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Garden 1
点在する人物に気づかなければ、抽象的な絵のようです。特定の図を認識しにくいからというより、いかにも自由に広がる絵の具のふるまいが、そう思わせるのでしょう。地塗りを施していないキャンバスに薄く溶いた絵の具をにじませる、ステイニング(染み込み)技法の効果です。コントロールしきれない絵の具の動きは水面を思わせます。作者によればこの風景は、かつて過ごしたベルリンの広い公園に子供を連れて行った記憶に基づいているそうです。
横たわる少女
作者本人による一編の詩があります。「少女たちよ、大地に触れなさい/からだを横たえると/こちらの世界とあのよを/いききできるのです」。この詩に託されたような神秘性は、素材と、色彩と、モチーフの選択に支えられています。すなわち、塗り重ねた絵の具が染み込み、ぶれるような効果をもたらす目の粗いジュートに。黒い背景と、そこを横切る光の帯に。あるいは、腹ばいになり、手を前後させて進むような少女のポーズに。
群馬の人
美の規範よりも現実を生きる庶民を見つめたい。そうして作者はリアリズムを志したものの、「ジャガイモみたいな顔」を発表することを迷ったといいます。しかし結果は大好評。一重まぶたで頬骨の張った、この朴訥な印象のある頭像は、西洋彫刻の影響を脱し、「日本人の手で初めて日本人の顔を作った」と評されます。モデルは群馬出身の詩人で教師だった岡本喬。当館の開館初年度に収蔵され、彫刻の収蔵番号1番となった作品です。
孕んだ女
お皿、瓶、腕や首が浴室の中を漂っています。上下左右もはっきりしない狭苦しい空間を見ていると、落ち着かない気分になります。その原因は、タイルの目にあります。人は、体のバランスを保つ平衡感覚に基づいて、垂直、水平な線に安定した心地よさを感じます。しかしここではタイルの升目が作る縦、横の線が、絵のフレームの垂直、水平線から斜めにズレています。中央の妊婦が手にする器具の先端が特に明るく描かれています。この球を軸に絵の中の空間は回転し始め、人も物もばらばらにしてしまうかのよう。当時の社会が抱えていた精神状態を表現したとも言われる、この絵が呼び起こす不安さの裏には、こんな造形的工夫も隠されています。
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MOMATコレクション こどもセルフガイド
『こどもセルフガイド』小・中学生が当館の所蔵作品に親しむためのツールです。書き込み式のカードには、鑑賞体験をより深めるための問いかけや情報がのっています。 教材の特徴・使い方紹介動画 https://youtu.be/R8YklEeh76A セルフガイドは「作品を見るきっかけ」です。 1枚のカードにつき一点の作品を取り上げています。 まず、カードの作品を探しましょう。 作品を見つけたらまずはじっくり見て、問いをきっかけにさらに観察してみてください。※ 6枚セットでの配布は終了しました。現在は美術館1階エレベーター前のチラシ台で1枚ずつ無料配布しています。 MOM@T Home こどもセルフガイド MOMATコレクションの展示室内では、お手元のスマートフォン、タブレット等から「MOM@T Home こどもセルフガイド」を利用できます。
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みつけてビンゴ!
「みつけてビンゴ!」は、幼児が大人と一緒に使用して美術館を楽しむためのツールです。子どもと大人がコミュニケーションを取りながら美術館を楽しむことを目的に作成しました。 カードには9つのイラストがあります。イラストに描かれたものを見つけたら、その箇所を折り曲げます。 作品の中に描かれた色や形、展示室で見かけるイスや人など、さまざまなものに目を向け、美術館を楽しんでください。 教材の特徴・使い方紹介動画 https://youtu.be/9wBa0fi9RgY ※「MOMATコレクション セルフガイドプチ」の配布は終了しました。
Chiaroscuro
作品1
中平卓馬の言語実験〜やりなおしの卓馬体験〜
不思議な展覧会だった。これが初見の素直な感想である。 わたしは迂闊にも、会場にはオリジナルプリントなるものが並んでいるものとばかり思い込んでいた。そしてプロヴォークに代表される初期の劇的写真、サーキュレーションの吠えるような展示の再現、華やかな原色で彩られた後期の写真等々が、にぎやかに会場で主張し合うという展開を予測していた。 ところが、実際に会場に入ると、実に静か。“無音が聞こえる”とさえ言いたくなるような静けさだった。展示冒頭では写真集『来たるべき言葉のために』(1970年)の複写画像が、スライドショー形式で壁一面に大きく映し出されていた。いつもなら激しく迫ってくるはずのこれらのイメージが、粛々と役割をこなしているように見えた。 会場風景|撮影:木奥惠三 次の展示室に入ると、中平卓馬が最初に自作を発表した雑誌が展示ケースに収まっていた。最初期の作品が資料展示であることは珍しくない、と思いつつも、次第に違和感は膨らんでいった。そしてChapter 2の展示室に入ったとき、わたしは完全に自分が間違っていたことを悟った。 この展覧会は中平卓馬の初出の資料(主要な発表の場が雑誌だった関係で、雑誌が多く展示されている)を丁寧に集めた構成になっていたのだ。観客は中平を研究する人の研究室を訪れたと考えた方が良いのだろう。そして研究であるからには、その活動に安易な序列をつけないのは当然のこと。中平が発表した当時の写真や文章を丹念にたどりながらその足跡を問い直し、鑑賞者ひとりひとりが研究者となって、伝説にまみれた中平像を再構築するような仕掛けになっていたのだ。 美術館にも娯楽的要素を求める圧が強まる昨今、このように徹底して渋く攻めた展示は予想外だった。ここには中平卓馬という存在への問いかけのみならず、展覧会の可能性への問いかけもあるように感じた。ある意味、高度に知的な謎かけをしてくる展覧会である。 会場風景|撮影:木奥惠三 こうしてわたしも中平についての問い直しを求められることになったわけだが、今回改めて着目したのは、彼の最初期である。 雑誌編集者だった中平が東松照明の勧めで写真を撮るようになり…という話はなんとなく知っていたものの、彼が働いていた雑誌『現代の眼』が左翼系の思想誌であるとは考えたことがなかった。 数学者が世界に数式を見るように、あるいは音楽家が音やリズムで会話するように、思想系の人たちは独自の言語体系を通して世界と関わっている(これはたとえば詩人の言語体系とも異なる)。つまり中平は単に言葉が巧みな人ではなく、その言語体系のなかでものを考え、ものを見、解釈し表現する、その世界の住人なのである。写真が生み出すイメージについても、彼が基盤とするこの体系からの距離で認識していたと思われる。 たとえば初期の活動においては、自分の言語体系に欠けている部分を補うものとして写真を求め、その象徴的イメージがもつ強力な伝達力に写真の可能性を見出していた。ここで表現されていたのは「疑え!」「壊せ!」「否定しろ!」というメッセージだったが、それを彼の言語体系で表現しようとすると、まわりくどくならざるを得ないものだった。 ところが安保闘争に敗れた70年代に入ると、これまでとは違ったメッセージが必要となる。そこで彼が写真に求めたのは、自分の言語体系に欠けているものではなく、この体系を視覚的に体現してくれるものだった。 展示では「風景論」への関心が紹介されていた。資本主義社会の進展がもたらす風景の均質化にどう向き合うのかという「風景論」が提示した問題に対し、写真でどう答えるのか、その可能性を懸命に模索している様子はうかがえるものの、象徴的写真のもつイメージの強さにこだわる傾向が目立ち、うまくいっていたとは思えない。本人も「写真を撮ることに(中略)疲れてしまった」(Chapter 3「とりあえずは肉眼レフで」)と吐露している。 こうした停滞のなかで構想されたのが「なぜ、植物図鑑か」(1973年)だった。ここで彼が写真に求めたのは、自分の言語体系に欠けているものでもなければ、同期するものでもなく、それを超越するものだった。それは彼を蝕む言葉の洪水からの解放であると同時に、長年共にあったものを捨て去ることでもあったろう。この宣言文を書いたのち、すぐに自己の理論を実践できなかったのも、捨て去る難しさだったのではなかろうか。 会場風景|撮影:木奥惠三 “体系”とは物語であり、物語は時間を内包する。つまり“体系”を捨てることは、“時間”から離脱することである。晩年の写真に“現在”しかないように見えるのは、中平がついに求める地平にたどり着いた証であると解釈できるかもしれない。だが、彼自身はこの点について何も語っていない。 ちなみにわたしにはあの写真群が“文字”のようにも見える。しかしそれはただそれだけのことで、相変わらず解釈を拒絶して謎のままである。 『現代の眼』639号
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