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現代の眼 オンライン版 展覧会レビュー 青磁鳳雲文花瓶にみる諏訪蘇山の革新性と古典研究 

佐藤一信 (愛知県陶磁美術館 館長)

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国立工芸館の展示の先頭に、《青磁鳳雲文花瓶(一対)》[図1]が並んでいる。高さ46.5cmのこの花瓶は、蘇山の青磁作品の中でも最大級の大きさで、その胴部には、雲間に舞う、つがいの鳳凰が向かい合って浮彫で表されている。その優美かつダイナミックな浮彫は、手で彫り込んだものではなく、明治期に西洋より導入された石膏型を用いた押型成形によるものであった。押型成形とは、轆轤成形、もしくは板状に成形した柔らかい粘土素地に型を押し当て、成形や施文を行う方法である。石膏型は、従来の粘土を素焼きした型に比べ、水分を吸収する性質から、粘土素地の水分調整が可能で、それにより施文と成形の精度を上げることに優れた。と、こうしてもっともらしく解説を書いているが、13年前、この作品をケース越しに見た時、筆者は恥ずかしながら、型作りであることに気づけなかった。また、作品拝借の点検時に初めて花瓶の内側を覗いて型作りであることを知った時、驚きと共に、何故、型なのか、という困惑も覚えた。 

図1 諏訪蘇山(初代)《青磁鳳雲文花瓶》1919年
皇居三の丸尚蔵館蔵 

その重大な見落としと困惑は、諏訪家に残っていた石膏型に実際触れることで解消された。

《青磁鳳雲文花瓶》を拝借して展覧会(「明治の人間国宝—帝室技芸員の技と美—清風與平・宮川香山から板谷波山まで」、2010年10月2日–11月28日、愛知県陶磁美術館)を行った後、筆者は四代蘇山氏に頼み込んで石膏型調査に着手した。その調査で特に目を見張ったのは、少年が幼子をおんぶした唐子立像の石膏型で、全部で44ピースあった。しかも、顔部分は内型と外型の二重構造になっていて、これにより耳などの繊細な細部も妥協なく作り込め、また歪めずに離型することを可能にしていた。百年以上前のもので、これほどの緻密な石膏型は初めて目にするものであった。蘇山は石膏型を導入することで精緻な造形表現と高い再現性を確立させ、その技を陶像や置物だけでなく、器物制作にも積極的に用いていたのである。《青磁鳳雲文花瓶》の型も胴部のみであるがこの時「発見」し、それを含めこれまでに95件を確認した。蘇山は石膏型の技に自負を持ち、《青磁鳳雲文花瓶》は無論、確信的に型で制作したのである。蘇山が石膏型成形技術をいかに習得し、どのように改良を重ねたのか、その過程は未だ不明な点も多いが、完成した実作品と残された石膏型によって、その革新性は明らかになった。 

ふと、想像してみる。誰かが蘇山に向かって、何故、皇室への大事な献納品に型など使ったのか、と尋ねると、「なんだ、知らんのか、砧青磁も型で作ったのだ」と蘇山が答えるだろう、と。そう、蘇山には目標とした青磁があった。中国の宋・元時代に龍泉窯で作られ、端麗な青色が特徴で、日本では「砧青磁」と呼ばれ、賞玩された青磁である。著名なものには、《(国宝)青磁鳳凰耳花生 銘「万声」和泉市久保惣記念美術館所蔵》があるが、その鳳凰形の耳は型によって作られている。諏訪家には蘇山が「万声」の実寸法を書き記した図も残されていた。他にも『青磁逸品写生』と名付けられ、伯爵伊達宗基所蔵《青磁砧花瓶》、益田孝所蔵《青磁砧花瓶》、原六郎所蔵《青磁砧下蕪花瓶(現・国宝《青磁下蕪花生》アルカンシェール美術財団所蔵)》などを日本画家永井如雲が底部まで丁寧に着彩写生した画帳を贈られ大切に収蔵していた。蘇山は最新技術を駆使するだけでなく、古陶磁の実作品に学び、青磁を創り上げたのである。

図2 《青磁鳳雲文花瓶》の石膏の展示風景|撮影:池田紀幸 
左端が今回新たに3Dプリンターで出力された石膏型 

なお、《青磁鳳雲文花瓶》が並ぶ展示室と別室に、オリジナルの石膏型と、四代蘇山氏監修のもと、京都工芸繊維大学KYOTO Design Labがオリジナルを3Dスキャンし3Dプリンターで出力した石膏型が並べられていた[図2]。蘇山の制作の謎を知ってほしいという関係者の熱意が伝わる試みだった。

(『現代の眼』638号)

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