まもなく激動の20世紀が終ろうとしています。芸術の世界もまた、時代
の動きと無縁ではなく、キュビスム以後さまざまな表現様式が生み出さ
れてきました。それは、時代の大きなうねりの中で鋭敏な芸術家の感性
が、常に人間性や文明そのものへの問いかけを続けてきた結果といえま
しょう。世紀の節目を迎えた今、20世紀の美術の様式的な変遷をこえて、
芸術家たちが問いかけてきた間題に目を向けてみることは、意義深いこ
とと思われます。この展覧会では、あらゆる創造の根源的な場である
「身体」をテーマに、20世紀美術の殿堂ポンピドウーセンターの所蔵作
品から選りすぐった絵画・彫刻・写真・映像等、今世紀の主要作家の作
品120点を以下のような15のグループに分けて展示します。
私たちは「身体」を通して、まさに「身をもって」世界とかかわってい
ます。「身体」、しかしその存在は自明でありながら、どこかとらえど
ころのないものとして、20世紀の美術の中でさまざまに表現されてきま
した。ある時は物として、ある時は、物質化、機械化された現代社会の
中での人間存在の証として、多くの作家が「身体」をめぐる表現を通し
て、人間と世界のありようを問い続けてきました。本展は、マティス、
ルオー、レジェ、ピカソらの今世紀初頭の巨匠たちから、シュルレアリ
スム、第二次世界大戦後のアンフォルメル、ヌーヴォーレアリスム、そ
して今日の美術まで、20世紀の美術運動の中でさまざまに追求された人
間存在を、「身体」をめぐる表現の諸相を通して見直そうとするもので
す。この展覧会を通して20世紀美術の一断面をご鑑賞ください。
[東京展]
●会期
平成8年3月5日(火)ー5月19日(日)66日間
月曜日休館(ただし4月29日・5月6日は開館、4月30日・5月7日は休館)
●会場
東京国立近代美術館
●主催
東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション
ポンピドウーセンター(国立近代美術館)
●後援
外務省、文化庁、フランス大使館、東京都教育委員会
●協カ
工一ルフランス国営航空会社
●前売券発売所
チケットぴあ、丸井チケットぴあ、チケットセゾン、CNプレイガイド、
JR東日本みどりの窓口・びゆうプラザ(旅行センター)・営業支店ほか
●お間い合わせ先
NHK事業部
〒150‐01 東京都渋谷区神南2‐2‐1
TeL.03(5478)4324
NHKプロモーション
〒150 東京都渋谷区字田川町7‐13
TeL.03(3476)5688
東京国立近代美術館
〒102 東京都千代田区北の丸公園3
Tel.03(3272)8600(NTTハローダイヤル)
●会期
平成8年6月4日(火)ー8月18日(日)66日間
月曜日休館
●会場
京都国立近代美術館
●主催
京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、NHK京都放送局、
NHKきんきメディアプラン
ポンピドゥーセンター(国立近代美術館)
●後援
外務省、文化庁、フランス大使館ほか
●協カ
工一ルフランス国営航空会社
●お間い合わせ先
NHK京都放送局 075(841)4321
NHKきんきメディアプラン 06(945)7131
京都国立近代美術館 075(761)4111
●展覧会コミッショナー
クロード・シュヴァイスグート
(ポンピドウーセンター・国立近代美術館学芸員)
当日 割引 前売 団体 一般 1250円 1150円 1100円 900円 高・大生 900円 800円 750円 500円 小・中生 400円 350円 300円 200円
20世紀の幕あけと同時に、ルネサンス以来の精神と肉体を一体のものと
して表現されてきた人間像にかわって、ピカソの≪アヴィニョンの娘た
ち≫に代表されるような、ねじれ、歪んだ人間像が現れる。19世紀の印
象派、象徴主義、20世紀に入ってのフォーヴィスム、キュビスムをはじ
めとして、次々と新しい表現が登場する。それぞれの様式的特徴とは、
表現される対象の限られた一面の強調であり、それぞれの表現の限界で
もあって、表現が、超越的な視点からではなく、限界ある身体を基盤に
なされるようになったことを物語る。表現は身体を通じて行われるもの
でありながら、それまで身体は影の存在であったが、マチスの作品には、
精神への従属から解放された身体の高揚が見られ、レジェらの作品では
身体が世界を測る尺度になっていく。
[出品作家]
フェルナン・レジェ、ピエール・ボナール、アンリ・ローランス、
アンリ・マティス、パブロ・ピカソ
2.叫ぶ身体ー表現
物質と精神を分かつことで、近代科学は発達をとげた。20世紀の社会は、
[出品作家]
3.無意識の身体、あるいはシュルレアリスム革命
人間の白我の解明は、今世紀、糟神分析によって新たな展開をみせた。
無意識に近い状態で、手、すなわち身体が自動的に描き出すのにまかせ
[出品作家]
シュルレアリスムはオートマティスムの素描によって、無意識の領域を
[出品作家]
5.原物質としての身体
身体の外見や外形を描くのではなく、自分から突き放して、客観化して
[出品作家]
6.身体の祝祭
叫びへの衝動、表現主義的な衝動は、20世紀のなかで時にほとばしり出
[出品作家]
7.身振りと記号
シュルレアリスムのオートマティスムが手のスケールにとどまっていた
[出品作家]
8.再構成された現実
絵画を固有の論理と内的必然性にのみ立脚させることで、現実の世界か
[出品作家]
9.芸術家とモデル
少なくとも今世紀の芸術家たちにとっては、モデルは、表現の対象にと
[出品作家]
10.殉教者としての身体
二度の世界大戦の大量殺戮のみならずその後も、いわれなき死、突然の
[出品作家]
11.消費される身体
大衆社会を基盤にした消費社会の到来は、大量生産品の享受を通して、
[出品作家]
12.ぬけ殻の身体
高度に情報化された社会の中で、世界はどこか虚ろなものとなり、現実
[出品作家]
13.道具としての身体
1960年代から70年代にかけての「シュポール=シュルファス(支持体と
[出品作家]
14.身体の寓意
イリュージョンを厳格に排除してきた1960ー70年代の美術に対し、80年
[出品作家]
15.身体の虚実
20世紀が試みてきた身体表現は、一方で身体を人間にとって永遠の創造
[出品作家]
正式名称は、国立ジョルジュ・ポンピドゥー芸術文化センター。フラン
科学技術の進歩による機械文明の恩恵に浴している。しかしその一方で、
人間性を抑圧する状況があらわになり、抑えきれない根源的な表現への
欲求が、原初的なかたちで現れてくる。広く表現主義と呼ばれる今世紀
初頭の芸術の動向は、その集約的な現れであった。表現とは、ここでは
言葉にならない叫びそのものである。科学的、物質的なものの見方によっ
て、魂と肉体とに引き裂かれた人間の、抑圧された魂の欲求が、肉体を
求めて叫びをあげる。芸術家たちがその表現を託した人体や動物の姿は、
ねじれ、歪んでいる。人問の内なる声が、叫びそのものとしての身体を
とりもどす。
ジョルジュルオー、ジャン・フォートリエ、フリオ・ゴンザレス、
カイム・スーティン
心の奥底に潜む、通常は抑えられている無意識や下意識の世界にメスが
入れられたのである。近代の合理主義のもとで抑圧されてきた領域の解
放により、第一次世界大戦後の世界の建て直しの糸口を探るシュルレア
リスムは、美術においても、革新的な手法と新しい表現をもたらした。
るオートマティスム(心的自動記述法)と呼ばれる手法は、無意識の領
域を明るみに出す方法であるが、そこで、未知の領域の表現における身
体の関与があきらかにされたことは、その後の表現行為に大きな影響を
及ぼすことになった。無意識の領域の探究のなかで身体は積極的な意昧
を与えられた。
マン・レイ、ハンス・ベルメール、マルセル・デュシャン、ルネ・マグリット、
ホアン・ミロ、イヴ・タンギーほか
4.形無き身体
開示するとともに、日常の意識では意味のさだかではないかたちに、新
たな価値を見出す視点を生み出していった。ここに紹介される作例に現
れた原初的なかたちは細胞状態にあり、またその連鎖には中心もなく、
ひとつの構造化された全体としてのかたちが形成される以前の混沌が見
られよう。意味をなすかたちがもつ統合的な秩序に対し、ここでは、シュ
ルレアリスムの解放思想を汲んだ既存の価値体系への反抗として、身体
のはらむ原初的な無秩序がクローズ・アップされている。
ジャン・フオートリエ、ブラッサイ、アントナン・アルトー、
アンリ・ミショー、ヴォルスほか
とらえる時、身体もまた一個の物質としての姿をあらわにする。生を失っ
た死体ばかりでなく、生きている身体もまた物質から成る物質の現象に
ほかならないことを、最近の科字が明らかにしつつある。しかしそれは、
人間にとって、自分の外側にある物質ではない。つまり人間は、自分自
身が物質であり、また、そうであることを知っている物質なのだ。原物
質としての人問。
ジャン・デュビッフェ、ガストン・シェサック
る。とくにヨーロッパでも北方といわれる地域には独得の表現欲求の伝
統が認められるが、それが時にフランスにまで波及する。1948年にパリ
で結成された「コブラ」と呼ばれたグループはその一例である(デンマー
クのヨルン、オランダのアペル、フランスのアレシンスキーなど)。抽
象表現主義とほぼ同時期にパリで活躍した作家たちの表現には、世界と
の一体化を求める身体の叫びがほとんど陶酔状態にまで高められている
のが認められる。
エチエンヌ=マルタン、ピエール・アレシンスキー、カレル・アペル、
アスガー・ヨルン
とすれば、それを全身のスケールにまで拡大して、いわば身体そのもの
が絵筆となり、身体によってひとつの画面を実現する形式を生み出した
のが、アンフォルメルないし抽象表現主義である。そこでは、描くとい
う行為白体が前面に出て、行為がつむぎだすものが絵となる。それは、
一方で究極の表現主義でもあり、しかし他方で熱い抽象でもあり、そし
て時に、東洋の書(カリグラフィー)にも近い、身振りをはらんだ記号
的抽象にもなりうるものだった。
オリヴィ工・ドゥブレ、ハンス・アルトゥング、ジョルジュ・マチュー、
ピエール・スーラージュ、プラム・ヴァン・ヴェルデ
らの自立をめざす抽象絵画の成立は、その後の具象絵画に対しても、現
実との関係への自覚を促した。抽象絵画成立後の具象絵画は、もはや、
現実の単なる再現、写しではありえなくなったが、そうした絵画の論埋
を踏まえながらも、依然として、現実という無秩序な混沌の解読を試み
る画家たちがいる。そこでは、日常の視覚からは隠された現実の諭理を
明らかにするべく、事物は解体された上で、ある論理のもとに再構成さ
れる。1930年代にキュビスムとモンドリアンの影響下に抽象画家として
活躍したのち、現実に回帰し、現実世界の猥雑な力に注目しつつ、事物
を記号的なまでに単純化することで、幾何学的な再構成をめざしたフラ
ンスの画家ジャン・エリオンの作品は、特異にして、かつ論理的再構成
の典型的なケースと言えよう。
ジャン・エリオン
どまらない。芸術家自身がその身体的存在を受けいれた時、対象の全体
的な把握はもはやありえず、モデルの存在は、尽きることなく表現の源
泉でありつづけるだろう。芸術家とモデルのこうした関係、すなわち、
モデルというひとりの他者を前にした時、芸術家もまた、もはや一方的
に表現の主体ではありえない。芸術家も、モデルの眼差しにおいて、そ
の欲求の客体として身体的存在を余儀なくされる。こうした抜き差しな
らぬ関係における絶えざる主客の交替は、両者の間に介在する空間を息
づかせる。身体化された空間、あるいは、眼差しとしての身体。芸術家
の眼差しは、モデルに対し、時に横暴であり、時にまた親密である。
アルベルト・ジャコメッティ、パブロ・ピカソ、バルチュス、
フランシス・ベーコン
p死に見舞われる事態はあとを絶たない。かつて、みずからの信ずるとこ
ろのために死ぬことを意味する殉教ということばにこめられていたよう
な、死に直面する精神的存在を奪われた現代の死。それでもこの非業の
死に意味を見出そうとすれば、それは時代への殉教といえるかもしれな
い。ダドやサウラが描くのは、そのような時代における死、殉教者とし
ての身体である。精神の証しを奪われた埋由なき死においては、身体以
外に死の証言者はいない。かれらは、身体がただ身体のために死んでい
く悲劇をつきつける。
ダド、アントニオ・サウラ
個としての人間の存在を均一化し、それぞれの特徴を無視した、人間の
数量化を助長する。そこでは人間もまた操作可能な客体として、あらゆ
る物と同等のオブジェとして、消費の対象となる。こうした事態の根底
にあるのは、氾濫する製品と生活の効率化のなかで、生活そのものが加
速度的に消費されていく結果としての、身体の疎外であり、生きられる
世界の喪失である。あふれる物と便f利さに囲まれて、物や世界と深い
かかわりを結ぶことなく通り過ぎていく時、身体は、ただないがしろに
消費されていく。疎外され、消費された身体の、オブジェとしての反乱
がここでは見られる。
イヴ・クライン、アルマン、セザール、工藤哲巳、ニキ・ドゥ・サン=ファール、
ジャン・ティンゲリーほか
感が失われていく時、身体もまた中身を奪われた外皮、さらには影や記
憶としてしか示され得なくなる。ヨーゼフ・ボイスらは、しかし、その
ようなネガティブな身体表現を通じて、逆に芸術を、単なる視覚的領域
を超えた、生きること、生存することに深く関わる常みとして成立させ
ようとした。ここで身体は、ぬけ殻として、失われたものを想起させる
と同時に、生存の極限にある人間の生きる力を見るもののうちに回復さ
せる。
アルヌーフ・ライナー、マグダレーナ・アバカノヴィッチ、ヨーゼフ・ボイス、
クリスティアン・ボルタンスキー、アントニオ・タピエスほか
表面)」連動は、概念芸術に代表される、芸術の成り立ちそのものの問
い直しの思潮のなか、絵画の成り立ちを問うために、絵画をその構成要
素に分解する。この絵画の分解、断片化、あるいは道具化は、どこかで、
人間の身体の断片化を反映している。それと同時に、シュポール=シュ
ルファスの絵画分解の試みは、絵を描くという行為を、個的なものから
中性的な、匿名のものへと単純化することになったが、それもまた、人
間の身体が個的なものではなくなっていく事態を反映しているだろう。
クリスティアン・ジャッカール、シモン・アンタイ、フランソワ・ルーアン、
アンドレ・カデレ、クロード・ヴィアラ
代には、ポストモダン的見直しのなかで、イメージに回帰する絵画が現
われ、それにともなって、歴史や物語に依拠した身体の描与がよみがえ
る。しかし、そこに登場する人体は、もはや物語の再現のために描かれ
てはいない。物語という虚構を現実に引きよせるのではなく、逆に、物
語という作り物の世界であることをあからさまに表わしている。にもか
かわらず、その語り口は生々しく、身体的な具体性を帯びている。ここ
では、すでに想像された世界の再現が意図されているのではなく、想像
力そのものの身体性が明らかにされている。単なるイメージの再現に終
わらぬイリュージョンの成立する場としての身体が浮かび上がる。
フランソワ・ルーアン、マルシアル・レイス、ジェラール・ガルースト
の場としてとらえている。様式や思想のちがいはあっても、人間の身体
的存在を源泉ないし基盤として、造形を試みてきた。しかし他方では、
例えばレルヒとホルツのヴィデオ作品による映像化にみられる様に、結
果としてはますます客体として虚像化されていく方向も、同じように根
強かったと言わなければならない。ミロのように人間とその身体への賛
歌を永遠のものとして称える作品もあれば、一方で人間主義の終焉を告
げる作品もまた、存在するのである。
ホアン・ミロ、ハルトムート・レルヒ&クラウス・ホルツ
●ポンピドゥーセンター




スの大統領であった故ジョルジュ・ポンピドゥー(在職1969ー74)の構
想により、パリの旧中央市場跡のボーブール丘に建設され、1977年に開
館しました。総ガラス張りの建物の構造は内外面ともむき中しで、背面
に集中された配管部分は赤、青、緑の原色で塗られており、その超近代
的な外観はパリの古い街並みの中で際立っています。フランス文化省直
属で、国立近代美術館/産業創造センターの他に、資料図書館、音楽音
響研究所、文化開発センターの4部門からなる総合文化センターです。
20世紀美術の殿堂とも称され、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に比肩
される国立近代美術館には、約4,000名の作家による35,000点近くのコ
レクションがあり、1905年から今日までの美術を対象にして、目覚まし
い活動を行っています。