展覧会

開催予定 所蔵作品展

所蔵作品展 MOMATコレクション(2026.5.26–2026.9.13)

会期

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会場

東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4~2階)

2026年5月26日-9月13日の所蔵作品展のみどころ

萬鉄五郎《裸体美人》1912年、重要文化財 

MOMATコレクションにようこそ!  

当館コレクション展の特徴をご紹介します。まずはその規模。1952年の開館以来の活動を通じて収集してきたおよそ14,000点の所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展です。そして、それぞれ小さなテーマが立てられた全12室のつながりによって、19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れをたどることができる国内随一の展示です。

今期の見所紹介です。1階で開催する企画展と連動した展示を所蔵作品展で展開できるのは、豊富なコレクションを有する当館の強みです。今回は3階の8室、9室と10室の一部を使って「杉本博司 絶滅写真」展(6月16日~)にちなんだ関連展示を行います。また今期も、新収蔵作品が多く展示されています(作品横に貼られた「新収蔵作品」マークが目印です)。長く館を代表してきた顔ぶれにフレッシュな新星と、盛りだくさんのMOMATコレクションをお楽しみください。

 今会期に展示される重要文化財指定作品

今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。

  • 2室 原田直次郎《騎龍観音》1890年、寄託作品、護国寺蔵 
  • 2室 菱田春草《王昭君》1902年、寄託作品、善寳寺蔵(展示期間: 5月26日~7月20日)
  • 2室 和田三造《南風》1907年
  • 3室 萬鉄五郎《裸体美人》1912年

展覧会について

4階

1-5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで 

「眺めのよい部屋」

美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。

「情報コーナー」

導入部にある情報コーナーには、MOMATの歴史を振り返る年表と関連資料を展示しています。関連資料も随時展示替えしておりますのでお見逃しなく。作品貸出中の他館の展覧会のお知らせや、所蔵作品検索システムも提供しています。

1室 ハイライト

藤田嗣治《五人の裸婦》1923年 

3000㎡に200点近くが並ぶ、所蔵作品展「MOMATコレクション」。「ハイライト」では近現代美術を代表する作品を揃え、当館のコレクションの魅力をぎゅっと凝縮してご紹介しています。

今期は日本画にご注目ください。前期(7月20日まで展示)には北野恒富《戯れ》(1929年)や小倉遊亀《浴女 その一》(1938年)、《浴女 その二》(1939年)、そして後期(7月22日から展示)には福田平八郎《雨》(1953年)など、当館の日本画コレクションのなかでも屈指の人気を誇る作品が登場します。ケースの外には、国内各地の展覧会にひっぱりだこだった藤田嗣治《五人の裸婦》(1923年)が、約3年の不在を経てMOMATコレクション展に帰ってきました。ポール・セザンヌ、ピエール・ボナール、パウル・クレーなど、この部屋の常連となっている作品や、ひきつづいてのご紹介となる奈良美智《Harmless Kitty》(1994年)とあわせ、じっくりとご堪能ください。

2室 坂の上の雲

和田三造《南風》1907年 

日清戦争(1894–95年)、日露戦争(1904–05年)の勝利によって、日本は列国との不平等条約を改正し、真の独立国としての地位を獲得します。東アジアの新秩序の担い手を自任し、「世界の中の日本」という意識が芽生え始めるのもこの頃のことです。司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描きだしたように、明治維新以来追い求めてきた近代日本の国家像がひとつの完成を見たのです。それはまた、当時の国際関係の中で日本が「帝国」としての一歩を踏み出したことを意味します。日露戦争の結果、日本は1910(明治43)年に韓国を併合し、大陸進出への足がかりを得たのです。

文部省主催の美術展覧会(文展)が始まったのは、日露戦争直後の1907(明治40)年のこと。第1回文展出品作の中には和田三造の《南風》のように、英雄的な男性像によって時代の気運を捉えたものも含まれていました。しかし、その一方で戦争遂行の負担を強いられてきた民衆の政府に対する不満が爆発。世間の関心の比重は次第に「国家」から「個人」に移りつつありました。

3室 わたしと太陽

川上涼花《鉄路》1912年 

「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている。従って、芸術家のPERSOENLICHKEIT(人格)に無限の権威を認めようとするのである。[…]人が『緑色の太陽』を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである」。1910(明治43)年に高村光太郎が発表したエッセイ、「緑色の太陽」の中の一文です。外界の自然の姿すら変えることが可能な、芸術家のものの見方、感じ方の絶対の自由をうたう、大正デモクラシーの幕開けを告げる文章です。さて、赤いはずの太陽が補色の緑で描かれる―このたとえの背後には、オレンジと青の二つの補色で太陽を描くヴァン・ゴッホの作品のイメージがあったはずです。同じ1910年に発刊された雑誌『白樺』には、ゴッホの複製図版が多数紹介されました。輝くような色彩(図版の多くはモノクロでしたが)、息せき切った作画のスピード感を示す絵具の厚塗り、そして周囲に理解されない悲劇の生涯―ゴッホはたちまちのうちに、若い芸術家たちの拡張を求めて止まない「わたし=自我」を照らし出す、心の「太陽」となったのです。

4室 海を渡った新版画 

吉田博《帆船 朝日》1921年(展示期間:5月26日-7月20日) 
吉田博《帆船 夕日》1921年(展示期間:7月22日-9月13日) 

大正時代に始まり、浮世絵と同じ分業体制によって制作され、その復興と近代化を目指した版画を新版画といいます。現在海外の美術館やコレクターも多く新版画を所蔵していますが、1930年と1936年には、アメリカでその認知度を高めた巡回展が行われていました。どちらの展示も10人の作家が選ばれ、300点前後の作品が出品される大規模なものでした。作品のジャンルも風景画、美人画、役者絵、花鳥画と多岐にわたり、その多くを日本らしいモチーフがしめていました。そして出品作品のほとんどが版元に注文可能というシステムだったこともあり、多くの版画が海を渡ってアメリカへ輸出されることになったのです。なお、この新版画展は1936年以降5年おきの開催が目論まれていましたが、戦争へ向かっていく時局の影響もあり、その後継続されることなく終わっています。この部屋では、当時アメリカの観衆にお披露目された版画の一部を、出品作家・仲介役として展覧会開催に貢献した吉田博の作品とともに振り返ります。

5室 風景の動員

梅原龍三郎《北京秋天》1942年 

島国である日本に暮らす人々にとって、大陸の果てしなく続く地平線や、抜けるような青い空は、憧れを誘う異郷の象徴でした。その眼差しは、明治以降、日本が台湾や朝鮮を植民地として支配し、アジアへ版図を広げるにつれて政治的な意味合いを急速に強めていきます。例えば、梅原龍三郎が戦時下に描いた北平(現在の北京)の紫禁城に、当時の人々は異国趣味と領土拡大のイメージを重ね見たことでしょう。

兵士として海を渡ることは、日本の戦争遂行のために命を捧げることと同義でした。実際に、靉光や浅原清隆は応召して大陸へ渡り、そのまま帰らぬ人となっています。また辻晋堂の木彫のモデル、大伴家持が詠んだ『万葉集』の一節は、国民歌謡「海ゆかば」の歌詞として斉唱されました。太平洋戦争中、「海ゆかば」は玉砕報道に伴う鎮魂のテーマ曲として定着していきます。大陸や海の風景は、単なる鑑賞の対象を超えて、人々を戦地へと駆り立てる装置として「動員」されていったのです。

3階

6-8室 1940s-1960s 昭和のはじめから中ごろまで
9室  写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋(ソル・ルウィット《ウォールドローイング#769》

6室 1941–1945|戦争/美術

鶴岡政男《転がっている首》1950年 
撮影:大谷一郎 

海軍作戦記録画に描かれた大海原や、臨場感あふれる戦艦の戦闘シーン。これらのイメージは、雑誌『機械化』に掲載された空想科学兵器の挿絵などと共に、軍国少年たちの夢と憧れをかき立てていきました。しかし、1945年の敗戦によってその幻想は解体されます。古沢岩美の《餓鬼》は、廃墟と化した街に傷痍軍人や街娼が佇む敗戦直後の世相を色濃く反映した作品です。

戦後、朝鮮戦争の特需景気で社会が復興へ向かうなか、作家たちはその忘却の流れに抗うかのように、苦悶する人間の身体へと目を向けました。近年新たに収蔵した鶴岡政男《転がっている首》や漆原英子《Midnight Circus》は、戦後日本における変形し、断片化された身体表現を象徴する作品です。この部屋では、勇ましいプロパガンダから、痛ましい肉体へと変容した表現の軌跡を通じて、戦争の記憶を振り返ります。

7室 オヘソの手術

河原温《孕んだ女》1954年 

昨年度、当館は世界的な日本人美術家・河原温の初期の重要作品《洪水期》を収集しました。そのお披露目を兼ねて、戦後日本の前衛の実践を紹介します。

戦後に岡本太郎が提唱した「対極主義」─相反する要素を矛盾したまま共存させて新たな価値を生み出す芸術思想─を踏まえ、それを発展させるアイディアを河原は「オヘソの手術」と呼んでいます。曰く、「従来のなまぬるい(…)空間造形を破壊して、観客の視覚と画との矛盾、対立をさらに先鋭化」する試みです。画面の中心点(オヘソ)を崩す制作過程を惜しげもなく公開した雑誌記事からは、この時期に河原が変形キャンバスを多用していた理由がわかります。画面の左右対称性を崩し、見る者の視線の更新に挑戦すること。それは、モンタージュを駆使する中村宏、視点を固定させず流動させる山口勝弘、あるいはまさしく中心を持たない宮脇愛子など、他の作者の表現と並べてみると、同時代的な関心であったことも見えてきます。

8室 物質化か非物質化か

高松次郎《No.273(影)》1969年 

1階で開催する「杉本博司 絶滅写真」にちなみ、1970年代を中心とする美術を紹介します。杉本博司は1970年に渡米して写真を学ぶことで作家として出発しました。この頃、世界各地で表面化していた傾向が「美術の非物質化」です。目を楽しませる手わざや造形などの物質的・視覚的要素によらず、作品を通して本質的な概念を見せようとする─アメリカの批評家ルーシー・リパードが指摘したこの傾向は美術の唯一性や商業性に切り込み、いわゆるコンセプチュアル・アート(概念芸術)の興隆につながっていきます。多くの作家が色彩を排し、物質性から距離を置くために版を用いて制作を間接化させる表現がしばしば試みられました。もちろん、それでもなお、美術作品は物質であることを逃れられません。物質によって物質を裏切り、あるいは物質を概念として提示するというチャレンジや思考は、たとえば高松次郎の作品の原図に残されたメモから推し量ることができます。

9室 ヴィデオ(私はみる)

リンダ・ベングリス《ナウ》1973年 
Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York 

20世紀前半、音声信号を示す技術用語として生まれたaudio(ラテン語で「私は聞く」)と対になる用語として、視覚信号を指すために使われるようになったvideo(同じく「私は見る」)。1960年代に入って持ち運び可能なヴィデオカメラが開発されると、この装置を使ってアーティストたちは新たな創造へと繰り出しました。この部屋では初期にあたる1970年代初頭に制作された代表的な作品3本を紹介します。

視覚像を信号に変換してすぐさま再生する、つまり自分で撮影した映像を自分が再確認し続けるという機械独自の構造、そして、見ることがすでに「ヴィデオ」であり「ヴィデオ」が見る行為を規定しているという二重の名称。この自己言及的な性格に応答して、誰が/何を見ているのかを鏡写しにして省みるような作品が多く生まれることになりました。初期のヴィデオアートに作者自身が登場することが多いのは、それが最も身近なモデルであるからというより、そうした性格に基づいているといえるでしょう。

10室(前期:5月26日―7月20日) 劇場・海景・スギモトノート/風を表す

杉本博司《カボット・ストリート・シネマ、マサチューセッツ州》1978年 Ⓒ Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

手前のコーナーでは、1階企画展ギャラリーで開催中の「杉本博司 絶滅写真」展のサテライト展示として、当館所蔵の杉本作品13点と、その制作の過程を記録したノートを紹介しています。初期の代表作として知られる〈劇場〉と〈海景〉は、ともにコンセプチュアルな作品ですが、一方で、今回展示するノートからは、暗室作業において、杉本が試行錯誤を重ねながら写真プリントとしての質を究めようとしていたことがうかがわれます。

奥の部屋は、風や空気のゆらぎに注目した特集です。近代の日本画家は総じて、それまでに定型化していた絵のあり方から脱却することを課題としましたが、伝統的な、いわゆる「花鳥風月」を愛でる心は失われなかったようです。ここに並んでいる明治から平成にいたるまでの作品は、「風」とかかわりがあるといえるでしょう。風を表すなかに、どのような近代の新しい表現や伝統の再解釈が見られるでしょうか。

10室(後期:7月22日―9月13日) 劇場・海景・スギモトノート/近代日本画の鳥

竹内栖鳳《宿鴨宿鴉》1926年(展示期間: 7月22日-9月13日) 

手前のコーナーでは、1階企画展ギャラリーで開催中の「杉本博司 絶滅写真」展のサテライト展示として、当館所蔵の杉本作品13点と、その制作の過程を記録したノートを紹介しています。初期の代表作として知られる〈劇場〉と〈海景〉は、ともにコンセプチュアルな作品ですが、一方で、今回展示するノートからは、暗室作業において、杉本が試行錯誤を重ねながら写真プリントとしての質を究めようとしていたことがうかがわれます。

奥の部屋では、前期の「風」に続き、花鳥風月の「鳥」を描いた日本画を特集します。私たちの身近にいる鳥は、日本では古くから絵画に描かれてきました。近代の日本画家たちは定型化した伝統的な花鳥画から脱却するため、鳥だけを取り出して造形や構図の工夫を試みたり、画面に生命感を与えるために風景に鳥を加えるなどしました。ここに並べられた作品の鳥たちには、どのような近代の特徴が表れているでしょうか。

2階

11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで

11室 イメージ:出現と消失

横溝静《That Day/あの日》(2020年)@ Shizuka Yokomizo  

横溝静による映像インスタレーション《That Day/あの日》(2020年)を収蔵後、初めて展示します。このお披露目を契機に、イメージ(像)の出現と消失、という視点からいくつかの作品を紹介します。

写真の現像プロセスを映し出す横溝の映像では、イメージの定着(出現)、そしてそれと表裏一体で進行する記憶の風化(消失)が重なり合います。小林正人の絵画においては、「空」というイメージの到来に立ち会う経験(と同時に生じる絵具やキャンバスといった物質性の消失)が露わになります。あるいはロラン・フレクスナーのドローイングでは、シャボン玉が割れる(消失する)と同時に、イメージが痕跡として現れ出ます。このイメージの出現と消失というテーマは、12室のビル・ヴィオラの映像作品へもゆるやかにつながっていきます。

物理的な意味において、作品は見る者の前に安定的に存在しています。けれどそのイメージ(像)はというと、案外と不確かなものです。イメージは、いつ、どのように私たちの前に出現し、あるいは消失するのでしょうか。

12室 イメージ:内なる力

イケムラレイコ《横たわる少女》1997年 

ここに集められた作品に現れる身体は、断片的であったり、実体がなかったり、どこかうつろです。毛髪を用いて作られた白井美穂の作品、自身の存在や身体への不安や葛藤から生まれた前本彰子の亡霊のようなドレス、男性への恐怖心を克服するために、男性器を増殖させた草間彌生のソフトスカルプチャー。村上早の描く顔のない人間や傷ついた動物は、作家の心の奥底に眠る不安やトラウマとつながっています。意識と無意識、覚醒と眠りのあいだを漂うように横たわるイケムラレイコの少女。ミリアム・カーンの描く輪郭のない難民たちは、帰る場所を失い彷徨いつつ歩みを進めています。これらの作品における身体のイメージは、空虚でありながらも、抑圧や不安、痛みや恐怖を受け入れながら生きようとする内に秘めた力を感じさせます。また、ビル・ヴィオラの映像作品《映り込む池》では、時間の経過と共に男性の身体が画面から消えていきますが、その消失によってこそ、映像に力強い緊張感が生まれています。

開催概要

会場

東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4~2階) 

会期

2026年5月26日(火)~2026年9月13日(日)

休館日

月曜日(ただし7月20日は開館)、7月21日(火)

開館時間

10:00–17:00(金・土曜は10:00–20:00)  

  • 入館は閉館30分前まで
観覧料

一般 500円 (400円) 大学生 250円 (200円)

  • ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込み。

5時から割引(金・土曜) :一般 300円 大学生 150円 

  • 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
  • キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
  • 友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。
  • MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名まで。シルバー会員は本人のみ)
  • 本展の観覧料で入館当日に限り、コレクションによる小企画(ギャラリー4)もご覧いただけます。
主催

東京国立近代美術館

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