The National Museum of Modern Art, Tokyo Home Page
美術館のご紹介工芸館フィルムセンター展覧会案内交通案内
常設展示目録所蔵作品検索インフォメーション新着情報目次

理智と幻想のシュルレアリスト 北脇昇展
Noboru Kitawaki

会 期:1997年1月25日(土)―3月2日(日)
    月曜日休館
    午前10時―午後5時(入場は午後4時30分まで)

会 場:東京国立近代美術館
    〒102 東京都千代田区北の丸公園3
    tel.03-3272-8600(NTTハローダイヤル)

    (本展終了後、以下の2会場に巡回します)
     京都国立近代美術館 1997年3月11日(火)―4月20日(日)
     愛知県美術館    1997年5月30日(金)―7月13日(日)

主 催:東京国立近代美術館

観覧料:一般       400円(200円)
    高校生・大学生  130円( 70円)
    小学生・中学生   70円( 40円)
    *消費税込み *()内は20名以上の団体料金


北脇昇
北脇昇(1901―1951)は名古屋に生まれ、京都で活躍した画家です。彼は1930年代の 後半にシュルレアリスムに出会うことで、形態の変容に関心を持ち、《空港》をはじ めとして、草木や石など身近なものに広大なヴィジョンを重ねあわせた特異な幻想絵 画を制作しました。その後、創紀美術協会や美術文化協会など、東京で結成されたシ ュルレアリスム傾向の団体に京都から参加するとともに、京都の前衛美術運動の中心 的な役割を果たしました。また彼は、戦争へと傾斜していく時代の中で、混沌とした 社会状況を解き明かすための鍵を求めるかのように、制作に数学や東洋の易学を取り 入れ、独自の図式絵画を制作します。個々のイメージを記号として扱い、概念を図式 的に表そうとしたそれらの作品は、従来の絵画に対する考え方を超えて、現代の美術 を先取りしたきわめてユニークなものでした。戦後も京都の前衛美術運動を牽引した 彼でしたが、肺結核を患い志半ばにして50歳の生涯を閉じました。

没後1953年には京都市美術館で遺作展が開催され、東京国立近代美術館でも1958年に 「4人の画家」展で彼を取り上げていますが、本格的な回顧展は今回がはじめてとな ります。本展は、1960年に未亡人かね氏より東京国立近代美術館にご寄贈いただいた 多数の作品を中心に、油彩画、素描130余点を以下のように構成し、各時期の作品を 美術史的に意義づけ、また当時の美術が抱えていた問題を浮かび上がらせようとする ものです。

展覧会の構成
(1) 初期(1930―1936年)
津田青楓、須田国太郎に学び、フォーヴィスム的な作品を二科展や独立展に出品 する。
(2) シュルレアリスム期(1937―1939年)
シュルレアリスムの影響を受け、形態の変容や二重影像をめぐるさまざまな実験 を行う。
(3) 図式絵画期(1939―1942年)
数学や易学を制作に取り入れ、具象的イメージと抽象的図形を組み合わせた概念 的作品を制作する。
(4) 戦後期(1945―1951年)
画作の再出発を模索し、《クォ・ヴァディス》などを描く。
北脇昇略年譜
 1901年  6月、愛知県名古屋市に生まれる。
 1910年  京都に住む叔父のもとに移る。
 1919年  鹿子木孟郎の画塾に入る。
 1921年  徴兵検査を機に画業を一時中断する。
 1930年  津田青楓の画塾に入る。
 1932年  第19回二科展に初入選する。
         塾生有志により京都洋画協会を結成する。
 1933年  津田青楓塾の閉鎖に伴い、新たに独立美術京都研究所の設立に尽力、須田国太郎を指導者に迎える。
 1934年  第4回独立展に初入選する。以後第9回展まで出品を続ける。
 1935年  京都洋画協会を解散し、新たに新日本洋画協会を結成する。
 1937年  第7回独立展に《独活》を出品し、この頃からシュルレアリスムへの傾倒を深める。京都青年美術家クラブを結成する。
 1938年  創紀美術協会の結成に参加する。
         第3回京都市美術展で《眠られぬ夜のために》市長賞受賞。
 1939年  美術文化協会の結成に参加する。この頃から制作に数学的概念を取り入れ、図式絵画を描くようになる。
 1946年  美術文化研究会を結成する。
 1947年  日本アヴァンギャルド美術家クラブの結成に参加する。
 1948年  日本美術会会員となり、京都支部長をつとめる。
 1949年  日本美術家連盟に加入する。
 1951年  12月、肺結核により没。