展覧会

会期終了 企画展

フランシス・ベーコン展 

会期

会場

東京国立近代美術館本館 企画展ギャラリー

概要

アイルランドのダブリンに生まれたフランシス・ベーコン(1909-1992)は、ロンドンを拠点にして世界的に活躍した画家です。その人生が20世紀とほぼ重なるベーコンは、ピカソと並んで、20世紀を代表する画家と評されており、生誕100年となる2008年から2009年には、テート・ブリテン(英国)、プラド美術館(スペイン)、メトロポリタン美術館(アメリカ)という世界でも主要な美術館を回顧展が巡回しました。

主要作品の多くが美術館に収蔵されており、個人蔵の作品はオークションで非常に高値をつけているため、ベーコンは、展覧会を開催するのが最も難しいアーティストのひとりだと言われています。そうしたこともあってか、日本では、生前の1983年に東京国立近代美術館をはじめとする3館で回顧展が開催されて以来、30年間にわたり個展が開催されてきませんでした。

今回、没後20年となる時期に開催する本展は、ベーコンの「世界」を、代表作、大作を多く含むベーコン作品33点により紹介するものです。そのうち、ベーコンを象徴する作品のフォーマットである三幅対(トリプティック)も、大きなサイズが4点、小さなサイズが2点と多数含まれているので、実際にはもっと多く感じられることでしょう。

企画内容は完全に日本オリジナルで、単なる回顧展ではなく、ベーコンにとって最も重要だった「身体」に着目し、その表現方法の変遷を3章構成でたどろうとするテーマ展でもあります。また、ベーコンが「同時代」のアーティストに与えた影響を確認しようとするパートも、エピローグとして用意しています。

このように、日本はもとよりアジアでも没後初となるこのベーコン展は、さまざまな意味で画期的だと言えるでしょう。その趣旨に賛同する形で、日本に所蔵が確認されている5点はもちろん、テート、ニューヨーク近代美術館、ハーシュホン美術館(ワシントン)、ヴィクトリア国立美術館(オーストラリア)、ヤゲオ・ファウンデーション(台湾)など世界各地の重要なコレクションから作品が日本にやってきます。

ここが見どころ

  • 没後の大規模な個展としては日本初。アジアでも初。
  • 回顧展であると同時に、ベーコンにとって重要な「身体」に焦点をあてたテーマ展でもあります。
  • 英国、ドイツ、アメリカ、台湾、オーストラリア、ベルギーなど世界各地から作品が集まります。
  • 「 スフィンクス」をモチーフとする作品が4点集まるのは世界初。
  • ニューヨーク近代美術館所蔵の、最後の三幅対(トリプティック)を展示。
  • ベーコンにインスパイアされたヨーロッパと日本のダンサーの映像も紹介。

展覧会構成

Ⅰ 移りゆく身体 1940s-1950s

ベーコンは、自らのデビューを、第二次世界大戦が終わる直前の1944年頃に定めています。アイルランドで独立を目指す戦争を見、英国でふたつの世界大戦を体験したベーコンにとって、人間の存在や権威は、とてもはかないもの、移りゆくものと見えていたようです。
そこで、「導入部」である第1章では、40年代後半の「叫び」を主題とした作品から出発します。そして亡霊のような身体を経て、ファン・ゴッホを導き手としながら色彩や物質感を回復するまでの時期の作品、つまり50年代後半までの作品に焦点をあてたいと思います。
神の代理ともされる教皇が弱々しい人間のように叫ぶ姿を描いた作品や、人間と動物、男と女、あるいは神と人間の中間的存在とされるスフィンクスを描いた作品などを通して、ベーコン作品のエッセンスをつかんでいただきます。

Ⅱ 捧げられた身体 1960s

ベーコン作品は、1960年前後に転換期を迎えます。ソファやベッドなど、きわめて日常生活的なセッティングの中に、身体が描かれるようになるのです。
そこで、「展開部」となる第2章では、1960年代の作品に焦点をあてたいと思います。50年代までの身体が移りゆくものであったのに対して、60年代の身体は、存在感を回復しています。しかしそのポーズはちょっとおかしく、まるで観る者に対して投げ出されるかのようにして、ソファやベッドの上に座ったり横たわったりしているのです。そのあり方は、舞台的とも犠牲的とも言えるでしょう。ここでは、マイブリッジの連続写真が示した人間の「本当」の動きに基づく作品や、ベーコン自ら写真家に依頼した友人の写真に基づく作品などをご紹介します。

Ⅲ 物語らない身体 1970s – 1992

1970年代以降、ベーコンの作品は複雑化します。ひとつの画面の中に複数の人物が描きこまれたり、ひとりの人物であっても、鏡や扉などの装置が描きこまれたりするのです。
そこで、「結論部」である第3章では、1970年代以降、ベーコンが没するまでの作品に焦点をあてたいと思います。この時期の作品における身体は、複雑化した状況に置かれながらも、明確な意味を観る者に伝えてくることはありません。矛盾があったり、因果関係や前後関係がはっきりしなかったりで、むしろ、明確に物語ることからその身を少しずつ逃れさせようとしているようにも見えるのです。
彫刻への関心がうかがえるピンクの三幅対(1970)や、最後の三幅対(1991)など、三幅対を中心に構成されたこの章で、本展はクライマックスを迎えます。

Ⅳ エピローグ:ベーコンに基づく身体

これまで見てきたように、ベーコンの描く身体は、つねに空間や時間(物語)との間の緊張関係にありました。とすれば当然、その作品は、ダンサーたちにとって魅力的であり続けてきました。
ここでは、ドイツのアーティストのペーター・ヴェルツが、同じくドイツを代表する振付家であるウィリアム・フォーサイスとともにつくった作品をご紹介します。アトリエに残されていたベーコンの絶筆をベースにして、フォーサイス自ら振付けて踊った映像をもとに、ヴェルツが制作した映像インスタレーションです。ルーヴル美術館で展示されたこともある本作が日本で紹介されるのは初めてのことになります。
あわせて、ベーコンとほぼ同時代に、そのエッセンスを鋭く捉えて吸収していた日本のダンス、土方巽の「舞踏(Butoh)」も映像でご紹介する予定です。

展示予定作品

人物像習作 II

生前のベーコンが事実上のデビュー作と認めていたのは、1944
年頃の三幅対(テート蔵、不出品)です。それと同じように、本作にも、鮮やかなオレンジ色を背景にして、動物とも人間ともつかない、ピカソ的な「生き物」が描かれています。不穏な雰囲気を強調する傘が、右下の草の形と呼応しているのも見逃せません。ベーコンは40年代の作品のほとんどを破棄しており、現存している数は20点に満たないとされています。

叫ぶ教皇の頭部のための習作

ベーコンは、ベラスケスの《インノケンティウス10 世の肖像》に基づく作品を、1950 年に描き始めました。その多くは全身を描いていますが、本作でベーコンは、頭部と「叫び」に焦点をあてています。玉座の一部のように見える鮮やかな黄色の線に比べて、身体はまるで亡霊のようです。鼻にかかる割れた眼鏡というモチーフからは、エイゼンシュテインの映画《戦艦ポチョムキン》の有名なワンシーン、オデッサの階段で叫ぶ乳母を参照していることがわかります。

肖像のための習作 IV

8点から成るシリーズ「肖像のための習作」のひとつ。最初は、友人である美術批評家のデイヴィッド・シルヴェスターをモデルに描き始めた作品でしたが、人物はそのうち教皇へと変わりました。頭の後ろの黄色い四角い枠は玉座の一部のようですが、額縁にも見えます。シリーズの中で唯一描きこまれている下半身も、実体感はほとんどありません。自らの手で顔を掻き消そうとしているかのようなポーズによって、静謐な空間に緊張感が生まれています。

ファン・ゴッホの肖像のための習作 V

1950年代前半、暗い背景に亡霊のような身体を描き続けていたベーコンは、1956年の春から翌年にかけて、ファン・ゴッホの《タラスコンへと向かう途上の画家》(第二次世界大戦で消失)を参照したシリーズを描き、色彩や絵具の存在感を回復させます。ベーコンにとって、「本当の画家は、自分自身が物事に対して感じているところのものを描くのだ」というファン・ゴッホの言葉は、目指すべき芸術を考える上できわめて重要でした。

スフィンクスの習作

1950年か51年のこと、ベーコンはカイロを訪れました。彼は、エジプトの美術は、「人間がこれまで到達しえた眼に見える表現のうち、もっともすぐれた形」をしていると言っています。ここでは、おそらくは六角形に象られた結界の中にスフィンクスが坐しています。体は透けていますが、鮮烈な赤の色に囲まれていることもあって、逆に不思議なエネルギー感が感じられてきます。本展には本作を含めて4点の「スフィンクス」が展示されます。

ジョージ・ダイアの三習作

この作品に見られるような、同じ顔を、構図を変えて複数の画面に描く手法は、証明写真のフォーマットに着想源があるようです。ここに描かれているのはベーコンの恋人だった人物。ふたりは1963年の秋に出会い、やがて付き合うようになります。しかし諍いは絶えず、1971年、ダイアは、パリでベーコンの大回顧展がオープンするその日にホテルで自殺します。粗野で無教養と評されるダイアですが、ここでは、ピンクを背景にエレガントに描かれています。

裸体

自身が同性愛者だったからかどうかはわかりませんが、ベーコンが描く人物のほとんどは男性でした。1965 年頃に集中して知人の女性を描きますが、本作は、1960 年にしては珍しく女性で、しかも裸体です。見ると、ソファからはみ出た足が他の部分に比べるとあっさりと描かれている一方で、頭部では、歯列のみがくっきりと描かれています。見る対象として絵の中で「形」と化していくことへの反抗の叫びが聞こえてくるかのようです。

三幅対

ベーコンによる最後の三幅対です。黒の矩形は、80 歳を超えていたベーコンが死期を感じていたことを思わせます。右のパネルの顔はベーコン自身、左は、写真から取られた、ブラジルのレーシングドライバー、セナとされています。三幅対はキリスト教絵画でしばしば用いられるフォーマットで、とりわけ中央のパネルは重要です。しかしこの作品でそこに描かれているのは、誰のものでもない(ゆえに誰のものでもありえる)「肉」の塊です。

作家紹介

フランシス・ベーコン Francis Bacon (1909 – 1992)

1909年
10月28日、ダブリンに、五人兄弟の第二子として生まれる。家系は、エリザベス朝の著名な哲学者フランシス・ベーコン(1561-1626)の傍系にあたるともされるが定かではない。少なくとも画家フランシス・ベーコン本人は「疑わしい」と言っている。両親はイギリス人。父親は元陸軍士官で、競走馬の調教師として働いていた。母親はシェフィールドの裕福な家の出身で、食卓食器の製造業や炭鉱や鉄鋼業の利権を相続しており、その持参金と遺産相続分がベーコン家の家計を支えた。なおフランシスの兄と弟は若いうちに亡くなってしまっている。

1914-26年
第一次世界大戦が勃発すると、父親が英国陸軍省で仕事を得たために、一家でロンドンに移住するが、その後もダブリンと英国の間で度々引越すことになる。あわせて、ベーコン自身が喘息を患っていたこともあり、彼は学校にはほんの時折しか行かなかった。当時のアイルランドは、独立へと向かうシン・フェイン運動の真っ最中であり、その「暴力」性を、ベーコンは、多感な時期に見知ったことになる。

1926年
この頃、母親の洋服を着ていたのを、父親に見咎められる。

1927-28年
ベルリンとパリに友人と旅行。パリで見たピカソの展覧会に影響を受けて、水彩や素描を描き始める。またパリ近郊のシャンティイにあるコンデ美術館で、プッサンの《嬰児虐殺》に描かれた「叫び」を見て、感銘を受ける。

1929-30年
ロンドンにもどり、自らのアトリエをかまえ、インテリア・デザイナーとして働く。テキスタイルや家具をデザイン。そのスタイルには、ル・コルビュジエやアイリーン・グレイの影響が強く見受けられ、雑誌『ザ・ストゥディオ』1930年8月号には見開きで作品が紹介された。またこの頃、オーストラリア人の画家、ロイ・ド・メストルに油彩を学び、キュビスムやシュルレアリスム風の作品を描き始めるが、実際には、従僕など様々な仕事でくいぶちをしのいでいた。

1933年
「磔刑図」を数点制作。そのうちのひとつは、ハーバート・リードの『アート・ナウ』にピカソの絵と並んで紹介されたこともあり、有力コレクターによって購入される。

1934年
最初の個展を、パトロンが持つ建物の地下室で開催。そこを「トランジション・ギャラリー」と名付けるものの、展覧会は成功せず、ギャラリーは続かなかった。

1939年
第二次世界大戦勃発。ベーコンは喘息のため兵役不適格となり、民間空襲警備員として働くが、それも短期間だった。

1940年
6月、父親が没する。

1943年
サウス・ケンジントンにあった、ジョン・エヴァレット・ミレーが使っていたアトリエを借り、ベーコン家の乳母だったジェシー・ライトフットと住む。この頃、旧作のほとんどを破棄してしまう。

1945年
終戦直前の4月、ロンドンのルフェーヴル・ギャラリーで開かれたグループ展で、三幅対(トリプティック)のフォーマットをとる《ある磔刑の基部にいる人物像のための三習作》(c.1944)を発表する。

1946年
《絵画》(1946)がエリカ・ブラウセンに売れる。そのお金によってベーコンは、南仏とモナコで、絵を描かずに、カジノ三昧することができた。最も好んで賭けたのは、ルーレット。

1948年
《絵画》がニューヨーク近代美術館に購入される。

1950年
ベラスケスの《インノケンティウス10世の肖像 》に基づく作品をつくり始める。数週間、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教鞭を執る。この頃、モデルのイザベル・ロースソーン、批評家のデヴィッド・シルヴェスターなどと出会う。

1951年
乳母のライトフットが死去。アトリエを売却、その後しばらくアトリエを頻繁に変える。

1953年
国外で最初となる個展が、ニューヨークのダーラカー・ブラザーズ・ギャラリーで開かれ、約30点が展示される。

1954年
ヴェネツィア・ビエンナーレで英国代表のひとりに選ばれる。

1955年
最初の回顧展がロンドンの現代美術研究所(ICA)で開催される。出品点数13点。

1956年
ファン・ゴッホのシリーズを制作。モロッコに旅行。その後数年の間に、同地をしばしば訪れる。またこの頃、ロンドンで自画像を描き始める。

1960年
ロンドンのマールボロ・ファイン・アートでの初個展が開催され、大成功を収める。

1961年
サウス・ケンジントンのリース・ミューズ 7番地にあるアトリエに移る。1992年に没するまでこのアトリエで制作する。

1962-63年
テート・ギャラリーなどで91点からなる大回顧展が開催される。

1963年
ジョージ・ダイアとの関係が始まる。不法侵入で前科歴のあるダイアは、ベーコンの恋人であると同時に、重要なモデルとなった。

1963-64年
アメリカでの最初となる回顧展が、グッゲンハイム美術館などで開催される。

1964年
カタログ・レゾネ(作品総目録)が刊行される。

1968年
病気だった母を見舞いに、南アフリカを訪れる。またニューヨークのマールボロ=ガーソン・ギャラリーでの個展のために、はじめてアメリカを訪れる。

1971年
母親が南アフリカで逝去。パリのグラン・パレで108点からなる大回顧展が開催される。そのオープニングの直前、ジョージ・ダイアがホテルで自殺。

1975年
メトロポリタン美術館で近作展が開催される。これは、同館としては極めて稀な、現存作家の展覧会。

1976年
ジョン・エドワーズと親しくなる。

1983年
東京、京都、名古屋で回顧展が開催される。

1985年
ロンドンのテート・ギャラリーで二度目となる回顧展が開催される。

1988年
冷戦下のモスクワで個展が開催される。

1992年
4月、恋人に会うためにスペインのマドリッドに赴くものの、喘息に伴う肺炎のために入院し、4月28日、心臓発作のため客死。享年82 歳。遺産相続人には、長年の友人だったジョン・エドワーズが指名された。

1996-97年
ジョルジュ・ポンピドゥー国立美術文化センター(ポンピドゥー・センター)と芸術の家(ミュンヘン)で大回顧展が開催される。

2008-09年
テート・ブリテン、プラド美術館、メトロポリタン美術館で大回顧展が開催される。

イベント情報

アイルランド大使館協力「アイリッシュハープ・フルート演奏会~午後の調べ」

出演:菊地恵子(日本ハープ協会 ノンペダル・ヒストリカル部門委員長)、豊田耕三(アイリッシュユニットO’Jizo、Toyota Ceili Band、(e)Shuzo Band主宰)

日程: 2013年5月11日(土)
時間: 14:00-15:30
場所: 東京国立近代美術館 講堂(地下1階)

* 開場は開演30分前
* 申込不要、参加無料、先着140名。当日10時から1階受付で整理券を配布いたします。

フランシス・ベーコンがアイルランド・ダブリンの生まれであることに因み、アイリッシュハープとアイリッシュフルートの演奏会を開催いたします。20世紀を代表する画家、フランシス・ベーコンの故郷の音色をこの機会にお楽しみください。

特別講演会

ペーター・ヴェルツ(本展出品映像アーティスト)

日程: 2013年3月8日(金)
時間: 18:00-19:30

「無秩序の中に秩序を見い出す―フランシス・ベーコンのスタジオ」
マルガリータ・カポック(ダブリン市立ヒュー・レーン近代美術館 コレクション統括)

日程: 2013年4月6日(土)
時間: 14:00-16:00

いずれも、東京国立近代美術館 講堂(地下1階)にて
*開場は開演30分前
*申込不要、参加無料(先着140名)
*逐次通訳つき

連続講演会 すべて参加すればあなたもベーコン通!

「ベーコンについて 初級」
桝田倫広(当館研究員、本展企画者)

日程: 2013年3月22日(金)
時間: 18:30-19:30

「ベーコンについて 初級」
保坂健二朗(当館主任研究員、本展企画者)

日程: 2013年3月30日(土)
時間: 14:00-15:30

「ベーコンについて 中級 同時代におけるベーコン作品の解釈」
桝田倫広

日程: 2013年4月5日(金)
時間: 18:30-19:30

「ベーコンについて 上級 最新の研究動向を踏まえて」
保坂健二朗

日程: 2013年4月13日(土)
時間: 14:00-15:30

いずれも、東京国立近代美術館 講堂(地下1階)にて
*開場は開演30分前
*申込不要、参加無料(先着140名)
*どの回からでも聴講いただけます

ベーコンを偲んで-ドキュメンタリー映像上映会

日程: 2013年4月28日(日)
時間: 14:00-
場所: 東京国立近代美術館講堂(地下1階)

2013日4月28日(日)<ベーコンの命日:1992年4月28日、マドリードの病院で没>に、ドキュメンタリー映像 「フランシス・ベーコン 出来事と偶然のための媒体(原題:BACON’S ARENA)」の 上映会を開催します。

その他展覧会オリジナルポスタープレゼント企画も!詳しくはこちらをご覧ください。

会場:東京国立近代美術館講堂(地下1階)
*開場は開演30分前
*先着140名。当日10時から1階受付で整理券を配布します

映画「愛の悪魔」上映会 フランシス・ベーコンの魅惑的な生涯

3月9日(土)、16日(土)14:00-16:00

場所: 東京国立近代美術館 講堂(地下1階)

*開場は開演30分前
*先着140名。当日10時から1階受付で整理券を配布します
*本展企画者によるミニレクチャーつき

舞踏公演「偏愛的肉体論」 ミニレクチャー付

舞踏公演
振付・演出:和栗由紀夫氏(舞踏家)
出演:和栗由紀夫氏ほか計4名(予定)

ミニレクチャー
講師:森下隆氏(慶応義塾大学アート・センター)

日程: 2013年5月18日(土)
時間: 14:00-15:30
場所: 東京国立近代美術館 講堂(地下1階)
*開場は開演30分前
*先着130名。当日10時から1階受付で整理券を配布します

トークイベント

茂木健一郎(脳科学者)、聞き手:鈴木芳雄(編集者)

日程: 2013年3月21日(木)
時間: 19:30-21:00
場所: 京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパス

開催場所は当館ではございません

*開場は開演30分前
*申込不要、参加無料(先着200名)

開催概要

会場

東京国立近代美術館 企画展ギャラリー

会期

2013年3月8日(金)~5月26日(日)

開館時間

10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)

  • 入館はそれぞれ閉館の30分前まで
休館日

毎週月曜日(ただし3/25、4/1、4/8、4/29、5/6は開館)、5/7

観覧料

一般=1,500円(1,300円/1,100円)
大学生=1,100円(900円/800円)
高校生=700円(500円/400円)

  • ( )内は前売/20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
  • 中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。
  • 本展の観覧料で入館当日に限り、同時開催の「東京オリンピック1964 デザインプロジェクト」(ギャラリー4、2F)、MOMATコレクション(所蔵品ギャラリー、4-2F)もご覧いただけます。
  • 前売券は2013年1月8日(火)から3月7日(木)まで販売。3月8日以降会期中は当日料金で販売。
  • 美術館窓口での前売券販売はしておりません
  • その他、各種お得なチケットの詳細情報は展覧会特設HPをご覧ください。
主催

東京国立近代美術館、日本経済新聞社

協賛

新日本有限責任監査法人、損保ジャパン、大伸社、トヨタ自動車、UBSグループ

後援

ブリティッシュ・カウンシル、アイルランド大使館

協力

日本貨物航空、日本航空、フランシス・ベーコン・エステート

巡回

豊田市美術館 2013年6月8日(土)~ 9月1日(日)

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