東京国立近代美術館フィルムセンターは2018年4月1日に東京国立近代美術館より独立し、新しい組織「国立映画アーカイブ」となりました。
こちらは、アーカイブされたフィルムセンターの過去のページです。最新情報は、「国立映画アーカイブ」のホームページをご覧ください。
「国立映画アーカイブ」のページはこちら
※現在、隣接の建物において地下解体・新築工事が行われています。これに伴い、当館内でも工事の大きな音や振動の影響を受けることがございます。当館として工事会社との調整を継続しており、工事スケジュールや工事内容の詳細が分かり次第、皆様にまたお知らせさせていただく予定です。ご理解くださいますよう お願い申し上げます。
第二次世界大戦の終結後、政治対立により東西二つに分断されたドイツは、1990年に統一されるまでの間、冷戦の最前線にあって映画界も別々の道 を歩むことになりました。西ドイツでは映画製作が息を吹き返すとともにアメリカや西欧の映画が盛んに輸入され、東ドイツでは国営会社DEFAによって独自 の社会主義的な映画文化が育まれました。
そうした映画文化の分岐は、映画のポスターにも及びました。西ドイツでは、アート・フィルムを配 給する会社がハンス・ヒルマン、フィッシャー=ノスビッシュ夫妻ら新世代のグラフィック・デザイナーを積極的に起用し、時に大胆なタイポグラフィに訴えた 鮮烈なポスターが制作されました。一方で東ドイツでは、DEFAの采配のもと、エアハルト・グリュットナーやオットー・クンメルトらが、内省的な、しかし 宣伝美術の枠に囚われない自在な表現を生み出します。
この展覧会では、フィルムセンターと京都国立近代美術館の共催により、1950年代後半から1990年までに制作された85点(西ドイツ45点+東ドイツ40点)の映画ポスターを通じて、“鉄のカーテン”の両脇で花開いた二つのグラフィズムを紹介します。
またこの展覧会は、11月29日から12月25日まで開催される特集上映「DEFA70周年 知られざる東ドイツ映画」の関連企画として行われます。映画上映と併せてお楽しみください。
左列 西ドイツポスター 右列 東ドイツポスター
(1)『ドクトル・マブゼ』 | (2)『ジプシーは空にきえる』 |
(1922年/ドイツ/フリッツ・ラング監督) ポスター:カール・オスカー・ブラーゼ(1963年) サントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託) |
(1976年/ソビエト/エミーリ・ロチャヌー監督) ポスター:ヘルムート・ブラーデ(1977年) サントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託) |
(3)『七年目の浮気』 | (4)『三銃士』 |
(1955年/アメリカ/ビリー・ワイルダー監督) ポスター:フィッシャー=ノスビッシュ(1966年) サントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託) |
(1974年/フランス/アンドレ・ユヌベル監督) ポスター:クリストフ・エーベッツ(1977年) サントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託) |
(5)『ミュリエル』 | (6)『ジャンヌ・モローの思春期』 |
(1963年/フランス/アラン・レネ監督) ポスター:ハンス・ヒルマン(1963年) サントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託) |
(1979年/フランス=西ドイツ/ジャンヌ・モロー監督) ポスター:エアハルト・グリュットナー(1981年) フィルムセンター所蔵 |
(7)『七人の侍』 | (8)『さよなら子供たち』 |
(1954年/日本/黒澤明監督) ポスター:ハンス・ヒルマン(1962年) ドイツ映画研究所所蔵 |
(1987年/フランス=西ドイツ/ルイ・マル監督) ポスター:オットー・クンメルト(1989年) サントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託) |
(9)『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』 | (10)『チンボラソ山登頂』 |
(1968年/西ドイツ=イタリア/ ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ監督) ポスター:イゾルデ・モンソン=バウムガルト(1969年) ドイツ映画研究所所蔵 |
(1989年/東ドイツ=西ドイツ/ライナー・ジーモン監督) ポスター:アルブレヒト・フォン・ボデカー(1989年) フィルムセンター所蔵 |
(11)『M』 | (12)『メフィスト』 |
(1931年/ドイツ/フリッツ・ラング監督) ポスター:ヴォルフガング・シュミット(1966年) ドイツ映画研究所所蔵 |
(1981年/ハンガリー/サボー・イシュトヴァーン監督) ポスター:ホルスト・ヴェスラー(1981年) フィルムセンター所蔵 |
戦後ドイツの映画ポスター カタログ発売中。詳細はこちら。
凡例:
・記載情報は、映画の日本語題(映画公開年、映画製作国、映画監督名)、ポスター制作年、ポスター・サイズ、所蔵者です。
・所蔵者を示す記号は以下の通りです。
D ドイツ映画研究所(DIF) S サントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託) F 東京国立近代美術館フィルムセンター |
・日本未公開映画の日本語題は、原題から適宜翻訳しました。
・ポスター作家のサイン上の制作年と印刷時のクレジットによる制作年が異なる場合は両方の年を記しました。
・ハンガリー人の名前については、現地の慣習に従い姓・名の順としました。
・ポスター・サイズは縦×横、数字の単位はセンチメートルです。
・ポスターはリトグラフ印刷(No.7)、シルクスクリーン印刷と特記したもの(No.26, 35)を除き、すべてオフセット印刷です。
・出品内容はやむを得ず変更される場合があります。
・本リストの通番と会場内での配列順序は一致していない場合があります。
フェリー・アーレ Ferry Ahrlé
1 |
第七の封印(1957年、スウェーデン、イングマル・ベルイマン監督) 1962年 83.8×59.2 D |
2 |
昨日からの別れ(1966年、西ドイツ、アレクサンダー・クルーゲ監督) 1966年 84.0×59.0 D |
べレ・バッヘム Bele Bachem
3 |
突然炎のごとく(1962年、フランス、フランソワ・トリュフォー監督) 1962年 84.0×59.0 D |
4 |
シュペッサルトの森の宿屋(1958年、西ドイツ、クルト・ホフマン監督) 1958年 83.5×59.0 D |
カール・オスカー・ブラーゼ Karl Oskar Blase
5 |
ドクトル・マブゼ(1922年、ドイツ、フリッツ・ラング監督) 1963年 84.1×59.6 S |
6 |
es(1966年、西ドイツ、ウルリヒ・シャモニ監督) 1966年 84.0×59.0 D |
ハインツ・エーデルマン Heinz Edelmann
7 |
こんなに悪い女とは(1954年、イタリア、アレッサンドロ・ブラゼッティ監督) 1964年 84.2×59.2 リトグラフ S |
8 |
イエロー・サブマリン(1968年、イギリス、ジョージ・ダニング監督) 1968年 84.0×59.4 D |
フィッシャー=ノスビッシュ Fischer-Nosbisch
9 |
沈黙(1963年、スウェーデン、イングマル・ベルイマン監督) 1964年 84.0×59.3 S |
10 |
裸の拍車(1953年、アメリカ、アンソニー・マン監督) 1965年 83.8×59.0 D |
11 |
夜空に星のあるように(1967年、イギリス、ケネス[ケン]・ローチ監督) 1968年 84.0×59.5 D |
12 |
野火(1959年、日本、市川崑監督) 1962年 84.0×59.0 D |
13 |
嘆きの天使(1930年、ドイツ、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督) 1964年 83.8×59.2 D |
14 |
のんき大将 脱線の巻(1949年、フランス、ジャック・タチ監督) 1963年 83.8×59.6 S |
15 |
七年目の浮気(1955年、アメリカ、ビリー・ワイルダー監督) 1966年 84.0×59.4 S |
16 |
殺人者は我々の中に(1946年、ドイツ、ヴォルフガンク・シュタウテ監督) 1959年 84.0×59.0 D |
ハンス・ヒルマン Hans Hillmann
17 |
人間の條件 第五部・第六部(1961年、日本、小林正樹監督) 1962年 81.5×57.5 D |
18 |
ミュリエル(1963年、フランス=イタリア、アラン・レネ監督) 1963年 84.2×59.4 S |
19 |
荒野の用心棒(1964年、イタリア=スペイン=西ドイツ、セルジオ・レオーネ監督) 1965年 84.0×59.0 D |
20 |
奥様は魔女(1942年、アメリカ、ルネ・クレール監督) 1958年 84.1×59.4 D |
21 |
不運(1960年、ポーランド、アンジェイ・ムンク監督) 1964年 83.8×59.0 D |
22 |
アントニオ・ダス・モルテス(1969年、ブラジル、グラウベル・ローシャ監督) 1970年 84.0×59.0 D |
23 |
七人の侍(1954年、日本、黒澤明監督) 1962年 83.5×58.8 D |
24 |
スリ(1959年、フランス、ロベール・ブレッソン監督) 1965年 83.5×59.0 D |
25 |
アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生(1955年、メキシコ、ルイス・ブニュエル監督) 1961年 83.8×59.4 D |
26 |
戦艦ポチョムキン(1925年、ソビエト連邦[ロシア]、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督) 1966年 84.1×59.4 シルクスクリーン D |
27 |
長距離ランナーの孤独(1962年、イギリス、トニー・リチャードソン監督) 1966年 84.0×59.0 D |
28 |
女と男のいる舗道(1962年、フランス、ジャン=リュック・ゴダール監督) 1970年 84.0×59.0 D |
29 |
パリはわれらのもの(1961年、フランス、ジャック・リヴェット監督) 1968年 84.0×59.0 D |
30 |
生きるべきか死ぬべきか(1942年、アメリカ、エルンスト・ルビッチ監督) 1964年 83.8×59.2 D |
ヤン・レニツァ Jan Lenica
31 |
僕の村は戦場だった(1962年、ソビエト連邦[ロシア]、アンドレイ・タルコフスキー監督) 1963年 84.4×59.6 S |
32 |
小さな兵隊(1963年[製作1960年]、フランス、ジャン=リュック・ゴダール監督) 1966年 83.5×59.2 D |
エルンスト・リッター Ernst Litter
33 |
二十四時間の情事(1959年、フランス=日本、アラン・レネ監督) 1960年 83.5×59.2 D |
マリー・マルクス Marie Marcks
34 |
大通り(1956年、スペイン、フアン・アントニオ・バルデム監督) 1956年 82.5×59.0 D |
ミヒェル+キーザー Michel + Kieser
35 |
紅はこべ(1934年、イギリス、ハロルド・ヤング監督) 1963年 83.8×59.2cm シルクスクリーン D *ハンス・ミヒェル作品 |
36 |
極楽発展倶楽部(1933年、アメリカ、ウィリアム・A・サイター監督) 1965年 83.9×59.6 D *ギュンター・キーザー作品 |
イゾルデ・モンソン=バウムガルト Isolde Monson-Baumgart
37 |
どん底(1936年、フランス、ジャン・ルノワール監督) 1959年 83.5×59.0 D |
38 |
5時から7時までのクレオ(1962年、フランス、アニェス・ヴァルダ監督) 1967年 83.8×59.0 D |
39 |
たそがれの女心(1953年、フランス、マックス・オフュルス監督) 1960年 83.8×59.4 D |
40 |
アンナ・マグダレーナ・バッハの日記(1968年、西ドイツ=イタリア、ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ監督) 1969年 84.0×59.4 D |
41 |
天井桟敷の人々(1945年、フランス、マルセル・カルネ監督) 1964年 84.0×59.3 S |
ヴォルフガンク・シュミット Wolfgang Schmidt
42 |
カプリオーレン(1937年、ドイツ、グスタフ・グリュントゲンス監督) 1963年 83.8×59.0 D |
43 |
M(1931年、ドイツ、フリッツ・ラング監督) 1966年 84.0×59.2 D |
マルグリット&ペーター・ズィッケルト Margrit und Peter Sickert
44 |
危機や大いなる困窮において中道は死をもたらす (1974年、西ドイツ、アレクサンダー・クルーゲ監督) 1974年 84.0×59.0 D |
45 |
RADIO ON(1979年、イギリス=西ドイツ、クリストファー・ペティット監督) 1980年 59.0×84.0 D |
シュテッフィ・ブルーム Steffi Bluhm
46 |
もぐらくんのおえかき(1972年、チェコスロヴァキア、ズデニェク・ミレル監督) 1976年 57.5×40.5 個人蔵 |
ヘルムート・ブラーデ Helmut Brade
47 |
ジプシーは空にきえる(1976年、ソビエト連邦[ロシア]、エミーリ・ロチャヌー監督) 1977年 81.2×57.4 S |
48 |
イノセント(1976年、イタリア=フランス、ルキノ・ヴィスコンティ監督) 1978年 81.0×57.4 S |
ゲルノート・ブラント Gernot Brandt
49 |
蝿の死(1977年、チェコスロヴァキア、カレル・カヒニャ監督) 1977/1978年 81.2×57.6 S |
50 |
作業班長のヘルメット(1986年、東ドイツ、ホルスト・E・ブラント監督) 1985/1986年 81.0×57.2 F |
ゲルダ・ダッシンク Gerda Dassing
51 |
テレサの肖像(1979年、キューバ、パストル・ベガ監督) 1981年 81.2×57.2 S |
ハインツ・エーベル Heinz Ebel
52 |
執炎(1964年、日本、蔵原惟繕監督) 1969年 81.0×57.2 S |
53 |
白い靄(1977年、ソビエト連邦[トルクメニスタン]、ホジャドゥルディ・ナルリエフ監督) 1979年 81.0×57.4 S |
クリストフ・エーベッツ Christoph Ehbets
54 |
三銃士(1974年、フランス、アンドレ・ユヌベル監督) 1977年 81.2×57.2 S |
55 |
アナラという町(1978年、ソビエト連邦[グルジア]、イラクリ・クヴィリカーゼ監督) 1979年 81.0×57.2 F |
アンネリーゼ・エルンスト Anneliese Ernst
56 |
女相続人たち(1980年、ハンガリー=フランス、メーサーロシュ・マールタ監督) 1981年 81.4×57.4 S |
アンネリーゼ&ハンス=エーベルハルト・エルンスト Anneliese und Hans-Eberhard Ernst
57 |
サボテン(1986年、オーストラリア、ポール・コックス監督) 1989年 81.2×57.3 S |
クラウス・フィンガー Klaus Finger
58 |
サボテン・ブラザース(1986年、アメリカ、ジョン・ランディス監督) 1990年 81.4×57.6 S |
エアハルト・グリュットナー Erhard Grüttner
59 |
宝探し(1979年、東ドイツ、ベルンハルト・シュテファン監督) 1979年 80.7×57.2 F |
60 |
屋根にはただ花を置いて(1979年、東ドイツ、ローラント・エーメ監督) 1979年 81.0×57.1 F |
61 |
ジャンヌ・モローの思春期(1979年、フランス=西ドイツ、ジャンヌ・モロー監督) 1981年 81.0×57.0 F |
62 |
カップルでいる方法(1980年、東ドイツ、ヘルガ・トリンペルト監督) 1981年 81.0×57.5 F |
63 |
破損(1985年、べトナム、ユイ・タイン監督) 1988年 81.0×57.2 F |
ハインツ・ハントシック Heinz Handschick
64 |
死が汝らを分かつまで(1979年、東ドイツ、ハイナー・カーロウ監督) 1979年 81.0×57.5 F |
65 |
ついて来い、追いつくから(1976年、フランス、ロベール・プーレ監督) 1980年 57.2×40.5 個人蔵 |
オットー・クンメルト Otto Kummert
66 |
蛇の卵(1977年、アメリカ=西ドイツ、イングマル・ベルイマン監督) 1979/1980年 80.8×57.7 S |
67 |
ヴィルコの娘たち(1979年、ポーランド、アンジェイ・ワイダ監督) 1980年 81.1×57.1 F |
68 |
カンボジア、その死と復活 (1980年、東ドイツ、ヴァルター・ヘイノフスキ、ゲルハルト・ショイマン監督) 1980年 81.0×57.5 F |
69 |
あの春太陽は出なかった(1984年、ポーランド、ユリウシュ・ヤニツキ監督) 1985年 81.0×57.5 F |
70 |
さよなら子供たち(1987年、フランス=西ドイツ、ルイ・マル監督) 1989年 82.1×57.4 S |
エーベルハルト・レンク Eberhard Lenk
71 |
ときどきおかしな幸運児(1978年、東ドイツ、ハンス・クラッツァート監督) 1978年 81.5×57.2 F |
ゲルハルト・ラップス Gerhard Rappus
72 |
走れ、ウェイター!(1981年、チェコスロヴァキア、ラディスラフ・スモリャク監督) 1981年 81.2×57.4 S |
73 |
メーン・イベント(1979年、アメリカ、ハワード・ジーフ監督) 1980年 81.2×57.4 S |
マルリース・シュレーゲル Marlies Schlegel
74 |
カリフォルニア・スイート(1978年、アメリカ、ハーバート・ロス監督) 1980年 81.2×57.4 S |
レギーネ・シュルツ&ブルクハルト・ラボフスキ Regine Schultz / Burckhard Labowski
75 |
アトランティスへの途上(1976年、東ドイツ、ジークフリート・キューン監督) 1976/1977年 81.0×57.4 F |
76 |
隠れ家(1978年、東ドイツ、フランク・バイヤー監督) 1978年 81.0×57.1 F |
77 |
スタートレック(1979年、アメリカ、ロバート・ワイズ監督) 1985年 81.2×57.4 S |
アルブレヒト・フォン・ボデカー Albrecht von Bodecker
78 |
ぼくの伯父さんの休暇(1953年、フランス、ジャック・タチ監督) 1978年 81.2×57.2 S |
79 |
チンボラソ山登頂(1989年、東ドイツ=西ドイツ、ライナー・ジーモン監督) 1989年 81.0×57.5 F |
ヘルムート・ヴェンクラー Helmut Wengler
80 |
ゾリン大佐の報告(1979年、ソビエト連邦[ロシア]、アンドレイ・ラディニン監督) 1979年 81.4×57.4 S |
81 |
女優(1988年、東ドイツ、ジークフリート・キューン監督) 1988年 81.2×57.2 F |
ホルスト・ヴェスラー Horst Wessler
82 |
メフィスト(1981年、ハンガリー=西ドイツ=オーストリア、サボー・イシュトヴァーン監督) 1981年 81.2×57.4 F |
ギゼラ・ヴォンゲル Gisela Wongel
83 |
女と男の名誉(1985年、アメリカ、ジョン・ヒューストン監督) 1987年 81.0×57.5 F |
84 |
アムステルダム無情(1988年、オランダ、ディック・マース監督) 1989年 81.2×57.4 S |
85 |
星の王子 ニューヨークへ行く(1988年、アメリカ、ジョン・ランディス監督) 1990年 81.0×57.4 F |
※申込不要、参加無料(展示室内で開催のトークは、観覧券が必要です)。
※当日の企画上映チケットの半券をご提示いただくと、割引が適用されます。
※詳細は後日ホームページなどでお知らせいたします。
冷戦下の東ドイツ映画
日程:11月26日(土)
時間: 2:00pm-
場所:展示室ロビー(7階)
講師:山根恵子氏(法政大学名誉教授、現代ドイツ文学・映像文化)
※終了しました。
戦後ドイツのポスター・グラフィック
日程:12月17日(土)
時間: 3:00pm-
場所:展示室内(7階)
講師:寺本美奈子氏(グラフィックデザイン・キュレーター)
※終了しました。
展示品解説
日程:1月21日(土)
時間: 4:00pm-
場所:展示室内(7階)
講師:フィルムセンター研究員が展示品を解説いたします。
※終了しました。