展覧会
所蔵作品展「MOMATコレクション」(2024.4.16–8.25)
会期
会場
東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4F-2F)
2024年4月16日-8月25日の所蔵作品展のみどころ
MOMATコレクションにようこそ!
当館コレクション展の特徴をご紹介します。まずはその規模。1952年の開館以来の活動を通じて収集してきた13,000点超の所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展です。そして、それぞれ小さなテーマが立てられた全12室のつながりによって、19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れをたどることができる国内随一の展示です。
今期のみどころ紹介です。5室「パリのサロン」、9室「『20 Photographs by Eugène Atget』」、10室「東西ペア/三都の日本画」は、企画展「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」(5月21日~)に関連した展示です。また3階7、8室「プレイバック「日米抽象美術展」(1955)」は、当館黎明期の重要展覧会を再現VRなどを駆使して振り返る企画第二弾です。そのほか前会期好評だった1室「ハイライト」の鑑賞プログラムの試み、12室「作者が語る」は作品を入れ替えて継続します。
今期も盛りだくさんのMOMATコレクション、どうぞお楽しみください。
今会期に展示される重要文化財指定作品
今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。
- 原田直次郎《騎龍観音》1890年、護国寺蔵、寄託作品|1室
- 和田三造《南風》1907年|1室
- 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年|2室
- 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年|3室(展示期間:2024年6月16日まで)
展覧会について
4階
1-5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで
「眺めのよい部屋」
美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。
「情報コーナー」
開館70周年を記念してMOMATの歴史を振り返る年表と関連資料の展示コーナーへとリニューアルしました。年表には美術館の発展に関わる出来事のほか、コレクションの所蔵品数や入場者数の推移を表したグラフも盛り込んでいます。併せて、所蔵作品検索システムもご利用いただけます。
1室 ハイライト
撮影:大谷一郎
3000㎡に200点近くが並ぶ、所蔵作品展「MOMATコレクション」。「ハイライト」では近現代美術を代表する作品を揃え、当館のコレクションの魅力をぎゅっと凝縮してご紹介しています。日本画のコーナーでは、前期(4月16日―6月16日)は加山又造の《千羽鶴》を、後期(6月18日―8月25日)は鏑木清方の《墨田河舟遊》を展示します。ガラスケースの中では、新収蔵品《渡船・雨宿芝山象嵌屏風》をはじめとする国立工芸館の名品も合わせてご覧いただけます。ケースの外には、重要文化財の原田直次郎《騎龍観音》、和田三造《南風》のほか、日本近代洋画の人気作品や日本の前衛美術に大きな影響をもたらした西洋の作家たちの作品を並べました。
今回はいつもの作品解説のほかに、鑑賞のきっかけとなるような問いかけを示しました。これらの問いかけは、子どもから大人まで多くの方々が参加してきた当館の鑑賞プログラムでの実践をもとに選んでいます。MOMATコレクションと初めて出会う方も、すでに顔なじみの方も、さまざまな視点から作品をじっくり眺めて、肩の力を抜いて鑑賞をお楽しみください。
2室 1910年代―個への目覚めと多様性
ヨーロッパで学んだ美術家たちが相次いで帰国し、美術・文芸雑誌が次々と創刊されて、ヨーロッパの新しい美術や考えが盛んに紹介された明治時代の末、1910年頃。しかしこの時代は、海外からの刺激に共感しながらも、同時に自分自身のものの見方や考えに基づいた自己表現を追究した時代でもありました。 既成概念にとらわれず、芸術家が自己表現を追い求める自由をよしとした、高村光太郎の「人が『緑色の太陽』を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである」(1910年)は、そうした大正時代の個性主義の幕開けを象徴する言葉として知られています。日本画においても、伝統や様々な過去の作品のとらえ直しや研究の中から、画家個人の資質を活かした題材や表現の探究がみられます。こうして1910年代は、個への意識にうながされた多様な表現が生み出されることになりました。
3室 大戦とバブル
「戦争があるなんて、作り話ぢやないのかしらん」―小川未明の小説『戦争』(1918年)には、日本が戦争に参加し多くの死者が出ていることを信じたくない作者の心境と、海外で起きていることに無関心な市民の様子が描かれています。
第一次世界大戦に直接関わる日本の美術作品もほとんどありません。むしろ日本は当時、軍需品の輸出によって好景気を迎え、「成金」と呼ばれる企業家が続々と登場していました。
この部屋に並ぶ作品はおよそ10年のうちに作られた作品群ですが、歴史の諸相をよく伝えるでしょう。藤田嗣治が描く重く寂しいパリの風景と、同時期に外国貿易で栄えた門司港を描いた柳瀬正夢の絵はじつに対照的。大戦中に起こったロシア革命から逃れてきたニンツアは、同じ頃に新宿中村屋に身を寄せていました。村山知義、古賀春江、岡本唐貴らの作例に見るように、海外から影響を受けて日本で前衛傾向が高まるのもこの時代です。
4室 長谷川利行 東京放浪
無頼、天衣無縫、放浪と飲酒のデカダンス。生き様も画風も同じく嵐のようであった長谷川利行が関西から上京してきたのは30歳を迎える1921年のこと。独学で始めた油絵は白を基調に鮮やかな色彩が走る激しい作風が特徴で、大きな画面もたった数時間で仕上げてしまう速筆が評判でした。
彼のアトリエとなったのは関東大震災(1923年)後の東京の盛り場や下町です。《カフェ・パウリスタ》と《ノアノアの女》に描かれているのは当時流行の最先端であったカフェ。《タンク街道》《鉄工場の裏》《お化け煙突》はいずれも、労働者が集まっていた隅田川沿いの江東地域の風景です。ときに「肖像画の押し売り」をしながら街をうろつきまわっていた長谷川の絵は、スピードに満ちた迫力がある一方で、ナイーブで詩的な印象を覚えさせます。およそ100年前の東京を思い浮かべつつ、無造作になすりつけられたような筆が生み出す不思議な広がりをお楽しみください。
5室 パリのサロン
今日では美術館をはじめ作品を展示する場は多岐にわたりますが、およそ100年前の芸術家たちにとって、サロン(公募展)は重要な発表の舞台でした。フランスでは、1880年に国家主催のサロンが民営化されて以降、次々と新たなサロンが枝分かれし、20世紀に入ると、フォーヴィスムやキュビスムが生まれる土壌となります。とりわけ、サロン・デ・ザンデパンダン(1884年設立)、サロン・ドートンヌ(1903年設立)、サロン・デ・チュイルリー(1923年設立)には多くの芸術家が参加しました。
こうしたサロンに出品したのはフランス人だけではありません。第一次世界大戦終結後の1920年代、世界中から芸術家たちがパリに集いました。好景気とシベリア鉄道の開通を背景に、日本からも大勢が訪れ、パリに暮らす日本人画家は一時300人を超えたと言います。彼らはこぞってパリのサロンに作品を送りました。ここでは、サロンの常連だった西洋の画家の作品とともに、サロンに挑んだ日本人画家たちの滞欧作を中心に展示します。
3階
6-8室 1940s-1960s 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋(ソル・ルウィット《ウォールドローイング#769》)
6室 興亜のまぼろし
第二次世界大戦下の日本は、欧米列強の支配からアジアを解放するというビジョン―和田三造の《興亜曼荼羅》に示されるような、いわゆる「大東亜共栄圏」構想を掲げ、インドネシアやフィリピン、ビルマ(現在のミャンマー)など南方に進出しました。その背景には、石油や鉄鋼などの資源や航空基地の獲得といった戦争遂行上の目的がありました。占領地域では日本語教育などの皇民化政策がとられ、現地の人々は日本の戦時体制に組み込まれていきます。
画家たちは「彩管報国」(絵筆で国に報いること)の理念のもと、戦争画を描きました。軍から委嘱された画家もいれば、自ら志願して現地に赴いた画家もいます。各地の戦闘場面や風俗を描いた絵画は、観衆の領土拡大への意欲を後押しし、戦意高揚に貢献しました。描かれた人々の表情には、画家たちのどのような眼差しが込められているのでしょうか。
7室 プレイバック「日米抽象美術展」(1955)①
7・8室では、国立近代美術館(東京・京橋)で開催された「日米抽象美術展」(1955年4月29日―6月12日)を振り返ります。同展はアメリカ抽象美術家協会(AAA)が「第18回アメリカ抽象美術展」(1954年3月7日―28日、ニューヨーク、リヴァーサイド美術館)を開催するに際して、同協会から長谷川三郎(1906–1957)に日本の抽象作品の出品要請がなされたことをきっかけとしています。この展示のために長谷川は日本アブストラクト・アート・クラブを設立し、この要請に応えています。「日米抽象美術展」はそのお返しとしてAAAの抽象作品を招いて行われたのでした。この時期の日本では、さまざまな国際展が開かれてもいました。国立近代美術館の1階から3階にかけて行われた展示の会場構成を手掛けたのは、当時東京大学工学部の助教授であった建築家の丹下健三でした。1階では日本の彫刻作品、2階にはアメリカ側の作品、3階には日本側の作品が展示されました。7室では、残された資料や記録のほかに、それらを元に制作した展覧会再現VRを通して当時の様子をご覧いただけます。
8室 プレイバック「日米抽象美術展」(1955)②
8室では、所蔵品の中から「日米抽象美術展」の出品作家による作品を展示しています。同展で実際に展示された作品は、山口勝弘《ヴィトリーヌ No.47(完全分析方法による風景画)》(1955年)と、ハンス・リヒター《色のオーケストレーション》(1923年)の2点になります。「日米抽象美術展」は、日本とアメリカの抽象美術を並べて展示するのではなく、3階と2階のフロアにそれぞれ分けて展示することで、両国の抽象美術の今を対比的に検証する構成となっていました。
また、日本側の一角には井上有一(1916–1985)や上田桑鳩(1899–1968)、篠田桃紅(1913–2021)、森田子龍(1912–1998)らによる前衛書(墨象)が展示されており、書と絵画が並ぶ初めての機会でもありました。1950年代は、世界的にも日本の書への関心が高まっていただけでなく、抽象美術と前衛書が最も接近していた時期でもありました。当時の新聞や雑誌に掲載された展覧会評には、両国いずれの作品が優れているかなどの議論が交わされています。資料も併せてご覧ください。
9室 『 20 Photographs by Eugène Atget』
ベル・エポックに華やぎ、近代化と都市改造が進むパリとその郊外で、失われるかもしれない風景や街路、労働者、商店、室内装飾、庭園等を写真で記録し続けたのがウジェーヌ・アジェでした。
今回展示しているのは、アジェのガラス乾板ネガから、写真家ベレニス・アボットによってプリントされた20点組ポートフォリオ作品です。1920年代にパリでマン・レイの助手を務め、自身のスタジオも持っていたアボットは、アジェの作品から強い影響を受けた写真家のひとりです。アボットは晩年のアジェの作業場を度々訪れては写真や撮影について対話し、交流を深めました。
アジェは主題と調和する、当時すでに時代遅れだった撮影機材とプリント技法で写真制作をしていましたが、アボットはその諧調を損なわず、ネガに含まれた情報を最大限引き出せるよう、暗室で試行錯誤を重ねました。画像の保存性と耐久性を高めるため銀塩印画紙に金調色したプリントには、撮影から100年、プリントから60年以上経った今なお、アジェが後世に残したかったイメージと共に、アボットが大切にした写真の本質を見て取ることが出来ます。
10室 東西ペア/三都の日本画
手前のコーナーでは、洋の東西を越えて共通点を持つ国内・海外の作品をペアでご紹介します。当館が初めて海外作家の絵画を購入したのは、開館から四半世紀後となる1977年のことでした(アルベール・グレーズ《二人の裸婦の構成》)。
MOMATコレクションは19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れをたどることを柱としていますが、その流れの中に海外作品も織り込むことで、日本の近現代美術の地域性や、地域を超えた普遍性を捉えなおす機会が生まれます。それぞれのペアのつながりをぜひ探してみてください。
奥のケースでは、1階で開催されるTRIO展(5月21日~)にあわせて、三都の日本画を紹介しています。三都と言っても、ここでは東京、京都、大阪の三都。
出身地や居住地などでこの三つの都市と関わりの深かった日本画家の作品を選び、キャプションにそれぞれ区別できるシールを貼って示しています。描かれた主題や風俗、表現などに地域性が見いだせるか否かを考えながらご覧いただければと思います。
2階
11室 黙(らない)、認(めない)
山城知佳子《肉屋の女》には、沖縄の米軍基地内の「黙認耕作地」にある闇市が登場します。「黙認耕作地」とは、沖縄での地上戦後に米軍が強制接収した土地のうち、元の所有者による耕作が「黙認」された区域を指しています。無かったこと、知らなかったことにされている事実や記憶と、私たちはどのように向き合うことができるでしょうか。
このコーナーでは、日本とアメリカという国家に抑圧される沖縄を起点に、暴力やジェンダーなどのテーマを扱う山城知佳子、自身が歴史や社会の中で構成されてきた「女」であることを引き受けながら、個々の生きる営みを眼差す石内都、戦後に日本国籍を失った在日韓国人として、日韓のはざまでアイデンティティを問い続ける郭徳俊の作品を紹介します。
彼らは「黙認」された人間や空間を具体化し、無闇に晒すのではなく、イメージの抑制や抽象化、異なる要素の並置といった表現手法を通じて、より開かれたかたちで、その複雑なありようを共有しようと試みています。
12室 作者が語る
作者だけが作品の意味や意義を知っているわけでは必ずしもなく、作品はいつも、私たちの解釈に開かれています。とはいうものの、やはり作者の言葉には強い説得力があります。
当館では2005年から断続的にアーティスト・トークを開催し、その記録に取り組んできました。制作にまつわる考えを作者本人から聞くことができるのは、現代の美術ならではの大きな恩恵です。このほど、アートライブラリで公開していた過去のトークに英語字幕を付けて、ウェブサイトで公開いたしました(第一弾として21本を公開し、順次追加予定)。これにちなんで、菊畑茂久馬、辰野登恵子、堂本右美、中村宏の4作家のトーク映像とともに、作品を紹介します。小部屋で上映している加藤翼の映像作品には、作者インタビューのご案内を付しました。 作者が語る貴重な資料と合わせて、作品をあらためてじっくりご覧ください。
また、ウェブサイトを通じて、ご家庭でもアーティストの言葉をお楽しみいただければ幸いです。
開催概要
- 会場
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東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4F-2F)
- 会期
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2024年4月16日(火)~8月25日(日)
- 開館時間
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10:00–17:00(金曜・土曜は10:00–20:00)
- 入館は閉館30分前まで
- 休館日
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月曜日(ただし4月29日、5月6日、7月15日、8月12日は開館)、4月30日、5月7日、7月16日、8月13日
- 観覧料
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一般 500円 (400円) 大学生 250円 (200円)
- ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
5時から割引(金曜・土曜) :一般 300円 大学生 150円
- 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
- キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
- 本展の観覧料で入館当日に限り、コレクションによる小企画
「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》インターナショナル編」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。
- 無料観覧日
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5月18日(土)(国際博物館の日)
- 主催
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東京国立近代美術館