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いまから21年前、まだ学生であった筆者は、杉本博司の写真作品を集めた森美術館での回顧展「時間の終わり」を見た。筆者はその少し前に、ピート・モンドリアンの蝋人形を写した〈肖像〉を目にしており、すでにこの世にいない画家の「本物のポートレート」かと見紛う杉本の写真表現に傾倒していた。そんな当時、杉本博司という作家を知るために購入できた日本語の書籍は限られていた。森美術館の回顧展の図録、その2年前に東京のメゾンエルメスで開催された個展の図録、そして、単著『苔のむすまで』(2005年)であった。
今回の展覧会は、日本で開催される大規模なものとしては、この2005年の「時間の終わり」以来、初めて写真作品ばかりを集めたものだという。よく知られているとおり、杉本の個展にはふたつの形式がある。ひとつは、前述した2003年のメゾンエルメスでの個展「歴史の歴史」から始まる、骨董、遺物、模型、雑誌といった杉本の蒐集品と写真作品とを組み合わせて展示するもの。もうひとつは、写真作品の展覧会である。
今回、美術館のエントランスには、杉本こだわりのテーブルに商品を並べた特設ショップがある。そこには、単著、図録、雑誌の特集号などが所狭しとあり、その充実ぶりは21年前とは比較にもならない。また、近年の日本の図録のほとんどが、写真作品と蒐集品の組み合わせからなるものであることに気づかされ、森美術館での回顧展後の約20年間、杉本がいかに写真と物を通して自分の歴史を組み立て、それを編纂することに執心していたのかと思わされた。

さて、「絶滅写真」と名づけられた展覧会と、2005年の「時間の終わり」展とを比べたとき、話題に挙げざるを得ないのは狂歌の存在だろう。今回の展覧会、ギャラリーに足を踏み入れる前には一切、狂歌のことは示唆されていない。鑑賞者はみな、杉本の写真作品を見にやって来るのだが、ギャラリーに入って早々、写真作品と同等の力強さで迫ってくる杉本の文章と狂歌に「おや?」と思うことから始まるだろう。事実、筆者が知人から聞いた前評判は、写真よりも狂歌を話題にするものばかりだった。
時間の終わり、写真の終焉、人類の黄昏。現代美術作家である杉本は、写真というメディアの問い直しが進んでいた1970年代、写真を現代美術にするために活動を開始した。そのために選ばれた手段は、概念操作と、高品質なプリント、額装、空間設計など技巧の追求であると言うことができる。杉本の概念操作については、自伝や研究者らの分析により、多くの論点が挙げられるが、その始まりはどんなものだったのか改めて気になった。
1977年、杉本は現代美術の画廊として当時最も著名であった南画廊で初個展を開催した。そのときの出品作は〈ジオラマ〉6点、〈劇場〉7点、そして〈HERE THERE AND EVERYWHERE〉という、現在では見る機会のない作品6点であった。図録を見返すと、そこで考えられていたのは、写真は空(くう)である、ということのようだ。
自分を見つめる客観の目がとぎすまされていくにつれて、主、客、の渾然とした世界が深く口を開き始める。そして世界を支配していた因果律の王国も、崩壊を始める。
そこではダイナミックな運動を売りものにした弁証法も、整然とした規則性をかかげた論理も、武装解除されてしまう。
自分のまわりに網の目のようにはりめぐらされていた意味の世界の一角が、ほころび始めてしまったのだ。
言葉が意味の重荷を少しづつ確実にへらし始めている。*
空(くう)とは、すべての事物はみな因縁によってできた仮の姿で、永久不変の実態や自我などはないということ。また、何も存在しないうつろを指す。写真を一度からっぽの存在に見立て、「言葉の意味の重荷」を減らす媒体とする。こうして仮想や妄想を投影する場を作ることが、どうやら杉本が写真で最初に行いたかったことらしい。

それから50年という歳月が流れようとしている現在、杉本は狂歌を展覧会の空間に置いた。狂歌は、日常卑近なことを題材とし、俗語を用いて洒落や風刺をきかせたこっけいな短歌に分類される。言葉の意味の重荷を減らすことから写真を始めた杉本が、写真のお葬式を執り行うにあたり、杉本版滅びの歌を詠む。写真作品を発表し続けた1977年から2005年までの約30年間から、多彩な活動を展開した2005年から現在までの約20年間を経て、いわゆる晩年に差し掛かり、写真のみならず人類の未来を憂えて歌わずにはいられない作家の心境はどのようなものかと、思いを馳せた。
* 『HIROSHI SUGIMOTO』(図録)、南画廊、1977年より
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