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現代の眼 展覧会レビュー 〈間合い〉を見る——下村観山展によせて 

古田亮 (東京藝術大学大学美術館教授)

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この度の下村観山展は、規模といい内容といい、かつてない充実した回顧展だ。二度、会場に足を運んだが、平日の午前中でも多くの観覧者が詰めかけ、とくに女性や外国人が熱心に作品を見入る会場の様子が印象的だった。今回、レンタル単眼鏡を利用したが、細部に技を見せる観山作品の鑑賞には適したサービスだと思う。 

観山は実に早熟の画家である。小学生の頃から狩野芳崖に就いて基礎を学び、15歳で東京美術学校に入学したその実力は、のちに並び称せられる横山大観や菱田春草に比べて一頭地を抜いていた。美校時代、といっても17,18歳頃に、すでに芳崖や橋本雅邦が苦心の末に創造しようとした日本画の新たな方向を理解し、まるで教師が手本を示すかのように、新しい描法、新しい画題を取り入れながら、近代日本画の行くべき道を歩み始めていた。《雨の芭蕉》《西洋婦人》などが並ぶ最初の展示室で、そのことが鮮烈に伝わってきた。 

美校卒業後すぐに助教授に採用され、明治31(1898)年には岡倉天心が創設した日本美術院の正員となる。20代の観山は、天賦の才に加えて古画の模写や事物の写生など努力と研究を重ね、さらには30代前半でロンドンに留学する経験を経て、吸収できるものは何でも自分のものにしていった。かつて江戸時代後期の画家谷文晁がそうであったように、その行き方は八宗兼学とも呼ぶべきもので、観山の飛躍の時代(第3章)、画壇のリーダーの時代(第4章)を見て行くと、狩野派、やまと絵、朦朧体(色的没骨)、水墨画、白描、琳派、西洋画、中国画などありとあらゆる描法が目に入ってくる。一人の画家の筆から生み出されたとは思えないバラエティの豊富さである。しかし、それは大観の大胆さや春草の冷静さといった画家の個性を発揮するタイプとは違った特徴であるために、観山らしさはと問われると説明しづらい面がある。 

会場風景|撮影:木奥惠三|左は《弱法師》1915(大正4)年、東京国立博物館蔵、重要文化財 

今回の展覧会が私にとって新鮮だったのは、はじめて目にする個人蔵の作品などを含めて多くの作品をまとめて見ることができたことだ。1点だけを見ていても気付かないこともある。画業の全体像をつかむことによって、観山らしさとは何かに思いを巡らせることができた。そのひとつに〈間合い〉ということがある。 

間合いとは抽象的な表現だが、制作のなかでもそれは時折あらわれる。絵の中、すなわち構図において絶妙な間合いを見せる作品に、《白狐》《弱法師》《春雨》などがある。一双形式の左右の間ということもあるが、空間ではなく時間的な間を巧みにつくり出していることがわかる。実はこの3点は、私が東京国立博物館に在職中に何度も展示をして親しんでいた作品だが、部分に気を取られて、その間合いを見ていなかったのではなかったかと今更ながら反省させられた。さらに、この間合いが絵の外に展開する例は、やはり東博所蔵の三幅対《楠公図》である。この作品も、実際に展示する際には3幅の距離をどのようにはかるかが試される。中央上部の笠置山と思しき山容は左右幅と連続するが、下方の空間は左右とつながっていない。そして、主役であるはずの楠木正成は右幅に描かれ、3幅の中央は何も描かれていないという特異な構成となっている。 

会場風景|右は《楠公図》1921(大正10)年、東京国立博物館蔵 

和歌山の紀伊徳川家に仕えた能楽師の家に生まれた観山は、子供の頃から能の世界に親しんでいた。《弱法師》などの代表作と能との関連がしばしば指摘されてきたが、それは単に画題の選択ということに留まらず、絵画の構成そのものにも及んでいるとみてよいだろう。一つの視点で総てを見通すのではなく、ゆっくりと〈間〉をとりながら時間や空間を行き来するかのような能に通じる絵画世界。ほかの画家には真似のできない観山らしさがある。 

観山は実力者でありながら、画壇での立ち位置に関しても微妙な間合いを保っていた。大観が常に前に出ていたということもあるだろう。だが、一歩譲って全体の調和をはかる、そのような観山の存在は、実は日本画界全体の土台を支える重要な役割を果たしていたのだ。 

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