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企画展 所蔵作品展 いずれも消費税込。 「MOMATコレクション」「コレクションによる小企画」を無料でご鑑賞できる方 ・高校生以下および18歳未満、65歳以上の方・キャンパスメンバーズ加盟校の学生・教職員・「MOMATパスポート」をお持ちの方・障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)※入館の際に、学生証、教職員証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャッシュレス決済 チケット売り場での観覧券ご購入時には、現金のほか、各種キャッシュレス決済サービスがご利用いただけます。「ぐるっとパス」のご購入は現金のみとなります。

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ガウディ展の前売券をお持ちの方、無料対象の方、当日窓口でチケットをお買い求めの方へ

「ガウディとサグラダ・ファミリア展」は、日時予約のない方に整理券を配布しての入場制限を実施中です。 特に土日は整理券の予定枚数が早めになくなる可能性があり、日時予約のない方は入場いただけない場合がございます。9月10日(日)まで夜間開館(20:00閉館)を実施中ですので、平日にご来館ください。 (9月7日追記)9月6日(水)は18時30分過ぎに整理券配布が終了しました。平日ご来館の方も整理券配布状況をご確認の上、お早めにご来館ください。 整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 日時予約をしていない方 空きがあればART PASSからオンラインによる日時予約(「購入済みチケット」という0円の予約枠)をお願いいたします。現在、平日の日中と土日は日時予約が売り切れています。 オンラインでの日時予約枠はすべて埋まりましたので、直接ご来館のうえ整理券をお受け取りください。 整理券配布が終了した場合、その日の最終時間帯(19:00)でのご入場となります。ご了承ください。整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 空きがあればART PASSからオンラインによる日時予約(「一般」「大学生」「高校生」の有料予約枠)をお願いいたします。現在、平日の日中と土日は日時予約が売り切れています。 オンラインでの日時予約枠はすべて埋まりましたので、美術館の窓口にて当日券をお買い求めください。併せてすぐ下の「当日美術館窓口でチケットを買い求めの方」の項目を必ずご一読ください。 美術館窓口で当日券を購入した方は整理券にて順次ご入場いただいています。 整理券配布が終了した場合、当日券の販売も終了し、その日はご入場いただけません。美術館の収容人数上、ご理解のほどよろしくお願いいたします。整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 空きがあればART PASSからオンラインによる日時予約(「無料観覧券」という0円の予約枠)をお願いいたします。現在、平日の日中と土日は日時予約が売り切れています。 オンラインでの日時予約枠はすべて埋まりましたので、直接ご来館のうえ整理券をお受け取りください。 整理券配布が終了した場合、その日はご入場いただけません。美術館の収容人数上、ご理解のほどよろしくお願いいたします。整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 日時予約、整理券なしでご案内しています。 整理券配布が終了するほど混雑した場合、その日はご入場いただけません。美術館の収容人数上、ご理解のほどよろしくお願いいたします。整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 保護者の方が日時予約済みの場合、小中学生の方はその保護者の方と一緒にご入場いただけます。 日時予約、整理券なしでご案内しています。 9月8日(金)から10日(日)までは、終日、賛助会・友の会の新規受付を停止します。継続・更新の方は受け付けていますので、会員証を持参のうえお声がけください。 日時予約をしている方 予約日時まではご入場いただけません。お時間までは所蔵作品展(2-4F)や館外でお待ちいただきますようご協力をお願いいたします。 団体の方(20名以上) 混雑のため、ガウディ展に関する団体の方向けの事前受付を停止しています。窓口でのチケットご購入順にご案内しますので、混雑時には、入場までお待ちいただいたり、その日のご入場ができない場合があります。ご了承ください。

TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション

見て、比べて、話したくなる。 パリ、東京、大阪-それぞれ独自の文化を育んできた3都市の美術館のコレクションが集結。セーヌ川のほとりに建つパリ市立近代美術館、皇居にほど近い東京国立近代美術館、大阪市中心部に位置する大阪中之島美術館はいずれも、大都市の美術館として、豊かなモダンアートのコレクションを築いてきました。本展覧会は、そんな3館のコレクションから共通点のある作品でトリオを組み、構成するという、これまでにないユニークな展示を試みます。時代や流派、洋の東西を越えて、主題やモチーフ、色や形、素材、作品が生まれた背景など、自由な発想で組まれたトリオの共通点はさまざま。総勢110名の作家による、絵画、彫刻、版画、素描、写真、デザイン、映像など150点あまりの作品で34のトリオを組み、それをテーマやコンセプトに応じて7つの章に分けて紹介することで、20世紀初頭から現代までのモダンアートの新たな見方を提案し、その魅力を浮かびあがらせます。 主な展示作品 各トリオのテーマと#(ハッシュタグ)は、3つの作品を見て、比べて、誰かと話したくなるヒントになっています。 モデルたちのパワー #お決まりのポーズ #私たちくつろいでます アンリ・マティス《椅子にもたれるオダリスク》1928年 パリ市立近代美術館photo: Paris Musées/Musée d’Art Moderne de Paris 萬鉄五郎《裸体美人》1912年 重要文化財 東京国立近代美術館 アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》1917年 大阪中之島美術館 大胆にくつろいだポーズで、思い思いに寝そべるモデルたち。西洋絵画の歴史の中で脈々と続いてきた横たわる女性像は、理想美を体現し、男性に見られる対象として、しばしば無防備な姿で描かれてきました。しかし、挑発するようにこちらを見つめるモディリアーニの裸婦、寝ころんでこちらを見おろす萬の裸体美人、そして見られることをまるで意識していないようなマティスのオダリスクには、見る者の視線を跳ね返し、彼女たちそれぞれの美を誇るようなパワーがみなぎっています。 空想の庭 #メルヘンガーデンズ #植物好き ラウル・デュフィ《家と庭》1915年 パリ市立近代美術館photo: Paris Musées/Musée d’Art Moderne de Paris 辻永《椿と仔山羊》1916年 東京国立近代美術館 アンドレ・ボーシャン《果物棚》1950年 大阪中之島美術館 いずれも植物が画面全体を覆っていますが、実は3人の画家たちはみな植物に深いゆかりがあります。植物園の近くに住み、動植物をモチーフにしたテキスタイルデザインを数多く手がけたデュフィ、草花を愛した父の影響でかつて植物学者を志したことのあった辻永、そして独学で画家になる前に園芸業を営んでいたボーシャン。彼らはそれぞれが好んだ草花や果物、動物をリズミカルに画面に配置しながら、自由にイマジネーションを羽ばたかせ、絵の中にしか存在しない空想の庭とでも呼ぶべき世界を作り出しています。草花で埋め尽くされた装飾的な画面は、どこか幻想的な雰囲気に包まれ、花や果物の香りが匂い立つようです。 現実と非現実のあわい #名作へのオマージュ #ヒトなのかヒトでないのか ヴィクトル・ブローネル《ペレル通り2番地2の出会い》 1946年 パリ市立近代美術館photo: Paris Musées / Musée d’Art Moderne de Paris 有元利夫《室内楽》 1980年 東京国立近代美術館 ルネ・マグリット《レディ・メイドの花束》 1957年 大阪中之島美術館 このトリオは、いずれも過去の絵画を参照し、画家が自らの分身のような存在を描き込むことで、現実と非現実のあわいを出現させているという点で共通しています。ブローネルは、かつてアンリ・ルソーが住んだペレル通り2番地2に引っ越したことから、ルソーの《蛇使いの女》(1907年、オルセー美術館)に、自らが生み出した、巨大な頭部と2つの身体、6本の腕を持つ「コングロメロス」を登場させています。マグリットはしばしば描いた山高帽の男の背に、ボッティチェリの《春》(1482年頃、ウフィツィ美術館)の花の女神フローラを重ねました。ピエロ・デッラ・フランチェスカら初期ルネサンスのフレスコ画に魅せられた有元の絵画は、他の多くの作品にもみられる古典的な女性が中央に鎮座し、非現実的でありながら懐かしさを漂わせています。 出品作家 カレル・アペル天野龍一有元利夫ジャン・アルプ(ハンス・アルプ)アルマン(アルマン・フェルナンデス)池田遙邨イケムラレイコ石内都出光真子サビーヌ・ヴァイスシュザンヌ・ヴァラドングザヴィエ・ヴェイヤン岡本更園岡本太郎小倉遊亀恩地孝四郎パブロ・ガルガーリョアレクサンダー・カルダーアンリ・カルティエ=ブレッソン河合新蔵川上涼花川崎亀太郎菅野聖子菊畑茂久馬岸田劉生北代省三北野恒富北脇昇草間彌生イヴ・クライン倉俣史朗パウル・クレー小泉癸巳男小出楢重古賀春江佐伯祐三佐藤雅晴 佐保山堯海汐見美枝子マルク・シャガールシャイム・スーティン菅井汲杉浦非水ヘンリー・ダーガー高梨豊辰野登恵子田中敦子サルバドール・ダリ辻永津田洋甫ジュリアン・ディスクリジョルジョ・デ・キリコレイモン・デュシャン=ヴィヨンラウル・デュフィフランソワ・デュフレーヌフェリックス・デル・マルル東郷青児東松照明百々俊二冨井大裕富山治夫ソニア・ドローネーロベール・ドローネーロベール・ドワノー中西夏之奈良美智奈良原一高ジャン=ミシェル・バスキア長谷川利行畠山直哉早川良雄原勝四郎パブロ・ピカソジャン・フォートリエ 藤島武二藤田嗣治ブラッサイコンスタンティン・ブランクーシマリア・ブランシャールヴィクトル・ブローネルアンドレ・ボーシャンウンベルト・ボッチョーニピエール・ボナールセルジュ・ポリアコフ前田藤四郎ルネ・マグリット松本竣介アンリ・マティス丸木俊(赤松俊子)アルベール・マルケ三岸好太郎アンリ・ミショー村山知義ジャン=リュック・ムレーヌジャン・メッツァンジェファウスト・メロッティアメデオ・モディリアーニ百瀬文森村泰昌安井曽太郎柳原義達モーリス・ユトリロ吉原治良萬鉄五郎ジェルメーヌ・リシエエル・リシツキーマルク・リブーフェルナン・レジェマリー・ローランサンマーク・ロスコ 美術館について パリ市立近代美術館 シャンゼリゼ通りとエッフェル塔の間に位置するパリ市立近代美術館の宮殿は、1930年代の壮麗な建築の一例。15,000点以上の作品を所蔵するパリの重要な文化施設であり、フランス最大級の近現代美術館のひとつ。 photo: Fabrice Gaboriau 東京国立近代美術館 東京の中心・皇居のお濠を前に建つ日本で最初の国立美術館。最大の特徴は、横山大観、上村松園、岸田劉生らの重要文化財を含む13,000点を超える国内最大級のコレクション。19世紀末から現代までの幅広いジャンルにわたる日本美術の名作を、海外の作品もまじえて多数所蔵。 大阪中之島美術館 2022年、大阪市中心部に開館。19世紀後半から今日に至る日本と海外の代表的な美術とデザイン作品を核としながら、地元大阪で繰り広げられた豊かな芸術活動にも目を向け、絵画、版画、写真、彫刻、立体、映像など多岐の領域にわたる6,000点超を所蔵。 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2024年5月21日(火)~8月25日(日) 月曜日(ただし7月15日、8月12日は開館)、7月16日(火)、8月13日(火) 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00) 入館は閉館の30分前まで 一般  2,200円(2,000円)大学生 1,200円(1,000円)高校生 700円(500円) ( )内は20名以上の団体料金、ならびに前売券料金(販売期間:3月25日~5月20日)。いずれも消費税込。 中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。 本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)、コレクションによる小企画「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》|インターナショナル編」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。 東京国立近代美術館の窓口では前売券の販売はございません。5月21日以降の開館日に限り当日券を販売いたします。 当日券の窓口購入は混雑が予想されるため、事前のチケット購入がおすすめです。 前売券やオンラインチケット・各種プレイガイドでのご購入方法は本展公式サイトをご確認ください。 東京国立近代美術館、大阪中之島美術館、日本経済新聞社、テレビ東京、BSテレビ東京 パリ市立近代美術館、パリミュゼ SOMPOホールディングス、ダイキン工業、三井不動産、ライブアートブックス 日本航空 大阪中之島美術館 2024年9月14日(土)~12月8日(日)

中平卓馬 火―氾濫

日本の写真を変えた、伝説的写真家 約20年ぶりの大回顧展 日本の戦後写真における転換期となった1960 年代末から70 年代半ばにかけて、実作と理論の両面において大きな足跡を記した写真家である中平卓馬(1938-2015)。その存在は森山大道や篠山紀信ら同時代の写真家を大いに刺激し、またホンマタカシら後続の世代にも多大な影響を与えてきました。1960 年代末『PROVOKE』誌などに発表した「アレ・ブレ・ボケ」の強烈なイメージや、1973 年の評論集『なぜ、植物図鑑か』での自己批判と方向転換の宣言、そして1977 年の昏倒・記憶喪失とそこからの再起など、中平のキャリアは劇的なエピソードによって彩られています。しかしそれらは中平の存在感を際立たせる一方で、中平像を固定し、その仕事の詳細を見えにくくするものでもありました。 本展では、あらためて中平の仕事をていねいにたどり、その展開を再検証するとともに、特に、1975 年頃から試みられ、1977 年に病で中断を余儀なくされることとなった模索の時期の仕事に焦点を当て、再起後の仕事の位置づけについてもあらためて検討します。 2015 年に中平が死去して以降も、その仕事への関心は国内外で高まり続けてきました。本展は、初期から晩年まで約400 点の作品・資料から、今日もなお看過できない問いを投げかける、中平の写真をめぐる思考と実践の軌跡をたどる待望の展覧会です。  見どころ これまで未公開の作品を多数展示   近年その存在が確認された《街路あるいはテロルの痕跡》の1977 年のヴィンテージ・プリントを初展示。昏倒によって中平のキャリアが中断する前の、最後のまとまった作品発表となった雑誌掲載作13 点です。2021 年に東京国立近代美術館が本作を収蔵して以来、今回が初めての展示となります。また1976 年にマルセイユで発表されて以来、展示されることのなかった《デカラージュ》など、未公開の作品を多数展示します。  カラー写真の重要作を一挙に展示  1974 年に東京国立近代美術館で開催した「15 人の写真家」展の出品作《氾濫》をちょうど半世紀ぶりに同じ会場で再展示します。カラー写真48 点組で構成される幅約6 メートルの大作で、中平のキャリア転換期における重要作です。 また、中平存命中最後の重要な個展「キリカエ」(2011 年)に展示されたカラーの大判プリント64 点を展示します。  雑誌から読み解く中平の試み 『アサヒグラフ』や『朝日ジャーナル』など、キャリア前半の1960 年代から1970 年代前半にかけて発表された作品の掲載誌を多数展示。当時、雑誌は社会にイメージを流通させる手段として重要な役割を担っていました。写真がどのように流通するかについて常に意識的だった中平が、同時代の社会に対して、写真を用いて何を試みようとしていたのか、その実態を紹介します。  展覧会構成・主な展示作品  本展は初期から晩年にいたる中平卓馬の仕事を、5つの章でたどります。とくに2~4章では、1977 年に不慮の昏倒と記憶喪失により中断した中平の仕事が、どこへ向かおうとしていたのか、そこにいたる70 年代の展開を詳しくひもときます。  第1章 来たるべき言葉のために  中平卓馬《夜》1969年頃 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  中平卓馬《夜》1969年頃 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  第2章 風景・都市・サーキュレーション 中平卓馬《「サーキュレーション―日付、場所、行為」より》1971年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  中平卓馬《「サーキュレーション―日付、場所、行為」より》1971年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  中平卓馬《「サーキュレーション―日付、場所、行為」より》1971年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  第3章 植物図鑑・氾濫 中平卓馬《氾濫》1974年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  中平卓馬《「氾濫」より》1971年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira 中平卓馬《「氾濫」より》1969年頃東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  第4章 島々・街路  中平卓馬《「街路あるいはテロルの痕跡」よりマルセイユ、フランス》1976 年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  中平卓馬《「街路あるいはテロルの痕跡」よりマルセイユ、フランス》1976年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira 第5章 写真原点 中平卓馬《無題 #437》2005年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  中平卓馬《無題 #444》2010年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  中平卓馬《無題 #445》2010年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  中平卓馬《無題 #470》2010年 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira  中平卓馬プロフィール 1938年東京生まれ。1963年東京外国語大学スペイン科卒業、月刊誌『現代の眼』編集部に勤務。誌面の企画を通じて写真に関心を持ち、1965年に同誌を離れ写真家、批評家として活動を始める。 1966年には森山大道と共同事務所を開設、1968年に多木浩二、高梨豊、岡田隆彦を同人として季刊誌『PROVOKE』を創刊(森山は2号より参加、3号で終刊)。「アレ・ブレ・ボケ」と評された、既成の写真美学を否定する過激な写真表現が注目され、精力的に展開された執筆活動とともに、実作と理論の両面において当時の写真界に特異な存在感を示した。1973年に上梓した評論集『なぜ、植物図鑑か』では、一転してそれまでの姿勢を自ら批判、「植物図鑑」というキーワードをかかげて、「事物が事物であることを明確化することだけで成立する」方法を目指すことを宣言。翌年、東京国立近代美術館で開催された「15人の写真家」展には48点のカラー写真からなる大作《氾濫》を発表するなど、新たな方向性を模索する。そのさなか、1977 年に急性アルコール中毒で倒れ、記憶の一部を失い活動を中断。療養の後、写真家として再起し、『新たなる凝視』(1983)、『Adieu à X』(1989)などの写真集を刊行。2010年代始めまで活動を続けた。2015年逝去。 1973年、自己批判を機に、それまでのプリントやネガの大半を焼却したとされていたが、2000 年代初頭、残されていたネガが発見され、それをきっかけとして2003年には横浜美術館で大規模な個展「中平卓馬:原点復帰-横浜」が開催された。 中平卓馬ポートレイト 1968年頃撮影:森山大道 東京国立近代美術館 ©Daido Moriyama Photo Foundation  中平卓馬ポートレイト 2003年撮影:ホンマタカシ©Takashi Homma 展示風景 「中平卓馬 火―氾濫」展示風景 撮影:木奥惠三 カタログ (2024.3.12更新)展覧会公式カタログは2024年3月30日(土)より東京国立近代美術館ミュージアムショップと発行元オンラインショップ「LAB BOOK SHOP」で販売いたします。 「中平卓馬 火―氾濫」展覧会公式カタログ 刊行予定日:2024年3月30日(土)価格:3,500円(税込)仕様:A4変形、ソフトカバー頁数:486ページ(予定)言語:日本語・英語(一部)発行:ライブアートブックス(大伸社グループ) 目次 増田玲(東京国立近代美術館主任研究員)「序論:根底的に、過激に、——中平卓馬の活動の軌跡をたどるために」 1章 来るべき言葉のためにコラム1 東松照明と多木浩二コラム2 反復するイメージ 2章 風景・都市・サーキュレーションコラム3 「風景論」と『映画批評』コラム4 中平卓馬と美術 3章 植物図鑑・氾濫コラム5 中平卓馬と『朝日ジャーナル』コラム6 1973年、知覚異常の経験 4章 島々・街路コラム7 中平卓馬による写真家論 5章 写真原点コラム8 人物について マシュー・S・ウィトゥコフスキー(シカゴ美術館写真・メディア部門リチャード&エレン・サンダー・チェア兼キュレーターおよび同館戦略的アート・イニシアティブ担当ヴァイス・プレジデント )「中平のサーキュレーション」 八角聡仁(近畿大学教授)「白壁の街路 中平卓馬『デカラージュ(Décalage)』をめぐって」 倉石信乃(明治大学教授)「中平卓馬『記録日記 一九七八年』について」 年表文献作品リスト ご予約について 東京国立近代美術館と発行元オンラインショップ「LAB BOOK SHOP」にてご予約いただけます。 受付期間:2024年3月29日(金)まで 発送時期:2024年4月4日(木)より順次発送 東京国立近代美術館でのご予約 本展ご観覧当日のご予約に限り送料無料(刊行後にご購入いただく場合は送料がかかります) おひとり様2冊まで ご予約後のキャンセルはできません 2024年4月4日(木)より順次発送 オンラインショップでのご予約・ご購入 別途送料がかかります おひとり様2冊まで ご予約・ご購入後のキャンセルはできません 2024年4月4日(木)より順次発送 詳細は発行元オンラインショップ「LAB BOOK SHOP」でご確認ください。 東京国立近代美術館ならびにオンラインショップでご予約済みの方 発送予定を「2024年3月19日 から順次発送」と発行元よりお伝えしていましたが、刊行の遅れにともない、4月4日(木)より順次発送でのご対応となりました。到着をお待ちいただいているご購入者様には、当初予定よりご納品が遅れますことお詫び申し上げます。詳細につきましては、発行元からのメール/郵送での連絡にてご確認くださいますようお願いいたします。 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2024年2月6日(火)~ 4月7日(日) 月曜日(ただし2月12日、3月25日は開館)、2月13日  10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00) 入館は閉館30分前まで 一般  1,500円(1,300円) 大学生 1,000円(800円)  ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。  高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。  キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。  本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)、コレクションによる小企画「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。  観覧券は美術館窓口(当日券のみ)と公式チケットサイト(e-tix)で販売いたします。 東京国立近代美術館、朝日新聞社 公益社団法人日本写真家協会

生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ

はじめに 「世界のムナカタ」として国際的な評価を得た版画家・棟方志功(1903-1975)。一心不乱に版木に向かう棟方の姿は、多くの人々の記憶に刻み込まれています。棟方が居住し、あるいは創作の拠点とした青森、東京、富山の三つの地域は、それぞれに芸術家としての棟方の形成に大きな影響を与えました。棟方の生誕120年を記念し、各地域の美術館(富山県美術館、青森県立美術館、東京国立近代美術館)が協力して開催する本展では、棟方と各地域の関わりを軸に、板画、倭画、油彩画といった様々な領域を横断しながら、本の装幀や挿絵、包装紙などのデザイン、映画・テレビ・ラジオ出演にいたるまで、時代特有の「メディア」を縦横無尽に駆け抜けた棟方の多岐にわたる活動を紹介し、棟方志功とはいかなる芸術家であったのかを再考します。 見どころ 国際展受賞作から書、本の装画、商業デザイン、壁画までー「世界のムナカタ」の全容を紹介 代表的な板画作品はもちろん、最初期の油画や生涯にわたって取り組み続けた倭画に加え、高い人気を博した本の装幀や、長く大衆に愛された包装紙の図案など、優れたデザイナーとしての一面も取り上げ、棟方芸術の全貌に迫ります。 青森ー東京ー富山、棟方の暮らした土地をたどる、初の大回顧展 生誕120年という節目をとらえ、棟方志功が芸術家として大成していく過程のなかで大きな影響を与えた土地である三つの地域―故郷・青森、芸術活動の中心地・東京、疎開先・富山―を、最大規模の回顧展として巡回します。 棟方畢生の超大作、久々の公開 縦3メートルの巨大な屏風《幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風》(五島美術館蔵)を約60年ぶりに展示、また、ほとんど寺外で公開されることのなかった倭画の名作《華厳松》(躅飛山光徳寺蔵)は通常非公開の裏面とあわせて展示します。 会期中一部展示替えがあります。 棟方志功略歴 1903年 9月5日、青森市大町一丁目一番地に生まれる。1924年 油画家を志し、帝展入選を目指して上京。1926年 帝展落選が続くなか、川上澄生の《初夏の風》を見て版画に目覚める。1928年 油画《雑園》で帝展初入選。1932年 日本浪曼派の文士たちとの交流が始まる。国画会奨学賞を受賞。版画に道を定める。1936年 国画会展に出品した《瓔珞譜・大和し美し版画巻》が縁となり柳宗悦ら民藝運動の人々との知遇を得る。1939年 《二菩薩釈迦十大弟子》制作。翌年の国画会展で佐分賞受賞。1945年 富山県西砺波郡石黒村法林寺に疎開。5月の空襲で東京の自邸と戦前の作品や版木のほとんどを焼失。1951年 11月末、東京都杉並区に転居。1955年 第3回サンパウロ・ビエンナーレ版画部門最高賞受賞。1956年 第28回ヴェネチア・ビエンナーレ国際版画大賞受賞。1959年 ロックフェラー財団とジャパン・ソサエティの招きで初渡米、 滞在中の夏、約1か月かけて欧州を巡る。1961年 青森県新庁舎の壁画《花矢の柵》など公共施設への大作提供が増える。1970年 文化勲章受章。文化功労者となる。1975年 9月13日、死去。青森市に棟方志功記念館開館。 カタログ 「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」公式図録 価格:2,800円(消費税込) 仕様:B5サイズ 総頁数:304ページ(ハードカバー) 言語:日本語、英語  目次 メイキング・オブ・ムナカタ——棟方志功のつくり方|花井久穂 棟方志功の遺し方|石井頼子  プロローグ 出発地・青森 第1章 東京の青森人第2章 暮らし・信仰・風土——富山・福光第3章 東京/青森の国際人第4章 生き続けるムナカタ・イメージ  棟方志功の青森——雑話三題|池田亨 『The Japan Times』がうつし出す「世界のムナカタ」——エリーゼ・グリリの批評と戦後の日本美術|花井久穂 棟方志功と富山の美術|遠藤亮平 棟方志功 年譜 棟方志功 著述目録 座談会・対談 目録人名解説 出品目録・フォトクレジット  展示風景 展示風景 撮影:木奥惠三 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2023年10月6日(金)~ 12月3日(日) 月曜日(ただし10月9日、11月27日は開館)、10月10日(火) 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00) 11月27日(月)は臨時開館(10:00-17:00) 入館は閉館30分前まで 一般  1,800円(1,600円)大学生 1,200円(1,000円)高校生 700円(500円) ( )内は20名以上の団体料金、ならびに前売券料金(販売期間:8月22日~10月5日)。いずれも消費税込。 中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズの学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。 本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)、コレクションによる小企画「女性と抽象」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。 東京国立近代美術館の窓口では、10月6日以降の開館日に限り当日券を販売いたします。 東京国立近代美術館での前売券の販売はございません。 当日券の窓口購入は混雑が予想されるため、事前のチケット購入がおすすめです。 オンラインチケットや各種プレイガイドでのご購入方法は本展公式サイトをご確認ください。 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞 棟方志功記念館 DNP大日本印刷 石井頼子 富山展:富山県美術館 2023年3月18日(土)~5月21日(日)青森展:青森県立美術館 2023年7月29日(土)~9月24日(日)

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カルロ・ザウリ展:イタリア現代陶芸の巨匠

展覧会について 現代陶芸の偉大な改革者の一人として国際的にも高く評価され、日本にも大きな影響を与えてきたイタリアの巨匠、カルロ・ザウリ(1926-2002)の没後初めての回顧展をファエンツァ市との国際交流展として開催します。 ファエンツァは、フランス語で陶器を意味するファイアンスの語源となった陶都として、また、マジョリカ焼の産地として古くから知られています。ザウリはその地で生まれ、生涯同地を拠点に制作を行いました。1950年代初頭から精力的に発表活動を展開したザウリは、世界で最も規模の大きいファエンツァ市主催の国際陶芸コンペで三度もグランプリを受賞したのをはじめ、国境を越えて活躍し、その存在を揺るぎないものとしていきました。  本展は、あまり知られていなかった1950年代の初期のマジョリカ作品から、“ザウリの白”と呼ばれる60~70年代の代表的な作品、さらには、80年代に制作した釉薬を用いない黒粘土による挑戦的な作品を中心に、タイルやデザインの仕事まで、ザウリの非凡な才能を知る多彩な作品を通して、1951年から約40年間の芸術活動の軌跡を辿ります。 展覧会構成 I: 1951-1956 初期の作品はザウリの出身地、ファエンツァの陶芸と深い関わりを持っています。ファエンツァ伝統のマジョリカ焼の技法を用いた壺、皿、鉢などは、さまざまな色彩を纏っていますが、そのフォルムからは彫刻的な形体の追求を見ることができます。 II: 1957-1961 1950年代後半、ザウリは、当時のイタリアではほとんど手掛けられていなかった新しい技法、ストーンウエア(高温焼成)を始めます。さらには「壺」の口を閉じた作品の制作も始まります。また、口を閉じなくとも、自己表現のひとつの形体として「壺」をとらえ、新たな可能性を模索していきます。 III: 1962-1967 この時期のザウリの作品は、ロクロを巧みに用いて生み出されました。そしてザウリは「壺の彫刻家」と呼ばれようになります。ザウリは釉薬の研究とともに、ストーンウエアでの制作も続け、やがてそれは、マジョリカ焼を凌ぐほどの技法として確立されていきます。さらには、1,200度の高温焼成による独自の釉薬、「ザウリの白」をつくり上げ、彫刻的な形体の発展と新たな釉薬との融合を目指すようになっていきます。 IV: 1968-1980 ザウリの作陶の歴史の中で一番重要な時期として位置づけられます。1968年ごろからザウリの作品には、海の波や砂丘、あるいは女性の身体を連想させるような柔らかな表現が見られるようになります。そして、素材や自然のざわめきを感じさせるこの造形的な特徴は、ザウリの作風を代表するものとなります。また、この時期のザウリは、「ザウリの白」の他にも金やプラチナを施した作品を制作しています。 V: 1981-1991 1980年代の初めにザウリは、造形的な特徴はそのままに、これまでとはまったく異なった黒い粘土を用いた作品を発表します。それは「ザウリの白」とは対照的に、艶のない土そのものの質感を見せています。しかし、その後には再び釉薬を用いた作品の制作に戻り、以前にも増して大きな作品の制作を行いました。本展では高さ5メートルを超える作品も展示します。 VI: グラフィック、タイル ザウリはタイルのデザイナーとしても高く評価されていました。本展では、作品のエッセンスを抽出したようなグラフィック作品や初期から晩年に至るタイル作品を展示紹介します。日本ではこれまで観る機会のなかった作品群です。 作家紹介 ザウリと日本の関係  日本とカルロ・ザウリの関係は古く、1964年に東京と京都の国立近代美術館、久留米の石橋美術館、愛知県美術館を巡回した「現代国際陶芸展」で初めて作品が紹介されました。 その後、1970年に京都国立近代美術館で開催された「現代の陶芸-ヨーロッパと日本」を機にザウリの作品は日本の関係者に広く知られるところとなりました。1973年には新聞社が主催した公募展「第1回中日国際陶芸展」で最優秀賞を受賞しています。翌年以降、大阪や東京、名古屋、京都など日本の主要な都市で個展が開催されて、いくつもの公立美術館がイタリアを代表する作家の作品としてザウリの作品を収蔵し、日本で最も知られるイタリア現代陶芸の作家となっています。 略歴 1926年 8月19日、ファエンツァに生まれる1949年 ファエンツァ国立陶芸美術大学卒業1953年 「ファエンツァ国際陶芸展」グランプリ('58、'62にも同グランプリを受賞)1954年 「ミラノ・トリエンナーレ」に参加1960年 タイル専門工場「ラ・ファエンツァ」の創設者の一人となる1964年 「現代国際陶芸展」(東京、久留米、京都、名古屋)1968年 モノグラフ出版1986年 「第1回国際陶磁器展美濃’86」審査員(多治見)1996年 ファエンツァ市民会による「功労大賞」を受ける2002年 1月14日、ファエンツァで死去    カルロ・ザウリ美術館創設 イベント情報 講演会 『カルロ・ザウリの芸術』マッテオ・ザウリ(カルロ・ザウリ美術館長) 2008年6月22日(日) 14:00-15:00 講堂(地下1階) *当日先着順150名 『カルロ・ザウリとその時代』平井智一(陶芸家、ファエンツァ市在住) 2008年7月6日(日) 14:00-15:00 講堂(地下1階) *当日先着順150名 ギャラリー・トーク 平井智一(陶芸家、ファエンツァ市在住) 2008年6月21日(土)*当初のお知らせから開催日が変更となりました。ご注意ください。 15:00-16:00 会場(入館に展覧会チケットが必要、申込は不要) 唐澤昌宏(当館主任研究員) 2008年6月21日(土)*当初のお知らせから開催日が変更となりました。ご注意ください。 15:00-16:00 会場(入館に展覧会チケットが必要、申込は不要) カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー(1階)一部の作品は、3階にも展示します 2008年6月17日(火)~8月3日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)入館は閉館30分前まで 6月23日(月)、30日(月)、7月7日(月)、14日(月)、22日(火)、28日(月) 一般1000円(800円/700円)大学生500円(400円/300円)高校生および18歳未満、障害者の方とその付添者1名は無料 それぞれ入館の際、学生証、年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 いずれも消費税込。( )内は前売料金/20名以上の団体料金。 入館当日に限り、「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」展・所蔵作品展と、工芸館で開催中の展覧会(7月7日~16日は展示替のため休館)もご覧いただけます。 観覧券は全国チケットぴあ他、ファミリーマート、サンクスでも取り扱います(一部店舗を除く)。前売券は4月11日から6月16日まで! 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、ファエンツァ市、エミリア・ロマーニャ州、カルロ・ザウリ美術館、日本経済新聞社 イタリア文化省、イタリア外務省、イタリア議会下院、ラヴェンナ県、ラヴェンナ商工会議所、イタリア大使館、イタリア文化会館 フェラリーニ社、モカドーロ、GD アリタリア航空、オープン・ケア すでに、京都国立近代美術館(2007年10月2日~11月11日)岐阜県現代陶芸美術館(2008年4月19日~6月1日)で開催され、当館が3会場目。この後は山口県立萩美術館・浦上記念館(8月26日~10月26日)へ巡回します。

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ゴッホ展:孤高の画家の原風景 ファン・ゴッホ美術館 クレラー=ミュラー美術館所蔵

展覧会について ファン・ゴッホ美術館/クレラー=ミュラー美術館所蔵  フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。オランダに生まれ、わずか十数年の活動で約2000点の作品を遺し、フランスで37歳の命を自ら絶った伝説の画家。燃え上がるような色彩と情熱的な画風は今もなお、私たちの心をとらえて離しません。  このたび、彼の祖国オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という、世界最高峰の二大ゴッホ・コレクションから出品される回顧展を開催いたします。  生涯たった一枚しか絵が売れなかったにもかかわらず、死後には作品がオークションで巨額で落札されるというエピソードや、伝説的に語られる人生もまた、彼を世界でもっとも著名な画家にしているといえます。パリ滞在中にジャポネズリー(日本趣味)に傾倒し、浮世絵をモチーフにした作品を制作した事実もあいまって、日本人に非常に人気のある画家の一人でもあります。  本展は、これまで日本で開催されてきたゴッホ展とは一線を画します。その作品を大きな歴史の流れのなかでとらえ、ファン・ゴッホの代表作など約30点と、ミレー、セザンヌ、モネ、ゴーギャンなど関連作家の作品約30点、そして浮世絵や同時代の資料多数を同時に紹介。オランダ、パリ、アルル、サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズなど、北から南、そしてまた北へと移り住みながら精力的に生み出していった作品群を、ほぼ時代順に、かつテーマごとに展示し、単にファン・ゴッホの生涯を追うのではなく、一人の画家の出現の理由をあきらかにします。誰もが知っているファン・ゴッホを再確認しながら、新たな画家像が浮かびあがってくるのです。  ファン・ゴッホを生涯支え続けた弟テオのコレクションを引き継いで世界最多のゴッホ作品を所蔵するファン・ゴッホ美術館。一方、20世紀初頭と早い時期からゴッホ作品の収集を続けた、貿易会社社長夫人ヘレーネ・クレラー=ミュラーによる、これまた世界最大規模のゴッホ・コレクションを有するクレラー=ミュラー美術館。オランダが世界に誇る豊潤な二大コレクションから作品を選ぶことで、今回のコンセプトによる回顧展が初めて可能になりました。〈芸術家としての自画像〉〈黄色い家〉〈夜のカフェテラス〉〈糸杉と星の見える道〉など、両美術館所蔵の代表作を含む作品構成は、日本のみならず世界のゴッホ回顧展の中でも特色があり、また際立ったレベルにあるといえましょう。  珠玉の作品群からファン・ゴッホの創造の源、魂の叫び、「孤高の画家」と呼ばれる彼の本当の姿を見てとれるエキサイティングな内容にどうぞご期待ください。 ここが見どころ 天才画家と言われてきた、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。彼の芸術は世界中の人々を惹きつけ、多くの展覧会が各地で開催されてきました。ですが、存在が神話化されるにつれて、ファン・ゴッホが身を置いていた原風景にたどりつく機会は逆に失われてしまったのではないでしょうか。 本展は、単なる回顧展でもなければ、ある特定の時代や主題に絞ったテーマ展でもありません。〈夜のカフェテラス〉など美術史上の傑作を含むファン・ゴッホの油彩30点に、ミレー、セザンヌ、モネ、ゴーギャンなど関連する作家の油彩約30点、そして宗教的な版画や浮世絵など様々な同時代の資料多数をあわせて紹介することで、画家の実像にせまろうとするものです。 こうしたコンセプトによる意欲的な展覧会が、なぜここ日本で実現可能となったのか。それは本展が、ファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という、オランダが世界に誇るファン・ゴッホ作品の二大コレクションから、初期から晩年までの各時代の代表作を含みつつ作品を選ぶことができたからです。 展示は時代を追いつつテーマ毎に構成されます。宗教から芸術へと向かった画家が、印象派や浮世絵の体験からその絵画世界を変容させ、ユートピアを夢想し、その後、模写を通して宗教的なものへと立ち戻りつつ最後の風景を求めるようになるまで・・・歴史的な原風景を背景にして、新たな、けれど本当の画家の姿が、鮮やかに浮かびあがってくることでしょう。 第 1 章:宗教から芸術へ フィンセント・ファン・ゴッホは、1853年3月30日、オランダ南部のフロート・ズンデルトに生まれました。祖父も父も牧師という家に生まれたファン・ゴッホは、自らもまた牧師を目指しますが、その道はなかなか開けず、様々な試行錯誤の末、27歳にして芸術家になることを決意します。しかし、宗教への関心を失ったわけではありません。彼は、芸術=宗教といえるような作品を描こうとしたのです。1885年の〈開かれた聖書のある静物〉では黒い聖書のとなりに黄表紙の小説を描いているように、彼は、闇の中に光を探そうとする強い意志を持っていました。展覧会には、父親が所蔵していた聖書も出品されます。 開かれた聖書のある静物 聖書は、牧師であった父親が使っていたもの。この絵は、その父親が亡くなった約半年後に描かれました。衝突を繰りかえした父親の形見の横の黄色い本には「エミール・ゾラ」「生きる喜び」との書き込みがあります。当時ファン・ゴッホはゾラに代表されるフランス自然主義文学に心酔していたのです。聖書と新しく自由な芸術世界を象徴する小説との対照は、そのまま、父親とファン・ゴッホとの関係であるとも言えます。 第 2 章:農民の労働 芸術のメタファー 〈オランダ〉 ファン・ゴッホは芸術家を志したとき、「人民の挿絵画家」になると語っていました。そんな彼が最初に描こうとしたのは、実際に目にした、貧しくても強く生きる人々の姿でした。苦しい労働に黙々と耐えながら、何ものかを生み出してゆく農民に対する共感は、〈織工〉(1884年)の窓に十字架が描きこまれているように、彼の宗教観と結びついています。この時期のファン・ゴッホは、色彩を抑えた暗い調子で、匿名の人たちの生活の現実をまっすぐにとらえた作品を数多く生み出しました。 古靴 サボ(木靴)を描いたミレーの絵を賞賛していたファン・ゴッホは、パリ時代、靴の静物画を多く描きました(ちょうどその頃、パリで、ミレーの回顧展が開かれています)。 しかし、描かれたのがパリであるように、これらの靴は、単なる農民の生活の象徴ではありません。むしろ自らの歩みの同伴者として、自らの放浪の人生の象徴として描かれたのではないでしょうか。また、弟テオと自分とが一対であることを意味しているのかもしれません。 織工 3つの窓のある部屋 ベルギー南部の炭鉱地帯ボリナージュで伝道をしていた頃、ファン・ゴッホは、「僕は鉱夫や織工に大いなる共感を覚える。いつか彼らを描くことができたら嬉しい」と書いています。そして1883年末にニューネンに到着後、織工をテーマとした作品を数多く制作しました。織工はそれまでもオランダの絵画で描かれてきたテーマですが、ファン・ゴッホは、産業革命以降、機械化が進む中、過酷な条件のもとで働く彼らの姿を的確に捉えています。 第 3 章:闇から光へ 〈パリ〉 1886年3月ごろファン・ゴッホはパリを訪れます。そしてゴーギャン、シニャック、ベルナールなど、印象派に続く若い世代の画家たちに出会い、交流し、そして議論を戦わせました。彼は、自らを含めたこのグループを「プチ・ブールヴァール(裏通り)」の作家と呼び、その革新性を讃えます。そうして彼の描く絵は、明るくなっていきました。まさにそうしたころに描かれたのが〈芸術家としての自画像〉(1888年)で、意外にもこの作品は、自らを芸術家として描いた数少ない自画像のひとつなのです。また同時期、彼は自ら浮世絵を集め、自作と並べて展示したり、〈花魁〉(1887年)のような意欲的な作品を制作したりするなど、「日本」への関心を深めていきます。 花魁(渓斉英泉による) ファン・ゴッホの浮世絵への関心は高く、自ら買い集めて展覧会を開いてしまうほどでした。この作品は渓斉英泉の〈雲龍打掛の花魁〉を模写していますが、「日本」を特集した『パリ・イリュストレ』1886年5月号の表紙を元にしています。鮮やかな色彩はファン・ゴッホ独自のもので、また額を描きこむのも特徴的です。額の周囲には、ほかの浮世絵から鶴、蛙、蓮、竹が描きこまれていますが、蛙も鶴も、当時フランスでは、娼婦を意味するスラングでした。 芸術家としての自画像 自らを芸術家と認識できるように描いた数少ない自画像のひとつ。自画像としては特異なことに陰鬱な表情で描かれていますが、実際ファン・ゴッホは、ゴーギャンにあてた手紙で、「パリを離れるとき僕は本当に惨めで、体調も優れず、ほとんどアル中だった」と回想しています。とはいえ、この絵の構図がルーヴル美術館にあるレンブラントの自画像と結びつけられるように、このとき彼は、芸術的な高みに到達したいと願っていたのです。 レインスブルク近郊のチューリップ畑と風車 オランダを三度も訪れているモネが、風車とチューリップ畑という典型的なオランダの風景に魅了されていたことは、この絵が描かれた三度目の訪問時の作品に、チューリップ畑の主題が5枚もあることからわかります。その風景を描くときモネが用いたのが、粗い筆致と明るい色彩という印象派の手法でした。実はこの作品は、画商であった弟テオが扱った作品のひとつであり、ファン・ゴッホもおそらく目にしていたと考えられています。故郷の風景を描いた印象派の作品。パリに着いてからのファン・ゴッホの技法と色彩は、こうした作品を見知ったことを通して、より自由に、そしてずっと明るいものとなっていきました。 第 4 章:ユートピア 〈アルル〉 1888年ファン・ゴッホは「日本の浮世絵にあるような明るい光」を求めて南仏の町アルルに向かいます。ここでゴッホは芸術家の共同体をつくることを夢見て「黄色い家」を借り、精力的に制作に取り組みます。ですが、精神に異常をきたしたこともあり、ゴーギャンとの共同生活はわずか2か月で決定的な破局を迎えてしまいます。しかしアルルに滞在した15ヶ月の間に、彼は「ファン・ゴッホ」としての色彩を獲得し、〈夜のカフェテラス〉を頂点とする200点にものぼる作品群を生み出したのです。 黄色い家 1888年2月、ファン・ゴッホは、芸術家、とりわけゴーギャンとの共同生活を夢見てアルルにやってきました。南仏の自然は、「デルフトのファン・デル・メール[フェルメール]の絵のなかの、空色と黄色の組み合わせのように柔らかで魅力的だ」と言わせるほど、彼に強烈な印象を与えました。黄色い家は、そのアルルで、共同生活のために借りた家。フェルメールを想い起こさせた、青と黄色のコントラストが、この絵にはそのまま表現されています。ファン・ゴッホ曰く、「このモティーフは難物だよ!だからこそそいつを克服したいんだ」。 種まく人 農民の画家になろうと絵を描きはじめたファン・ゴッホにとって「種まく人」は、画業を通してずっと重要な主題でした。しかし、ミレーの模写ではなく、創意工夫をもって取り組んだのは、この作品が最初になります。「ミレーとレルミットの後に仕残されたこと、それは――大画面で色彩を駆使した種まく人なのだ」と語る彼は、パリで培った技法と独自の色彩論とを、この絵において綜合しました。そして、現実の風景に繋がりながらも、宗教的な強烈さを伝える〈種まく人〉が誕生したのです。 ミリエの肖像 アルルに駐屯していたアルジェリア歩兵連隊の少尉、ポール=ウジェーヌ・ミリエの軍服姿の肖像画。連隊の標章である星と三日月が、この絵に不思議な感じを与えています。ファン・ゴッホにとってミリエは、アルルでの数少ない友人のひとりで、素描を教えたりもしました。でもミリエは、「ファン・ゴッホのためにしばしばポーズしましたか」と訊かれて、「そうすべきだったんだろうけれど、あまり面白いものではなかったのですよ」と答えているのですが…。 第 5 章:模写/最後の風景 〈サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズ〉 芸術家の共同体をつくる夢に敗れたファン・ゴッホは、精神状態を悪化させ、サン=レミの病院に入ります。そこで彼は、ドラクロワやミレーの白黒の版画を、色彩と形態とが融合する独自の表現に置き換える模写を行いました。しかし度重なる発作は、彼を容赦なく苦しめます。サン=レミ時代の最後に描かれた〈糸杉と星の見える道〉では、静けさでみたされた星空と、もはや燃え上がることのない糸杉が、不吉な雰囲気を伝えるでしょう。そしてファン・ゴッホは、南仏を離れ、再び北へと戻るのです。パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズで、自然と宗教とが葛藤するかのような風景を描きながら、彼は自らの胸を撃ちました。享年37歳という短い人生でした。 糸杉と星の見える道 オーヴェールからゴーギャンに宛てた手紙の下書きのなかで、ファン・ゴッホはこの作品を、「あちら[サン=レミ]でやった最後の試みのひとつ」としています。彼はこの絵を描く少し前に発作に苦しめられて、オランダにいた頃のことを思い出し、馬車とカップルのある素描を描いていました。その意味でこの作品は、プロヴァンスと故郷の風景の融合ともいえます。そうした風景のなかで、巡礼者にも見えるカップル(彼の絵にしばしばあらわれるモチーフです)が、手前に小さめに描かれることで、死の象徴である糸杉が不穏なまでの存在感を強調しはじめるのです。 パンを焼く女 アルルで、モダン・アートに対して貢献したいと考えながらもゴーギャンとの共同生活の夢に敗れてしまったファン・ゴッホは、自分の願いは大それたものだったと反省し、サン=レミの精神療養院で、ミレーやドラクロワなど過去の巨匠の作品を、自分なりのやり方で模写しました。そうすることで、再び芸術への意志を呼び起こそうとしたのでしょう。彼がこの絵に言及したことはありませんが、効果的な光によって、質素な部屋の中に働く人物像を劇的に浮かび上がらせたこの作品は、40年代末から素朴な田舎の情景を集中して描いたミレー作品のなかでも、佳作と言えるでしょう。 犂と馬鍬 人物像が中心だったミレー作品の模写のなかで、この作品は唯一の風景画になります。しかも原画では収穫後の荒涼とした雰囲気を伝えていた風景が、より寂しい、雪の風景に変えられています。この頃、ファン・ゴッホは、「僕としてはとくに今は病気なので、何か自分の慰めになるものを、自分自身の楽しみのために描こうと心がけている」と書いています。農夫に無用だとうち捨てられた犂と馬鍬、侘しさを倍加させる黒い鳥、季節は一年の終わりである冬・・・、人生の終焉を思わせる絵を描くことが、むしろファン・ゴッホにとっては慰めとなったのでしょうか。 <夜のカフェテラス> 解説 南仏の夏の夜の心地よさが伝わってくるこの絵は、ファン・ゴッホが星空の夜をはじめて描いた作品です。夜、といっても、暗い雰囲気は全くありません。石畳は、星明かりだけでなく、カフェのテラスからもれてくるガス・ランプの灯りにも照らされて、ピンクや紫の色合いを帯びていますし、テーブルは円盤状に輝いてリズムをつくっています。画面右の緑の樹はアクセントとなり、また目を凝らすと、画面中心からこちらに向かって、馬車がやってくることに気づくでしょう(ひづめがカポカポいう音が聞こえてきそう!)。 ファン・ゴッホは、「これはただ美しい青と紫と緑だけによる、黒なしの夜の絵だ」と言っていますが、実はこの絵は、夜、外で描かれました。あまりないやり方なので、「彼は帽子のつばに蝋燭をつけて描いた」という伝説さえ生まれたほどですが、彼によれば、「これは色あせた、青白い、みすぼらしい光のある因習的な黒の夜から脱する唯一の方法」だったのです。 しかしながら、夜の店先の賑わいを描く絵自体は、それほど珍しくはありません。ファン・ゴッホとパリの美術教室で一緒だったアンクタンの1887年の作品に、〈クリシー通りの夜〉という夜の店先を描いた絵がありますし、ファン・ゴッホ自身が持っていた浮世絵コレクションのなかには、月夜に人がにぎわう通りを描いた広重の作品があるのです。奥行きの強調されているところなどに共通点が指摘されています。 この作品のモデルとなったカフェは,現在も同じ場所に残っている。ところでこの絵を描いた直前にファン・ゴッホは、カフェの店内を描いた〈夜のカフェ〉という作品を、これまた夜に、ただし店内で制作しています。しかしそれは、「カフェとは人がとかく身を持ち崩し、狂った人となり、罪を犯すようになりやすいところだということを表現しようと努めた」と言っているように、行き場のない人々を描いた暗い絵です。ひとつのカフェの内と外とを、まったく対照的な世界に描いた理由…それはよくわかりませんが、やがて星空が重要なモチーフになることを考えると、ファン・ゴッホにとって必要だったのは、やはり外の、星と樹のある世界であったと言えるのではないでしょうか。 ファン・ゴッホ美術館 1973年、オランダの首都アムステルダムに開館した美術館。弟テオが旧蔵していたファン・ゴッホ作品のコレクションのうち、約200点の油彩、500点余りのデッサン、スケッチブック、約700通もの書簡、そして多数の浮世絵は、1962年以来フィンセント・ファン・ゴッホ財団の所有となったが、それらは現在この美術館に永久に貸与されている。ヘリット・リートフェルトの設計による開放的な建築空間のなか、〈馬鈴薯を食べる人々〉〈黄色い家〉〈ひまわり〉〈烏の群れ飛ぶ麦畑〉など数々の代表作を含む全ての時代の作品を体系的に鑑賞できる。また、ゴーギャンなど同時代の画家やファン・ゴッホの友人の作品、ミレーなどファン・ゴッホが敬愛していた作品も収蔵。その一部は、実際に兄弟が収集したものである。なお1999年には日本人の建築家、黒川紀章の設計により新館が完成した。 クレラー=ミュラー美術館 富豪アントン・クレラーの夫人だったヘレーネ・クレラー=ミュラーが収集したコレクションを核にしたこの美術館は、ヴァン・デ・ヴェルデの設計により1938年、オッテルローにあるオランダ最大の国立公園内に開館した。スーラ、ピカソ、モンドリアン、ブランクーシなど近現代美術の名品を数多く所蔵しており、特に約300点(うち油彩は87点)を数えるファン・ゴッホのコレクションは有名。南仏アルルのはね橋を描いた〈ラングロアの橋〉、ミレーへの関心に基づく〈種まく人〉、サン=レミ時代の〈糸杉と星の見える道〉などの代表作とともに、画家の変遷をじっくりとたどることができる。また野外には25ヘクタールにもなる彫刻庭園があり、ロダン、ムーアから現代の作家に至るまでの彫刻作品を、豊かな自然のなかで鑑賞できる。 作家紹介 フィンセント・ファン・ゴッホは、オランダ生まれの芸術家です。セザンヌやゴーギャンなどと同じくポスト印象派(後期印象派)の画家と言われますが、その絵画は、筆触を見れば表現主義の創始者といわれるほど激しく個性的で、色彩や作品の主題を見れば、象徴主義的といわれるほど深遠かつ論理的です。いわばファン・ゴッホは、時代とともに生き、そして時代を先取りしてしまいました。 また、熱狂的過ぎて伝道をとめられてしまったり、娼婦と同棲したり、自らの耳を切ったり、その情熱的な人生はもはや伝説となっています。生涯で一つの作品〈赤い葡萄畑〉しか売れなかったというエピソードも良く知られているでしょう。 彼の作品が世界中の人々に愛されているのは、それらが慈愛に満ちているからだけではなく、彼の生涯を経済的、精神的に支えた弟テオとの手紙のやりとりがほとんど完全なかたちで残っているからでもあります。不遇の画家と有能な画商であった二人の間に交わされた膨大な書簡集は、ファン・ゴッホ作品や当時の美術の状況についての理解に役立つだけでなく、書簡文学の傑作とみなされてもいます。 そしてその書簡集の最後、フィンセントが亡くなった1890年7月29日に発見されたと、テオ自身が書き込みを入れている手紙は、次のように締めくくられています。 「ともあれ、僕は、僕自身の作品に対して人生を賭け、  そのために僕の理性は半ば壊れてしまった―それもよい―…」 フィンセント・ファン・ゴッホ略年表 3月30日オランダ南部のフロート・ズンデルトに牧師の父のもと生まれる。 5月1日フィンセントの弟テオドルス(通称テオ)誕生。 ゼーフェンベルヘンの寄宿学校に入る。 画商の伯父を通して、美術商グーピル商会のハーグ支店に見習いとして就職。 テオとの生涯にわたる文通が始まる。 グーピル商会のロンドン支店に転勤になる。下宿先の娘に恋する。 10月、失恋のため精神に変調をきたし、パリへ一時勤務となり数ヶ月滞在する。 グーピル商会のパリ本店へ正式に移る。 グーピル商会を辞職。4月、イギリスへ渡りラムズゲートの寄宿学校でフランス語とドイツ語を教える。その後ロンドン郊外の日曜学校で補助説教師をつとめる。 1月から4月、ドルドレヒトの書店で働く。5月、アムステルダムに赴き、神学を学ぶため大学入学を志す。 進学を断念。伝道師になるための教育を受けるべく、ブリュッセル郊外のラーケンへ赴く。12月、ベルギー南部の炭鉱地帯ボリナージュで伝道活動を始める。 熱心すぎるあまり、伝道師の資格はあたえられなかった。 夏、画家になることを決意し、テオの経済的援助のもと、素描をはじめる。ミレー、ドービニー、ルソーを模写する。10月、ブリュッセルに出て、若いオランダ人画家アントン・ファン・ラッパルトと出会う。 4月、ブラバント地方のエッテンにもどり、地元の農民の素描を制作。8月、ハーグを訪れ、当地の画家たちおよび特に従兄のアントン・モーヴと交流する。12月、ハーグに落ちつき、主にモーヴの指導のもと制作をする。 身重の娼婦シーンと知り合い、彼女とその家族をモデルにして制作。 9月、シーンと別れハーグを去る。ハーグの画家たちになじみ深い北部のドレンテへ移り、真剣に油彩画にとり組む。12月、家族の移転地ニューネンを訪れる。 隣家に住むマルホ・ベーヘマンと恋愛関係になるが、両家の反対にあい、彼女は服毒自殺を図る。 地元の農民や職工を描いた作品のなかで頂点をなす〈馬鈴薯を食べる人々〉制作。11月、アントワープへ移る。この後、ファン・ゴッホがオランダの地を踏むことはない。 3月頃、パリを訪れ、テオとともに暮らす。フェルナン・コルモンのアトリエに入る。ジョン・ラッセル、トゥールーズ=ロートレック、ベルナール、シニャック、ゴーギャンらに出会う。 自ら収集していた浮世絵の展覧会を開く。 2月20日アルルに到着。5月、黄色い家を借りる。ゴーギャンが10月から12月にかけて滞在する。しかし、ゴーギャンとの確執の末、左耳下部を切り取り、アルルの病院に収容される。 3月、テオが結婚する。5月、サン=レミの療養院に入院。野外での制作も許され、オリーブ畑、糸杉、麦畑などを主題とした作品を制作する。そのほか、ミレーやドラクロワの模写などを制作。 1月、テオに息子誕生、生まれた息子にフィンセントの名前をつける。また、アルベール・オーリエが、『メルキュール・ド・フランス』誌にゴッホの作品について記事をのせる。ベルギーの「レ・ヴァン」展に出品し、アンナ・ボックが〈赤い葡萄畑〉を買いとる。5月、オーヴェール=シュル=オワーズに移る途中、パリのテオを訪ね、妻とその子フィンセントに会う。その後、ピサロの薦めで精神科医ガシェの世話になるが、7月27日、胸部をみずからピストルで撃つ。29日テオに見守られながら息を引きとる。9月、テオの健康状態が悪化、10月には心身ともに衰弱する。 1月25日テオ、ユトレヒトの病院で死亡。 イベント情報 講演会 いずれも聴講無料 先着150名(4月2日は当日10:00より整理券を配布します) 「ファン・ゴッホの色彩論(仮題)」 3月24日(木)18:00~19:30 シラール・ファン・ヒューフテン(ファン・ゴッホ美術館チーフ・キュレーター)※通訳付 「ファン・ゴッホをめぐる『物語』の系譜」 4月2日(土)14:00~15:00 國府寺司(大阪大学教授・本展企画者) ゴッホ展教職員研修会「『ゴッホ展―孤高の画家の原風景』のみどころ」 東京国立近代美術館では、小・中・高校の先生方に美術館と美術作品に親しんでいただき、それを通じて児童生徒への鑑賞教育を充実していただくために、「教員のための鑑賞プログラム」を実施いたします。 第1回目は、図画工作や美術の授業でとりあげられる機会の多いフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)です。「ゴッホ展」の趣旨や作品について、企画・立案にあたった学芸員が説明したあと、自由に展覧会をご覧いただきます。 3月31日(木)(申込終了)4月15日(金)(申込終了) 両日とも開館時間は10:00~20:00(入場は19:30まで)。 小・中・高校の教員および職員 各回150名(事前申込制、先着順) 講堂(地下1階) 保坂健二朗(当館研究員) 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞 無料 ※当日のみ、「ゴッホ展」、所蔵作品展を無料でご観覧いただけます。展覧会チケットのお渡し方法につきましては、参加証でご案内いたします。 ファックス:申込用紙にご記入のうえ、お申込みください。メール:申込用紙の項目を明記し、お申し込みください。おりかえし参加証をお送りいたします。※1通のお申込みにつき1名のみ。当日は必ず参加証をお持ちください。 東京国立近代美術館 教育普及係FAX 03-3214-2576Eメール school@momat.go.jpTEL 03-3214-2605 カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 2005年3月23日(水)~5月22日(日)会期中無休:4月11日(月)除く 4/29~5/8: 午前10時~午後8時5/9以降の木・金・土・日: 午前10時~午後8時5/9以降の月・火・水: 午前10時~午後5時 入館は閉館時間の30分前まで 一 般: 1,500円(1,100円)大学生: 1,000円( 700円)高校生:  600円( 300円) 中学生以下は無料 ( )内は20名以上の団体料金 前売券は3月22日で終了しました。 ハローダイヤル 03-5777-8600http://www.momat.go.jp 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞 外務省、文化庁、オランダ大使館 昭和シェル石油、スズキ、損保ジャパン、大日本印刷、トヨタ自動車 日本航空、日本通運 財団法人 2005年日本国際博覧会協会 国立国際美術館2005年5月31日(火)~ 7月18日(月・祝) 愛知県美術館2005年7月26日(火)~ 9月25日(日)

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旅:「ここではないどこか」を生きるための10のレッスン

国内外の現代作家10人(組)による、「旅」をテーマとするグループ展。ポスト・コロニアリズムの議論が高まる中、単なるエキゾティシズムに陥ることなく、旅の途上で他者と出会うことの可能性を示そうと試みた。ジャンルは絵画、写真、映像、インスタレーションと多岐にわたり、出品作家の国籍も多様なものとなった。パスポートサイズのカタログ、搭乗券型のチケットなど、印刷物にもテーマを踏まえた工夫を凝らした。 開催概要 東京国立近代美術館本館企画展示室 2003年10月28日‒12月21日(48日間) 18,624人(1日平均388人) 13.0×9.6cm 185p. 旅:「ここではないどこか」を生きるために / 蔵屋美香 [arts in sight] Themed show puts viewers on right path / Edan Corkill, International Herald Tribune /The Asahi Shimbun, November 21, 2003 [Art] Embark on a journey of a different kind / Robert Reed, The Daily Yomiuri, December 11, 2003 42点 大岩オスカール幸男 雄川愛 小野博 瀧口修造 安井仲治 渡辺剛 ビル・ヴィオラ ジョゼフ・コーネル ペーター・フィシュリ&ダヴィッド・ヴァイス エリック・ファン・リースハウト / 10人(組) エリック・ファン・リースハウト 読書と旅について / 堀江敏幸 雄川愛+蔵屋美香 パフォーマンス「最後の旅」+講演会「旅…最後のリバティ・パスポート」 / 松澤宥 巖谷國士 大岩オスカール幸男 蔵屋美香 渡辺剛+蔵屋美香

所蔵作品展 MOMATコレクション(2022.10.12–2023.2.5)

2022年10月12日-2023年2月5日の所蔵作品展のみどころ 長谷川三郎「抽象と幻想」展 展示パネル(部分) 1953 年  MOMATコレクションにようこそ!1952(昭和27)年12月1日に開館した当館は、今会期(10月12日―2023年2月5日)中に、ちょうど開館70周年を迎えます。 当館コレクション展の特徴を簡単にご紹介しておきましょう。まずはその規模。70年の活動を通じて収集してきた13,000点を超える所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展です。そして、それぞれ小さなテーマが立てられた全12室のつながりによって、19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れをたどることができる国内随一の展示です。 今期の見どころは、3階7、8室で70周年にあわせて企画された「プレイバック『抽象と幻想』展(1953–1954)」です。当館が開館1周年時に開催した展覧会を、再現VRなども駆使しながら振り返る力作です。同じく3階の9室では、70年間の作品収集の歩みの中から、特徴的なご寄贈作品に光を当てた「ギフト」を開催します。 展示をご覧いただきながら、100年を超える美術の流れとともに、70年間という美術館活動の時間の厚みも感じていただければ幸いです。 今会期に展示される重要文化財指定作品 今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。 原田直次郎《騎龍観音》1890年 寄託作品|1室 萬鉄五郎《裸体美人》1912年|1室 和田三造《南風》1907年|1室 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年|2室 原田直次郎《騎龍観音》1890年 護国寺蔵、寄託作品 萬鉄五郎《裸体美人》1912年 和田三造《南風》1907年 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 4点の重要文化財(1点は寄託作品)についての解説は「名品選」をご覧ください。 展覧会について 4階 1-5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで 「眺めのよい部屋」美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。 「情報コーナー」開館70周年を記念してMOMATの歴史を振り返る年表と関連資料の展示コーナーへとリニューアルしました。年表には美術館の発展に関わる出来事のほか、コレクションの所蔵品数や入場者数の推移を表したグラフも盛り込んでいます。併せて、所蔵作品検索システムのご利用も再開します。 1室 さかいめはどこ? 萬鉄五郎《裸体美人》1912年、重要文化財  いつもは「ハイライト・コーナー」と題して館を代表するような作品を展示している第1室ですが、今期は他の部屋と同じように、日本の近現代美術の流れを見せるプログラムに組み込んでみました。通史のスタートを切るこの部屋では、1880年代半ばから1910年代初頭までに制作された作品を紹介します。 江戸時代が終わって20年が経った頃、からの約30年間。この間に、日本の美術は大きく様子を変えてゆきました。当時、美術家の多くは、ヨーロッパ標準と国のオリジナリティをいい塩梅で融合して、新しい時代の日本美術を生み出そうとしていました。両者の配合はどうあるべきか?彼らはその答えを求めて全方位的に試行錯誤しています。古さあり、新しさあり、主題の混迷あり、主題と表現のミスマッチあり、技法の未消化あり。のちの「近代美術らしい」近代美術を知っている私たちには、彼らの試みが異質にも面白くも見えるわけですが、では、さかいめはどこにあったのでしょうか?そんなことも考えながら、近代美術が形成されてゆく様子をご覧ください。 2室 スターゲイザー 神原泰《スクリアビンの『エクスタシーの詩』に題す》1922年 タイトルは星をみつめる者という意味です。転じて天文学者や占星術師を指したりもします。 このタイトルにはふたつの意味を託しました。ひとつは自らが星になろうとするような、画家ひとりひとりの自意識のふくらみです。自分にしか見ることのできない真実に触れていればよく、主題もスタイルもできるかぎり個人的な方がよい。1910年代から20年代にかけて、雑誌『白樺』などによって教えられた芸術のありかたは、当時の若者たちを一気に自己表現へと向かわせました。関根正二や村山槐多はそんな時代の文字通りスターです。 タイトルに託したもうひとつの意味は、主題としての天体です。大地や太陽も天体のひとつ。岸田劉生や萬鉄五郎、川端龍子(12月4日まで展示)の作品のなかで、大地や太陽は生命を生み育む神秘のエネルギーの塊として表現されています。また、自己表現としての芸術は、ヨーロッパに生まれた表現主義や未来派といった前衛芸術を受け入れる土台にもなりました。未来派にあこがれた尾竹竹坡(12月6日から展示)は宇宙や天体を主題とする作品も描きました。 3室 解体と再構築 古賀春江《海》1929年  第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての時期は、既成の概念や枠組みを超えようとする新しい表現が次々に生まれた時代です。たとえば、対象を断片化・変形して抽象化を進めたり、新聞紙や壁紙など、もとは別の機能を持っていた素材の断片を画面に取り込んだりして、イメージの解体と再構築を試みるような作品が多く現れます(村山知義やクルト・シュヴィッタースなどの作品)。一方で、そういった前衛的な表現と一見すると正反対にも見える、素朴さや原始性への憧れ、あるいは古典古代の再発見といった、根源性や普遍性への関心が高まったのも、この時期の興味深い特徴と言えるでしょう(フェルナン・レジェや東郷青児などの作品)。 こうした模索の背景には、第一次世界大戦によって世界が受けた傷の深さや、次なる戦争への不安の高まりといったものがうかがえます。この部屋では、キュビスムやシュルレアリスムといった美術動向に敏感に反応しながら、自らの表現の確立を模索した作家たちの戦間期の作品をご紹介します。 4室 瑛九― デッサン・印画紙・マチエール 瑛九《「眠りの理由」より3》1936年(展示期間:10月12日~12月4日)  油彩、コラージュ、版画など多様な作品で知られる瑛九のデビュー作『眠りの理由』を中心に、同時期のデッサンとフォト・デッサンを紹介します。 日本美術学校洋画科を中退後、公募展応募や美術評論の執筆を通して自身の芸術を模索していた瑛九は1930年頃から写真に関心を寄せています。その頃、日本の写真表現は絵画的なピクトリアリズムから、写真独自の芸術性を目指す「新興写真」への転換期にありました。 物体を印画紙の上に置いて感光させるフォトグラムと出会った瑛九は、印画紙を新しい画用紙ととらえ、光で描き始めます。画家である彼が用いた型紙やセルロイドの描画などの絵画的要素は、印画紙の滑らかなマチエール(画面の肌)に総合され、写真とも絵画とも異なる独自のイメージとなっています。瑛九はそれをフォト・デッサンと呼びました。既存の価値観に縛られずに自由な表現を求める彼の意識は、デッサンの自在な線や形からもうかがえます。 5室 アメリカ社会への視点 清水登之《チャイナタウン》1928年  大恐慌にみまわれた1930年代のアメリカでは、都市や農村の生活風景を記録し、社会の実態に目を向けた写真や絵画が多く登場します。特に、時代の変化を克明に写しだす写真は、人々に現状を理解させ、政府が困窮した労働者や市民を包括的に支援する、ニューディール政策へと舵を切るうえで重要なメディアとなりました。その一方、現地で制作を続ける日本人画家をはじめ、国家による救済措置から除外される外国人労働者も存在しました。 1940年代に入り、アメリカでは第二次世界大戦にともなう軍需産業の好況によって景気が回復に向かいます。しかし、戦争は市民を分断する溝を深めてゆきます。真珠湾攻撃から間もない1942年、政府は太平洋沿岸に暮らす日系人の強制収容を決定します。写真家や画家たちはその実情を記録することで、差別的な政策に対する心情を示しました。 こうした有事の社会における市民の包摂と排除の歴史を、特に人種的マイノリティの立場から見つめた日系人アーティストたちの作品は、アメリカと日本相互の美術史に独自の痕跡を残しています。 3階 6-8室 1940s-1960s 昭和のはじめから中ごろまで9室 写真・映像10室 日本画建物を思う部屋(ソル・ルウィット《ウォールドローイング#769》) 6室 戦争の時代― 修復を終えた戦争記録画を中心に 松本竣介《Y市の橋》1943年  1938(昭和13)年の国家総動員法によって、国民すべてが戦争協力を迫られるなかで、美術家も戦争記録画を描くようになりました。戦後、アメリカ連合国軍総司令部が現存する戦争画の主要作品153点を接収し、1951(昭和26)年に合衆国に移送します。日本への返還要求の声が実り、ようやく1970(昭和45)年3月にアメリカ政府から日本政府に「無期限貸与」するかたちで、日米両国が作品返還に合意。傷みに応じて修復処置が施されましたが、経年変化などで過去の修復跡の変化なども目立つようになったことから、近年新たに修復し直し、額を新調するなどしています。今会期は修復を終えた戦争画を中心に戦時期の美術を展示します。 特に色彩豊かですが表現は淡泊、人物より広大な光景での戦闘の記録に近い藤田の初期の戦争画と戦争末期の複雑に人物が絡み合う褐色調の死闘図との違いは、画家の関心の変化も見て取れ、見どころのひとつです。 7室 プレイバック 「抽象と幻想」展(1953–1954)① 長谷川三郎「抽象と幻想」展 展示パネル(部分) 1953 年  戦後日本が主権を回復した翌年の1952年12月1日に、当館は京橋で開館しました。このコーナーでは開館当時の様子を振り返る映像や資料とともに、初期の重要な展覧会である「抽象と幻想 非写実絵画をどう理解するか」展(1953年12月1日―1954年1月20日)に焦点を当てます。 「日本近代美術展 近代絵画の回顧と展望」で開館して以降、当館では近代美術を歴史的に回顧する展示が続いていました。1周年を迎えるにあたって行われた「抽象と幻想」展は、名品を並べるという従来型の展示とは異なり、同時代の作家を、特定のテーマの下で取り上げる新しい試みでした。 批評家の植村鷹千代と瀧口修造を協力委員に迎え、「抽象」と「シュルレアリスム(幻想)」というモダンアートの二大潮流をめぐって構成された展覧会とは、果たしてどのような内容だったのでしょうか。7室では、残された資料や記録を元に制作した再現VRを投影しています。初期の実験的な美術館の実践を追体験してみてください。 8室 プレイバック 「抽象と幻想」展(1953–1954)② 山口勝弘《ヴィトリーヌ No.47(完全分析方法による風景画) 》1955年  8室では、「抽象と幻想」展に出品された作品や、出品作家による50年代の作品を中心に展示しています。「抽象と幻想」展に出品された作品のうち、当館に収蔵された作品は14点あります。北代省三《モビール・オブジェ》(1953年)、川口軌外《異影》(1953年)、古沢岩美《プルトの娘》(1951年)、河原温《浴室16》(1953年)、岡上淑子によるフォトコラージュ作品(6点)、品川工《円舞(終曲のない踊り)》(1953年)、浜田知明《初年兵哀歌(歩哨)》(1951年、※発表時は《風景》)、駒井哲郎《思い出》(1948年、※発表時は《オホーツク海の思い出》)、瑛九《シグナル》(1953年、※発表時は《たそがれ》)。 7室の再現VRと、実際の作例を比較してみてください。また、1953年は、東京都美術館の「第一回ニッポン展」で山下菊二らによるルポルタージュ絵画が発表され始めた時期とも重なります。開館間もない当館の活動を通して、50年代の美術を振り返る機会となれば幸いです。 9室(前期:10月12日ー12月4日) 「 ギフト」― スティーグリッツ、シゲタ、 B. ウェストン、ファルカス アルフレッド・スティーグリッツ《三等船室》1907年  開館70周年を迎える今年度、写真コレクションの展示では、その歴史をふりかえりながら作品を紹介しています。今期は「ギフト」、すなわち寄贈作品に注目します。 アルフレッド・スティーグリッツは、写真を近代的な芸術の一ジャンルとして確立させるために多彩な活動を展開し、「近代写真の父」と称された写真家です。ハリー・K.・シゲタ(重田欣二)は長野県生まれ、移民として渡米し、芸術写真と商業写真の両分野で成功しました。ブレット・ウェストンはアメリカ西海岸の写真家で、父エドワードや兄弟も写真家という、写真家一家の一員として知られます。彼ら三人の作品は、当館が1990年に写真作品の継続的な収集を始める前に、作者もしくは遺族から寄贈された、いわば写真コレクション黎明期の作品群です。ブラジルを代表する写真家の一人トマス・ファルカスの作品は、近年、当館に寄贈されました。 現在3000点を越える写真コレクションには、こうした多くの寄贈作品が含まれています。それらは展示室で作品と出会う皆さんへの「ギフト」なのです。 9室(後期:12月6日ー2023年2月5日) 「 ギフト」― 空蓮房コレクション   ウィリアム・エグルストン《テネシー州メンフィス》1972年  空蓮房コレクションは、平成26(2014)年度、平成28(2016)年度の二度に分けて当館に寄贈された、海外の60作家110点からなる作品群です。今回はそのうち、20世紀半ばから現代までのアメリカ写真の流れを概観する17点を展示します。 寄贈者の谷口昌良氏は、東京・蔵前の寺院で住職を務めるかたわら写真の収集を長く続けてこられ、東日本大震災を機に、所蔵する作品のうち日本の写真家の作品をサンフランシスコ近代美術館に、海外作品を当館に寄贈されました。 1979年から5年間、ニューヨークで写真を学んだ経験を持つ谷口氏は、写真作品との対話から、多くの学びを得てきたといいます。2006年には自身の寺の境内に、作品と出会い、瞑想するための小さなスペース「空蓮房」を開設されました。空蓮房コレクションは、作品と対話する経験が、さらに多くの人に開かれるよう願いのこめられた「ギフト」なのです。 10室(前期:10月12日―12月4日)奥行きのつくりかた 下村観山《唐茄子畑》(左隻)1910年頃 (展示期間:10月12日―12月4日) 二次元の画面で奥行きを感じさせるにはどのような方法があるでしょうか。よく知られているのは透視図法。二本の平行線が遠くにいくほど狭まって見える現象を利用した作図法です。一点透視図法、二点透視図法、三点透視図法があります。それから、空気遠近法と色彩遠近法。遠くのもののコントラストを弱めるのが前者、遠くのものに(多くの場合)青みを帯びさせるのが後者です。モチーフを重ねる方法も有効です。重なって一部が隠れている方が遠くにあると認知されるのを利用した表現法です。このほか、古くから東洋絵画で共有されてきた約束事に則って、近くのものを画面下部、遠くのものを画面上部に配置する方法や、中国山水画発祥のいわゆる「三遠」などもあります。 今年新たに収蔵した竹内栖鳳の《日稼》は、何層にもモチーフを重ねた画面構成が特徴です。この作品のお披露目を兼ねて、近代以降の日本画の奥行き表現を考える特集です。複合的な手法から、いっそのこと完全無視した作品まで、それぞれの手法と効果をお楽しみください。 10室(後期:12月6日―2023年2月5日)ギフト: コレクターからの寄贈/ パンリアル美術協会 小川芋銭《金太郎》1928年、寄託 星野眞吾《失題・歯車》1952年  第9室の写真の部屋に連動して、この部屋でも「ギフト」をタイトルに、寄贈作品に焦点を当てます。すぐ左にある9冊のスケッチ帖が並ぶケースから、そのままガラスケースのコーナーへお進みください。 当館の日本画コレクションは現在全857点を数えます。このうち寄贈・遺贈によって収蔵された作品は約35パーセントを占めます(他は約45パーセントが管理換、約20パーセントが購入)。いったん美術館に収蔵されると、作品ともとの持ち主との関わりは見えなくなってしまいがちですが、まとまった数をコレクターからご寄贈いただいた事例では、見逃すには惜しいエピソードが隠れていたりします。ここではほんの一部に過ぎませんが、ご寄贈者への感謝の気持ちとともにそうした事例をご紹介します。 手前のスペースに並ぶのはパンリアル美術協会の画家たちの作品です。彼らは第二次世界大戦後、日本画とは何かという問いと向かい合い、新しい絵画に挑みました。 2階 11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで *ギャラリー4 「大竹伸朗展」の会場になります。 11室 物/場所としての絵画 ブリジット・ライリー《讃歌》1973年  キャンバスを切り裂く、あるいはキャンバスに絵具を流す。ルーチョ・フォンターナと元永定正の作品はいずれも、キャンバスの物としての存在を強調するとともに、行為の痕跡が残る場としてキャンバスをとらえた、1950–60年代の絵画の潮流を示す好例です。 また、1960年代から70年代にかけて、3次元的なイリュージョンや、何らかのイメージを表象する絵画ではなく、キャンバスそのものの物質性に依拠しつつ、色彩やモチーフが現れる場としての絵画へと向かう動きが広がりました。わずかな差異を伴いながら反復される色彩やモチーフは、禁欲的で還元主義的な傾向を示しています。 空間主義、具体、カラー・フィールド・ペインティング、ミニマリズム、オプティカル・アート、シュポール/シュルファス、もの派―この時代の作家たちや作品に与えられた呼び名はさまざまですが、こうして並べてみると、絵画をめぐる思考やそれを形にする手法に、共通するものが見えてこないでしょうか。 12室 80年代の ニューフェースたち 中村一美《方法を持つ者 IV》1991-92年  政治経済の面でも、文化的な面でも、戦後の転換点となった1980年代の日本では、「ニュー・アカデミズム」「ニュー・ミュージック」「ニュー・ペインティング」といった言葉に象徴されるように、新しい価値に支えられた現象が次々と生まれました。広告文化や雑誌文化が花開き、現代思想がもてはやされ、サブカルチャーが興隆した時代。美術の世界では、大衆文化のイメージを取り込んだ作品や、空間に作品を展開するインスタレーションなど、新しい表現が次々と試みられるようになりました。 企画展ギャラリーで個展を開催する大竹伸朗(11月1日から)も、そんな時代に注目を集めるようになった作家の一人です。ここでは、当館のコレクションから、大竹と同様、80年代に若くして活躍するようになった作家たちの作品をご紹介します。70年代のコンセプチュアルでミニマルな表現に対する反動から、絵画や彫刻といった伝統的なジャンルへと向かう作家も多く現れました。 開催概要 会場  :東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F-2F)会期  :2022年10月12日(水)-2023年2月5日(日)開館時間:10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)*入館は閉館30分前まで休室日:月曜日[2023 年1月2 日、1月9日は開館]、年末年始(12月28日~1月1日)、1月10日(火) チケット:会場では当日券を販売しています。会場の混雑状況によって、当日券ご購入の列にお並びいただいたり、入場をお待ちいただく場合がありますので、オンラインでの事前のご予約・ご購入をお薦めいたします。 ⇒こちらから来館日時をご予約いただけます。※お電話でのご予約はお受けしておりません。※障害者手帳をお持ちの方は係員までお声がけください。(予約不要)※観覧無料対象の方(65歳以上、高校生以下、無料観覧券をお持ちの方等)についても、上記より来館日時をご予約いただけます。 観覧料:一般 500円 (400円)大学生 250円 (200円)※( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 無料観覧日:11月3日(文化の日) 5時から割引(金曜・土曜 :一般 300円 大学生150円※高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。※キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。

幻視するレンズ

展覧会について 英語に「ヴィジョナリー(visionary)」という言葉があります。形容詞としては「幻想の」、「夢のような」あるいは「洞察力のある」などの意味になり、名詞の場合は「幻視者」、「夢想家」、「洞察力のある人」といった意味で使われます。 レンズの前にある世界を正確に写しとめることのできる写真というメディアと、この「ヴィジョナリー」という言葉は一見なじまないようにも思えます。しかし「幻想的な」と形容される写真は数多くあり、また「幻視者」と呼びたくなる写真家も確かに存在します。いや、存在するどころか、すぐれた写真家とは、少なからず「幻視者」的であるのかも知れません。彼らは眼の前の世界に、他の人には見えていない何かを感知し、あるいは一瞬後に何が起きるかを予想しながらシャッターを切ります。それはまさしく「幻視者」であり「洞察力のある人」の営為なのです。あるいは、人の視覚とは異質な「機械の眼」であるカメラとは、必然的に、人間にとってどこか違和感のある、見知らぬ世界への扉を開くものなのかもしれません。 同時開催中の「あやしい絵」展とあわせて「あやしい」写真表現の世界をお楽しみいただければ幸いです。 見どころ 今回の展示は二つのパートで構成されます。前半ではシュルレアリスムに関わる写真表現を中心に、おもに20世紀前半の作品を、後半のパートでは1970-90年代の写真表現から、幻視者的なヴィジョンのきわだつ作品をとりあげています。 ウジェーヌ・アジェ《「20 Photographs by Eugène Atget」より メリーゴーラウンド》1923年 前半で注目する、写真とシュルレアリスムという話題をめぐっては、世紀転換期のパリの街並を撮り続けたウジェーヌ・アジェが、最晩年、マン・レイらシュルレアリストによって「発見」されたというエピソードがよく知られています。早朝に仕事をしたアジェの写真の中で、人気のないパリの街並はたしかにどこか異質の場所に見えます。 中山岩太《「中山岩太ポートフォリオ 2010」より 10 蝶(一)》1941年 自身はシュルレアリスムには無関心だったアジェとは異なり、積極的に幻視者的なヴィジョンを展開する写真も、20世紀の前半には多く現れます。アメリカにおけるシュルレアリスムの先駆者クラレンス・ジョン・ラフリンや、暗室技法を駆使して自らのヴィジョンを自在に表現した中山岩太らの作品を紹介します。  後半のパートでは、深瀬昌久の「鴉」と川田喜久治の「ラスト・コスモロジー」を軸に、1970年代から90年代の写真表現に現れた、多様な幻想的イメージに注目します。 深瀬昌久の「鴉」は、平成30年度の新収蔵作品。深瀬の代表作で、今回が初めての展示です。破綻した結婚生活から逃避する故郷北海道への旅をきっかけに展開された連作で、主役であるカラスは、作者自身のメタファーであると同時に、日常を変容させ、異世界へ導く使者のようにも見えてきます。 川田喜久治の「ラスト・コスモロジー」は、日蝕やオーロラといった天空のドラマと、地上における二つの時代の終焉―昭和の終わりと20世紀の終わり―とを対比させながら編まれた連作です。他に神谷俊美の「東京神話」や、中川政昭の「TYO」シリーズなど、同時代の都市風景に向けられた幻視者的なヴィジョンにもご注目ください。 開催概要 東京国立近代美術館2階 ギャラリー4 2021年3月23日(火)~2021年5月16日(日) 10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00) 臨時夜間開館日:5月12日(水)-16日(日)は20:00まで開館いたします入館は閉館30分前まで 月曜日[ただし3月29日、5月3日は開館]、5月6日(木)*臨時休館期間:4月25日(日)~ 会場では当日券を販売しています。会場の混雑状況によって、当日券ご購入の列にお並びいただいたり、入場をお待ちいただく場合がありますので、オンラインでの事前のご予約・ご購入をお薦めいたします。 新型コロナウイルス感染症予防対策のため、 ご来館日時を予約する日時指定制を導入いたしました。「MOMATコレクション」のご予約で「幻視するレンズ」がご覧いただけます⇒こちらから来館日時をご予約いただけます。※上記よりチケットも同時にご購入いただけます。※観覧無料対象の方(65歳以上、高校生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名、招待券をお持ちの方等)についても、上記より来館日時をご予約いただけます。※お電話でのご予約はお受けしておりません。 一般 500円 (400円)大学生 250円 (200円) 5時から割引(金曜・土曜): 一般 300円大学生 150円 ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。 入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ) 東京国立近代美術館

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