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現代の眼 新しいコレクション 速水御舟《寒牡丹写生図巻》1926(大正15)年

鶴見香織 (美術課主任研究員 )

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速水御舟(1894–1935)《寒牡丹写生図巻》(部分)
速水御舟(1894 –1935)《寒牡丹写生図巻》/1926年/鉛筆、淡彩・紙/画巻/31. 4×377.4cm(表具を入れると33.3×496.4cm)/令和元年度購入

長く当館に寄託されていた作品を収蔵することができました。速水御舟が1926(大正15)年に描いたスケッチを、画巻に仕立てた《寒牡丹写生図巻》(以下、近美本)です。制作年がわかるのは、巻頭に御舟の自筆で「牡丹 大正十五年二月寫」と制作年月が書き込まれているから。全長は377.4cmで、長さがまちまちな紙を4枚継いでこの長さになっています。

ところで、御舟の牡丹の写生画巻はもう1点あることが知られています。山種美術館が所蔵する《牡丹(写生画巻)》(全長309.5cm)です。こちらには年記はありませんが、細く削った鉛筆で精密にかたちをとり、ピンク色(おそらく臙脂えんじを使っていると思われます)をぼかした彩色の手法が共通することから、近美本と同じ時期に描かれた一連のスケッチであるとみなされています。

さらにもう1点、本作と関連する作品に、遠山記念館が所蔵する《牡丹》(絹本彩色、1926年)があります。同じ年の9月に描かれたこの作品には、どうやら近美本の右から8番目の牡丹のかたちがそのまま採用されたと言えそうです。この《牡丹》ですが、みなさんにはぜひ実物を、できれば単眼鏡を使って見てほしい。見ると、花びらの縁に塗られた胡粉(白い絵具)が、ホットミルクの表面に張った膜のように薄くて均質だったり、その上から白やピンク色のきわめて細い線で花びらを覆うように脈が引かれていたり、そんな極上の絵肌にウットリすること請け合いです。

さて、本画があるからには、写生はそのための準備とみなすこともできるでしょう。実際に御舟は近美本でいくつかの表現方法を試していて、それらは本画に採用された表現と、採用されなかった表現とに分けることができます。採用された表現のひとつが、輪郭からはみ出すように暈した色の塗り方です。輪郭線を越えて周囲を染めたピンク色は、あたかも花から発せられる芳香のようにも感じられるでしょう。この効果を御舟が見逃すはずはなかったというわけです。御舟は本画で、近美本に比べると控えめながら、花の周囲にピンク色を、そして葉の周囲にも緑色を、淡く暈すことになりました。

では採用されなかった表現にはどんなものがあったか。それはたとえば、輪郭線を強調したり、鉛筆で陰をつけたりといった、右から4番目から7番目の花で試されているような表現です。もしや、写生の段階では、輪郭線を墨で描き起こすような表現や、水墨淡彩風に陰をつけた表現も、御舟の選択肢にあったのか? などと想像することもできるこの写生図には、完成された本画を見るのとはまた違った見応えがあるのです。


『現代の眼』635号

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