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展覧会レビュー MOMATコレクション いま、RAUSCHENBERG100を祝すということ

池上裕子 (大阪大学教授)

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2025年はロバート・ラウシェンバーグの生誕100年ということで、世界各地で記念展示が行われている。開催地はやはりアメリカが多いが、香港のM+も11月から「Robert Rauschenberg and Asia」という展覧会を開く。日本にも縁の深かったこの作家について、今回の関連展示が行われたことは、率直に喜ばしい。ただ、今年は終戦80年でもあり、企画展では戦争記録画の数々が、常設展の別室では「コレクションにみる日韓」や石川真生の〈基地を取り巻く人々〉シリーズが展示され、この節目において意義深い作品が目白押しである。 

図1 会場風景|所蔵作品展 MOMATコレクション「ジャンクとポップ」|撮影:柳場大

全体的なトーンからは浮いて見えかねない「ジャンクとポップ」のセクションだが、その構成は、いま「RAUSCHENBERG100」を日本で祝す意味を肯定的に考えさせるものとなっていた[図1]。所蔵品を中心とする展示のため、ラウシェンバーグの作品は段ボール彫刻《ポテト・バッズ》[図2]とリトグラフ《アクシデント》の2点のみである。だが同じ壁面にジャスパー・ジョーンズの《デコイ》や、小島信明の《ボクサー》、中西夏之の《コンパクト・オブジェ 沈む鋏》、菊畑茂久馬の《ルーレット》など、1960年代に既存のオブジェや廃材などを利用して新しい表現を切り開いた作家たちの作品が並び、アメリカのネオダダとのやや緊張感を孕んだ親和性を感じさせる。

図2 ロバート・ラウシェンバーグ《ポテト・バッズ》1971年、東京国立近代美術館蔵

また本展では丁寧な資料展示を通して、ラウシェンバーグの領域横断的な活動がよく分かるようになっていた。まず、段ボール彫刻の近くに置かれたケースには、1964年に彼が初来日した際に草月会館で公開制作した《ゴールド・スタンダード》や、その壇上に持ち込まれた篠原有司男による《コカコーラ・プラン》の「イミテーション」図版などが配され、当時の雰囲気をよく伝えている。もう一つのケースでは彼が1980年代に立ち上げた国際交流プロジェクト、ROCI(Rauschenberg Overseas Culture Interchange)の関連資料や日本での展示写真を見ることができる。 

もう一つのハイライトは、1980年代に「ジャンクとポップ」の感性を引き継いだ大竹伸朗や日比野克彦による、いま見てもみずみずしい作品群だろう。大竹が大のラウシェンバーグ好きであることは有名だが、今回の展示では日比野の作品がとりわけ新鮮に映った。それは段ボールという素材がラウシェンバーグと共通するからだけではない。当時ラウシェンバーグの段ボール彫刻は日本ではほとんど紹介されておらず、日比野がそれを参照した可能性は低いと思われる。両者のより本質的な共通項は、どのような素材にも表現の可能性を見出す軽やかな感性や、未知の領域に踏み出すオープンな姿勢ではないかと感じた。 

日比野がコニカのテレビコマーシャルで見せるヴィデオ・パフォーマンスでは、ストリートダンスのような彼の動きと、その手から湧き出るようにして描かれる線描とが、当時最新のデジタル技術を用いて組み合わされており、ラウシェンバーグが1960年代に行ったパフォーマンスや、1970年代にE.A.T.(Experiments in Art and Technology)で制作した作品群を思わせる。また日比野も地域コミュニティや生きづらさを抱える人々とのプロジェクトを先駆的に手がけてきたことを考えると、この二人は芸術表現の可能性を背景の異なる他者へと開いて対話を促すという、外に向かうベクトルも共有していると考えられる。 

実は、ラウシェンバーグのROCIは、当時本国アメリカでは評判があまり良くなかった。ポスト植民地主義の時代に、アメリカの大物作家が共産主義国や独裁国家にわざわざ出向いてモダンアートの価値を伝える(しかも自分の個展を通して)というコンセプトは、まさに帝国主義的と批判されたのだ。だが私が実際に聴き取りをした中国やキューバの作家たちは、口を揃えて、情報が遮断されていた時代に西側世界の現代美術を見せてくれたラウシェンバーグに感謝していると述べていた。「You cannot avoid liking Rauschenberg」と1

図3 日比野克彦《RED HIGH HEELS》1982年、東京国立近代美術館蔵 

今回の展示で一番心に残ったのは、日比野が1982年に制作したパルコのポスター(原画:《RED HIGH HEELS》[図3])に描かれた犬と、ラウシェンバーグが《ゴールド・スタンダード》に用いた「ビクターの犬」との共鳴だ。赤いハイヒールを履いて、なんとも愛らしい微笑みを浮かべるパルコの犬と、首をかしげて蓄音機から流れてくる亡き主人の声に聴き入っているとされるビクターの犬。彼らは、どちらも他者に向き合うことをごく当たり前のこととして、そこにいるようだ。ここに二人の共通点がもう一つ確認できるとともに、絶望的なことも多く起こる世界の中で、それでも他者とつながろうとすることの大切さをあらためて見る思いがする。「RAUSCHENBERG100」を、いまこそ祝す所以だ。

1 キューバの作家、グレクシス・ノヴォアの言葉。2016年3月4日のスカイプ・インタビューより。詳しくは以下の拙稿を参照されたい。Hiroko Ikegami, “‘Art Has No Borders’: Robert Rauschenberg Overseas Interchange,” in Robert Rauschenberg (Tate Modern and Museum of Modern Art, New York, 2017), pp. 340–349.

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