展覧会

会期終了 企画展

日本のアール・ヌーヴォー1900-1923:工芸とデザインの新時代

会期

会場

東京国立近代美術館工芸館

概要

今からおよそ百年前、1900年にパリで開催された万国博覧会では、アール・ヌーヴォーがその絶頂期をむかえていました。

「新しい芸術」を意味するアール・ヌーヴォーは、過去の装飾様式から脱却して自然の形態へと立ち返り、植物や女性をモチーフとして、想像力のおもむくままに展開させた流麗で装飾性豊かな表現に大きな特色があります。パリ万博を機に渡欧した日本の美術家たちは、フランスでのアール・ヌーヴォーの大流行を目のあたりにして強い衝撃を受け、やがて日本においてもその影響が見られるようになります。

アール・ヌーヴォーの伝播をきっかけとして、日本の工芸家たちの間では、技巧を重視した「職人主義」的なものから脱却し、創作性豊かな工芸品を制作しようとする機運が高まるとともに、西洋の単なる模倣ではない日本独自の表現を模索する動きが見られるようになります。アール・ヌーヴォーの源泉にはジャポニスム、すなわち日本美術からの影響があったのですが、それがいわば逆流現象を起こして日本の美術家たちに作用し、例えば琳派が日本的なデザインの系譜として再発見されるというように、日本におけるアール・ヌーヴォーはさまざまな様相を示していきます。

また、パリ万博を機に渡仏した洋画家の浅井忠が、帰国後、京都に移住して陶磁器や漆器などの制作にも積極的な取り組みを見せたように、美術家たちがジャンルの枠組みを越えて、工芸やデザインなど、生活の身近なものの制作にも高い関心を向けるようになるのもアール・ヌーヴォーの重要な側面といえます。

このようにアール・ヌーヴォーは日本の美術家たちにさまざまな刺激を与え、日本の近代の工芸デザインの原点ともいえる活動が繰り広げられることになるのです。

この展覧会では、パリ万博が開催された1900年(明治33)から、関東大震災が起こった1923年(大正12)の時代に活躍した画家、図案家、工芸家、建築家たち――浅井忠、藤島武二、板谷波山、杉浦非水、橋口五葉、武田五一、藤井達吉ら――の作品により、アール・ヌーヴォーが日本におよぼした影響と、その後の広がりを紹介します。

「葆光彩磁チューリップ文花瓶」
1917年/板谷波山
石川県立美術館蔵
「鶏梅蒔絵文庫」
1906年/浅井忠(図案)・杉林古香(制作)
京都国立近代美術館蔵

展覧会構成

第Ⅰ章 日本人が見たヨーロッパの世紀末

1900年に開催されたパリ万国博覧会を機に、多くの日本人の美術家たちがパリを訪れました。その頃フランスではアール・ヌーヴォーが絶頂期をむかえていました。アール・ヌーヴォーとは「新しい芸術」を意味するフランス語ですが、歴史的な過去の装飾様式から決別して、植物や女性をモチーフとした流麗で装飾性豊かな表現に大きな特色があります。アール・ヌーヴォーの大流行を目の当たりにした日本人の美術家たちは大きな衝撃を受け、彼らが持ち帰ったポスターや印刷物などを通じて、その影響は日本にも広がりを見せることになりました(図1)。

1.「絵はがき 少女」
1901年/和田英作
千葉県立美術館蔵

第Ⅱ章 日本のアール・ヌーヴォー

1.「女」

「女性」は世紀末の重要なモチーフです。世紀末のヨーロッパの絵画やポスターに見られる「宿命の女(ファム・ファタール)」のイメージは、形を変えて日本にも伝播し、日本の絵画、版画、ポスターなどに見られるようになります(図2)。

2.「髪梳ける女」
1920年/橋口五葉
横浜美術館蔵

2.ブックデザイン

美術家は本の装丁や雑誌の表紙なども手がけました。藤島武二が手がけた与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の表紙(図3)は、まさしくアール・ヌーヴォーの日本への影響を物語る代表的なものといえます。また、橋口五葉や津田青楓らによる夏目漱石の本の装丁にもアール・ヌーヴォーの影響が見られます。

3.「与謝野晶子『みだれ髪』(東京新詩社)」
1901年/藤島武二
(財)日本近代文学館蔵

3.図案の革新

「女性」は世紀末の重要なモチーフです。世紀末のヨーロッパの絵画やポスターに見られる「宿命の女(ファム・ファタール)」のイメージは、形を変えて日本にも伝播し、日本の絵画、版画、ポスターなどに見られるようになります(図2)。

4.「色入菖蒲図花瓶」*
1897-1912年/宮川香山
個人蔵

4.画家と工芸家

パリ万博を機に渡仏し、アール・ヌーヴォーの大流行を目の当たりにした洋画家・浅井忠は、工芸や図案にも高い関心を向けるようになりました(図5)。2年半のヨーロッパ留学を終えて帰国した後、浅井は、新たに開校した京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)において図案の授業を担当しました。やがて画家と工芸家との共同の研究団体「遊陶園」と「京漆園」を結成しました。

5.「魚図」*
1900-1907年/浅井忠
千葉県立美術館蔵

5.室内

日本におけるアール・ヌーヴォーの影響は、建築や家具にも見られます。なかでも代表的なものは、現在も北九州市に残こる《旧松本邸》(現、西日本工業倶楽部/設計=辰野金吾・片岡安)です。また、京都で活動した建築家・武田五一も、アール・ヌーヴォー様式の個人住宅を手がけました(図6)。

6.「花置台(荒川又右衛門邸)」*
1912年/武田五一
博物館明治村蔵

6.琳派

ヨーロッパでのアール・ヌーヴォーの大流行を目の当たりにした日本人の美術家たちは、そこに日本美術からの影響を感じ取っていました。アール・ヌーヴォーの源泉には琳派をはじめとした日本美術からの影響があったのですが、それがいわば逆流現象を起こして日本の美術家たちに作用し、西洋の模倣ではない、日本独自の表現を摸索する動きがみられるようになるのです(図7)。

7.「八つ橋(『百々世草』(一)より)」*
1909年/神坂雪佳
個人蔵

7.写生

浅井忠や杉浦非水は、写生を重要視し、正確な自然観察にもとづく図案の制作を提唱していました。過去の模様や西洋の模様を模倣するのではなく、自然の草花を観察して写生を行い、独自の装飾模様を作り出そうとする美術家があらわれます(図8)。

8.「山葡萄(『非水百花譜』より)」*
1922年/杉浦非水
東京国立近代美術館蔵

第Ⅲ章 Life 生活/生命――日本のアール・ヌーヴォーのその後

日本におけるアール・ヌーヴォーの影響とは、単に装飾様式としてのものだけではありませんでした。大正初期には、工芸に高い関心をいだき、生活と美術が一体となった理想郷の実現を目指そうとするかのような活動を繰り広げる美術家たちがあらわれます(図9)。

9.「静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)」*
1917年/岸田劉生
大阪市立近代美術館(仮称)建設準備室蔵

イベント情報

ギャラリートーク

10月9日(日)

「日本のアール・ヌーヴォーの家具」小泉和子(京都女子大学教授)

11月6日(日)

「浅井忠と工芸」前川公秀(千葉県立美術館学芸課長)

9月25日(日)、10月30日(日)、11月20日(日)

担当学芸員によるトーク

* いずれも、午後2時から、工芸館会場にて。
* 聴講無料、ただし入館に際しては観覧料が必要です。

開催概要

会期

2005年(平成17)9月17日(土)~11月27日(日)
<月曜日休館>
(ただし9月19日開館、翌20日休館/10月10日開館、翌11日休館)
午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
*会期中、一部展示替えを行います。

会場

東京国立近代美術館工芸館(〒102-0091東京都千代田区北の丸公園1-1)
東京メトロ東西線「竹橋駅」下車徒歩8分(1b出口)
東京メトロ東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下駅」下車徒歩12分(出口2)

主催

東京国立近代美術館

開館時間

午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

観覧料

一般500円(350円)、
大学生300円(150円)、
高校生150円(50円)
*小・中学生は無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*11月3日文化の日は無料観覧日です。

お問い合わせ

電話03-5777-8600(ハローダイヤル)

Page Top