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茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術
茶碗の中の宇宙とは、全ての装飾や美しい形を捨て、手捏ねによる成形でさらに土を削ぎ落としながら造形を完成させていった茶碗を用い、その茶碗によって引き起こされる無限の世界、正しく宇宙のように果てしなく広い有機的空間のことと捉えています。 つまり、一服の茶を点てます。相手は、その茶を飲みます。その行為により二人の関係の全てが茶碗の中を巡ります。その茶碗の中を見つめながらの人間の思いは、他に想像もできないほどの大きく深い意味を有し、まさに宇宙と呼ぶべき無限の世界が広がるのです。 今から450年前、長次郎という人物によって創造された樂茶碗は、一子相伝という形態で現在まで続いています。一子相伝とは、技芸や学問などの秘伝や奥義を、自分の子の一人だけに伝えて、他には秘密にして漏らさないことであり、一子は、文字通り実子でなくても代を継ぐ一人の子であり、相伝とは代々伝えることです。 この様な考え方で、長年制作が続けられている樂焼は、長い伝統を有していますが、しかし、それらは伝統という言葉では片付けられない不連続の連続であるといえます。長次郎からはじまり15代を数える各々の代では、当代が「現代」という中で試行錯誤し創作が続いています。 本展では、現代からの視点で初代長次郎はじめ歴代の「今―現代」を見ることにより一子相伝の中の現代性を考察するものです。正しく伝統や伝承ではない不連続の連続によって生み出された樂焼の芸術をご覧いただけます。 見どころ ロサンゼルス・カウンティ美術館、サンクトペテルブルク・エルミタージュ美術館、モスクワ・プーシキン美術館で開催され約19万人を動員。好評を博した展覧会が、さらに充実度を増し凱旋します。千利休が愛した初代長次郎の黒樂茶碗「大黒」をはじめ、歴代の重要文化財のほとんどを一挙公開。本阿弥光悦の重要文化財をはじめ、よりすぐりの作品も出品されます。 初代長次郎、光悦の重要文化財が、かつてない規模で揃います 利休が愛した名碗が揃います 樂家450年の伝統と技をご覧いただけます 現代の視点でとらえた初代長次郎はじめ、歴代の「今」をご覧いただけます 樂焼とは 樂焼は、織田信長、豊臣秀吉によって天下統一が図られた安土桃山時代(16世紀)に花開いた桃山文化の中で樂家初代長次郎によってはじめられました。 樂焼の技術のルーツは中国明時代の三彩陶といわれています。この時代には京都を中心に色鮮やかな三彩釉を用いる焼きものが焼かれはじめていましたが、長次郎もその技術をもった焼きもの師の一人であったと考えられています。 長次郎の残した最も古い作品は、本展に出品される二彩獅子、天正2年(1574)春につくられました。おそらく樂茶碗がつくられるのはそれより数年後、天正7年(1579)頃ではないかと考えられています。 カタログ イベント 詳細は、特設サイトをご覧ください。 *すべて終了いたしました。 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2017年3月14日(火)~2017年5月21日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 入館は閉館30分前まで 月曜(3/20、3/27、4/3、5/1は開館)、3/21(火) 一般 1,400(1,200)円大学生 1,000(800)円高校生 500(300)円 ( )内は前売りおよび20名以上の団体料金。いずれも消費税込。前売券は2016年12月5日(月)~2017年3月13日(月)販売。中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。 本展の観覧料で入館当日に限り、同時開催の所蔵作品展「MOMATコレクション」「マルセル・ブロイヤーの家具:improvement for good」、工芸館所蔵作品展「動物集合」もご覧いただけます。 主なチケット販売場所:東京国立近代美術館(*開館日のみ)、本展特設サイト(オンラインチケット)、セブンチケット、ローソンチケット、チケットぴあ、CNプレイガイドほかチケット購入時に手数料がかかる場合があります。 東京国立博物館×東京国立近代美術館 コラボ企画 無料シャトルバス運行!4/11(火)~5/21(日)の開館中、東京国立近代美術館と特別展「茶の湯」が開催される東京国立博物館の間を無料シャトルバスが運行します。(乗客定員約50名)*乗車にはどちらかの観覧券または招待券(使用済可)をご提示ください。 運行区間 : 東京国立博物館(東博)正門⇔東京国立近代美術館(東近美)正門(所要時間約30分)運行時間(東近美発): 11:00 / 12:00 / 14:00 / 15:00*運行状況により時間がずれる可能性があります。 『茶の湯』・『樂』共通チケット特別展「茶の湯」との共通チケットを販売します。開催期間中は、当日券2展で3,000円のところ2,600円とお得です。*特別展「茶の湯」4/11(火)~6/4(日)東京国立博物館 出光美術館×東京国立近代美術館 相互割引 東京国立近代美術館「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」(3/14~5/21)と、出光美術館「茶の湯のうつわ」(4/15~6/4)との相互割引を実施! 各展覧会の会期中、それぞれの観覧券(使用済可)提示で、当日料金から100円割引致します。*1名につき1回まで。他割引との併用不可。 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館NHK、NHKプロモーション、日本経済新聞社 日本写真印刷 樂美術館、国際交流基金 あいおいニッセイ同和損保 京都国立近代美術館 2016年12月17日~2017年2月12日

眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで
はじめに 国立美術館コレクションでみる「眠り」のかたち 「眠り」は、人々にとって生きていく上で欠かせないだけでなく、芸術家たちの創造を駆り立ててもきました。本展では、国立美術館所蔵の絵画、版画、素描、写真、立体、映像など、幅広いジャンルの作品約120点によって、「眠り」がいかに表現されてきたか、それが私たちに投げかけるものは何かを探ります。 「眠り」をテーマに生み出されたアートは、起きている時とは異なる視点で、私たちの日常の迷いや悩みに対するヒントを与えてくれるでしょう。 本展のポイント 「陰影礼讃」(2010 年)、「No Museum, No Life? ーこれからの美術館事典」(2015 年)に続く、国立美術館合同展の第3弾。ルーベンス、ゴヤ、ルドン、藤田嗣治、内藤礼、塩田千春など、国立美術館の豊富な所蔵作品の中から厳選した古今東西のアーティスト33人の作品約120 点が一堂に会します。 国立美術館とは 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館、国立映画アーカイブの6館から成る日本のナショナルミュージアム。国立美術館が所蔵するコレクションは、一人でも多くの方に見ていただきたい国の芸術財産であり、紀元前から現代、絵画、写真、映像、デザインなど多岐にわたり、美術作品の所蔵数は約4万4千点にのぼります。 眠り展メインビジュアルデザイン:平野篤史(AFFORDANCE) 見どころ 本展は、18-19 世紀に活躍した巨匠・ゴヤを案内役に、美術における眠りが持つ可能性を、序章、終章を含む7章構成でたどります。ルーベンス、ルドンから、河原温、内藤礼、塩田千春まで、美術史上の名作から現代アートに至るまでを意外な取り合わせでご紹介します。 展覧会の構成 序章 目を閉じて 眠りは、目を閉じることから始まります。眠ること、目を閉じることは、いかにも無防備で頼りない行為に思えるかもしれません。一方で目を閉じることは、自己の内面と静かに向き合うことを導きます。出品作家:ペーテル・パウル・ルーベンス、ギュスターヴ・クールベ、オディロン・ルドン、河口龍夫ほか 第1章 夢かうつつか 人は、夢と現実を行き来しながら生きています。そして時には、夢と現実のはざまの「夢かうつつか」はっきりしない状態になることがあります。 眠りは、夢と現実、あるいは非現実と現実をつなぐものであり、それらの連続性の中に存在するのです。出品作家:マックス・エルンスト、瑛九、楢橋朝子、饒加恩(ジャオ・チアエン)ほか 第2章 生のかなしみ 永眠という言葉があるように、眠りは死に喩えられます。眠りは生きる上で必要なものでありながら、その裏側には死が存在するのです。本章の表題にある「かなしみ」には、「悲しみ」だけでなく「愛(かな)しみ」という、死と隣り合わせにありながらも懸命に生きようと生をいとしむ前向きな意味合いが含まれます。そんな生のかなしみを思う表現をご紹介します。出品作家:小林孝亘、内藤礼、塩田千春、荒川修作ほか 第3章 私はただ眠っているわけではない 単に眠っているだけに見える人物像でも、描かれた当時の時代背景などの文脈を加えたり、現代の状況に重ね合わせることで、異なる意味が引き出されることがあります。出品作家:阿部合成、香月泰男、北川民次、森村泰昌ほか 第4章 目覚めを待つ 眠りの後には目覚めが訪れます。現在眠っているものでも、将来的な目覚めを期待させるのです。芸術家たちの作品の中に見て取ることができる、目覚めにまつわる表現をご紹介します。出品作家:河口龍夫、ダヤニータ・シン、大辻清司 第5章 河原温 存在の証しとしての眠り 戦後美術を代表する芸術家の一人である河原温(1932-2014年)の作品を通じて、眠りと目覚め、生と死との関係性について探ります。出品作家:河原温 終章 もう一度、目を閉じて アートにおける「眠り」、目を閉じる表現は、実に大きな意味の広がりを持っています。単に眠っている(目を閉じている)ように見える人物像であっても、そこには違う意味合いが感じられるようになるでしょう。目を閉じることは、他者の視線に身を任せることを意味する反面、自らの来し方・行く末を思い、静かに瞑想する機会を与えてくれます。目を閉じる人が描かれた作品を前にした私たちにも、これまでの日常を振り返り、これからをいかに過ごすかを考えるためのヒントがもたらされるはずです。出品作家:ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、金明淑(キム・ミョンスク) 展示デザインについて 本展では、展示室の設計デザインをトラフ建築設計事務所が、グラフィックデザインを平野篤史氏(AFFORDANCE)が手がけました。「眠り」というテーマから、展示空間にはカーテンを思わせる布、布のようなグラフィックなどが現れます。また、「夢かうつつか」はっきりしない状態をイメージさせる不安定な感じの文字デザインなど、起きていながらにして「眠り」の世界へいざなう様々な仕掛けが見どころです。また、もう一つ本展の重要なテーマに「持続可能性」(sustainability)があります。「眠り」は生命を維持するために欠かせないものであり、繰り返されるもの。それとリンクする形で、少しでも環境の保全を目指すべく前会期の企画展「ピーター・ドイグ展」の壁面の多くを再利用しています。 アートマップ『ART WALK MAP with「眠り展」』のご紹介 WEB版『美術手帖』ご協力のもと、「眠り展」鑑賞とともに訪れたい美術館周辺スポットを掲載したアートマップを作成していただきました。お出かけできる方は是非参考に、なかなかお越しいただけない方でも「眠り展」の魅力ともに、お出かけ気分を味わえます。※2021年2月現在の情報です。 カタログ 開催概要 東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー 2020年11月25日(水)~ 2021年2月23日(火・祝) 10:00-17:00 *入館は閉館30分前まで※当面の間、金曜・土曜の夜間開館は行いません。 月曜[2021年1月11日(月)は開館]、12月28日(月)~ 2021年1月1日(金・祝)、2021年1月12日(火) 会場では当日券を販売しています。会場の混雑状況によって、当日券ご購入の列にお並びいただいたり、入場をお待ちいただく場合がありますので、オンラインでの事前のご予約・ご購入をお薦めいたします。新型コロナウイルス感染症予防対策のため、 ご来館日時を予約する日時指定制を導入いたしました。⇒こちらから来館日時をご予約いただけます。 上記よりチケットも同時にご購入いただけます。観覧無料対象の方(高校生以下の方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名、キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員の方、招待券をお持ちの方等)についても、上記より来館日時をご予約いただけます。お電話でのご予約はお受けしておりません。 一般 1,200(1,000)円大学生 600 (500) 円 ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により無料でご鑑賞いただけます。本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)、「コレクションによる小企画 男性彫刻」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。 独立行政法人国立美術館

カルロ・ザウリ展:イタリア現代陶芸の巨匠
展覧会について 現代陶芸の偉大な改革者の一人として国際的にも高く評価され、日本にも大きな影響を与えてきたイタリアの巨匠、カルロ・ザウリ(1926-2002)の没後初めての回顧展をファエンツァ市との国際交流展として開催します。 ファエンツァは、フランス語で陶器を意味するファイアンスの語源となった陶都として、また、マジョリカ焼の産地として古くから知られています。ザウリはその地で生まれ、生涯同地を拠点に制作を行いました。1950年代初頭から精力的に発表活動を展開したザウリは、世界で最も規模の大きいファエンツァ市主催の国際陶芸コンペで三度もグランプリを受賞したのをはじめ、国境を越えて活躍し、その存在を揺るぎないものとしていきました。 本展は、あまり知られていなかった1950年代の初期のマジョリカ作品から、“ザウリの白”と呼ばれる60~70年代の代表的な作品、さらには、80年代に制作した釉薬を用いない黒粘土による挑戦的な作品を中心に、タイルやデザインの仕事まで、ザウリの非凡な才能を知る多彩な作品を通して、1951年から約40年間の芸術活動の軌跡を辿ります。 展覧会構成 I: 1951-1956 初期の作品はザウリの出身地、ファエンツァの陶芸と深い関わりを持っています。ファエンツァ伝統のマジョリカ焼の技法を用いた壺、皿、鉢などは、さまざまな色彩を纏っていますが、そのフォルムからは彫刻的な形体の追求を見ることができます。 II: 1957-1961 1950年代後半、ザウリは、当時のイタリアではほとんど手掛けられていなかった新しい技法、ストーンウエア(高温焼成)を始めます。さらには「壺」の口を閉じた作品の制作も始まります。また、口を閉じなくとも、自己表現のひとつの形体として「壺」をとらえ、新たな可能性を模索していきます。 III: 1962-1967 この時期のザウリの作品は、ロクロを巧みに用いて生み出されました。そしてザウリは「壺の彫刻家」と呼ばれようになります。ザウリは釉薬の研究とともに、ストーンウエアでの制作も続け、やがてそれは、マジョリカ焼を凌ぐほどの技法として確立されていきます。さらには、1,200度の高温焼成による独自の釉薬、「ザウリの白」をつくり上げ、彫刻的な形体の発展と新たな釉薬との融合を目指すようになっていきます。 IV: 1968-1980 ザウリの作陶の歴史の中で一番重要な時期として位置づけられます。1968年ごろからザウリの作品には、海の波や砂丘、あるいは女性の身体を連想させるような柔らかな表現が見られるようになります。そして、素材や自然のざわめきを感じさせるこの造形的な特徴は、ザウリの作風を代表するものとなります。また、この時期のザウリは、「ザウリの白」の他にも金やプラチナを施した作品を制作しています。 V: 1981-1991 1980年代の初めにザウリは、造形的な特徴はそのままに、これまでとはまったく異なった黒い粘土を用いた作品を発表します。それは「ザウリの白」とは対照的に、艶のない土そのものの質感を見せています。しかし、その後には再び釉薬を用いた作品の制作に戻り、以前にも増して大きな作品の制作を行いました。本展では高さ5メートルを超える作品も展示します。 VI: グラフィック、タイル ザウリはタイルのデザイナーとしても高く評価されていました。本展では、作品のエッセンスを抽出したようなグラフィック作品や初期から晩年に至るタイル作品を展示紹介します。日本ではこれまで観る機会のなかった作品群です。 作家紹介 ザウリと日本の関係 日本とカルロ・ザウリの関係は古く、1964年に東京と京都の国立近代美術館、久留米の石橋美術館、愛知県美術館を巡回した「現代国際陶芸展」で初めて作品が紹介されました。 その後、1970年に京都国立近代美術館で開催された「現代の陶芸-ヨーロッパと日本」を機にザウリの作品は日本の関係者に広く知られるところとなりました。1973年には新聞社が主催した公募展「第1回中日国際陶芸展」で最優秀賞を受賞しています。翌年以降、大阪や東京、名古屋、京都など日本の主要な都市で個展が開催されて、いくつもの公立美術館がイタリアを代表する作家の作品としてザウリの作品を収蔵し、日本で最も知られるイタリア現代陶芸の作家となっています。 略歴 1926年 8月19日、ファエンツァに生まれる1949年 ファエンツァ国立陶芸美術大学卒業1953年 「ファエンツァ国際陶芸展」グランプリ('58、'62にも同グランプリを受賞)1954年 「ミラノ・トリエンナーレ」に参加1960年 タイル専門工場「ラ・ファエンツァ」の創設者の一人となる1964年 「現代国際陶芸展」(東京、久留米、京都、名古屋)1968年 モノグラフ出版1986年 「第1回国際陶磁器展美濃’86」審査員(多治見)1996年 ファエンツァ市民会による「功労大賞」を受ける2002年 1月14日、ファエンツァで死去 カルロ・ザウリ美術館創設 イベント情報 講演会 『カルロ・ザウリの芸術』マッテオ・ザウリ(カルロ・ザウリ美術館長) 2008年6月22日(日) 14:00-15:00 講堂(地下1階) *当日先着順150名 『カルロ・ザウリとその時代』平井智一(陶芸家、ファエンツァ市在住) 2008年7月6日(日) 14:00-15:00 講堂(地下1階) *当日先着順150名 ギャラリー・トーク 平井智一(陶芸家、ファエンツァ市在住) 2008年6月21日(土)*当初のお知らせから開催日が変更となりました。ご注意ください。 15:00-16:00 会場(入館に展覧会チケットが必要、申込は不要) 唐澤昌宏(当館主任研究員) 2008年6月21日(土)*当初のお知らせから開催日が変更となりました。ご注意ください。 15:00-16:00 会場(入館に展覧会チケットが必要、申込は不要) カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー(1階)一部の作品は、3階にも展示します 2008年6月17日(火)~8月3日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)入館は閉館30分前まで 6月23日(月)、30日(月)、7月7日(月)、14日(月)、22日(火)、28日(月) 一般1000円(800円/700円)大学生500円(400円/300円)高校生および18歳未満、障害者の方とその付添者1名は無料 それぞれ入館の際、学生証、年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。いずれも消費税込。( )内は前売料金/20名以上の団体料金。入館当日に限り、「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」展・所蔵作品展と、工芸館で開催中の展覧会(7月7日~16日は展示替のため休館)もご覧いただけます。 観覧券は全国チケットぴあ他、ファミリーマート、サンクスでも取り扱います(一部店舗を除く)。前売券は4月11日から6月16日まで! 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、ファエンツァ市、エミリア・ロマーニャ州、カルロ・ザウリ美術館、日本経済新聞社 イタリア文化省、イタリア外務省、イタリア議会下院、ラヴェンナ県、ラヴェンナ商工会議所、イタリア大使館、イタリア文化会館 フェラリーニ社、モカドーロ、GD フェラリーニ社、モカドーロ、GD アリタリア航空、オープン・ケア すでに、京都国立近代美術館(2007年10月2日~11月11日)岐阜県現代陶芸美術館(2008年4月19日~6月1日)で開催され、当館が3会場目。この後は山口県立萩美術館・浦上記念館(8月26日~10月26日)へ巡回します。

生誕100年 東山魁夷展
展覧会について 東山魁夷の生誕100年を記念する展覧会を開催します。東山魁夷は、明治41(1908)年に生まれ、東京美術学校の研究科を修了したのち、ドイツ留学をはさんで帝展、文展に作品を発表しました。戦後になって、代表作《道》に見られるような平面的で単純化をきわめた作風へ展開し、風景画家としての独自の表現を確立しました。そして、自然や街を主題に「生」の営みをいとおしむかのように描いた作品、祈りの風景ともいえるほどに沈潜した精神的な深みをうかがわせる唐招提寺御影堂の障壁画などによって、戦後の日本画界に大きな足跡を残しました。 東山魁夷の作品は平明でわかりやすい描写のうちに、清新な抒情性と深い精神性を湛えています。それは徹底した自然観照から生まれた心象風景であり、自身の心の奥底に潜む想いの表白にほかなりません。また同時に、その作品は日本の伝統につらなりつつ、時代に生きる感覚を確かに宿しています。東山芸術が今なお多くの人々の共感を得るのはまさにそれゆえであるといえるでしょう。 本展は、東山魁夷の代表的な本制作101点、スケッチや習作53点(いずれも東京会場の出品数)を出品するものです。唐招提寺御影堂の障壁画からは《濤声》(部分)、《揚州薫風》を展示します。本展では、これらの作品を7つの章に分け、さらに5つの特集をもうけて紹介することで、ともすれば見落とされがちであった東山魁夷の画風の展開や、制作のプロセス、表現の特質などにも迫りたいと考えます。 会期中、展示替があります前期:3月29日(土)~4月20日(日)後期:4月22日(火)~5月18日(日) 混雑状況17(土)、18(日)は終日、混雑が予想されます。平日の午後3時以降は比較的ゆとりがあります。15(木)・16(金)・17(土)の夜間開館をどうぞご利用ください。 *著作権保護のため、画像の転載を禁止します ここが見どころ 代表作が目白押しの大回顧展 東山魁夷の画業を語る上で欠かすことのできない代表作、ほとんどすべてが会場に集結します。また、今まで紹介されることの少なかった作品もあわせて会場に並びます。本制作101点、スケッチ・習作53点(いずれも東京会場の出品数)を数える大展覧会は、これまでの東山の回顧展で最大規模です。東山自身が画業の転機とみとめる《残照》、東山を一躍人気作家へと押し上げた《道》、東山作品のなかで最も人気の高い《花明り》などの重要な作品が、展示替えをおこなうことなく全会期を通して展示されることも、本展の大きな特徴です。 7章構成で東山芸術に迫る 東山魁夷の作風展開ならびに作画傾向に注目し、7章に分けて作品を紹介します。東山芸術の確立期は、これまで自身の言述に従い《残照》を出発点とすることがほとんどでした。しかし、東山の画業初期に見られる写生を基礎におく作風は、《道》以降、簡潔な画面構成による作風へと変化します。このことに注目し、本展では第2章の始まりに《道》を据え、東山の作風展開を作品に即してたどります。全体の章分けは編年的な区分けにとどまりません。第5章では、ともすれば自然の風景ばかりを描いたと思われがちな東山が、若い頃から折りに触れ描いていた町並みや建物を主題とする作品に注目し、その表現の特徴を探ります。 5つの特集展示 特集展示を5つ設け、多角的に東山の芸術に迫ります。5つの特集は次のとおり。特集1「ドイツ留学」、特集2「《自然と形象》と《たにま》」、特集3「白馬のいる風景」、特集4「窓」、特集5「唐招提寺の障壁画」。 白馬は全部で11頭 1972年に描かれた白馬のシリーズ。この展覧会では本制作5点、習作6点を紹介します。そのうち習作は展示替を予定していますが、一度の来館で少なくとも8頭の白馬に出会えます。 唐招提寺からはこの2点 奈良・唐招提寺の御影堂障壁画の制作は、11年あまりにも及ぶ、東山の画業における一大プロジェクトでした。制作は二期に分けられ、入念な準備のもと1975年に《山雲》(上段の間)、《濤声》(宸殿の間)が、80年に《黄山暁雲》(桜の間)、《揚州薫風》(松の間)、《桂林月宵》(梅の間)が、81年に《瑞光》(鑑真和上坐像厨子扉絵)が完成しました。この展覧会では、《濤声》の一部と《揚州薫風》を、ギャラリー4を御影堂内部に見立てて展示します。 音声ガイドは東山本人が語ります 本展でご利用いただける音声ガイド(有料、500円)は、東山魁夷の作品世界によりよく親しんでいただくために、画家が当館で1968年冬におこなった講演会「私と風景画」の音声記録と、彼が綴った文章を基に構成しました。25作品の解説のうち12作品は、東山の肉声による解説となっています。 展覧会構成 第1章 模索の時代 昭和戦前期から戦後へかけては、東山にとって模索の時代といえます。美術学校を出てドイツに留学、やがて戦争で死を覚悟したなかで見た熊本の風景の美しさや、戦後千葉の鹿野山の夕暮れのなかで自然と深く一つになることのできた体験を通し、東山は風景画家として開眼してゆきます。ここでは1948(昭和23年)の日展出品作《郷愁》までの作品で、自らの世界を探し求めてゆく過程を検証します。 第2章 東山芸術の確立 戦後の混乱で、日本画の世界は厳しい状況に置かれました。しかし、既に風景画家としての立ち位置を明確にしていた東山に、迷いはなかったといえます。もちろん、当時奔流のように流れ込んだ新しい美術思潮に、影響を受けなかったわけではありません。しかしその中で、戦前までに形をなしてきた日本画の表現に確信をもちつつ、自らの資質を生かしたところに東山芸術は確立しました。形態を単純化し、不必要な要素を切り捨てた簡潔な構成に特徴がありますが、そこに至る過程を1950(昭和25)年の日展出品作《道》から1961(昭和36)年の《萬緑新》に辿ります。 第3章 ヨーロッパの風景 1962(昭和37)年、東山はデンマーク、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーを旅行しました。この章の作品のほとんどが、その折りに取材した風景を題材にしたものです。どの作品も北欧の雄大で静寂に満ちた、神秘的ともいえる風景をみごとにとらえており、厳しい自然と、力強い生の営みへの強い共感を窺うことができます。ここではとりわけ、水平性や垂直性を強調した構成、背景が湖面に倒影した上下相称の構図が特徴的といえます。 第4章 日本の風景 北欧から帰国後、京都を題材に描いた作品がこの章の中心となります。「京都」は自然と人間の共生がつくりあげた文化そのものであり、その意味では風景といっても、これまで東山が多く描いてきた自然の風景とは大きな違いがあります。円みや柔らかさのある構図や暖かみを帯びた色彩だけでなく、画面を覆う湿り気を帯びた空気に、透明感のある北欧風景とはまったく異なった、いかにも京都らしい雰囲気が色濃く漂っています。 第5章 町・建物 自然の風景を描く画家と思われている東山も、町や建物を主題とする作品を少なからず描いています。この章の中心となるのは、1969(昭和44)年にドイツ、オーストリアを旅行して取材したヨーロッパの古都を描く作品です。この連作で、画面が再び縦方向への動きを強調するものへと変化しているのは、ヨーロッパの石の文化のもつ強固な造形性を意識したゆえでしょう。画面には街に生きる人々の息づかいが感じられ、それは京都の連作とも共通する特徴といえます。この章では「町」をみる東山独自の視線を探ります。 第6章 モノクロームと墨 東山が「墨」の世界の扉を開くきっかけとなったのは唐招提寺御影堂の障壁画制作でした。それまでの表現と異なり、色を抑制してゆく表現は、唐招提寺を取り巻く宗教的雰囲気のなかで、ますます精神性を深めてゆく過程にも重なります。この章では1973(昭和48)年の日展出品作《夕静寂》から唐招提寺障壁画までの作品によって「墨」の世界に至る過程を追います。 第7章 おわりなき旅 唐招提寺障壁画を制作以降も、東山はそれまで描いてきた主題や手法を大きく変えることはありませんでした。晩年になり旅に出ることもほとんどなくなる頃からは、過去の想い出が寄せ来る波のようの繰り返し画面にあらわれ、それまでの抒情性に加えて、どこか夢幻的ともいえる独特の雰囲気が浮かんでくるようになります。それは遠い過去の中を果てることのない遍歴の旅を続ける東山が、さまざまな想いをこめて奏でる追憶の旋律のようでもあります。 イベント情報 講演会 「若き日の東山魁夷」 川崎鈴彦(日本画家) 2008年4月5日(土) 14:00-15:00 当館講堂 当日先着順 150名。聴講無料。 「東山魁夷 画業の軌跡」 尾崎正明(本展企画者・当館特任研究員) 2008年4月19日(土) 14:00-15:30 当館講堂 当日先着順 150名。聴講無料。 関連企画 「東山魁夷展」こどもセルフガイド自然を描く 東山さんは自然をこよなく愛し、たくさんの風景を描き続けました。東山さんのあしあとをたどってみよう! 「東山魁夷展」会期中に来場した小中学生には、東山の作品を見るためのヒントやクイズ、画家に関するエピソードなどを紹介したセルフガイド(解説リーフレット)をプレゼントします。 教職員鑑賞プログラム「生誕100年 東山魁夷展」美術館活用研究会 *学校教職員が対象のプログラムです 2008年4月4日(金) 14:00-15:00(講演)/10:00-20:00(展覧会観覧) 先着150名(要事前申込)申込方法などの詳細はこちらをご覧ください。 カタログ情報 開催概要 企画展ギャラリー・ギャラリー4 2008年3月29日(土)~5月18日(日)会期中、展示替があります前期:3月29日(土)~4月20日(日)後期:4月22日(火)~5月18日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)東山魁夷展会期中の木・金・土曜日は、20:00まで開館します*入館は閉館30分前まで 4月7日(月)、14日(月)、21日(月)、5月12日(月) 一般1300(1100/900)円、大学生900(800/600)円、高校生400(300/200)円●いずれも消費税込、( )内は前売/20名以上の団体料金*前売券の販売は3月28日まで●中学生以下、障害者の方及び付添者1名は無料*それぞれ入館の際、生徒手帳、障害者手帳等をご提示ください●本展観覧券で、当日に限り、所蔵作品展「近代日本の美術」もご覧になれます●とてもお得なチケット情報2月29日までの販売*ペアチケット 1800円2人分の入場券がセットに。切り離して1枚ずつご利用になることも可能です*モディリアーニ展とのセット券 2000円国立新美術館「モディリアーニ展」(3/26~6/9)とのセット券です●チケット取扱チケットぴあ(Pコード:前売687-704, 当日687-705, ペアチケット687-706, モディリアーニとのセット券687-707)、ローソンチケット(Lコード:33454, モディリアーニとのセット券39957)ほか都内主要プレイガイドペアチケット、モディリアーニ展とのセット券はオンラインのみでの販売となります。オンラインチケット(電子チケット)は、引換券です。そのままでは入場できないので、展覧会場入り口にて実券とお引換ください。 東京国立近代美術館、日本経済新聞社 大和ハウス工業 日本興亜損害保険、三菱商事 唐招提寺 長野県信濃美術館 東山魁夷館 2008年7月12日(土)~8月31日(日)

平山郁夫:祈りの旅路
展覧会について 展覧会の構成と見どころ 今年、平山郁夫画伯は、77歳の喜寿を迎えられました。また絵を学びはじめてから60年にあたります。本展は、これを記念し、その画業を回顧するものです。 平山画伯は、はじめ、仏教に関する伝説や逸話にもとづく抒情性豊かな作品で大きな注目を浴びました。その後、玄奘三蔵のインドへの求法の道やシルクロードを旅し、そこで繰り広げられた雄大な歴史の流れに感銘を受け、風景としての歴史画ともいうべき独特の画風をつくりあげました。それは奈良・薬師寺の玄奘三蔵院の大壁画となって大きな実を結ぶことになります。近年は日本の文化にも大きな関心を寄せ、日本各地に取材した作品に新しい境地を切り開いています。 こうした平山画伯の旺盛な制作活動の根底にあるもの、それは、広島での被爆を経たうえでの、生きること、生かされていることへの問いかけと、その経験から導かれた平和への切実な祈りです。その想いが率直にあらわされた《広島生変図》、《平和の祈り―サラエボ戦跡》などの作品を見るとき、平山画伯が60年にわたる制作活動において表現しようとしてきたものに、私たちは改めて気づかされるのです。 この展覧会では代表的な作品のなかから約80点が出品されます。「仏陀への憧憬」、「玄奘三蔵の道と仏教東漸」、「シルクロード」、「平和への祈り」の4章構成で、平山画伯の芸術の軌跡をたどります。 会期中展示替えがあります。詳細は下記出品作品リスト をご覧ください。 都合により、次のとおり展示期間が変更になりました。《流水無間断(奥入瀬渓流)》(no.74):10月14日まで。《黎明讃岐路 四国霊場八十八番 大窪寺》(no.75):10月16日から ここが見どころ 画業60年、代表作を一堂に 画業の転機となった《仏教伝来》(1959年)をはじめ、燃えさかる炎に包まれた広島の鎮魂を願う《広島生変図》(1979年)、近作《平成洛中洛外図》(2004年)など、平山郁夫の画業を振り返る上で欠くことのできない代表作が、全国から集まります。 《大唐西域画》7場面13画面を、一挙公開 奈良・薬師寺の玄奘三蔵院伽藍におさめられる《大唐西域壁画》は、平山郁夫が構想から完成まで約30年の月日を費やした畢生の大作です。玄奘三蔵の辿った苦難の道のりを、壮大な大陸西域の風景として描くこの作品を、平山郁夫は壁画完成から7年を経た今年、新たに小品として再制作しました。今春、所蔵館で初公開されたのにつづく、全7場面13画面の一挙公開となります。 シルクロードの過去と現在を巡る旅 平山郁夫は学術調査団へ参加するなどしてシルクロード上の各地へおもむき、長い年月をかけてこの道を、作品によって点から線へと繋いでゆきました。なかには、捨て置かれた廃墟に触発され、文明の栄えたありし日の都市の姿を描いた作品もあります。シルクロードの東と西、過去と現在を巡る旅を、本展でお楽しみください。 大画面の迫力と、繊細な描写 平山郁夫ほど、大画面、ことに屏風形式の作品を精力的に描いている日本画家はいないといっていいかもしれません。そしてその大画面には、実に繊細な描写がなされています。とりわけ1960~70年代の作品に顕著に見られるこの表現は、小さな図版では見て取ることができません。ぜひ、会場でじかに接してご覧ください。 展覧会構成 第1章 仏陀への憧憬 1959年の《仏教伝来》の制作を機に、平山郁夫は1960年代後半にかけて、釈迦の生涯を題材に多くの作品を制作する。しかしそれは信仰の対象としての仏画ではない。描かれているのは釈迦という一人の人間のドラマである。平山は、苦行する釈迦の姿に、被爆の後遺症を背負った自身の人生を重ねあわせることで、劇的であると同時に実感としての生の重みをあわせもった重厚で深みのある画面をつくり出した。これらの作品は次のステップ、玄奘三蔵の歩いた道をたどり、シルクロードを踏破する足がかりともなってゆく。 第2章 玄奘三蔵の道と仏教東漸 平山郁夫は《仏教伝来》の制作以降、玄奘三蔵の足跡を自らたどり、絵画化したいという願いを抱くようになる。それは玄奘の苦難に満ちた旅路と、挫けることのなかった不屈の意志を自らの人生に重ねようとしたのであろう。またそれは、画家としての果てしない道を歩んでいくために意識的に自分自身に課した闘いであったかもしれない。この巡礼にも似た旅から生み出された数々の作品には、成功した玄奘の苦闘や歓喜への共感ばかりではなく、志を半ばに中途で倒れていった多くの僧たちの願いもこめられている。 第3章 シルクロード シルクロードは、古くから東西を結ぶ交通路であり、文化が行きかう交流の道でもあった。平山郁夫にしてみれば玄奘三蔵の道がシルクロードと重なる以上、この道を歩むことになるのは当然のなりゆきだったろう。平山は、文明や歴史は名もなき一人一人の想いの積み重ねからなると考え、画面にそれをうつしとろうとする。平山の描く風景画や人物画が分厚い歴史の確かな堆積をも感じさせるとすれば、その作品はかつて描かれた伝統的な歴史画とは異なる、平山が新しく切り開いた現代の歴史画ということもできよう。 第4章 平和への祈り 《仏教伝来》と《平和の祈り―サラエボ戦跡》には、平和への願いが率直にあらわされている。平山郁夫が抱く平和への想いは、真理を伝えようと求法の道に殉じた人々やシルクロードの繁栄を支えた名もなき人々の想いを、荒涼とした大地に聞こうとすることとも共通している。また、仏教説話にもとづく連作を描きはじめた頃、原爆で死んでいった人々のために、後世に残るたった一枚の絵を描こうと苦しんだことにもつながっている。平山の制作の根底にあるもの、それは平和への祈りである。 作家紹介 平山郁夫 略歴 1930(昭和5)年 6月15日、広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市瀬戸田町)に生まれる1945(昭和20)年 学徒勤労動員の作業中、広島陸軍兵器支廠で被爆1947(昭和22)年 東京美術学校(現東京藝術大学)に入学1952(昭和27)年 同校を卒業、前田青邨に師事1953(昭和28)年 第38回院展に《家路》が初入選、以後入選を重ねる1959(昭和34)年 第44回院展に《仏教伝来》を出品し、高く評価される1964(昭和39)年 日本美術院同人に推挙される1973(昭和48)年 東京藝術大学教授に就任する1984(昭和59)年 奈良・薬師寺の玄奘三蔵院壁画制作に着手1989(平成元)年 東京藝術大学学長に就任する1993(平成5)年 文化功労者として顕彰される1996(平成8)年 日本美術院理事長に就任する1997(平成9)年 故郷の瀬戸田町に平山郁夫美術館が開館1998(平成10)年 文化勲章を受章する2000(平成12)年 12月31日、玄奘三蔵院《大唐西域壁画》完成2007(平成19)年 東京国立近代美術館と広島県立美術館で回顧展を開催 イベント情報 講演会 「平和への祈り」 平山郁夫 2007年9月20日(木)終了しました。 14:00-15:00 学術総合センター・一橋記念講堂 (東京都千代田区一ツ橋2-1-2) 定員500名。聴講無料。要申し込み。 「平山郁夫の人と芸術」 尾崎正明(当館副館長・本展企画者) 2007年9月29日(土)終了しました。 14:00-15:30 当館講堂 聴講無料。定員150名。 カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2007年9月4日(火)~10月21日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)入館は閉館30分前まで 9月10日(月)、9月25日(火)、10月1日(月)、10月15日(月)*9月17日(月・祝)、18日(火)、24日(月・振休)、10月8日(月・祝)、9日(火)は開館いたします 一般1,300円(900円)、大学生900円(600円)、高校生500円(350円)中学生以下、および障害者(付添者は原則1名まで)の方は無料。それぞれ入館の際、生徒手帳、障害者手帳等をご提示ください。*( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。*本展の観覧券で、入館当日に限り、同時開催の「崩壊感覚」(2F ギャラリー4)、所蔵作品展「近代日本の美術」(4-2F)もご覧いただけます。*観覧券は東京国立近代美術館の他、チケットぴあ、ローソンチケット、イープラス、CNプレイガイドなどでもお求めいただけます。 東京国立近代美術館、読売新聞東京本社 財団法人 文化財保護・芸術研究助成財団 日本サムスン、光村印刷 広島県立美術館 2007年11月2日(金)~12月24日(月・振休)

日本彫刻の近代
展覧会について 日本には古来、仏像、神像、建築装飾、置物など、今日「彫刻」と総称されるさまざまな表現が存在しています。しかし、祈りのための彫像や日常の愛玩物ではなく、西洋的、近代的な意味での純然たる鑑賞の対象としての「彫刻」という考え方が本格的に移入されはじめたのは、「絵画」よりも遅く、明治30年代になってからのことでした。それと前後して、象牙の置物や根付などの工芸美術品が外国向けの輸出品としてもてはやされたり、歴史的偉人や事績を顕彰するための記念碑彫刻が推奨された時代などもあり、彫刻というジャンルが、芸術家個人の自由な表現として認められるのは、ようやく明治末年から大正初めにかけて、荻原守衛や高村光太郎らの活躍をみてからでした。その後、大正から昭和にかけての日本彫刻の歩みも、決して平坦なものではありません。ロダンの弟子のブールデルや、マイヨールらに学んだ彫刻家たちが、20世紀の思潮を持ちかえる一方、伝来の木彫界でもさまざまな変転があり、また戦後になると、多種多様な素材・技法による抽象表現が現われてきました。 この展覧会は、幕末・明治期から1960年代までの近代日本彫刻史を、68名の彫刻家の約100点の作品によって振り返りながら、この分野における「近代」とは何であったかというテーマに、さまざまな角度から光を当てようとするものです。絵画史と比較すると、日本の近代彫刻史を通覧する試み自体が少なく、また、研究成果の蓄積も、残念ながら十分とはいえません。本展が、日本彫刻における近代について改めて見直すきっかけとなり、彫刻芸術の魅力を広く紹介する機会となれば幸いです。 ここが見どころ 日本の近代彫刻100年の100点 まとめて見る機会のなかなか少ない日本の近代彫刻。本展では高村光雲の代表作《老猿》(重要文化財)をはじめ、貴重な作品を数多く各地から集め、明治からの日本近代彫刻100年間の歩みを、100点の作品でたどります。 多様な主題、材質、技法 日本の近代彫刻は、100年の間に多様に展開しました。そのため本展で紹介する作品は、主題も宗教的なものから肖像、動物、そして抽象まで幅広く、素材も木、石、ブロンズ、象牙、鉄、アルミなど多岐にわたります。さらに、高さ3mにも及ぶ竹内久一《神武天皇立像》からわずか7cmの高村光太郎《柘榴(ざくろ)》まで、実に多様な作品が集まります。 カタログを一般書籍として刊行 日本の近代彫刻史の教科書をめざした詳細なカタログを淡交社から一般書籍として刊行。書店でもお求めいただけます。3つの巻頭論文と時代別の8つの論考、そして個別のエピソードを紹介したコラムなど、読み応えのある一冊です。 展覧会構成 I 「彫刻」の夜明け 明治初期に西洋から伝えられた「彫刻」という概念と、それまで日本に存在した仏像や人形や置物などとの間で、作家たちは新しい表現を模索し始めました。こうした黎明期の取り組みを、宮川香山(初代)、高村光雲、石川光明などの作品によって紹介します。 Ⅱ 国家と彫刻 明治20年代頃から、近代国家体制の整備の一環として、権力者の像や歴史や神話と関連する主題の銅像が全国に設置されていきました。高村光雲、竹内久一、大熊氏廣などの作例を、実際の銅像は移動不可能なため、試作品や関連作品、写真などによって紹介します。 Ⅲ アカデミズムの形成 1907(明治40)年開設の文部省美術展覧会(文展)で活躍した新海竹太郎、朝倉文夫、建畠大夢、山崎朝雲らの作品を紹介します。展覧会制度の整備によって、特定の個人を顕彰する銅像的なものから鑑賞のためのものへと、彫刻は変化していきました。 Ⅳ 個の表現の成立 明治時代末から大正時代前期にロダンの芸術が紹介され、作家の個性と内面の表現を重視する新しい彫刻思想が広まりました。高村光太郎、荻原守衛、中原悌二郎、戸張孤雁など、この潮流の中で制作した作家たちの作品を紹介します。 Ⅴ 多様性の時代 大正後期から昭和前期にかけての時期は、ロダンの紹介から時を経て、技法や題材が再検証された時代です。高村光太郎、石井鶴三、橋本平八など、伝統と近代とをめぐって葛藤しながら、個性を探求していった作家たちを紹介します。 Ⅵ 新傾向の彫刻 1920年代に西洋のモダニズムの影響を受け、従来の彫刻概念を変えようとした仲田定之助らの前衛的な作品や、都市の近代化の中で彫刻と建築との総合を目指した団体「構造社」の作家たちの作品を紹介します。 Ⅶ 昭和のリアリズム ブールデル、マイヨール、デスピオといったロダン以後のフランス近代彫刻の影響を受けながら、大戦間の時代に日本人彫刻家としてのアイデンティティを模索していった高田博厚、柳原義達、佐藤忠良、舟越保武などのヒューマニスティックな作品を紹介します。 Ⅷ 抽象表現の展開 きわめて多様に展開した戦後の抽象表現を「抽象彫刻の草創期」、「転換期――彫刻の「表面」をめぐって」、「物質と空間――1960年代後半~」の三つに分け、堀内正和、建畠覚造、豊福知徳、若林奮らの作品を紹介します。 イベント情報 パネル・ディスカッション 2007年12月8日(土) 13:00-16:00 当館講堂 黒川弘毅(彫刻家、武蔵野美術大学教授)、田中修二(大分大学教育福祉科学部准教授)、古田亮(東京藝術大学大学美術館准教授)、松本透(当館企画課長) 聴講無料、申込不要、先着150名 ギャラリー・トーク いずれも参加無料(要観覧券)、申込不要 大谷省吾(当館主任研究員) 2007年11月30日(金) 18:00-19:00 企画展ギャラリー 松本 透(当館企画課長) 2007年12月14日(金) 18:00-19:00 企画展ギャラリー カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2007年11月13日(火)~12月24日(月) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)入館は閉館30分前まで 月曜日 *2007年12月24日(月・振休)は開館 一般850(700/600)円、大学生450(350/250)円、高校生250(150/100)円 中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方と付添者1名は無料*それぞれ入館の際、生徒手帳、障害者手帳等をご提示くださいいずれも消費税込、( )内は前売/20名以上の団体料金本展観覧券で、当日に限り、「天空の美術」、所蔵作品展「近代日本の美術」もご覧いただけます観覧券は全国チケットぴあ他、ファミリーマート、サンクスにて取り扱います(一部店舗を除く)*前売券は、9月19日(水)から11月12日(月)まで 東京国立近代美術館、日本経済新聞社 すでに宮城県美術館(2007年8月7日~9月17日)、三重県立美術館(2007年9月26日~11月4日)で開催され、当館が最終会場です

アンリ・カルティエ=ブレッソン:知られざる全貌
展覧会について 「決定的瞬間」をとらえた写真家として知られるフランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908-2004)。彼は絵画を学んだ後、1930年代初頭に、本格的に写真にとりくみはじめます。35mmカメラによるスナップショットの先駆者として、独特の鋭い感性と卓越した技術を結晶させたその写真表現は、ごく早い時期から、高い完成度を示していました。 1952年に初の写真集『逃げ去るイメージ(Images à la sauvette)』を出版。そのアメリカ版の表題である『決定的瞬間(The Decisive Moment)』は、カルティエ=ブレッソンの写真の代名詞として知られるようになります。日常のなかの一瞬の光景を、忘れがたいイメージへと結晶させる作品は、同時代の写真表現に大きな影響を与えました。日本でも1950年代にその仕事が紹介されると大きな反響を呼び、その作品は広く愛されてきました。 本展は、ヨーロッパ以外では初めての巡回であり、日本国内では東京国立近代美術館のみの開催です。本展は、パリのアンリ・カルティエ=ブレッソン財団とマグナム・フォトの協力によって制作されました。This exhibition has been created by Henri Cartier-Bresson Foundation in Paris in collaboration with Magnum Photos. ここが見どころ ヴィンテージ・プリントは今回日本初公開! カルティエ=ブレッソンは、1947年のマグナム設立以降、撮影に専念するため、暗室作業を信頼できるラボに全面的に任せていましたが、本展ではひとつの章を、本人がプリントした、数十点のヴィンテージ・プリントの紹介にあてています。「カルティエ=ブレッソンの灰色」と呼ばれる独特の中間調のトーンは、この貴重なヴィンテージ・プリントにとりわけ特徴的です。カルティエ=ブレッソンのヴィンテージ・プリントがまとまって展示されるのは、日本では初めての機会となります。 まだまだある日本初公開の資料! 撮影のさまたげになるという理由で、カルティエ=ブレッソンはほとんど自らの肖像を撮らせなかったといいます。本展では、幼少期の家族写真や、各地を取材したときの記者証、さまざまな書簡や手稿など、人間カルティエ=ブレッソンを伝えてくれる多くの初公開資料が展示されます。 油彩やデッサンも! 描くことへの情熱 少年時代から美術に親しんだカルティエ=ブレッソンは初め画家を志し、アンドレ・ロートのアトリエで学びました。また73年頃からはほとんどデッサンに専念するようになります。本展では初期の貴重な油彩に加えて、数十点のデッサンが展示されます。「写真は瞬間の行為であり、素描は瞑想だ」と語ったカルティエ=ブレッソン。油彩や素描には、彼の眼がどのように世界を捉えようとしていたのか、その秘密の一端をうかがうことができるでしょう。 カルティエ=ブレッソンによる最後のメッセージ?! この展覧会がベルリンに巡回していた2004年8月にカルティエ=ブレッソンは95年の生涯を閉じました。最晩年、自ら企画・構成に関わったこの展覧会は、写真家集団マグナム・フォトの創設メンバーのひとりとして、20世紀を見つめた写真家が、21世紀に遺したメッセージとなりました。 展覧会構成 多角的な章構成 「ヨーロッパ」「アメリカ」「インド」「中国」「ソヴィエト」など、取材した国や地域ごとの章に加えて、「ポートレイト」「風景」といったジャンルによる章、またそうした枠組みをとりはらってよく知られた代表作だけを集めた「クラシック」の章など、この展覧会は、多角的な視点からアンリ・カルティエ=ブレッソンの仕事の全貌をたどります。 そこで浮かび上がってくるのは、眼の前の世界が完璧な調和をみせる一瞬を捕獲する妥協なき芸術家としてのまなざしや、ガンジー暗殺や中国共産党政権の成立など、適確な時と場所にいあわせて歴史の分岐点を目撃するというジャーナリストとしてのすぐれた資質です。 多角的な視点から、カルティエ=ブレッソンの多面性が見えてくることでしょう。 なお本展ではアンリ・カルティエ=ブレッソンによるフィルムなど、映像作品も展示されています。すべてを見ると、1時間以上かかります。ぜひ、お時間に余裕を持ってご来館ください。 カルティエ=ブレッソンについてのフィルム(約10分)セルジュ・トゥビアーナ編 1. ジョン・ミリ「友情」 2分44秒2.ロベール・デルピール「コンタクツ:アンリ・カルティエ=ブレッソン」 1997年 7分〔オリジナル15分からの抜粋〕 カルティエ=ブレッソンによるフィルム(約15分)セルジュ・トゥビアーナ編 3.アンリ・カルティエ=ブレッソン「生命の勝利」 1937年 5分30秒〔オリジナル49分からの抜粋〕4. アンリ・カルティエ=ブレッソン「スペインは生きる」 1938年 6分5秒〔オリジナル43分32秒からの抜粋〕5. アンリ・カルティエ=ブレッソン「帰還」 1944/45年 3分10秒〔オリジナル32分37秒からの抜粋〕 カルティエ=ブレッソンへのオマージュ(約1時間) 6.サラ・ムーン「アンリ・カルティエ=ブレッソン ― 疑問符」 1994年 37分7.ロベール・デルピール「現行犯」 1967年 22分 作家紹介 アンリ・カルティエ=ブレッソン Henri Cartier-Bresson (1908-2004) 1908年フランス、セーヌ=エ=マルヌ県シャントルーに生まれる。画家を志しパリでアンドレ・ロートに学んだ後、31年から翌年にかけアフリカ象牙海岸に滞在中に写真を撮り始め、小型カメラ「ライカ」で撮影したスナップショットが注目される。30年代後半には映画監督ジャン・ルノワールの助手を務めるなど映画制作に従事。第二次大戦中は従軍し、ドイツ軍の捕虜となるも脱走、レジスタンス活動に加わり、大戦末期にはパリ解放などを撮影した。戦後47年にロバート・キャパらと写真家集団マグナム・フォトを結成、以後インドや中国、アメリカ、旧ソヴィエト(当時)、そして日本など、世界各地を取材した。52年に初の写真集を出版、そのアメリカ版の表題『決定的瞬間(The Decisive Moment)』は、カルティエ=ブレッソンの写真の代名詞として知られることになる。スナップショットによって、日常のなかの一瞬の光景を、忘れがたい映像へと結晶させる作品は、同時代の写真表現に大きな影響を与えた。70年代以降はドローイング制作に専念、2004年フランス南部の自邸で死去した。 イベント情報 講演会 「チョートク、カルティエ=ブレッソンを語る」 2007年6月30日(土) 14:00-15:30 講堂 田中長徳(写真家) 聴講無料、申込不要、先着150名 「アンリ・カルティエ=ブレッソンと日本」 2007年7月21日(土) 14:00-15:30 講堂 増田玲(当館主任研究員) 聴講無料、申込不要、先着150名 カタログ情報 正方形というちょっと珍しい版型です 本展にあわせて小さめのカタログを発行いたします。 デザインは、BEAMSのメンズカタログ(2005-06年秋冬コレクション)などで注目を集めている今井千恵子氏(n.b graphics)。 正方形のハードカバーという珍しい版型で、透明のケース付き。出品点数約350点(写真作品)のうち、掲載点数は30点と少なめですが、中条省平氏(学習院大学教授、フランス文学者)のエッセイや、フランス語から訳出したアンリ・カルティエ=ブレッソンによる「決定的瞬間」、そしてもちろん、展覧会担当者によるテキストを収めており、読み応えのある内容になっています。 20×20cm/119p p.8 メッセージ(マルティーヌ・カルティエ=ブレッソン)p.9 Message(Martine Cartier-Bresson)p.10 序(ロベール・デルピール)p.11 Preface(Robert Delpire)pp.12-13 なまなましい存在感、幾何学的な静謐さ(中条省平)pp.15-84 図版[コラム] カメラと撮影 HCBとプリント 若き日のHBC(1):1920年代のパリで 若き日のHBC(2):旅の日々 HBCとマグナム・フォト HBCとジャーナリズム 写真集『決定的瞬間』 再び絵画へpp.87-95 決定的瞬間(アンリ・カルティエ=ブレッソン)pp.96-103 アンリ・カルティエ=ブレッソンと日本(増田玲)pp.104-113 Henri Cartier-Bresson and Japan(Rei Masuda)pp.114-116 略年譜 1800円(税込) 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2007年6月19日(火)~8月12日(日) 午前10時~午後5時金曜日は午後8時まで(入館は閉館30分前まで) 月曜日 *2007年7月16日(月・祝)は開館、翌17日(火)は休館 一般800(700/600)円、大学生400(300/200)円、高校生250(150/100)円 中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方及び付添者1名は無料*それぞれ入館の際、生徒手帳、健康保険証、運転免許証、障害者手帳等をご提示くださいいずれも消費税込、( )内は前売/20名以上の団体料金前売券は全国チケットぴあ他、ファミリーマート、サンクスで6月18日まで取り扱います(一部店舗を除く)本展観覧券で、当日に限り、「アンリ・ミショー展」、「所蔵作品展 近代日本の美術」もご覧いただけます 東京国立近代美術館、マグナム・フォト東京支社、アンリ・カルティエ=ブレッソン財団、日本経済新聞社 あいおい損害保険、大日本印刷、ライカカメラジャパン エールフランス航空 本展は日本国内での巡回はありません

生誕100年 靉光展
展覧会について 昭和の戦前・戦中期に、きわめて個性的な作品を描き、近代日本美術史上に大きな足跡を残した画家、靉光(あいみつ)。このたび彼の生誕100年を記念する回顧展を開催します。 靉光(本名:石村日郎、1907-1946)は広島県に生まれました。1924(大正13)年に上京し、「池袋モンパルナス」と呼ばれた界隈で仲間たちと切磋琢磨しながら、自らの画風を模索していきます。その探究の果てに生み出された《眼のある風景》(1938年)や、細密で幻想的な一連の作品は、シュルレアリスムの影響を思わせつつも、けっしてその一言では片付けられない独自性と“謎”に満ちています。描く対象に鋭く迫り、写実を突き詰め、そして突き抜けた先に生み出された幻想。この類まれな境地に達した彼ですが、戦争によってその画業は途絶しました。召集を受けた彼は、終戦後まもなく上海で、わずか 38歳で戦病死したのです。 現存する彼の作品は、必ずしも多くはありません。しかし、描く対象の本質をえぐり出すようなその作品の評価は、今日ますます高まっています。本展では、幻想的な作品をはじめ、応召前に残した3点の自画像など代表作を網羅し、約130点の作品を時代・傾向別に4つの章に分け、靉光の見つめたものを検証します。 ここが見どころ 生誕100年の大回顧展、代表作一堂に 日本のシュルレアリスム的絵画の金字塔《眼のある風景》をはじめ、晩年の自画像3点など、生誕100年を記念して靉光の代表作が集います。生前、自らの作品の多くを破棄し、故郷広島に残した作品は原爆で焼失するなど、現存する作品は多くありません。靉光の貴重な作品をまとめて見ることのできる絶好の機会です。 多彩な表現 靉光は、《眼のある風景》に代表されるような幻想的な作品が有名ですが、実はその短い画業の中できわめて多彩な表現を試みました。初期はゴッホやルオーの影響から出発し、「ロウ画」と呼ばれる溶かしたクレヨンなどによる作品や、東洋的な描き方も試みています。早すぎる晩年には自画像のような新しい写実を模索しました。とりわけ「ロウ画」は他に例を見ないきわめてユニークな技法です。ご注目ください。 驚くべき密度 靉光の絵の特徴はなんといっても、過剰なまでに描き込んだ密度の高さです。《眼のある風景》では絵具を何度も重ねたり削ったりする作業が繰り返され、また《二重像》では、面相筆とよばれる日本画用の極細の筆で、B5判ほどの紙に驚くべき細密さで幻想的な世界が描かれています。印刷での再現が困難なほどのその密度を、ぜひ実物でご覧ください。 久しぶりに公開される作品 《馬》(1934年、メナード美術館蔵/展示期間3月30日~4月22日)、《パーサーの像》(1943年、蘭島閣美術館蔵、展示期間3月30日~4月 22日)、《チューリップと蝸牛》(1932年)は、いずれも靉光の回顧展としては1979年以来の28年ぶりの公開となります。とりわけ《馬》は、保存上の理由からめったに公開されることのない作品です。この機会にどうぞお見逃しなく。 展覧会構成 第1章 初期作品 広島に生まれた石村日郎は、少年時代から絵に興味を持ち、はじめ広島市内の印刷所で働きますが、本格的に絵を学ぶために大阪へ、そして東京へ出て「靉光」と名乗るようになります。ゴッホやルオーなど、さまざまな画家の作風を試みながら、あちこちの美術公募展に腕試しのように出品しました。しかしまもなく彼は、自分自身のスタイルを求めて悩むようになり、クレヨンやロウを溶かして絵具と混ぜ、不気味さとユーモアをあわせ持つ小品を生み出していきます。 第2章 ライオン連作から《眼のある風景》へ 新しい作風を模索するうちに、靉光は上野動物園に通ってさまざまな動物をスケッチし、ライオンを描いた一連の作品で注目を浴びるようになります。しかし彼の描いたライオンは、ただの写生ではありませんでした。描く対象に迫るために絵具を塗ったり削ったりする作業を繰り返すうちに、次第に幻想的な世界が生み出されていくのです。こうした制作方法をつきつめて、代表作《眼のある風景》が描かれました。当時フランスから紹介されていた前衛芸術、シュルレアリスムとも呼応するようなこの作品は、強烈な存在感で、見る者を逆に見つめ返します。 第3章 東洋画へのまなざし シュルレアリスムというフランスの前衛美術に関心を持ちつつも、靉光はその形式的な模倣をしようとはしませんでした。彼はむしろ、中国の古い時代(宋・元時代)の絵画などに触発されながら、闇の中に植物が生い茂り、その中に虫や鳥が見え隠れする濃密な幻想世界を描くようになります。彼はまたこの時期、日本画で用いる面相筆という細い筆を用いて、さまざまな物体が増殖していくような不思議なイメージの世界を描いたり、墨による自由闊達な表現も試みたりしました。 第4章 自画像連作へ 戦争の激化に伴い、前衛的な表現が取り締まりの対象となる中で、靉光は再び模索を始めます。松本竣介らと「新人画会」を結成して、戦時下でも自分たちの描きたい作品だけを発表することを貫いた彼は、自己を見つめる作業を通して、3点の自画像を描きました。孤独、絶望、あるいは力強さ、未来への意志……。さまざまに解釈のできる印象深い自画像を残して彼は戦場へと召集され、戦後まもない1946年1月に、上海で戦病死しました。 イベント情報 講演会 「靉光の幻想世界はどのように生み出されたか」 2007年4月21日(土) 14:00-15:30 講堂 大谷省吾(当館主任研究員) 「靉光と池袋モンパルナス」 2007年5月12日(土) 14:00-15:30 講堂 土方明司(平塚市美術館学芸主管) ギャラリー・トーク 2007年4月20日(金)18:00-19:002007年5月11日(金)18:00-19:00 会場 大谷省吾(当館主任研究員 学校教職員対象の鑑賞プログラム「生誕100年 靉光展」美術館活用研究会 04月03日(火) 終了しました 14:00~15:30 小・中・高校の教員および職員先着150名(事前申込制) カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー(1F) 2007年3月30日(金)~5月27日(日) 午前10時~午後5時金曜日は午後8時まで(入館は閉館30分前まで) 月曜日 ただし4月2日(月)と4月30日(月)は開館 一般1,300円(1,100円/900円)、大学生800円(700円/500円)、高校生400円(300円/250円)中学生以下、および障害者(付添者は原則1名まで)の方は無料。それぞれ入館の際、生徒手帳、障害者手帳等をご提示ください。( )内は前売/20名以上の団体料金の順。いずれも消費税込。 観覧券は、JR東日本の主なみどりの窓口・びゅうプラザ、チケットぴあ、ローソンチケット、セブンイレブンなどで取り扱っています。*前売券は2007年3月1日より3月29日まで *本展の観覧券で入館当日に限り、同時開催の「リアルのためのフィクション」「所蔵作品展 近代日本の美術」もご覧いただけます。 東京国立近代美術館、毎日新聞社 新生銀行 大日本印刷、毎日ビルディング 宮城県美術館 2007年6月9日(土)~7月29日(日)広島県立美術館 2007年8月10日(金)~10月8日(月・祝)

都路華香展
展覧会について 都路華香(つじ・かこう、1871-1931)は、竹内栖鳳、菊池芳文、谷口香嶠とともに、「幸野楳嶺門下の四天王」と並び称された日本画家です。華香はさまざまな展覧会で活躍する一方、教育者としても近代京都画壇の隆盛を支えました。 華香は京都を代表する作家の一人でありながら、今や知る人ぞ知る存在といえるでしょう。その理由の一つには、主要な作品が散逸し各所に秘蔵されていたという事情があります。それゆえ、華香没後の昭和7(1932)年に、華香の弟子であった冨田溪仙の主導によって、大がかりな遺作展が開催されて以降、現在にいたるまで、本格的な展覧会は一度もおこなわれてこなかったのです。 このたびの展覧会は、京都国立近代美術館が中心となり、作品の所在を一つ一つ探し当て、調査をおこなうという地道な研究活動の末に初めて実現にいたったものです。 幼い頃から学んだ四条派の画風に、建仁寺の黙雷禅師に参禅して得た精神性をまじえ、新技法を積極的に取り入れた華香の画風は、現代の我々から見ても新鮮な魅力に満ちています。最近では、その画風が海外で愛され、アメリカに多くの作品が所蔵されています。 本展覧会では代表作を網羅する初期から絶筆《黙雷禅師肖像》までの作品約80点と、大下図、素描、資料等を紹介し、華香芸術の全貌に迫ります。 ※前期(1月19日~2月12日)、後期(2月14日~3月4日)で約30点の展示替があります。 ここが見どころ 待望の初回顧展 戦前の遺作展以来、初となる本格的な回顧展です。地道な調査によって探し当てた作品を一堂に会します。幼い頃から慣れ親しんだ四条派の作風から、大正、昭和期の大らかで自由な作風まで、自在に変転した華香芸術の全貌を紹介します。 華香の先見性に注目 琳派風の装飾性と、印象派絵画の雰囲気をあわせもつ《緑波》(グリフィス&パトリシア・ウェイコレクション)、独創的な水墨表現をみせる《良夜》(京都国立近代美術館蔵)など、華香は波をモチーフにさまざまな表現的試みをおこなっています。ことに明治末から大正初めにかけての時期は、華香にとって模索の時期であると同時に、新技法を盛んにとりいれて意欲的な作品を数多く描いた時期といえるでしょう。華香芸術にみられる洋画的ともいえる表現には、国画創作協会の活動にもつながりゆく先見性がうかがわれます。 素描、資料も豊富に出品 本画ばかりでなく、素描、大下図、資料などを多数出品します。その多くはこのたび初出品となるものです。本展では、これらの出品作によって華香の創作の秘密にも迫ります。 展覧会構成 第1章 写実表現と日本画の問題 1903年-1938年竹喬は1903年に京都の竹内栖鳳に入門しました。西洋近代絵画の写実表現をとりいれた栖鳳の制作に学びながら、自らも西洋絵画のエッセンスを貪欲にとりこんでゆきました。この時期、竹喬をとらえたのは<写実>でした。それは技法だけの問題ではなく、いかに自然の真実をつかむかという問題でもあったため、竹喬は東洋の南画や、竹喬と同時代の画家たちの作品にも学びながら、画風を変化させてゆきます。1918年、竹喬は土田麦僊らとともに国画創作協会を立ち上げます。しかし、やがて日本画材で写実を追及することに困難を覚えるようになります。1921年からの約1年のヨーロッパ旅行をはさみ、竹喬は東洋絵画における線の表現を再認識することになり、線描と淡彩による南画風の表現に到達します。 特集展示Ⅰ 竹喬の渡欧 竹喬は国画創作協会の仲間である土田麦僊、野長瀬晩花、そして洋画家の黒田重太郎とともに、1921年にヨーロッパへと出発しました。日本画家がヨーロッパで学びたかったものとは何だったのでしょう。この特集展示では、黒田の「芸術巡礼紀行」連載の挿図のために、竹喬と麦僊が描いたスケッチを紹介します。 第2章 自然と私との素直な対話 1939年-1979年1939年頃から竹喬の画風には変化が現れます。新しい画風は、色の面によって対象を把握し、かつ日本画の素材を素直に活かそうとするものでした。この時期、竹喬は大和絵の表現を手本とし、線も色も古い大和絵に学ぼうとしたのです。この転換はその後の竹喬作品の方向性を決定づけました。それ以降、竹喬はおおらかで単純な形と温雅な色彩を特徴とする表現を深めます。そして「風景の中にある香りのようなもの」をとらえようと無心の境地で自然と向き合うことで、ゆるぎない独自の世界を確立してゆきます。 特集展示Ⅱ 奥の細道句抄絵 10点からなる《奥の細道句抄絵》は竹喬晩年の代表作です。竹喬はこの作品で、江戸時代の俳人、松尾芭蕉の『おくのほそ道』をもとに、その句意を絵にしようと試みました。この特集展示では、この連作を制作するために竹喬がおこなったスケッチや下図など10点を、《奥の細道句抄絵》全10点とともに紹介します。 作家紹介 都路華香 (明治3年-昭和6年、1871-1931)京都市上京区の生まれ。本名、辻良景、通称宇之助。実家は友禅描きを営んでいました。満9歳の時に幸野楳嶺に師事。折しも社会は近世から近代へと移り変わる最中で、東京と同様京都でも、新しい時代に即応した絵画の創造を求めて多くの若手画家達が意欲的な作品を発表していました。中でも楳嶺門下生の活躍は目覚ましく、華香も竹内栖鳳らと共に同門下の四天王と呼ばれ、京都後素協会展や新古美術品展など京都内の展覧会だけでなく、内国勧業博覧会、絵画共進会など全国的な展覧会でも受賞を重ねています。明治40(1907)年に文部省主催美術展覧会(文展)が開設されると、その第1回展から出品、第10回展では《埴輪》が特選となるなど文展でも活躍、大正8(1919)年、文展が帝国美術院主催美術展覧会(帝展)と改組された後も、13年の第5回展から審査員を務め、京都を代表する画家の一人として、近代京都画壇の隆盛を支えました。門下からは冨田溪仙らを輩出しています。 イベント情報 講演会(当館講堂)*聴講無料 「初めて華香芸術に触れる人のために」 2007年2月12日(月) 14:00-15:30 小倉実子(本展企画者、京都国立近代美術館主任研究員) 申込不要、先着150名 研究員によるギャラリートーク 2007年2月16日(金) 18:00- 鶴見香織(当館主任研究員) *参加無料(要本展観覧料)、申込不要 カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー(1階) 2007年1月19日(金)~3月4日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)(入館は閉館30分前まで) 月曜日(2月12日は開館)、2月13日(火) 一般830円(700/560円)、大学生450円(350/250円)、高校生250円(200/130円)( )内は前売/20名以上の団体料金の順。 いずれも消費税込。中学生以下、および障害者(付添者は原則1名まで)の方は無料です。それぞれ入館の際、生徒手帳、健康保険証、運転免許証、障害者手帳等をご提示ください。 前売は全国チケットぴあ他、ファミリーマート、サンクスにて取扱い(一部店舗を除く)*本展の観覧券で入館当日に限り 「柳宗理」展、 「生々流転」展、 所蔵作品展もご覧いただけます。 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館 京都国立近代美術館:2006年11月17日(金)~12月24日(日)笠岡市立竹喬美術館:2007年3月10日(土)~4月15日(日)

ゴッホ展:孤高の画家の原風景 ファン・ゴッホ美術館 クレラー=ミュラー美術館所蔵
展覧会について ファン・ゴッホ美術館/クレラー=ミュラー美術館所蔵 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。オランダに生まれ、わずか十数年の活動で約2000点の作品を遺し、フランスで37歳の命を自ら絶った伝説の画家。燃え上がるような色彩と情熱的な画風は今もなお、私たちの心をとらえて離しません。 このたび、彼の祖国オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という、世界最高峰の二大ゴッホ・コレクションから出品される回顧展を開催いたします。 生涯たった一枚しか絵が売れなかったにもかかわらず、死後には作品がオークションで巨額で落札されるというエピソードや、伝説的に語られる人生もまた、彼を世界でもっとも著名な画家にしているといえます。パリ滞在中にジャポネズリー(日本趣味)に傾倒し、浮世絵をモチーフにした作品を制作した事実もあいまって、日本人に非常に人気のある画家の一人でもあります。 本展は、これまで日本で開催されてきたゴッホ展とは一線を画します。その作品を大きな歴史の流れのなかでとらえ、ファン・ゴッホの代表作など約30点と、ミレー、セザンヌ、モネ、ゴーギャンなど関連作家の作品約30点、そして浮世絵や同時代の資料多数を同時に紹介。オランダ、パリ、アルル、サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズなど、北から南、そしてまた北へと移り住みながら精力的に生み出していった作品群を、ほぼ時代順に、かつテーマごとに展示し、単にファン・ゴッホの生涯を追うのではなく、一人の画家の出現の理由をあきらかにします。誰もが知っているファン・ゴッホを再確認しながら、新たな画家像が浮かびあがってくるのです。 ファン・ゴッホを生涯支え続けた弟テオのコレクションを引き継いで世界最多のゴッホ作品を所蔵するファン・ゴッホ美術館。一方、20世紀初頭と早い時期からゴッホ作品の収集を続けた、貿易会社社長夫人ヘレーネ・クレラー=ミュラーによる、これまた世界最大規模のゴッホ・コレクションを有するクレラー=ミュラー美術館。オランダが世界に誇る豊潤な二大コレクションから作品を選ぶことで、今回のコンセプトによる回顧展が初めて可能になりました。〈芸術家としての自画像〉〈黄色い家〉〈夜のカフェテラス〉〈糸杉と星の見える道〉など、両美術館所蔵の代表作を含む作品構成は、日本のみならず世界のゴッホ回顧展の中でも特色があり、また際立ったレベルにあるといえましょう。 珠玉の作品群からファン・ゴッホの創造の源、魂の叫び、「孤高の画家」と呼ばれる彼の本当の姿を見てとれるエキサイティングな内容にどうぞご期待ください。 ここが見どころ 天才画家と言われてきた、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。彼の芸術は世界中の人々を惹きつけ、多くの展覧会が各地で開催されてきました。ですが、存在が神話化されるにつれて、ファン・ゴッホが身を置いていた原風景にたどりつく機会は逆に失われてしまったのではないでしょうか。 本展は、単なる回顧展でもなければ、ある特定の時代や主題に絞ったテーマ展でもありません。〈夜のカフェテラス〉など美術史上の傑作を含むファン・ゴッホの油彩30点に、ミレー、セザンヌ、モネ、ゴーギャンなど関連する作家の油彩約30点、そして宗教的な版画や浮世絵など様々な同時代の資料多数をあわせて紹介することで、画家の実像にせまろうとするものです。 こうしたコンセプトによる意欲的な展覧会が、なぜここ日本で実現可能となったのか。それは本展が、ファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という、オランダが世界に誇るファン・ゴッホ作品の二大コレクションから、初期から晩年までの各時代の代表作を含みつつ作品を選ぶことができたからです。 展示は時代を追いつつテーマ毎に構成されます。宗教から芸術へと向かった画家が、印象派や浮世絵の体験からその絵画世界を変容させ、ユートピアを夢想し、その後、模写を通して宗教的なものへと立ち戻りつつ最後の風景を求めるようになるまで・・・歴史的な原風景を背景にして、新たな、けれど本当の画家の姿が、鮮やかに浮かびあがってくることでしょう。 第 1 章:宗教から芸術へ フィンセント・ファン・ゴッホは、1853年3月30日、オランダ南部のフロート・ズンデルトに生まれました。祖父も父も牧師という家に生まれたファン・ゴッホは、自らもまた牧師を目指しますが、その道はなかなか開けず、様々な試行錯誤の末、27歳にして芸術家になることを決意します。しかし、宗教への関心を失ったわけではありません。彼は、芸術=宗教といえるような作品を描こうとしたのです。1885年の〈開かれた聖書のある静物〉では黒い聖書のとなりに黄表紙の小説を描いているように、彼は、闇の中に光を探そうとする強い意志を持っていました。展覧会には、父親が所蔵していた聖書も出品されます。 開かれた聖書のある静物 聖書は、牧師であった父親が使っていたもの。この絵は、その父親が亡くなった約半年後に描かれました。衝突を繰りかえした父親の形見の横の黄色い本には「エミール・ゾラ」「生きる喜び」との書き込みがあります。当時ファン・ゴッホはゾラに代表されるフランス自然主義文学に心酔していたのです。聖書と新しく自由な芸術世界を象徴する小説との対照は、そのまま、父親とファン・ゴッホとの関係であるとも言えます。 第 2 章:農民の労働 芸術のメタファー 〈オランダ〉 ファン・ゴッホは芸術家を志したとき、「人民の挿絵画家」になると語っていました。そんな彼が最初に描こうとしたのは、実際に目にした、貧しくても強く生きる人々の姿でした。苦しい労働に黙々と耐えながら、何ものかを生み出してゆく農民に対する共感は、〈織工〉(1884年)の窓に十字架が描きこまれているように、彼の宗教観と結びついています。この時期のファン・ゴッホは、色彩を抑えた暗い調子で、匿名の人たちの生活の現実をまっすぐにとらえた作品を数多く生み出しました。 古靴 サボ(木靴)を描いたミレーの絵を賞賛していたファン・ゴッホは、パリ時代、靴の静物画を多く描きました(ちょうどその頃、パリで、ミレーの回顧展が開かれています)。 しかし、描かれたのがパリであるように、これらの靴は、単なる農民の生活の象徴ではありません。むしろ自らの歩みの同伴者として、自らの放浪の人生の象徴として描かれたのではないでしょうか。また、弟テオと自分とが一対であることを意味しているのかもしれません。 織工 3つの窓のある部屋 ベルギー南部の炭鉱地帯ボリナージュで伝道をしていた頃、ファン・ゴッホは、「僕は鉱夫や織工に大いなる共感を覚える。いつか彼らを描くことができたら嬉しい」と書いています。そして1883年末にニューネンに到着後、織工をテーマとした作品を数多く制作しました。織工はそれまでもオランダの絵画で描かれてきたテーマですが、ファン・ゴッホは、産業革命以降、機械化が進む中、過酷な条件のもとで働く彼らの姿を的確に捉えています。 第 3 章:闇から光へ 〈パリ〉 1886年3月ごろファン・ゴッホはパリを訪れます。そしてゴーギャン、シニャック、ベルナールなど、印象派に続く若い世代の画家たちに出会い、交流し、そして議論を戦わせました。彼は、自らを含めたこのグループを「プチ・ブールヴァール(裏通り)」の作家と呼び、その革新性を讃えます。そうして彼の描く絵は、明るくなっていきました。まさにそうしたころに描かれたのが〈芸術家としての自画像〉(1888年)で、意外にもこの作品は、自らを芸術家として描いた数少ない自画像のひとつなのです。また同時期、彼は自ら浮世絵を集め、自作と並べて展示したり、〈花魁〉(1887年)のような意欲的な作品を制作したりするなど、「日本」への関心を深めていきます。 花魁(渓斉英泉による) ファン・ゴッホの浮世絵への関心は高く、自ら買い集めて展覧会を開いてしまうほどでした。この作品は渓斉英泉の〈雲龍打掛の花魁〉を模写していますが、「日本」を特集した『パリ・イリュストレ』1886年5月号の表紙を元にしています。鮮やかな色彩はファン・ゴッホ独自のもので、また額を描きこむのも特徴的です。額の周囲には、ほかの浮世絵から鶴、蛙、蓮、竹が描きこまれていますが、蛙も鶴も、当時フランスでは、娼婦を意味するスラングでした。 芸術家としての自画像 自らを芸術家と認識できるように描いた数少ない自画像のひとつ。自画像としては特異なことに陰鬱な表情で描かれていますが、実際ファン・ゴッホは、ゴーギャンにあてた手紙で、「パリを離れるとき僕は本当に惨めで、体調も優れず、ほとんどアル中だった」と回想しています。とはいえ、この絵の構図がルーヴル美術館にあるレンブラントの自画像と結びつけられるように、このとき彼は、芸術的な高みに到達したいと願っていたのです。 レインスブルク近郊のチューリップ畑と風車 オランダを三度も訪れているモネが、風車とチューリップ畑という典型的なオランダの風景に魅了されていたことは、この絵が描かれた三度目の訪問時の作品に、チューリップ畑の主題が5枚もあることからわかります。その風景を描くときモネが用いたのが、粗い筆致と明るい色彩という印象派の手法でした。実はこの作品は、画商であった弟テオが扱った作品のひとつであり、ファン・ゴッホもおそらく目にしていたと考えられています。故郷の風景を描いた印象派の作品。パリに着いてからのファン・ゴッホの技法と色彩は、こうした作品を見知ったことを通して、より自由に、そしてずっと明るいものとなっていきました。 第 4 章:ユートピア 〈アルル〉 1888年ファン・ゴッホは「日本の浮世絵にあるような明るい光」を求めて南仏の町アルルに向かいます。ここでゴッホは芸術家の共同体をつくることを夢見て「黄色い家」を借り、精力的に制作に取り組みます。ですが、精神に異常をきたしたこともあり、ゴーギャンとの共同生活はわずか2か月で決定的な破局を迎えてしまいます。しかしアルルに滞在した15ヶ月の間に、彼は「ファン・ゴッホ」としての色彩を獲得し、〈夜のカフェテラス〉を頂点とする200点にものぼる作品群を生み出したのです。 黄色い家 1888年2月、ファン・ゴッホは、芸術家、とりわけゴーギャンとの共同生活を夢見てアルルにやってきました。南仏の自然は、「デルフトのファン・デル・メール[フェルメール]の絵のなかの、空色と黄色の組み合わせのように柔らかで魅力的だ」と言わせるほど、彼に強烈な印象を与えました。黄色い家は、そのアルルで、共同生活のために借りた家。フェルメールを想い起こさせた、青と黄色のコントラストが、この絵にはそのまま表現されています。ファン・ゴッホ曰く、「このモティーフは難物だよ!だからこそそいつを克服したいんだ」。 種まく人 農民の画家になろうと絵を描きはじめたファン・ゴッホにとって「種まく人」は、画業を通してずっと重要な主題でした。しかし、ミレーの模写ではなく、創意工夫をもって取り組んだのは、この作品が最初になります。「ミレーとレルミットの後に仕残されたこと、それは――大画面で色彩を駆使した種まく人なのだ」と語る彼は、パリで培った技法と独自の色彩論とを、この絵において綜合しました。そして、現実の風景に繋がりながらも、宗教的な強烈さを伝える〈種まく人〉が誕生したのです。 ミリエの肖像 アルルに駐屯していたアルジェリア歩兵連隊の少尉、ポール=ウジェーヌ・ミリエの軍服姿の肖像画。連隊の標章である星と三日月が、この絵に不思議な感じを与えています。ファン・ゴッホにとってミリエは、アルルでの数少ない友人のひとりで、素描を教えたりもしました。でもミリエは、「ファン・ゴッホのためにしばしばポーズしましたか」と訊かれて、「そうすべきだったんだろうけれど、あまり面白いものではなかったのですよ」と答えているのですが…。 第 5 章:模写/最後の風景 〈サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズ〉 芸術家の共同体をつくる夢に敗れたファン・ゴッホは、精神状態を悪化させ、サン=レミの病院に入ります。そこで彼は、ドラクロワやミレーの白黒の版画を、色彩と形態とが融合する独自の表現に置き換える模写を行いました。しかし度重なる発作は、彼を容赦なく苦しめます。サン=レミ時代の最後に描かれた〈糸杉と星の見える道〉では、静けさでみたされた星空と、もはや燃え上がることのない糸杉が、不吉な雰囲気を伝えるでしょう。そしてファン・ゴッホは、南仏を離れ、再び北へと戻るのです。パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズで、自然と宗教とが葛藤するかのような風景を描きながら、彼は自らの胸を撃ちました。享年37歳という短い人生でした。 糸杉と星の見える道 オーヴェールからゴーギャンに宛てた手紙の下書きのなかで、ファン・ゴッホはこの作品を、「あちら[サン=レミ]でやった最後の試みのひとつ」としています。彼はこの絵を描く少し前に発作に苦しめられて、オランダにいた頃のことを思い出し、馬車とカップルのある素描を描いていました。その意味でこの作品は、プロヴァンスと故郷の風景の融合ともいえます。そうした風景のなかで、巡礼者にも見えるカップル(彼の絵にしばしばあらわれるモチーフです)が、手前に小さめに描かれることで、死の象徴である糸杉が不穏なまでの存在感を強調しはじめるのです。 パンを焼く女 アルルで、モダン・アートに対して貢献したいと考えながらもゴーギャンとの共同生活の夢に敗れてしまったファン・ゴッホは、自分の願いは大それたものだったと反省し、サン=レミの精神療養院で、ミレーやドラクロワなど過去の巨匠の作品を、自分なりのやり方で模写しました。そうすることで、再び芸術への意志を呼び起こそうとしたのでしょう。彼がこの絵に言及したことはありませんが、効果的な光によって、質素な部屋の中に働く人物像を劇的に浮かび上がらせたこの作品は、40年代末から素朴な田舎の情景を集中して描いたミレー作品のなかでも、佳作と言えるでしょう。 犂と馬鍬 人物像が中心だったミレー作品の模写のなかで、この作品は唯一の風景画になります。しかも原画では収穫後の荒涼とした雰囲気を伝えていた風景が、より寂しい、雪の風景に変えられています。この頃、ファン・ゴッホは、「僕としてはとくに今は病気なので、何か自分の慰めになるものを、自分自身の楽しみのために描こうと心がけている」と書いています。農夫に無用だとうち捨てられた犂と馬鍬、侘しさを倍加させる黒い鳥、季節は一年の終わりである冬・・・、人生の終焉を思わせる絵を描くことが、むしろファン・ゴッホにとっては慰めとなったのでしょうか。 <夜のカフェテラス> 解説 南仏の夏の夜の心地よさが伝わってくるこの絵は、ファン・ゴッホが星空の夜をはじめて描いた作品です。夜、といっても、暗い雰囲気は全くありません。石畳は、星明かりだけでなく、カフェのテラスからもれてくるガス・ランプの灯りにも照らされて、ピンクや紫の色合いを帯びていますし、テーブルは円盤状に輝いてリズムをつくっています。画面右の緑の樹はアクセントとなり、また目を凝らすと、画面中心からこちらに向かって、馬車がやってくることに気づくでしょう(ひづめがカポカポいう音が聞こえてきそう!)。 ファン・ゴッホは、「これはただ美しい青と紫と緑だけによる、黒なしの夜の絵だ」と言っていますが、実はこの絵は、夜、外で描かれました。あまりないやり方なので、「彼は帽子のつばに蝋燭をつけて描いた」という伝説さえ生まれたほどですが、彼によれば、「これは色あせた、青白い、みすぼらしい光のある因習的な黒の夜から脱する唯一の方法」だったのです。 しかしながら、夜の店先の賑わいを描く絵自体は、それほど珍しくはありません。ファン・ゴッホとパリの美術教室で一緒だったアンクタンの1887年の作品に、〈クリシー通りの夜〉という夜の店先を描いた絵がありますし、ファン・ゴッホ自身が持っていた浮世絵コレクションのなかには、月夜に人がにぎわう通りを描いた広重の作品があるのです。奥行きの強調されているところなどに共通点が指摘されています。 この作品のモデルとなったカフェは,現在も同じ場所に残っている。ところでこの絵を描いた直前にファン・ゴッホは、カフェの店内を描いた〈夜のカフェ〉という作品を、これまた夜に、ただし店内で制作しています。しかしそれは、「カフェとは人がとかく身を持ち崩し、狂った人となり、罪を犯すようになりやすいところだということを表現しようと努めた」と言っているように、行き場のない人々を描いた暗い絵です。ひとつのカフェの内と外とを、まったく対照的な世界に描いた理由…それはよくわかりませんが、やがて星空が重要なモチーフになることを考えると、ファン・ゴッホにとって必要だったのは、やはり外の、星と樹のある世界であったと言えるのではないでしょうか。 ファン・ゴッホ美術館 1973年、オランダの首都アムステルダムに開館した美術館。弟テオが旧蔵していたファン・ゴッホ作品のコレクションのうち、約200点の油彩、500点余りのデッサン、スケッチブック、約700通もの書簡、そして多数の浮世絵は、1962年以来フィンセント・ファン・ゴッホ財団の所有となったが、それらは現在この美術館に永久に貸与されている。ヘリット・リートフェルトの設計による開放的な建築空間のなか、〈馬鈴薯を食べる人々〉〈黄色い家〉〈ひまわり〉〈烏の群れ飛ぶ麦畑〉など数々の代表作を含む全ての時代の作品を体系的に鑑賞できる。また、ゴーギャンなど同時代の画家やファン・ゴッホの友人の作品、ミレーなどファン・ゴッホが敬愛していた作品も収蔵。その一部は、実際に兄弟が収集したものである。なお1999年には日本人の建築家、黒川紀章の設計により新館が完成した。 クレラー=ミュラー美術館 富豪アントン・クレラーの夫人だったヘレーネ・クレラー=ミュラーが収集したコレクションを核にしたこの美術館は、ヴァン・デ・ヴェルデの設計により1938年、オッテルローにあるオランダ最大の国立公園内に開館した。スーラ、ピカソ、モンドリアン、ブランクーシなど近現代美術の名品を数多く所蔵しており、特に約300点(うち油彩は87点)を数えるファン・ゴッホのコレクションは有名。南仏アルルのはね橋を描いた〈ラングロアの橋〉、ミレーへの関心に基づく〈種まく人〉、サン=レミ時代の〈糸杉と星の見える道〉などの代表作とともに、画家の変遷をじっくりとたどることができる。また野外には25ヘクタールにもなる彫刻庭園があり、ロダン、ムーアから現代の作家に至るまでの彫刻作品を、豊かな自然のなかで鑑賞できる。 作家紹介 フィンセント・ファン・ゴッホは、オランダ生まれの芸術家です。セザンヌやゴーギャンなどと同じくポスト印象派(後期印象派)の画家と言われますが、その絵画は、筆触を見れば表現主義の創始者といわれるほど激しく個性的で、色彩や作品の主題を見れば、象徴主義的といわれるほど深遠かつ論理的です。いわばファン・ゴッホは、時代とともに生き、そして時代を先取りしてしまいました。 また、熱狂的過ぎて伝道をとめられてしまったり、娼婦と同棲したり、自らの耳を切ったり、その情熱的な人生はもはや伝説となっています。生涯で一つの作品〈赤い葡萄畑〉しか売れなかったというエピソードも良く知られているでしょう。 彼の作品が世界中の人々に愛されているのは、それらが慈愛に満ちているからだけではなく、彼の生涯を経済的、精神的に支えた弟テオとの手紙のやりとりがほとんど完全なかたちで残っているからでもあります。不遇の画家と有能な画商であった二人の間に交わされた膨大な書簡集は、ファン・ゴッホ作品や当時の美術の状況についての理解に役立つだけでなく、書簡文学の傑作とみなされてもいます。 そしてその書簡集の最後、フィンセントが亡くなった1890年7月29日に発見されたと、テオ自身が書き込みを入れている手紙は、次のように締めくくられています。 「ともあれ、僕は、僕自身の作品に対して人生を賭け、 そのために僕の理性は半ば壊れてしまった―それもよい―…」 フィンセント・ファン・ゴッホ略年表 1853 3月30日オランダ南部のフロート・ズンデルトに牧師の父のもと生まれる。1857 5月1日フィンセントの弟テオドルス(通称テオ)誕生。1864 ゼーフェンベルヘンの寄宿学校に入る。1869 画商の伯父を通して、美術商グーピル商会のハーグ支店に見習いとして就職。1872 テオとの生涯にわたる文通が始まる。1873 グーピル商会のロンドン支店に転勤になる。下宿先の娘に恋する。1874 10月、失恋のため精神に変調をきたし、パリへ一時勤務となり数ヶ月滞在する。1875 グーピル商会のパリ本店へ正式に移る。1876 グーピル商会を辞職。4月、イギリスへ渡りラムズゲートの寄宿学校でフランス語とドイツ語を教える。その後ロンドン郊外の日曜学校で補助説教師をつとめる。1877 1月から4月、ドルドレヒトの書店で働く。5月、アムステルダムに赴き、神学を学ぶため大学入学を志す。1878 進学を断念。伝道師になるための教育を受けるべく、ブリュッセル郊外のラーケンへ赴く。12月、ベルギー南部の炭鉱地帯ボリナージュで伝道活動を始める。1879 熱心すぎるあまり、伝道師の資格はあたえられなかった。1880 夏、画家になることを決意し、テオの経済的援助のもと、素描をはじめる。ミレー、ドービニー、ルソーを模写する。10月、ブリュッセルに出て、若いオランダ人画家アントン・ファン・ラッパルトと出会う。1881 4月、ブラバント地方のエッテンにもどり、地元の農民の素描を制作。8月、ハーグを訪れ、当地の画家たちおよび特に従兄のアントン・モーヴと交流する。12月、ハーグに落ちつき、主にモーヴの指導のもと制作をする。1882 身重の娼婦シーンと知り合い、彼女とその家族をモデルにして制作。1883 9月、シーンと別れハーグを去る。ハーグの画家たちになじみ深い北部のドレンテへ移り、真剣に油彩画にとり組む。12月、家族の移転地ニューネンを訪れる。1884 隣家に住むマルホ・ベーヘマンと恋愛関係になるが、両家の反対にあい、彼女は服毒自殺を図る。1885 地元の農民や職工を描いた作品のなかで頂点をなす〈馬鈴薯を食べる人々〉制作。11月、アントワープへ移る。この後、ファン・ゴッホがオランダの地を踏むことはない。1886 3月頃、パリを訪れ、テオとともに暮らす。フェルナン・コルモンのアトリエに入る。ジョン・ラッセル、トゥールーズ=ロートレック、ベルナール、シニャック、ゴーギャンらに出会う。1887 自ら収集していた浮世絵の展覧会を開く。1888 2月20日アルルに到着。5月、黄色い家を借りる。ゴーギャンが10月から12月にかけて滞在する。しかし、ゴーギャンとの確執の末、左耳下部を切り取り、アルルの病院に収容される。1889 3月、テオが結婚する。5月、サン=レミの療養院に入院。野外での制作も許され、オリーブ畑、糸杉、麦畑などを主題とした作品を制作する。そのほか、ミレーやドラクロワの模写などを制作。1890 1月、テオに息子誕生、生まれた息子にフィンセントの名前をつける。また、アルベール・オーリエが、『メルキュール・ド・フランス』誌にゴッホの作品について記事をのせる。ベルギーの「レ・ヴァン」展に出品し、アンナ・ボックが〈赤い葡萄畑〉を買いとる。5月、オーヴェール=シュル=オワーズに移る途中、パリのテオを訪ね、妻とその子フィンセントに会う。その後、ピサロの薦めで精神科医ガシェの世話になるが、7月27日、胸部をみずからピストルで撃つ。29日テオに見守られながら息を引きとる。9月、テオの健康状態が悪化、10月には心身ともに衰弱する。1891 1月25日テオ、ユトレヒトの病院で死亡。 イベント情報 講演会 いずれも聴講無料先着150名(4月2日は当日10:00より整理券を配布します) 「ファン・ゴッホの色彩論(仮題)」 3月24日(木)18:00~19:30 シラール・ファン・ヒューフテン(ファン・ゴッホ美術館チーフ・キュレーター)※通訳付 「ファン・ゴッホをめぐる『物語』の系譜」 4月2日(土)14:00~15:00 國府寺司(大阪大学教授・本展企画者) ゴッホ展教職員研修会「『ゴッホ展―孤高の画家の原風景』のみどころ」 東京国立近代美術館では、小・中・高校の先生方に美術館と美術作品に親しんでいただき、それを通じて児童生徒への鑑賞教育を充実していただくために、「教員のための鑑賞プログラム」を実施いたします。 第1回目は、図画工作や美術の授業でとりあげられる機会の多いフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)です。「ゴッホ展」の趣旨や作品について、企画・立案にあたった学芸員が説明したあと、自由に展覧会をご覧いただきます。 3月31日(木)(申込終了)4月15日(金)(申込終了) 両日とも開館時間は10:00~20:00(入場は19:30まで)。 小・中・高校の教員および職員 各回150名(事前申込制、先着順) 講堂(地下1階) 保坂健二朗(当館研究員) 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞 無料 ※当日のみ、「ゴッホ展」、所蔵作品展を無料でご観覧いただけます。展覧会チケットのお渡し方法につきましては、参加証でご案内いたします。 ファックス:申込用紙にご記入のうえ、お申込みください。メール:申込用紙の項目を明記し、お申し込みください。おりかえし参加証をお送りいたします。※1通のお申込みにつき1名のみ。当日は必ず参加証をお持ちください。 東京国立近代美術館 教育普及係FAX 03-3214-2576Eメール school@momat.go.jpTEL 03-3214-2605 カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 2005年3月23日(水)~5月22日(日)会期中無休:4月11日(月)除く 4/29~5/8: 午前10時~午後8時5/9以降の木・金・土・日: 午前10時~午後8時5/9以降の月・火・水: 午前10時~午後5時 入館は閉館時間の30分前まで 一 般: 1,500円(1,100円)大学生: 1,000円( 700円)高校生: 600円( 300円) 中学生以下は無料( )内は20名以上の団体料金前売券は3月22日で終了しました。 ハローダイヤル 03-5777-8600http://www.momat.go.jp 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞 外務省、文化庁、オランダ大使館 昭和シェル石油、スズキ、損保ジャパン、大日本印刷、トヨタ自動車 日本航空、日本通運 財団法人 2005年日本国際博覧会協会 国立国際美術館2005年5月31日(火)~ 7月18日(月・祝)愛知県美術館2005年7月26日(火)~ 9月25日(日)