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展覧会レビュー MOMATコレクション 憧れの地、理想の風景——東山魁夷と北欧
戻る白夜の光を反射する、どこまでも透き通った湖。凍てつくような空気に、ぼんやりと霞む太陽。霧氷をまとい、平原に佇立する木。これこそ北欧らしい、と言いたくなる風景だ。
ところで、「北欧らしい」とは何だろうか。
東山魁夷が北欧諸国を訪れたのは、1962年のことだった。彼はすでに50代を迎えており、《残照》(1947年)や《道》(1950年)などによって、日本画家として確たる地位を築いていた。春のデンマークに降り立った彼は、さらに足を延ばしてスウェーデン、ノルウェー、フィンランドを巡り、3か月を北欧で過ごす。そして帰国後に制作されたのが、今回展示されている映象(えいしょう)(1962年)、《冬華》(1964年)[図1]、《白夜光》(1965年)である。

魁夷は北欧へと渡る前、現地について得られる情報は少なかったものの、「北欧の風景が、その森や湖が、私を呼んでいるように」感じたという。そして実際に行ってみると「私の想像通りの風景が在った」*。彼はまったく新しい何かを発見したのではなく、自らの内に潜んでいた理想が具現化した姿を、北欧の風景に見出したのだ。
北欧と日本の関係を振り返ってみると、かの地に自らの理想を見出した日本人は少なくないようだ。古くは内村鑑三が講演「デンマルク国の話」(1911年)で、荒廃した国土を植林によって再生させたデンマーク人の信仰と営為に、日本の進むべき道を見出していた。現代でいえば、ピアニスト・舘野泉の存在が思い起こされる。舘野はフィンランドに長く暮らし、北欧の風土と、そこで育まれた音楽に深い共感を寄せてきた。このように、日本からはるか遠くにある北欧は、ときに憧憬や羨望の対象となり、またときに自らを映し出す鏡となってきたのである。
そもそも、「北欧らしさ」とは何かという問いは、日本人にとってだけでなく、当の北欧の人々にとってさえ大きな謎であった。19世紀から20世紀にかけて北欧の各国では、それぞれ異なる政治的・文化的背景のもとで、自国を象徴する風景が模索された。たとえばノルウェーでは、ヨハン・クリスティアン・ダールやペーデル・バルケといった画家たちによって、山やフィヨルドの壮大な風景が、国民的アイデンティティと結びつけて描かれている。
今回資料として展示されていたシグヴァルト・ヴェルナーの写真集『デンマークの風景 1920年:ディアハーヴェン』[Sigvart Werner, Danske Billeder 1920: Dyrehaven, Copenhagen: M. P. Madsens Boghandel (Rechtwig & Tryde), 1920.]も、こうした時代の潮流と無関係ではなかっただろう。コペンハーゲン郊外の森を撮った本書を、東山魁夷は岳父の川崎小虎(しょうこ)から渡され、北欧行きを夢想するようになったという。彼は北欧の風景に実際に出会うよりも前に、現地の写真家のまなざしを通して、その土地のイメージを育んでいたのだ。
《冬華》に描かれた一本の木は、現実の自然に根ざしながら、ほとんど象徴的な存在となって静謐な世界を作り出している。ここに描かれた「北欧」も、ある種の「虚構」だと捉えることができるだろう。魁夷にとって北欧の風景は、自らの内面を映し出すための格好の媒体となった。北欧の芸術家たちが自国の風景にアイデンティティを求めたのに対し、魁夷が異国の風景に精神的な故郷とも呼ぶべきものを見つけたというのは、じつに興味深い。

ただし、魁夷は自らの理想を確かめるためだけに、北欧を旅したわけではない。
帰国後に出版された版画集『古き町にて—北欧紀行』(1964年)には、古道具屋や教会、古い町並みなど、北欧の風物が色彩豊かに描かれている。町を歩き、気になるものに目を向け、気ままに現地の人々と言葉を交わす——見知らぬ国を理解しようとする、好奇心にあふれた魁夷の姿が目に浮かぶようだ。
北欧の自然に理想を求めることと、未知の土地の生活を見つめること。この2つは、魁夷にとって決して矛盾するものではなかったのだろう。彼は北欧の風景に自らの理想を見出すだけでなく、その土地の自然や人々の暮らしを丹念に見つめ、それらを独自の絵画世界へと結実させたのだ。
私たちが魁夷の作品を見て「北欧らしい」と感じるとき、そこには実際の北欧の姿だけでなく、魁夷のまなざしを通して形作られた北欧のイメージも重なっているのかもしれない。北欧を訪れたことのある方もない方も、魁夷の目を通して、遠い異国の風景がどのように一人の画家の世界へと変わっていったのかを、この展示室で味わってほしい。
* 東山魁夷『風景との対話』新潮社、1967年、205頁。
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