見る・聞く・読む

初見
ガラスケースの中から強く緑色を放っていた作品が《渓泉二図》でした。キュビスムのような形態とセザンヌっぽさ。「速水御舟にこんな作品があったのか」という驚きと共に印象に残っていました。
間近で見る
《渓泉二図》は、面をタテヨコの細いハッチング。キリッと角を強調した岩の陰影は、黒や茶色の1ミリ程の夥しいドットで描いています。筆の穂先が効くうちはハッチング、先が擦り減ったらドット用に、面相筆を用いたように見えます。
立体感や陰影を日本画画材で表現することは当時の日本画家の課題だったのでは、と想像します。油彩や水彩絵具では描いた上にうっすらと色をかけて陰色にすることができますが、岩絵具には粒子があり、細かくなると色が白っぽくなるので、「うっすら薄めてかける」ような描き方をすると色が濁ってしまいます。澄んだ色合いで細かい絵具というのは限られています。御舟の《渓泉二図》でのドットで陰影を描くという取り組みは、「鮮やかな陰色」を実現し、木々の葉を描いた1センチに満たない緑青色の葉形の点描と相俟って、日本画画材による油彩に負けない「強く発色する絵画」を目指したのだと思います。
作品の構造を見る
私は日頃、スケッチした樹木の構造を手がかりに描いています。他の人が描いたスケッチを鑑賞したとき、人によって目指すものが違うので、「このスケッチからは描けないな」などと思うのです。ところがこのときには、《渓泉二図》を元にして、自分の作品が「なんだか描けそう」と感じました。
作品を近づいたり離れたりして見ているうちに、左右の水流の形が似て見えたので、「同じ場所を視点を変えて描いた対幅なのでは?」と思いました。樹木の根の形も左右でよく似ています。
さらに見ると、画面中央の水流の分岐点の複数の岩(黄緑色の線で囲った三角のエリア)と、その下に連なった3つの岩(3つの黄緑色の線)が、左右どちらにも描かれていることに気付きました。黄緑色の三角の頂点にある突き出た岩の形は、左幅では見上げ、右幅では見下ろしたように見えます。左幅の左下に遊歩道の縁石のような人工的な形があることから、左幅は遊歩道から見た景色、右幅はその遊歩道を左上へとまわりこみ、樹木越しに同じ場所を俯瞰した景色なのではないか、と思いました。

スケッチを見る
「同じ場所を視点を変えて描いた対幅」なのかを確かめるため、《渓泉二図》の元になったとされるスケッチを検証してみることにしました。《塩原渓流》と題された6点で、遠山記念館に所蔵されています。作品の両幅が同じ場所を描いたのだとすれば、このスケッチ6点にもそれぞれ共通する岩や流れが描かれているかもしれません。

まず、視点が似ているスケッチを並べ、便宜的に①~⑥の番号を振りました。①は左下に遊歩道があるので視点はやや高いようです。樹木を除いて、ほぼそのまま左幅と重なります。

②③④は①より水面に近い視点からそれぞれ角度を変えて描いたもののようです。⑤⑥は左右で風景がつながるように見えます。

次に、本画の色に似せて色鉛筆で塗りながら、似た形の岩を探しました。こうすると岩肌をなぞるようで、本画に描かれた「ここの傾斜だな」とわかるような感覚がありました。同じ岩と思われるものに1から12の番号を貼り込んだ図が、挿図の左右幅と①から⑥です。
御舟になってみる
ここからはまったくのフィクションです。絵描きの私が私のまま、当時の御舟と入れ替わったと仮定してみました。こんな風に思いながらこの作品を描いたのではないか?という話をしたいと思います。
構想を練る
1921年8月、院展に出品する大作《菊花図》は出来た。立体派(キュビスム)を取り込んだ新たな試みの作品も出品したい。《レスタックの家》(ブラック、1908年、ベルン美術館所蔵)は塩原渓谷で見た風景と似ていたなぁ。岩の形も面白かったし。家じゃないけど、丸写しはつまらないからな。塩原渓谷の岩1なら《京の舞妓》でちょっと試したハッチングも活かせるし。立体派のキリッとした感じが出せそうだ。5日間、塩原に逗留してスケッチに集中。帰宅してスケッチを元に本画を描いて出品。密度のある画面にしたいから、サイズは大きくなくて良いだろう。立体派は「複数の視点で捉えた対象を1つの画面に再構成する」ってことだから、逆に、対幅にして画面を2つに分けるのはどうだろう。《レスタックの家》では2本の木が画面下から左方向に弓形に伸びているから、右幅は手前に樹木、左幅は左から樹木を入れた構図でどうかな。
塩原渓谷でスケッチ
《レスタックの家》に似た風景、ここだ。左側に木もある(挿図、左幅と①)。木は別の紙に描くとして2、まずは、この遊歩道から渓流を隅々まで描こう(挿図①)。川原に降りて、角度を変えて観察した岩と渓流も描いておこう(挿図②③④)。木の生えた岩の上にも行けそうだ。岩の先端まで行ける。迫力ある眺めだ。2枚合わせにして岩や水流を大きく描きたい。紙が足りないから枝先を描いた紙(挿図⑤)に重ねて描こう(挿図⑤⑥)。
私に戻りました
フィクションは以上。実際には、御舟がどのくらいキュビスムやブラックのことを知っていたのかわかりませんし、どんな風に考えたのか、検証もできません。ここで改めて現代の私に戻って、本画とスケッチについて付け加えたいと思います。
私見
挿図⑤⑥には、両幅に描かれている3連の岩(3つの黄緑色の線)が見られ、左幅に描かれている岩1があることから、左幅や挿図①と同じ場所を視点を変えてスケッチしたものだと思われます。また、3連の岩の他に、岩7、8、12が右幅と挿図⑤⑥双方にあることから、挿図⑤⑥は右幅のためのスケッチだと仮定することができ、画面下の両端が水流になっていることから、もう一段高い位置から覗き込むような視点でスケッチしたと思われます。ゆえに、本画では、挿図⑤⑥の岩1と岩11の間に樹木が位置していることになります。そして、右幅の画面下の方、樹木両脇の岩については、小下絵3の段階から、挿図⑤⑥の特徴ある岩9と岩10が、やや大きくデフォルメされて、岩1と岩11の位置に収まっています4。
以上のことから、《塩原渓流》6点の中には、右幅全体のスケッチはありませんが、挿図⑤⑥には右幅の主な岩が描かれていることがわかり、《渓泉二図》は、「同じ場所を視点を変えてスケッチして描いた対幅」だと思われることから、「キュビスムに着想を得た対幅の日本画」と言えるのではないでしょうか。
註
1 塩原渓谷の地層は緑色凝灰岩からなり、柱状節理や板状節理の岩が見られるのだそうです。スケッチに描かれた岩5、8、9の形は、角材を束ねたような柱状節理の岩が水流に侵食されてできたように思われます。
2 樹木のスケッチについて。挿図⑤の左側に樹木の枝先が重ね描きされているので、近くの樹木を描いたスケッチもあったはずです。左幅、右幅に描き込まれた樹木は、いまは失われた別のスケッチを元に構成したものだと思います。
3 《渓泉二図 小下絵》個人蔵
4 右幅の樹木の根元、右の岩は、小下絵(註3)の段階から、特徴ある岩9に似せているようです。挿図⑥の岩1のままの方が、左幅と「同じ場所」だとわかり易いのですが、特徴ある岩に置き換えているようです。根元の左の岩も渦巻くような形の岩10を岩11(挿図⑤)と合わせているように見えるので、右幅の岩にはそれぞれ「1+9」「10+11」と記しました。
『現代の眼』640号
公開日: