展覧会

会期終了 企画展

竹内栖鳳展 近代日本画の巨人

会期

会場

東京国立近代美術館本館企画展ギャラリー

概要

日本画家の竹内栖鳳(1864-1942)は京都に生まれ四条派の幸野楳嶺(こうのばいれい)に学び、京都画壇の近代化の旗手として土田麦僊(つちだばくせん)をはじめとする多くの後進に影響を与えました。

栖鳳は積極的に他派の筆法を画に取り入れ、また定型モティーフとその描法を形式的に継承することを否定し、画壇の古い習慣を打ち破ろうとしました。その背景には、明治33(1900)年のパリ万博視察のための渡欧がありました。現地で数々の美術に触れ、実物をよく観察することの重要性を実感したのでした。

しかし、やみくもに西洋美術の手法を取り入れたのではないところに栖鳳の視野の広さがありました。江戸中期の京都でおこった円山派の実物観察、それに続く四条派による対象の本質の把握と闊達な筆遣いによる表現は幕末には形式的なものとなり、定型化したモティーフとそれを描くための筆法だけが残ってしまいました。栖鳳は実物観察という西洋美術の手法をもとに、西洋と肩を並べられるような美術を生み出そうという気概でこれら伝統絵画の根本的理念を掘り起こそうとしたのです。

栖鳳の作品の前に立つと、あたかもその対象にじかに触れているかのような感覚におそわれますが、よく見ると、描かれているものが実物とかけはなれていることもしばしばです。それは、丹念な実物観察を行いながらも、その目的は外形写生ではなく、あくまでも対象の本質をつかむことにあったことを表しています。

本展は、栖鳳の代表作、重要作、長らく展覧会に出品されてこなかった作品約110点、素描などの資料約60点で栖鳳の画業を通観し、栖鳳が新たな時代に築いた日本画の礎を示します。

会期中、展示替えがあります

ここが見どころ

過去最大規模の回顧展!

今回の展覧会で出品される本画は100点あまり。1957年に開催された回顧展以来の大規模展です。しかも主要作品、重要作品を可能な限り網羅しています。

展覧会初出品作品も!

京都の神泉苑に奉納されて以来、展覧会には初出品となる絵馬《龍神渡御の図》(1887年)をはじめ、《富士図》(制作年不詳、本間美術館)、《花に蔵》(1934年、個人蔵)など、古い図版で知られていたものの実物を観る機会がほとんどなかった優品が登場します。どの作品も、栖鳳の画業の多様さを納得させてくれます。

海外への発信に注目!

さらに海外から、栖鳳作の原画(髙島屋史料館)をもとに製作されたビロード友禅《ベニスの月》(1907年、大英博物館)がやってきます。栖鳳は明治期、当時京都が都市をあげて世界へ販路を開拓していた美術染織の製作にかかわりました。自ら友禅の原画を描くだけでなく、日本画・洋画の別に関係なく他の画家が描いた原画に助言を与えるプロデューサーの仕事もしていました。この作品からは、日本国内で絵画の近代化をはかるだけなく、海外で通用する日本美術とはどのようなものかという、栖鳳の研究のあとがうかがえます。なお明治の京都の美術染織は近年専門家の間で注目を集めていますが、原画と染織作品両方が現存しているものは少なく、この作品はきわめて貴重です。

展覧会構成

第1章 画家としての出発 | 1882 ̶ 1891

竹内栖鳳は四条派の幸野楳嶺(1844-1895)に入門し、楳嶺の厳格な指導のもとで四条派の表現技法をはじめ漢文などの素養を身につけました。楳嶺画塾の外でも、師について北越地方を写生してまわったり、京都社寺で古画の模写を行ったりすることで修練を重ねました。
この時期の作品は、栖鳳のこうした学習の様子を示すかのように、伝統的な画題が伝統的な筆致で描かれています。中には、後年の栖鳳の作品からは想像もつかないような作風のものもあり、修業期から発展期へと、栖鳳の画業がいかに大きく羽ばたいていったかをうかがうことができます。
この章では、現在遺されている栖鳳による古画の模写もあわせて展示します。一目であの作品と分かる名画からそうでないものまで、さまざまなものが写されました。あたかも、目にする古画を片端から模写していったかのようです。写したものは師匠楳嶺の属する四条派の作品だけにとどまりません。幅広い古画学習は、やがて人々の間に議論を巻き起こし、画壇の話題の人物として栖鳳にスポットライトが当たるきっかけとなるのです。

第2章 京都から世界へ | 1892 ̶ 1908

栖鳳は、1892年の京都市美術工芸品展に出品した《猫児負暄(びょうじふけん)》(現存せず)が円山派、四条派、狩野派といった複数の絵画の流派の筆遣いを1枚の作品の中で使用したとして、鵺派(ぬえは)と称されました。異なる流派の技法を混在させたことは、それまでの絵画の約束を破るものとして非難の的となった一方、新しい流派がおこる予兆として期待を集めました。
この時期栖鳳は、歴史上の事象、同時代の京都の景観、骸骨などさまざまな主題に取り組みました。その中には明らかに西洋画の表現を意識したものが多数見られます。栖鳳はかなり早くから西洋美術の存在を意識して、海外の美術文献の講読会を自身の画塾で開きました。加えて、万博への出品や販路の確保のため海外へ眼を向けていた京都の美術染織業界にもかかわることで、西欧における日本の美術のあり方について考えを深めていったのです。

さらに1900年にパリ万博視察のために渡欧し、各地で多数の西洋美術に触れた栖鳳は、帰国すると、獅子やヨーロッパ風景を西洋絵画的な写実性を帯びた表現で描き注目を集めました。しかしそんな彼が渡欧体験を通じてもっとも重視するに至ったのは、西洋美術の長所である実物観察にもとづいた写生に、日本の伝統絵画が得意とする写意―外形というよりは対象の本質を描き出すこと―を融合させることでした。

この章で紹介する作品は、西洋美術に関心を持つ京都画壇の若手画家の一人だった栖鳳が、数々の経験を経て、西洋美術に肩を並べるという広い視野をもって伝統絵画の表現を見直した足跡にほかなりません。
また本章では、栖鳳の美術染織の仕事にスポットをあてたコーナーも設けます。西洋で通用する日本の美術はどのようなものであるのか、栖鳳の考えが見えてくることでしょう。

第3章 新たなる試みの時代 | 1909 ̶ 1926

美術学校の教諭として、多数の弟子を抱える画塾の主として、また1907年から始まった文部省美術展覧会(通称文展)の審査員として、栖鳳はすでにこの時期、画壇において地位を確立していました。土田麦僊をはじめとする後進も頭角を現し、1918年に彼らによって国画創作協会が結成されると、栖鳳はその顧問となりました。
しかし栖鳳の活動は若い世代の育成にとどまりませんでした。人物の動作の優美さだけでなく、一瞬の仕草のなかに彼らの心情を描き出そうとしたり、従来の伝統的な山水表現でも西洋絵画的な遠近法をそなえた風景表現でもない風景画を描こうとしたり、あるいはこれまでよりもいっそう、生き物の生命感に肉迫しようとしたりと、新たな表現を意欲的に研究しました。
この章では栖鳳のこうした作品のほか、人物画研究にスポットを当て、スケッチとともに制作のプロセスをたどります。また表現、主題ともに栖鳳に多くの刺激を与えた旅についても、本画に写生帖や資料をあわせて展示することで総括を試みます。

第4章 新天地をもとめて | 1927 ̶ 1942

昭和に入ると栖鳳はしばしば体調を崩し、1931年に転地療養のため湯河原へ赴きました。健康を回復すると、東本願寺の障壁画に取り組むなど、以前よりさらに精力的に制作し、以降この地で没するまで、彼は湯河原と京都とを頻繁に行き来しました。
この時期の栖鳳は、より洗練された筆致で対象を素早く的確に表現するようになると同時に、自然を見つめる自身のあたたかいまなざしを作品の前面に出すことが多くなりました。さらに晩年に至ってもなお、金箔により陽光の輝きを表現するような実験的な作品も生み出されたことは注目に値するでしょう。
栖鳳の制作は、常に実物観察による写生から出発しました。しかし本画をつぶさに観察すると、写生から画絹に表現するまでの間にさまざまな要素が取捨選択されており、その取捨選択の仕方が年齢とともに変化していくのがわかります。それが栖鳳の画風の変遷を形成しているのです。最終章では、昭和期の作品を紹介するほかに、栖鳳が生涯を通して追究した写生を、水というモティーフを手がかりに探ります。

作家紹介

元治元(1864)年
京都に生まれる。

明治10(1877)年
四条派の画家・土田英林に入門。

明治14(1881)年
同じく四条派の大家・幸野楳嶺に入門し、「棲鳳」の号を授かる。

明治22(1889)年
髙島屋意匠部に勤務、その後も顧問としてかかわる。

明治25(1892)年
京都市美術工芸品展に《猫児負暄》を出品、その筆法から鵺派と評される。

明治28(1895)年
京都市美術工芸学校教諭となる。

明治33(1900)年
パリ万国博覧会視察のため渡欧、各地の美術館や美術学校を視察。

明治34(1901)年
帰国、第7回新古美術品展に《獅子》を出品、雅号を「栖鳳」とする。

明治40(1907)年
文部省美術展覧会(文展)始まり、審査員となる。

大正2(1913)年
帝室技芸員となる。

大正7(1918)年
弟子の土田麦僊らが結成した国画創作協会の顧問となる。

大正9(1920)年
弟子で娘の夫でもある西山翠嶂、京都市立絵画専門学校教諭で若手画家に最先端の西洋美術思潮を盛んに紹介した美学者の中井宗太郎らとともに中国を旅行する。
翌年も訪中。

大正13(1924)年
フランス政府より、日仏間の文化交流の発展に尽くした者に贈られるシュヴァリエ・ド・ラ・レジオン・ドヌール勲章を受ける。

昭和6(1931)年
肺炎の療養のため湯河原へ赴く、以降京都と頻繁に行き来する。

昭和12(1937)年
文化勲章受章。

昭和17(1942)年
肺炎のため湯河原にて歿する。

カタログ情報

イベント情報

講演会

高階秀爾(大原美術館長、東京大学名誉教授)
「竹内栖鳳 -もうひとつの西洋体験-」

日程: 2013年9月7日(土)
時間: 14:00-15:30
場所: 東京国立近代美術館講堂(地下1階)

*開場は開演30分前
*参加無料(140名)

要申込(応募者多数の場合は抽選とさせていただきます)

申込方法
郵便往復はがきの往信用裏面に郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・電話番号を返信用表面に郵便番号・住所・氏名を明記のうえ、お申し込みください。
*1枚の往復はがきで2名までの応募可。2名応募の場合は往信用裏面にそれぞれの氏名を明記してください。

申込先
〒106-0032 東京都港区六本木4-8-7 六本木三河台ビル7F
「竹内栖鳳展」広報事務局「講演会」係

申込締切
8月9日(金) ※当日消印有効 受付を終了しました

平野重光(美術史家)
「竹内栖鳳の芸術について -女性像にちなんで-」

日程: 2013年9月28日(土)
時間: 14:00-15:30
場所: 東京国立近代美術館講堂(地下1階)

*開場は開演30分前
*参加無料(先着140名)
*申込不要

開催概要

会場

東京国立近代美術館 企画展ギャラリー

会期

2013年9月3日(火)~10月14日(月)

開館時間

10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)

  • 入館はそれぞれ閉館の30分前まで
休館日

月曜日(9/16、9/23、10/14は開館)、9/17、9/24

観覧料

一般=1,300円(1,100円/900円)
大学生=900円(800円/600円)
高校生=400円(300円/200円)

  • ( )内は前売/20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
  • 中学生以下、障害者手帳をお持ちの方と付添者1名は無料
  • 本展の観覧料金で入館当日に限り、同時開催の「MOMATコレクション」もご覧いただけます。
  • 前売券は6月24日(月)から9月2日(月)まで販売。展覧会会期中は当日料金で販売。
  • 早割りペアチケット(2枚)は、4月22日(月)から6月21日(金)まで1800円で販売。
  • 前売券[9月2日(月)まで]および当日券は、東京国立近代美術館券売所、チケットぴあ[Pコード=765-631(前売/当日)、765-632(早割りペア)]、ローソンチケット[Lコード=36838(共通)]、セブン-イレブン[セブンコード=022-387(共通)]ほか、各種プレイガイドにてお求めいただけます。
主催

東京国立近代美術館、日本経済新聞社、NHK、NHKプロモーション

協賛

旭硝子、大伸社

巡回

京都市美術館:2013年10月22日(火)―12月1日(日)

特設HP

展覧会特設HPも、ぜひご覧ください。
リンクはこちらから→竹内栖鳳展特設HP
公開は終了しました

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