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展覧会レビュー MOMATコレクション Ecce Tergum 背部を見よ
〜《Ecce Puer(この少年を見よ)》をめぐって〜

金井直 (信州大学教授)

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メダルド・ロッソは近代彫刻史を語る上で、欠かすことのできない存在である。1858年トリノに生まれ、当初ミラノで活動し、1889年からはパリを制作の拠点とした。オーギュスト・ロダンより18歳ほど若いが、ほぼ同時代を生きた彫刻家である。初期より、波打つようにタッチを重ね、その表面の抑揚のうちに人物の表情や雰囲気を捉えるスタイルで制作し、彫刻における印象主義を実現する。とくにその特徴が強まるのは作品表面への蝋の導入によってである。物質の半透明性は浸透する光を引き受け、像の内外を揺さぶり、かたちや輪郭を定めない。それは対象の周囲にある、言わば環境へのアプローチであり、次代の未来主義彫刻の造形原理にも深く関わる実践であった。 

ロッソ彫刻のもうひとつの顕著な特徴はその正面性である。1883–84年に制作された《他人の肉》や《門番の女》では、早くも一方向より眺められるレリーフ的な彫刻づくりが意識的に進められている。これは、シャルル・ボードレールが1846年のサロン評で展開した彫刻の多視点性批判(さまざまな視点から眺められる彫刻の曖昧さにたいする低評価)への実践的応答と見て良いだろう。ロッソ自身「彫刻における印象主義 ひとつの説明」(1907年)において、「土や木、ブロンズ、大理石でできた作品のまわりを回る必要がないのは、画布に描かれた作品のまわりを回らないのと同様だ。そういう考えで作られる彫刻は、無限に刺激的で、無限に生動し、同質で、すぐれたものとなろう」と述べ、彫刻を観る視点の固定を訴える1。触覚性を強く喚起し、その意味において、絵画的な正面性を要求しないロダンの彫刻とは対照的である(もっともロダンの彫刻は写真を媒介に、むしろ絵画的に流通するのだが、ここでは詳述しない)2。 

メダルド・ロッソ《Ecce Puer(この少年を見よ)》1920–25年頃、東京国立近代美術館蔵|撮影:大谷一郎 

さて、このたびの新収蔵作品《Ecce Puer(この少年を見よ)》(1920–25年頃。最初のヴァージョンは1906年)はロッソ晩年の傑作である。6歳の少年の顔立ちがカーテン越しに現われるさまを捉えた像とされる(異説もある)。なるほど主に頭部左側の、首筋を経て胸元へと走る縦の線条は、ヴェールの微かな襞と、透過する光線の重なりのようである。蝋の半透明性をもって、少年の周囲の、言わば光の溜まりを暗示する、ロッソならではの表現である。 

本作には合わせて正面性も認められよう。石膏と蝋の薄らかな抑揚のなかで造形された少年の繊細な面立ちは、正面から鑑賞すれば十分に伝わるものだ。つまり安定した正面観が供される。流通する《Ecce Puer》の画像の多くも、概ね同様のイメージである。ところで、像の裏側、より正確に言えば、耳の後ろから奥の部分を見ると、荒削りな石膏のモデリングが、そのまま蝋で覆い尽くされており、まさに不定形の塊として溢れている。そのさまは—ジョルジュ・ディディ=ユベルマンがロッソ作品《ヴェールの女》の記述で用いた語を援用するならば—渦巻き、襞打ち、溶岩のように変成する3。この背部は、しかし、見てはならないのか。上に引いたロッソ本人の言葉に私たちは忠実であるべきか。 

会場風景(中央奥がメダルド・ロッソ《Ecce Puer(この少年を見よ)》)|撮影:柳場大 

おそらくそれは無理なのではないか。少なくとも今回、展示室で《Ecce Puer》を見る私にはできなかった。《ヴェールの女》や《門番の女》が構造としてレリーフ的であるのに対し、本作の背部はしっかりと量と造形をもち、ほぼ丸彫りとしての全体性を有しているのである。眼差しは自ずと奥へ、背部へと滑り込む。滑り込むにしたがって、像の具象性は解れ、不定形なものに転ずる。蝋は同じ蝋でありながらイメージ形成の素材から、物質そのものへと変容していく。耳元あたりが言わば半透明の汽水域である。その前後で透明なイメージと、不透明な物質が拮抗している。さらに回り込んで、背部から逆に顔面へと戻ってくるならば、今度はイメージの現出を経験することになるだろう。ここに至って本作のタイトルも効いてくるはずだ。「Ecce Puer この少年を見よ」が「Ecce Homo この人を見よ」に拠っていることは明白である。暗示されるのはキリストのイメージや身体であり、そうであるとすれば、本作の示す物質性とその変化は、受肉や復活というモチーフとも接することになるだろう。量塊は培地となる。それを見逃してはならないのではないか。 

さらに美術史の文脈で言うと、上述のボードレールの彫刻批判やアドルフ・フォン・ヒルデブラントによる浮き彫り的な彫刻の重視、美術史学の泰斗ハインリヒ・ヴェルフリンが示す彫刻撮影における視点へのこだわり、ルドルフ・ウイットコウアーによるルネサンス・バロック彫刻の単視点性の強調、クレメント・グリーンバーグによるデイヴィッド・スミス評価など、彫刻の視点の問題が、19–20世紀にかけて(写真が急速に影響力を増す時代に)、単視点性と多視点性に二項対立的に切り分けられ、そしていささか単視点を重視するかたちで(つまり絵画に寄せながら)語られてきた事実にも注意したい。そのことは今、再検討されるべきであるし、とすれば、ロッソの作品についても—作者の言葉をこえて—もう少し回り込む余地を求めても良いのではないかというのが、本作を見ての実感である。まずはEcce Tergum。展示室で「背部を見よ」である。 

  1. Medardo Rosso, Scritti sulla scultura, Abscondita, Milano, 2003, p. 16.
  2. ロダンの写真利用については以下を参照。金井直『像をうつす 複製技術時代の彫刻と写真』赤々舎、2022年
  3. Georges Didi-Huberman, “In the Swirling Eddy” in Heike Eipeldauer (ed.), Medardo Rosso. Inventing Modern Sculpture, Walther und Franz König, Cologne, 2025.

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