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現代の眼 展覧会レビュー あやしい絵展の二つの衝撃

松嶋雅人 (東京国立博物館学芸研究部調査研究課長)

あやしい絵展|会場:企画展ギャラリー[1階]

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会場風景|撮影:木奥惠三

熱が冷めやらない。展覧会を見終えた後、グルグルと廻る頭を冷ましたところで、二つの衝撃がこの熱を生んだのだと思い至った。

そのファースト・インパクトは、安本亀八の生人形《白瀧姫》ではじまる展示構成だ。長袴の緋色が燃えるように揺らめく黒い床が、初っ端に眼に入る。「絵」の展覧会なのに、立体造形からはじまる展示構成で、鑑賞者の先入観や事前の知識を洗い流してしまう。そしてあやしい世界に稲垣仲静の「猫」がシルエットでいざない、処々でカッティングシートの切り文字の都々逸が、あやしい絵を彩り、蜘蛛の糸のように絡み合う作品群を大きな奔流に輻湊ふくそうさせている。

会場風景

本展では展示ブロックごとに、視覚的に異なる世界を見せようとしていることが明らかだ。甲斐庄楠音の《畜生塚》をはじめとする大型作品を、長手のケースに並べていき、そこからでは見通せない後半の展示ブロックで小村雪岱の挿絵がまとめられている。この展示の位置関係には、大きな意味がある。展示室を歩み進むことで、ケースから離れて作品の全体像を見たり、反対にケースを覗き込む動作は身体的な刺激になって序・破・急のようなインパクトを眼に与えていく。平面作品といっても、物理的な厚さや重さを持つリアルな作品が並ぶ視覚効果は、一つの物語を読み進める心の動きと同じ作用をするのである。

しばしば見かける展覧会——作品を時系列に並べて、展覧会カタログに著したエッセイの挿絵のごとく作品を扱う——では、この物理的な衝撃は生まれてこない。この展示構成によって、本展カタログなどに示された展覧会趣旨を読まなくとも、その意図は伝達されている。

そしてセカンド・インパクトは、幕末・明治から大正、昭和時代に描かれた作品そのものである。とりわけて楠音や岡本神草といった京都市立絵画専門学校の卒業生たちによって結成された「密栗会」の作品は目が離せない。西洋社会の思想潮流が流れ込んだ日本の社会状況に照らし合わせながら、作品が選択されているので現代の私たちの眼にも、突き刺さるような波動を作品の「かたち」から受け取り、ザワザワと心が波打つのである。

また橘小夢の《水魔》を見つめていると、水面に広がる波紋が画面下にあって、河童に画面上へと連れていかれる人物は、もしや男性なのか?と一つの作品の中に深く深く引き込まれていく。なぜこのような心持ちになるかというと、近代日本において、西洋文明の波を受けた暮らしぶりと、現代の私たちの生活は、近代以前の日本の世界観、価値観に立った視点と比べれば、はるかに近しいところにあるからだろう。

そもそも「あやしい」とはいったい何か。時代や地域、さらには階層(「人による」と同義)が違えば、この「あやしさ」の定義はそれぞれ異なるものとなるだろう。

造形の歴史の中では、「あやしさ」はどのように生まれたのだろうか。「美」や「美しさ」といわれるものは、絵に表される場合、しばしば「型」によって表現されている。歴史的にいえば、絵画を制作する主体(多くは宮廷などにおける権力者の男性)が望む「美しさ」が型となって表されている。描かれる対象が女性であれば、男性が望む表情やしぐさが型として継承されていった。そして古今東西問わず「表面的な美しさ」が連綿と描き続けられた中で、それらとは異なるもの、逸脱したものが「あやしさ」として現れたといえよう。大正期には「あやしい絵」が京都で数多く生まれたが、それは上方の浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵に表された当世風俗(「世話物」のモティーフ)のあやしい「型」が脈打っているからであろう。

図1 岩佐又兵衛《洛中洛外図屏風》舟木本(左隻部分)江戸時代(17世紀)、東京国立博物館蔵、国宝

その上で18世紀に描かれた曾我蕭白の《美人図》と、大正7年の上村松園の《焔》にしぐさの相似を見るとき、その型は同じ「あやしさ」を生み出しているのだろうか? 「あやしさ」は時代や地域によって千差万別だ。例えば日本の江戸初期に描かれた国宝《洛中洛外図屏風》舟木本に登場する小姓を抱きしめる僧侶の姿[図1]を、この絵を見た人々はどう感じたのか。「あやしく」見えたのだろうか。当時の身分や思想、あるいは男女によっても受容する側の感じ方はさまざまに異なっていたはずだ。

人類の造形史の中で、「あやしさ」をたどることは気の遠くなる作業であるが、このあやしい絵展では、まさにダイバーシティ(ここでは「視点」の多様性)を実感できる。日頃思い描いている世界が、揺り動かされる展覧会ということだ。SNS上でも喧喧囂囂ごうごう、さまざまな意見が飛び交っている。多くの人々が展覧会に注目して、それに向けて意見を発出する展覧会企画はそうそうない。学芸員冥利なことであろう。

本展は大阪へ巡回されるが、展示室の天井高、床の色、照明などが異なる会場で、どんな展示構成となって、アディショナル・インパクトを見せてくれるのだろうか。


『現代の眼』636号

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