東京国立近代美術館 フィルムセンター7階展示室
恩地孝四郎(1891-1955)は大正期の創作版画の中心的な担い手のひとりであ り、日本における抽象美術の先駆者として、またすぐれた装丁家として知られ ています。これらの仕事を支える背景として、ヨーロッパの潮流の摂取に努め ていた恩地には、昭和戦前期、ドイツ新興写真の影響の下に、写真による作品 を制作していた時期があります。
瑛九(1911-1960)は、十代のうちから美術評論の筆を執り、1936年に「フォト デッサン」と名付けたフォトグラムの手法による作品を瑛九の名前で発表して 美術家としての仕事を本格的に出発させ、1937年には「抽象主義的傾向の絵画 を中心にして同時代の絵画芸術を創造する」ことを掲げた自由美術家協会の結 成に加わっています。油彩、のちにリトグラフなども手がけましたが、その中 でフォトグラムの仕事は戦後1950年代にいたるまで、戦時下の中断をはさんで 一貫して制作が続けられました。
椎原治(1905-1974)は1930年に大阪で設立された丹平写真倶楽部の有力なメン バーのひとりであり、東京美術学校で油絵を学んだ経歴を持つアマチュア写真 家です。安井仲治に率いられた丹平写真倶楽部は、新興写真から前衛写真へと いう当時の日本写真のモダニズムの展開の、関西における拠点であり、椎原自 身もフォトグラムやソラリゼーション、「フォトパンチュール」と名付けた写 真とドローイングの混合技法の作品など、実験的な作品を多く残しています。
この三人は三者三様のアプローチによって写真作品の制作を手がけましたが、 おそらく恩地や瑛九には、自らを写真家であると考える意識はなかったと思わ れます。 しかし残された作品には、ドイツから入ってきた、レンズの即物的 な描写力や新たな視角を追求し、構成主義的な画面処理を特徴とする1930年代 初頭の「新興写真」から、日本に紹介されはじめたシュールレアリスムを積極 的に摂り込んでいった1930年代後半の「前衛写真」へ、そして1930年代末から 1940年代初頭にかけて、戦時体制の進む中、現実世界に目を向けた「報道写真」 に活路を見出そうとして次第に閉塞していくという、昭和戦前期の写真界の流 れがよく反映されています。
このようなことをふまえ、それぞれの作家の作家の創作活動全体を視野に入れ るとき、これらは当時の写真と美術をとりまく視覚表現全般におけるモダニズ ムのあり方を捉えるための、一つの手がかりとなるものであると思います。
| 展覧会名: | モダニズムの光跡 恩地孝四郎・椎原 治・瑛九 | ||||||||||||
| 会 期: | 1997(平成9)年2月11日(火)−3月29日(土) 日曜日・月曜日休館 午前10時30分−午後6時(入場は午後5時30分まで) | ||||||||||||
| 会 場: | 東京国立近代美術館フィルムセンター7階展示室 〒104東京都中央区京橋3-7-6 お問い合わせ先: 03-3272-8600(NTTハローダイヤル) 東京国立近代美術館ホームページ http://www.momat.go.jp/ | ||||||||||||
| 主 催: | 東京国立近代美術館 | ||||||||||||
| 観 覧 料: |
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