展覧会

会期終了 企画展

ゴーギャン展

会期

会場

東京国立近代美術館本館企画展ギャラリー

展覧会について

ゴーギャンの最高傑作 日本初公開

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(部分)
1897-98年 油彩・キャンバス ボストン美術館
Tompkins Collection-Arthur Gordon Tompkins Fund, 36.270 
Photograph © 2009 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved.
《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(部分)
1897-98年 油彩・キャンバス ボストン美術館
Tompkins Collection-Arthur Gordon Tompkins Fund, 36.270 
Photograph © 2009 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved.
19世紀末の爛熟した西欧文明に背を向け、南海の孤島タヒチにひとり向かった画家ポール・ゴーギャン(1848-1903)。その波乱に満ちた生涯は、芸術に身を捧げた孤独な放浪の画家の典型といえるでしょう。
自らの内なる「野性」に目覚めたゴーギャンは、その特異な想像力の芽を育む「楽園」を求めて、ケルト文化の伝統を色濃く残すブルターニュ、熱帯の自然が輝くマルチニック島、ゴッホとの伝説的な共同制作の舞台となった南仏アルル、そして二度のタヒチ行と、終わりのない旅を繰り返しました。その過程で、自ずと人間の生と死、文明と野蛮といった根源的な主題に行き着きます。このような人間存在に関する深い感情や思索を造形的に表現すること、これがゴーギャンの絵画の課題だったのです。
タヒチで制作された畢生の大作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(1897-98)は、画家が目指した芸術の集大成であり、その謎めいたタイトルとともに、後世に残されたゴーギャンの精神的な遺言とも言えるでしょう。この展覧会は、日本初公開となるこの傑作を中心に、国内外から集められた油彩・版画・彫刻、約50点の作品を通して、混迷する現代に向けられたメッセージとして、あらためてゴーギャンの芸術を捉えなおそうとするものです。

展覧会構成

1章 内なる「野性」の発見

株式仲買人として成功を収めたゴーギャンは、デンマーク人女性メット・ガッドと結婚して幸福な家庭生活を送っていました。しかし、ピサロをはじめとする印象派の画家達との交友が深まるなかで、徐々に絵画への情熱が抑えがたくたかまり、1883年に突然、芸術家として生きる決意を固めます。家庭は破綻し、そこから画家の孤独な放浪が始まりました。印象主義の影響が色濃く残る初期のスタイルからの離脱は、ケルトの伝説が息づくブルターニュ地方との出会いを待たねばなりません。そこで画家は、形態を単純化し、縁取りのある平坦な色面によって堅固かつ装飾的な画面を構成するスタイルを確立します。それは、ゴーギャンの内なる「野性」とブルターニュの濃密な風土が共振して生まれたものでした。

2章 熱帯の楽園、その神話と現実

ゴーギャンが自身の芸術の未来を賭けてタヒチに旅立つのは1891年のこと。タヒチの原始と野性が、造形的な探求にさらなる活力を吹き込むことを期待しての決断でした。しかし、18世紀にイギリス人によって発見され、1880年にフランスの植民地となったこの南太平洋の島は、すでに無垢な楽園ではありませんでした。ゴーギャンは、西欧文明の流入によって失われつつあるマオリの伝統に思いを馳せながら、そこに自らの野蛮人としての感性を重ね合わせて、原初の人類に備わる生命力や性の神秘、あるいは地上に生きるものの苦悩を、タヒチ人女性の黄金色に輝く肉体を借りて描き出しました。その豊かなイメージには、タヒチの風土と、エヴァやマリアといったキリスト教的なモチーフ、そして古今東西の図像が混ざりあっています。

3章 南海の涯はて、遺言としての絵画

1893年にパリに戻ったゴーギャンを待っていたのは、タヒチ時代の作品に対する無理解でした。パリの美術界に幻滅した画家は、1895年、二度とヨーロッパに戻らない覚悟で再びタヒチを目指します。しかし、健康状態の悪化と財政の逼迫により制作もままならない日々が続きます。ゴーギャンをさらに深い悲しみに突き落としたのが、最愛の娘の死の知らせでした。自らの運命を呪いながら、ゴーギャンは遺言としての大作《我々はどこから来たのか》の制作に着手します。絶望の淵での創作とはいえ、そこには人間存在への哲学的な思想が静かに語られていました。未開の地を求め続けた画家は、1901年にマルキーズ諸島に移住して、最後の日々を送ります。晩年の作品に頻繁に登場する馬は、彼岸に向けての旅立ちを暗示しているのかもしれません。

作家紹介

年譜
ポール・ゴーギャン 1848-1903

1848年 パリに生まれる。父はオルレアン出身のジャーナリスト、母はペルーの貴族の血統を引く女性解放運動家フローラ・トリスタンの娘だった。幼少期をペルーで過ごす。1855年頃帰国。
1865年 海員として商船に乗り組む。
1872年 パリで株式仲買商となり経済的に成功、デンマーク女性メット・ガットと結婚。ピサロら印象派の画家たちと交流し、作品収集と制作を始める。
1879年 第4回印象派展に出品。その後1886年の最後の印象派展まで毎回出品。
1883年 職を辞して画家を志す。
1886年 ブルターニュ地方のポン=タヴェンに滞在。
1887年 パナマおよびマルティニーク島に旅行。
1888年 アルルでファン・ゴッホと短期間の共同生活。ゴッホの耳切り事件の後、パリへ帰る。
1891-1893年 最初のタヒチ滞在。
1893年 帰国、パリのデュラン=リュエル画廊でタヒチで制作した作品による個展。
1893-1894年 『ノアノア』のための木版画を制作する。
1894年 ブルターニュに滞在。
1895-1901年 2度目のタヒチ滞在。
1897-1898年 《我々はどこから来たのか》を描く。
1898年 パリのヴォラール画廊で《我々はどこから来たのか》を中心とする個展開催。
1901年 マルキーズ諸島のラ・ドミニック島(現ヒヴァ=オア島)に移り住む。
1903年 心臓発作により死去。

イベント情報

こどもセルフガイド 「ゴーギャンの冒険」

「ゴーギャン展」会期中に来場した小中学生に、作品を見るためのヒントやクイズ、画家に関するエピソードなどを紹介した書き込み式のセルフガイドをプレゼントします。

教職員鑑賞プログラム
「ゴーギャン展」先生のための鑑賞講座(講演+展覧会観覧)

*学校教職員が対象のプログラムです
要事前申込

日程

2009年7月3日(金) *終了しました

時間

(講演)18:00-19:00/(展覧会観覧)16:00-20:00

ゴーギャン展 高校生無料観覧日

日程

7月24日(金)~7月26日(日) *終了しました

観覧方法

「ゴーギャン展」会場入口改札で学生証を提示のうえ、ご入場ください。
7月24日、25日、26日の3日間に限り、「ゴーギャン展」の高校生観覧料を無料といたします。また、当日は本館所蔵作品展「近代日本の美術」、工芸館所蔵作品展「こども工芸館~¿! コレクション おとな工芸館~涼しさ招く」もあわせてご覧いただけます。この機会にお誘い合わせの上、ぜひご来場ください。

レストラン「クイーン・アリス アクア」

「ゴーギャン展」開催記念 特別メニュー

カタログ情報

開催概要

会場

東京国立近代美術館 企画展ギャラリー

会期

2009年7月3日(金)~9月23日(水)

開館時間

10:00-17:00(金・土曜日は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで
*「ゴーギャン展」会期中は金曜日に加え、土曜日も20:00まで開館

休室日

月曜日[7月20日(月・祝)、8月17日(月)、8月24日(月)、9月21日(月・祝)は開館]、7月21日(火)

観覧料

一 般 1500(1100)円
大学生 1000( 700)円
高校生 600( 300)円

*いずれも消費税込。
*( )内は、20名以上の団体料金。
*中学生以下・障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
*入館当日に限り、「寝るひと・立つひと・もたれるひと」と所蔵作品展「近代日本の美術」もご観覧いただけます。

主催

東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション

後援

外務省、文化庁

協賛

損保ジャパン、大日本印刷、トヨタ自動車、三菱商事

特別協力

ボストン美術館、名古屋ボストン美術館

協力

日本航空

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