠点に活動を始めたのですが、他の美術館に比べると後発なんです4。80年代後半には、川崎市市民ミュージアムや、横浜美術館、東京都写真美術館で写真の収蔵が始まっています。そのため、他の美術館が取り組んでいないところを意識していました。写真美術館が網羅的な収集をしていたため、小規模なわれわれが同じことをやってもしょうがないと。フィルムセンター内の展示室は約350m²と比較的小さかったので、大規模な展覧会をしたくても、できなかった。そこで、今活動している人に焦点を当てて、そこからコレクションを形成していく方針を立てました。写真美術館も当時はまだ現存作家の個展形式の展示はほとんどしていなかったんです。そうした経緯から「石元泰博展:現在の記憶」、「東松照明写真展:インターフェイス」、「大辻清司写真実験室」、「石内都:モノクローム—時の器」といった個展が続いていったんです。とくに大辻展は、大辻清司の最初の本格的な回顧展だったのですが、出品作のほぼ全体を収蔵することができました。また、一人の写真家のコレクションという意味では、奈良原一高も充実しています。奈良原さんは、欧米の写真家のように、表現的な面だけでなく保存性も考慮したクオリティの高いプリントを作るという考え方を日本でいち早く実践した写真家です。2005年に病気で倒れて活動を休止されたのですが、その時点で、それまで撮影した作品について、基準となるプリントをひととおりお手元に保管されていました。それらが散逸しないよう、しかるべき施設で保管して欲しいというご意向から当館に打診があったのです。そこで購入や寄贈により少しずつ収蔵を進めることになり、10年ほどかけて奈良原さんの代表作の大半を収蔵することができました。その中で展覧会も開催した「王国」というシリーズは、ニコンが作品一式を購入し、それを当館にご寄贈いただいたものです。

長名:なるほど、さまざまな経緯でコレクションが形成されてきたのですね。

コレクションと時代の変遷

長名:ライブラリには、「空蓮房くうれんぼうコレクション(写真関係資料)旧蔵書」5 という写真資料の一大コレクションがありますが、写真作品の寄贈に伴って、資料も寄贈されたと伺っております。

増田:「空蓮房コレクション」は谷口昌良あきよしさんからご寄贈いただいたもので、全体として60作家110点の海外作品からなるものです。谷口さんは蔵前の長応院というお寺のご住職で、若い頃、アメリカでレオ・ルビンファイン(Leo Rubinfien, 1953-)に師事して、写真の勉強をされていた方です。お寺を継がれてからは、国内外の写真家のプリントや写真集の収集を続けてこられました。空蓮坊とは谷口さんがお寺の中に設立された小さなスペースで、写真を中心に展示などの活動をされています。将来的にご自身のコレクションをしかるべき施設へ寄贈しようと考えていらしたのが、東日本大震災をきっかけにその意向を早め、「レオ・ルビンファイン:傷ついた街」展を開催したというご縁もあり、当館にご寄贈いただくことになったんです。その際、谷口さんは、日本の写真家に関するものはサンフランシスコ近代美術館、海外の写真家に関するものは当館にというかたちで2つの美術館に寄贈をしています。

長名:収蔵対象はプリントになりますか?

増田:はい、ネガなどのフィルムは集めていません。版画の収集をする際に、版木を集めないのと同様です。写真家が作品として位置づけたプリントを収蔵しています。

長名:写真集というのは、絵画の画集とも違って、コンセプトのようなものが含まれていて、作品のようなものにも思えるのですが、写真集とプリントの関係についてどのようにとらえたらよいでしょうか?

増田:たしかに、写真家によっては写真集が最終的な発表形態と位置づけている人もいます。美術館としては、プリントと写真集、そのどちらを作品とみなすのかをあらかじめ決めるということではなく、まずはその写真家がどうしたいのか、最終的な表現として定めたものが何かを考えなくてはならないと思います。またこの議論は、複製技術である写真において「本物オリジナル」とは何かという問題にもつながります。さらには美術館の中に組み込まれている写真というメディア自体が、つねに「作者とは?」「作品とは?」といったモダンアートが向かいあってきた根本的な問いを投げかけている存在であるとも言えます。

長名:以前、平成の時代にフィルムからデジタルに切り替わったと聞いたことがあります。このあたりの変化はコレクション形成にどのような影響があるのでしょうか?

増田:個別の写真家や作品がデジタル技術を使っているかどうか、あまりそのこと自体は意識してはいません。以前、1995年の阪神淡路大震災の時に出たグラフ雑誌の特集号と、2011年の東日本大震災の際のものとを見比べたことがあります。それぞれフィルムの時代とデジタルの時代にあたりますが、画質の違いに驚きました。フィルムで撮られた阪神淡路に比べると、デジタルカメラで撮影された東日本大震災の写真はずっと鮮明です。また、東日本大震災は、携帯電話やスマートフォンで個人が撮影した大量の画像によって記録された災害でもありました。つまり写真や映像をめぐる環境が大きく変わった。個別の作品より、まずは写真や映像をめぐるこうした状況の変化を考えることが重要だと思います。そうした中で、私たちの写真や映像をめぐる経験がどのように変化し、それが写真家の作品にどのように反映されているのか、それとも変わらないものがあるのか、そういう順番だと。一方で実際にデジタルメディアによって作られた新たなタイプの作品をコレクションとして収蔵しようとする際には、とりわけ保存という面で、美術館という器が対応できるのかという問題も考える必要があります。

左 飯沢耕太郎『戦後写真史ノート:写真は何を表現してきたか』(中央公論社、1993年)
右 桑原甲子雄、重森弘淹編『日本写真全集 第12巻 ニューウェーブ』(小学館、1988年)

年表を見よう

長名:写真部門にとっての最初の展覧会について伺えますか?

増田:「東京国立近代美術館と写真 1953–1995」(1995年5月23日–7月29日、東京国立近代美術館フィルムセンター展示室)ですね。東近美では1952年の開館当初から、写真関係の展示(1953年の「現代写真展:日本とアメリカ」や1960年から3度にわたって年次展として開催された「現代写真展」など)を行っていて、その多くは外部の識者が同時代の秀作を選んで構成する形式の展覧会でした。当時は館内に写真の専門家はいませんでしたので。「東京国立近代美術館と写真 1953–1995」はそうした当館と写真の関わりを振り返るとともに、それらの過去の展覧会をつなげて見ることで、戦後の写真史をたどることができるのではないかという視点で構成したものです。この展覧会を準備した頃、戦後日本の写真史をカバーした概説書は少なく、頼りにしたのが飯沢さんの『戦後写真史ノート:写真は何を表現してきたか』(中央公論社、1993年)でした。新書でコンパクトな本ですが戦後の写真史を一つの流れとして理解するのに役立ちました。またそれ以前、美術館に入った頃から今日まで、いつも手元において何かというと参照しているのが、『日本写真全集 第12巻 ニューウェーブ』(小学館、1988年)に収載されている年表です。

長名:(本を開いて)すごい詳細な年表ですね。本の半分が年表と言ってもいいくらいの厚み。

増田:他にも日本の写真史年表としては、岸哲男の『戦後写真史 解説・年表』(ダヴィッド社、1974年)や、日本写真協会が編纂した『日本写真史年表』(講談社、1976年)、岩波の「日本の写真家」シリーズ別巻の『日本写真史概説』(岩波書店、1999年)収載の年表などがあります。流れをつかんだ上でこうした年表で個々の事項を確認すると、横のつながりみたいなものが見えて視野が広がります。

長名:年表を見ることで、写真史にとって重要な年代が見えてきますね。

増田:そう、たとえば1968年は日本の写真史にとって重要な年です。この年に開かれた「写真100年:日本人による写真表現の歴史展」(1968年6月1日–12日、池袋西武百貨店)は、幕末から現代に至る写真の100年を振り返った展示でした。この展覧会のために、全国で作品や資料が実地調査され、それによってそれまで看過されていた写真の保存や収集といった問題が浮上しました。この展覧会を主催した日本写真家協会は、その後、写真美術館設立運動を展開し、国へも働きかけていくことになります。

長名:それが1995年の当館の写真部門設立につながるわけですね。

増田:かなり時間がかかったわけです。1968年に話を戻すと、この年には森山大道の『にっぽん劇場写真帖』(室町書房、1968年)も出ていますし、『Provoke』(1–3号、プロヴォーク社、1968–69年)も創刊されています。これらはすべてつながっていて、『Provoke』の中心だった多木浩二と中平卓馬は「写真100年」展の編纂にも参加していて、写真史をたどる作業で得た問題意識が『Provoke』へと直結しています。そこに後から森山も参加します。

長名:『Provoke』にはそうした問題意識が通じているんですね。

増田:はい、彼らの関心や問題意識は「写真100年」展をもとに編纂された『日本写真史:1840–1945』(平凡社、1971年)にも色濃く反映されています。大雑把に言えば幕末以降の日本の近代を批判的にとらえ直し、その中で写真というメディアや写真家が果たしてきた役割を再考するというものです。だから100年の歴史をたどったことで得た問題意識が、あらためて写真や写真家の立場や役割を問い直させ、その後の写真表現にとってエポックメーキングなものとなる新たなムーブメントへつながったことになります。と同時に、先ほど触れたように、歴史を残す、具体的には作品や資料を保存しなければならないという意識も生まれました。

長名:ということは、1968年以前は、写真界全体でプリント等を残すという意識が希薄だったということになりますでしょうか。実際、プリントはあまり残っていないということでしょうか?

増田:日本ではその後もしばらく、写真展では写真をパネル貼りにして展示するのが通例でした。これは保存性もよくないし、かさばるので会期が終われば廃棄されたりしていたのです。当館での展示も同様でした。ですが、美術館という場所は、なんでも捨てずにとっておく場所なんですね(笑)。組織の中に写真の担当部署はなかったのですが、東近美で開催していた写真展関係のパネル類はかなり残されていた。「東京国立近代美術館と写真 1953–1995」展では、それらを発掘して、一部はそのまま展示しました。

「東京国立近代美術館と写真1953-1995」(1995年5月23日–7月29日、東京国立近代美術館フィルムセンター展示室)の会場写真(撮影者:坂本明美)当館アートライブラリ所蔵

年表を掘り下げる

長名:他にも重要な年はありますか?

増田:(年表を比較しながら)1974年も注目すべき年だと思います。ニューヨーク近代美術館(以下、MoMA)で「New Japanese Photography」展(1974年3月27日–5月19日)が開かれています。また、WORKSHOP写真学校6 もこの年に開校。東近美では「15人の写真家」展を開催しています。木村伊兵衛が亡くなった年でもあります。これらは現在では、いずれもその後の写真史の展開をあとづける上で重要な事項だと考えられていますが、先ほど紹介した年表のうち、日本写真協会が編纂した『日本写真史年表』には、MoMAの展覧会は載っていません。国内のできごとに限定したということだと思うのですが、74年だけで5ページ以上あるようなとても詳細な年表で、これが抜けているのは、今見るとやはり奇妙です。年表は一見ニュートラルなようですが、当然、編纂の方針や編者の歴史観などによって偏りが出ます。こんなふうに複数の年表を比較することで、よりその時代が立体的に見えてきたりします。

長名:年表を見ると1974年には坂本万七さん7 も亡くなっています。東近美の過去の会場写真等の撮影者としてお名前をよく見かけます。

増田:坂本万七さんとはもちろんお会いしたことはありませんが、後を継がれた御子息の坂本明美あきよしさんとは一緒にお仕事をしたことがありますよ。明美さんは戦中に千葉に疎開してから高校まで千葉で育ったそうで、高校時代野球部で、長嶋茂雄にホームランだか、三塁打だかを打たれたと聞いたことがあります(笑)。

長名:それは一生自慢できますね(笑)。

増田:坂本万七は元々、武者小路実篤の「新しき村」と関わりがあった人で、その後上京し写真技術を習得します。1930年代には柳宗悦の沖縄調査やその他の民藝関連の撮影にたずさわるなど文化財関係の写真を手がけるようになり、40年代には国際文化振興会(現・国際交流基金)、戦後には美術研究所(現・東京文化財研究所)の嘱託を務めています。そうした背景から東近美の仕事もされるようになったのだと思います。

日本写真協会編『日本写真史年表:1778–1975.9』講談社、1976年

長名:そのような経緯があったのですね。素人質問で恐縮なのですが、写真家として名のあるいわゆる写真家の方と、そうした文化財の記録者としての写真家の方との違いというのはどこにあるのでしょうか?

増田:ケースバイケースですね。たとえば、ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget, 1857-1927)のパリの写真も元々作品として撮影していたわけではありません。でも現在では近代写真のパイオニア的な仕事と評価されています。写真は社会に共有されることで、さまざまな解釈に開かれていきます。その結果、本人の意思に関わりなく、重要な視覚表現として位置づけられてしまうこともあります。そうした社会に共有される視覚経験という写真メディアの特性を踏まえて、あえて記録写真やポストカードなど、社会に流通している実用的な写真の撮り方を引用したのが、ウォーカー・エヴァンズでした。そうすることで個人のクリエイションを超えて、広く同時代に共有される視覚経験とか記憶、意識といったものを取り込もうとしたわけです。エヴァンズはMoMAの初期の活動に関わりが深くて、開館10年目の1938年には写真家としては初となる個展が開催されていますが、それ以前にもエヴァンズの撮影した写真による建築の展覧会があったり、アフリカの民族彫刻の展覧会のための大量の撮影を彼に依頼たりしています。つまり初期のMoMAがモダンアートの美術館というコンセプトを確立していく過程で、エヴァンズの写真はいろんなかたちで関わっていたというように見ることができるわけです。

長名:なるほど。

増田:坂本万七と東近美にも同じような面があって、当館の最初の写真展には、坂本が『日本の彫刻』(今泉篤男等編、美術出版社、1951-1952年)という美術出版社の全集のために撮影した埴輪の写真が出品されています。このシリーズは時代ごとに6分冊になった各巻を一人の写真家が担当し、その時代の彫刻作品を紹介するもので、坂本は「上古代」の巻を担当しています。その一部を展覧会に作家として出品する一方で、さっき長名さんも触れていたとおり、坂本は会場記録や作品の複写など、美術館の機能を支えるための仕事も担当していました。他にも民藝との関わりで言えば、坂本万七の写真は、柳宗悦の思想を視覚化させる役割を担ったとも言えます。だから一口に記録と言っても、実は革新的な仕事だったりするわけです。

見取り図としての年表

東京国立近代美術館編『事物:一九七〇年代の日本の写真と美術を考えるキーワード』東京国立近代美術館、2015年

増田:これは2015年にギャラリー4で開催したコレクションによる小企画「「事物」—1970年代の日本の写真と美術を考えるキーワード」(2015年5月26日-9月13日、東京国立近代美術館ギャラリー4)のリーフレットなんですが、70年代前後の日本の写真と美術の関わりについて、当時よく使われた「事物」という言葉をキーワードに、1968年から77年までの関連事項を拾っていった年表を、テキストの代わりに掲載しています。当初、70年代の中平卓馬の周辺の状況、たとえば「もの派」との関わりなどを「事物」を手がかりに整理するつもりだったのですが、当時の中平は赤瀬川原平とも交流がありました。赤瀬川は80年代には「超芸術トマソン」をめぐる仕事を展開していくわけですが、ふと気になって確認すると、のちに「トマソン第1号物件」として知られる「四谷階段」が発見されたのは1972年でした。それだと展覧会の射程に入ってきます。そこで年表に事項として掲載し、1985年に刊行された『超芸術トマソン』(白夜書房、1985年)の単行本を展示しました。

長名:普段は歴史を俯瞰するために用いられる年表が、ここでは展示の見取り図になっているんですね。

増田:そうです。「Provoke」と「トマソン」が思っていたより近かったというのは発見でした。

長名:以前、私が働いていた国立新美術館で、もの派の拠点でもあった田村画廊、真木画廊を含む山岸信郎さん8 の旧蔵資料の整理にたずさわったことがあります。その中には、画廊での記録が写真として多数残っていました。もの派の展示だと、恒久的に残らないため、写真でしかたどれないところがあります。そういう場合、作品の写真なのか、写真の作品なのか、もちろん、安齊重男さん9 が撮影したものは、安齊さんの写真だとは思うのですが、そのあたりの作品と資料、あるいは、記録の線引きはどう考えたらいいのかなと思ったことがあります。

増田:そういうことで言うと当館は従来ちょっと保守的なところがあって、コレクションという面では絵画や彫刻がメインで、そうした恒久的に残らない仕事やジャンルに収まらない作品には手を着けかねているようなところがあったと思います。映像作品も皆無ではなかったのですが、「ヴィデオを待ちながら」(2009年3月31日-6月7日、東京国立近代美術館企画展ギャラリー)以降に、歴史的な展開も踏まえた収蔵にとりかかった。赤瀬川さんの資料が入ったのも、最近のことですよね。以前、長名さんも展示に関わっていた「美術と印刷物」展10(2014年6月7日-11月3日、東京国立近代美術館ギャラリー4)のように、これまで美術館のコレクションの視野の外にあったものを取り上げる機会があって、そこでの検証を受けてどう収蔵するかという議論になっていく。そういう過程がまず必要になると思います。

長名:なるほど、そういう意味では、資料部門は、作品かどうか曖昧なものの受け皿になれる部分があると言えるかもしれませんね。そうした曖昧な位置づけのものを積極的に収集していくということも重要な視点のように思えてきます。

写真研究とアートライブラリ

長名 これから写真史を研究しようと思っている方にお勧めの資料の見方などありますでしょうか?

増田 (『戦後写真史ノート』や『日本写真史』などを手に取りながら)以前よりも写真の概説書は充実していて、どれもしっかりした内容になっていると思います。そうした文献で一つの流れをつかんで、その後、関心のある作品なり写真集なりの実物に当たる、あるいはその逆で作品から流れへというのが通例だと思うのですが、その間に「年表」を挟んでみるといいのではないかと思います。概説書だけだと、一つの時代の主要なできごとや流れは把握できても、その流れの外にあるものに目が届きにくい。年表を挟むことで、その周囲や前後の関係性、横のつながりなどにより広く目を配る手がかりが得られます。たとえば先日までMOMATコレクション展で展示していた「北へ—北井一夫、森山大道、須田一政」(2021年3月23日-5月16日、東京国立近代美術館9室)という小特集は、東日本大震災の後の連続企画「東北を思う」の一部を、震災後10年ということで再現したものですが、これは飯沢さんの『戦後写真史ノート』の中で指摘されている、70年代における地方への関心というトピックを下敷きにしています。でも北井一夫は飯沢さんの記述には含まれていませんし、また今回はそこまで視野を広げていませんが、この話題は、たとえば70年代に国鉄が展開した「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンなどにつなげていけると思います。そこでは商業的な思惑で、地方への関心が醸成されていたわけです。全くの思いつきレベルで言うと、1974年のプロ野球では東京のチームである巨人のV10が中日ドラゴンズによって阻まれ、翌年は、広島カープが初優勝します。「赤ヘル旋風」と言われた時です。また70年代には地方美術館が次々に創設されました。年表的に横滑りすることで、そういったこともつながりがあるように思えてきたりします(笑)。

長名 ライブラリ所蔵の写真関係資料の中で、貴重なものや珍しいものがあれば教えてください。

増田 近年『Provoke』や『Hiroshima-Nagasaki, document 1961』(The Japan Council against Atomic and Hydrogen Bombs、1961年)など貴重な蔵書も増えてきましたけど、写真全般となるとやはり専門館である写真美術館の図書室には敵わないかなぁ。

長名 なるほど(苦笑)。では、質問を少し変えると、写真史研究をする上で、アートライブラリの使い方はどのようなところに利点を見出せるでしょうか?

増田 年表の話でもお伝えしたとおり、僕は横のつながりにも関心があります。そういう意味では美術書や展覧会カタログ、美術雑誌など、美術の動向と写真との関係を把握するための資料が充実している場所として、アートライブラリで写真史研究をすることの利点は十分あると思っていますよ。

長名 よかったです(笑)。写真研究者の方々にも、是非アートライブラリを使っていただきたいと思っております。増田さん、本日は本当にありがとうございました。

  1. 嶋田厚(しまだ・あつし、1929-):文明批評家。筑波大学名誉教授。東京生まれ。1964年、桑沢デザイン研究所助教授。1971年、東京造形大学造形学部教授。1982年、筑波大学教授などを歴任。著書に『デザインの哲学』(潮出版社、1968年)がある。
  2. 飯沢耕太郎(いいざわ・こうたろう、1954-):写真評論家。宮城県生まれ。1977年、日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。著書に『戦後写真史ノート』(中央公論社、1993年)、『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書、1996年)などがある。
  3. 大辻清司(おおつじ・きよじ、1923-2001):写真家。筑波大学名誉教授。東京生まれ。1944年、東京写真専門学校(現・東京工芸大学)卒業。1953年、「実験工房」に参加。1958年、桑沢デザイン研究所講師。1967年、東京造形大学助教授。1976年、筑波大学教授などを歴任。
  4. 写真部門の設立経緯については増田玲「本館の写真コレクション」(『東京国立近代美術館60年史』東京国立近代美術館、2012年、74–80頁)が詳しい。写真部門は2002年の本館リニューアルオープンに伴い、本館に統合された。
  5. 2012年に空蓮房より写真関係資料約1600点(主に海外作家作品)が寄贈され、翌年「空蓮房コレクション(写真関係資料)旧蔵書」としてアートライブラリで資料を公開。資料の寄贈経緯や、空蓮房の活動については、谷口昌良、畠山直哉『空蓮房:仏教と写真』(赤々舎、2019年)が詳しい。
  6. 「WORKSHOP写真学校」は、1974年から76年にかけて、東松照明を中心に、荒木経惟、深瀬昌久、細江英公、森山大道、横須賀功光が講師を務めた写真学校。
  7. 坂本万七(さかもと・まんしち、1900-74):写真家。広島県生まれ。月刊『工藝』掲載図版の撮影などを手がけた。
  8. 山岸信郎(やまぎし・のぶお、1929-2008):画廊主、評論家。後に「もの派」と呼ばれる作家たちが活動の拠点としていた田村画廊(1969-1990)や、真木画廊(1975-1991)、真木・田村画廊(1991-2001)などを運営。山岸氏の旧蔵資料は国立新美術館に収蔵されている。
  9. 安齊重男(あんざい・しげお、1939-2020):写真家。神奈川県生まれ。1957年、神奈川県立平塚高校卒業。70年から長年にわたって、パフォーマンス、ハプニング、インスタレーションといった現代美術の現場を記録し続けた。
  10. 「美術と印刷物 1960–1970年代を中心に」展は、1960–70年代にかけて、書籍、雑誌、新聞、カタログ、パンフレット、ポスター、チラシ、カードといった印刷媒体に見られる美術の実践を概観した展覧会。

増田さんの本棚

  • 『写真100年:日本人による写真表現の歴史展』日本写真家協会、1969年
  • 日本写真家協会編『日本写真史:1840–1945』平凡社、1971年
  • 岸哲男『戦後写真史:解説・年表』ダヴィッド社、1974年
  • 日本写真家協会編纂委員会編『日本現代写真史展:終戦から昭和45年まで』日本写真家協会、1975年
  • 日本写真協会編『日本写真史年表:1778–1975.9』講談社、1976年
  • 日本写真家協会編『日本現代写真史:1945–1970』平凡社、1977年
  • 桑原甲子雄、重森弘淹編『日本写真全集 第12巻 ニューウェーブ』小学館、1988年
  • 飯沢耕太郎『戦後写真史ノート:写真は何を表現してきたか』中央公論社、1993年
  • 飯沢耕太郎ほか編『日本写真史概説』(日本の写真家)、岩波書店、1999年
  • 日本写真家協会編『日本現代写真史:1945–1995』平凡社、2000年
  • 鳥原学『日本写真史 上』中央公論新社、2013年
  • 鳥原学『日本写真史 下』中央公論新社、2013年
  • 日本写真家協会編『日本の現代写真1985–2015』クレヴィス、2021年

過去の写真展

  • 現代写真展:日本とアメリカ|1953年8月29日–10月4日|国立近代美術館(京橋)
  • 今日の写真:日本とフランス|1956年6月22日–7月15日|国立近代美術館(京橋)
  • 現代写真展1959年|1960年1月5日–1月24日|国立近代美術館(京橋)
  • 芸術としての写真:メトロポリタン美術館選定|1960年8月27日–9月25日|国立近代美術館(京橋)
  • 現代写真展1960年|1961年1月5日–2月5日|国立近代美術館(京橋)
  • 現代写真展1961–62年|1963年1月5日–1月25日|国立近代美術館(京橋)
  • 2人のアメリカの写真作家|1965年12月18日–1月16日|国立近代美術館(京橋)
  • 現代写真の10人|1966年7月15日–8月21日|国立近代美術館(京橋)
  • 15人の写真家|1974年7月26日–9月1日|東京国立近代美術館
  • 現代美術における写真:1970年代の美術を中心として|1983年10月7日–12月4日|東京国立近代美術館
  • 写真の過去と現在|1990年9月26日–11月11日|東京国立近代美術館
  • セバスチャン・サルガド:人間の大地|1993年1月5日–2月14日|東京国立近代美術館
  • 東京国立近代美術館と写真1953–1995|1995年5月23日–7月29日|東京国立近代美術館フィルムセンター展示室
  • 石元泰博展:現在の記憶|1996年2月14日–3月30日|東京国立近代美術館フィルムセンター展示室
  • 東松照明写真展:インターフェイス|1996年10月1日–11月30日|東京国立近代美術館フィルムセンター展示室
  • アルフレッド・スティーグリッツと野島康三|1997年9月9日–10月25日|東京国立近代美術館フィルムセンター
  • 距離の不在:写真の現在|1998年2月10日–3月28日|東京国立近代美術館フィルムセンター展示室
  • 大辻清司写真実験室|1999年1月12日–3月6日|東京国立近代美術館フィルムセンター展示室
  • 石内都:モノクローム—時の器|1999年10月5日–12月11日|東京国立近代美術館フィルムセンター展示室
  • トーマス・シュトゥルート:マイ・ポートレイト|2000年10月3日–12月9日|東京国立近代美術館フィルムセンター展示室
  • サイト―場所と光景:写真の現在2|2002年6月18日–8月4日|東京国立近代美術館本館企画展示室
  • 牛腸茂雄展|2003年5月24日–7月21日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4
  • 木村伊兵衛展|2004年10月9日–12月19日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4、所蔵品ギャラリー(3、4階)
  • ドイツ写真の現在:かわりゆく「現実」と向かいあうために|2005年10月25日–12月18日|東京国立近代美術館本館企画展示室
  • アウグスト・ザンダー展|2005年10月25日–12月18日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4
  • 臨界をめぐる6つの試論:写真の現在3|2006年10月31日–12月24日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4
  • アンリ・カルティエ=ブレッソン:知られざる全貌|2007年6月19日–8月12日|東京国立近代美術館本館企画展ギャラリー
  • 高梨豊:光のフィールドノート|2009年1月20日–3月8日|東京国立近代美術館本館企画展ギャラリー
  • 鈴木清写真展:百の階梯、千の来歴|2010年10月29日–12月19日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4
  • レオ・ルビンファイン:傷ついた街|2011年8月12日–10月23日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4
  • そのときの光、そのさきの風:写真の現在4|2012年6月1日–7月29日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4
  • ジョセフ・クーデルカ展|2013年11月6日–2014年1月13日|東京国立近代美術館本館企画展ギャラリー
  • 奈良原一高:王国|2014年11月18日–2015年3月1日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4
  • 「事物」—1970年代の日本の写真と美術を考えるキーワード|2015年5月26日–9月13日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4
  • トーマス・ルフ展|2016年8月30日–11月13日|東京国立近代美術館本館企画展ギャラリー
  • 幻視するレンズ|2021年3月23日–5月16日|東京国立近代美術館本館ギャラリー4

『現代の眼』636号

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