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生誕100年記念 吉原治良展
展覧会について 約半世紀にわたり、常に新しい絵画を求めて前衛美術のパイオニアでありつづけた画家、吉原治良(よしはら・じろう 1905-1972)。海外でも評価の高い「具体美術協会」のリーダーとして知られる彼ですが、関西を本拠地としていたためか、これまで東京ではその全貌に触れることができませんでした。本展は東京で初めての大回顧展となります。 1905年、大阪・淀屋橋南詰に生まれた吉原治良は、独学で油絵を学び、1928年の初個展で「魚の画家」として注目を集めます。その後藤田嗣治との出会いを通じてオリジナリティーの重要性に開眼した彼は、白昼夢のような海辺の風景を描き、さらに抽象絵画の探究へと進みました。 戦後は人間像から再出発しますが、1950年代には激しい筆致と絵具の物質性を活かした抽象絵画を次第に描くようになります。1954年の具体美術協会結成後は、「他人の真似をするな」という信念で若い芸術家たちを導く一方、自らは単純にして多様な「円」の表現へと到達しました。生誕100年を記念した今回の大回顧展では、戦前・戦後の主要展覧会に出品された代表作を中心に、最初期の作品やこれまでほとんど見る機会のなかった戦時中の素描などをあわせ、約190点の作品でその多彩な創造の全貌に迫ります。 ここが見どころ 本展は、生誕100年を記念した約190点による大回顧展です。戦前・戦後の主要展覧会に出品された代表作を中心に、最初期の作品や、これまでほとんど見る機会のなかった戦時中の素描などをあわせました。海外でも評価の高い「具体美術協会」のリーダーであった吉原治良の回顧展は、実は東京では初めてです。 展覧会構成 第1章 初期作品 窓辺と窓外の風景:1923-1932 吉原治良は中学時代に独学で油絵を学びはじめました。関西学院高等商業学部へ進学した後も、学業のかたわらで創作に打ち込んでいます。1928年、吉原は初個展を開催し、窓辺に魚や果物を配した静物画を多数発表、「魚の画家」として注目を集めました。成功を収めたこの個展から約1年後、吉原は、一時帰国していた画家、藤田嗣治に自作の批評を求めました。しかし藤田は「他人の影響がありすぎる」と厳しく指摘します。この言葉は吉原に、オリジナリティーの重要性を強く認識させることになりました。そして彼は、「人の真似をしない」ことを自らに課し、前衛画家としての道を歩みはじめたのです。 第2章 形而上学的イメージと純粋抽象:1930-1940 吉原治良の1930年代。それは、魚を主要なモティーフとした室内静物画から、前衛的な作風への大きな転換を成し遂げた重要な時期にあたります。1934年、白昼夢のような幻想性をおびた海辺の光景の連作を二科展に初出品した吉原は、5点全てが入選するという快挙をなしとげました。また1937年の二科展には、純粋抽象画ばかり5点を出品します。1938年には二科会内部の前衛作家による「九室会」の結成にも参加するなど、前衛画家としての地位を確立しました。 第3章 戦時中の絵画 二つの風景:1940-1945 戦時色が強まるとともに、前衛美術は次第に抑圧されていきます。そのような中で吉原は、抽象から具象へと作風を転換させていきます。ですがこの時期の彼は、社会情勢への配慮を装いながら、個としての造形的探究をどのようにして継続していくかについて模索していたように思われます。戦局の悪化に伴い二科展は1943年で中止となりますが、戦争末期に吉原は、幻想的な作品を密かに描き続けました。ごく最近までほとんど知られていなかったこれらの作品は、どこか白昼夢を見るかのような錯覚を私たちに与えます。と同時に、当時の彼の心境を反映しているかのようにも見えます。 第4章 鳥と人、そして線的抽象:1946-1954 戦後の吉原は、二科会の再建に奔走するかたわら、無垢の少女や子供たちの肖像を描くことから再出発しました。漆黒の空間を背にした鳥や人の形象は、しだいに象形文字的な記号性、抽象性を帯びはじめます。そして1950年頃になると、黒地の線の抽象へと繋がっていきます。それは吉原の戦後の抽象絵画の起点となるものでした。抽象表現主義など海外の動向が本格的に紹介されはじめるのもこの頃のことで、吉原は、森田子龍ら前衛書家と交流する中で、「筆線」についての理解を深めていきます。 第5章 具体の誕生、アンフォルメルの時代へ:1954-1962 1954年、吉原治良とそのもとに集まった若い作家たちにより、「具体美術協会」が結成されました。吉原は「人の真似はするな」と会員たちを鼓舞し、その結果、斬新な作品が数多く生み出されました。彼ら/彼女たちの表現方法は、素材の物質感を活かし、激しいアクションを伴うもので、それは、フランスの美術評論家ミシェル・タピエが提唱したアンフォルメル絵画と軌を一にしています。この時期の吉原の作品は一見即興的に作られたようにみえます。しかし実際には、構想段階で様々な試行錯誤を重ねています。カンヴァス上では、絵具の滴りや刻み、盛り上がりなどをこつこつと積み上げるように制作していて、画面には、緊張感が満ちています。 第6章 「円」とその後:1963-1972 吉原が、前衛的な書を思わせながらも明晰な形態を持つ「円」の作品を確立したのは、1965年の具体展でのことでした。「円」は評判を呼び、国内外で数々の賞を受賞します。そして「具体」の指導者としてではなく、一人の画家としての吉原を人々に印象づけることになりました。海外で発表する機会も増え、漢字の「つくり」や「へん」をモティーフにした、「円」とは異なる展開を模索していた矢先、しかし吉原は急死します。世界に名を轟かせた美術運動体「具体」も、その死とともに解散することになりました。 作家紹介 吉原治良 1905年 大阪に生まれる。1928年 関西学院研究科在学中に初めての個展を開催(大阪朝日会館)。1934年 二科展に初入選。東京で初の個展(銀座、紀伊国屋ギャラリー)。1938年 二科会内部の前衛画家たちによる「九室会」結成に参加。1941年 二科会会員となる。1954年 具体美術協会を結成し、代表となる。1962年 大阪中之島に展示館「グタイピナコテカ」を開く。1967年 第9回日本国際美術展で国内大賞受賞。1971年 第2回インド・トリエンナーレでゴールドメダル受賞。1972年 芦屋で死去。 イベント情報 講演会 *いずれも地下1階講堂、聴講無料、申込不要、先着150名 河崎晃一(兵庫県立美術館課長) 2006年6月17日(土) 14:00-15:00 熊田司(大阪市立近代美術館建設準備室研究主幹) 2006年7月15日(土) 14:00-15:00 担当学芸員によるギャラリートーク *参加無料(要観覧券)、申込不要 大谷省吾(当館主任研究員) 2006年6月30日(金) 18:00-19:00 松本透(当館企画課長) 2006年7月7日(金) 18:00-19:00 カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2006年6月13日(火)~7月30日(日) 午前10時~午後5時 金曜日は午後8時まで(入館は閉館30分前まで) 月曜日(ただし、7月17日は開館、翌18日休館) 一般800円(600円)、大学生500円(350円)高校生300円(200円)、小・中学生無料( )内は20名以上の団体料金。 いずれも消費税込。中学生以下,障害者(付添者は原則1名まで)の方は無料です(それぞれ入館の際,生徒手帳,健康保険証,運転免許証,障害者手帳等をご提示ください)。 チケット取扱:東京国立近代美術館、全国チケットぴあ他、ファミリーマート、サンクス(一部店舗を除く) 東京国立近代美術館、朝日新聞社 大阪市立近代美術館建設準備室、芦屋市立美術博物館 宮城県美術館 2006年8月6日(日)~10月9日(月・祝)
