見る・聞く・読む

現代の眼 アートライブラリ 資料紹介#9 | 雜記帳

赤松千佳 (企画課研究補佐員)

戻る

本稿で紹介する『雜記帳』は、画家・松本竣介(1912–1948)と、出版社での勤務経験をもつ妻・禎子の2人が編集・発行を手掛けた雑誌で、1936年10月の創刊から翌年12月の14号にかけて刊行されました(詳細はリストをご確認ください)。雑誌の判型は概ねA5判で、各号は68頁から100頁程度と、手に取りやすいサイズの資料です。当時の定価は30銭で、3000部程度が印刷されていたようです1。創刊号から10号までの表紙には、英字新聞を該当号の数字に切り抜いたデザインが施され(4号のみ「新年」)、11号から14号にかけては、三岸節子、ピカソ、鳥海青児、モディリアーニによるデッサンが掲載されています。5号で「日本的なものゝ明日」という特集が組まれたことを皮切りに、「ヒューマニズムの動向」(6号)、「女性展望」(7号)、「日本の反省」(9号)、「夏の景物・旅の一節」(10号)、「幼年・少年」(11号)、「民族の素描・人の印象」(12号)と、さまざまなテーマが設定されるようになります。8号では特集が組まれていませんが、これは1937年4月に長男が亡くなり、臨時休刊を挟んで発行されたことが影響しているかもしれません。 

『雜記帳』は、竣介が24歳の時に、「綜合工房」(東京市淀橋区下落合)と呼ばれていた自身のアトリエで制作が開始されました。同所の名称には、「文化の各分野の綜合した仕事場にしたい」2という思いが込められていたといいます。同誌は主に「エッセエ」と「素描」によって構成されていますが、竣介自らも含め、難波田龍起や福沢一郎といった美術家が文章や絵を寄せました。創刊号の編集後記には、「野放しの文章、書きたいことを自由に、各方面の方々に書いて貰ふ」とあり、萩原朔太郎や三好達治などの文芸作家や、工学、科学、スポーツといった分野の寄稿者まで、幅広い顔ぶれが名を連ね、執筆陣からも竣介の理念の反映がうかがえます。 

創刊号の編集後記には、雑誌の刊行という念願を果たせた喜びが記されていましたが、残念ながら『雜記帳』は1937年12月17日をもって廃刊となりました。竣介と交流のあった難波田龍起の旧蔵資料には「『雜記帳』廃刊の通知」が残されています。そこには、関係者に向けて廃刊に至った経緯が述べられるとともに、「この精神は私にとつては生涯のものであり今後も歩を進めたく思つてをります」と、悔しさをにじませた一文も記されています。 

資料の利用にあたっては、事前申請手続きが必要です。詳しくはこちらをご確認ください。 

註 

1. 松本莞『父、松本竣介』みすず書房、2025年、97頁

2. 松本竣介「編集後記」『雜記帳』2巻4號(1937年4月)、84頁

松本竣介「編集後記」『雜記帳』創刊号、1936年10月(資料ID:190006622) 
「『雜記帳』廃刊の通知」1937年12月17日(資料ID:190000287) 
No.巻号刊年 特集名資料ID
1通号1号(1卷1号)1936年10月190006622
2通号2号(1卷2号)1936年11月190006623
3通号3号(1卷3号)1936年12月190006624
4通号4号(2卷1号)1937年1月190006625
5通号5号(2卷2号)1937年2月日本的なものゝ明日190006626
6通号6号(2卷3号)1937年3月ヒューマニズムの動向190006627
7通号7号(2卷4号)1937年4月女性展望190006628
8通号8号(2卷5号)1937年6月190006629
9通号9号(2卷6号)1937年7月日本の反省 : 日本人はどれだけのことをして来たか190006663
10通号10号(2卷7号)1937年8月夏の景物・旅の一節190006630
11通号11号(2卷8号)1937年9月幼年・少年190006631
12通号12号(2卷9号)1937年10月民族の素描・人の印象190006632
13通号13号(2卷10号)1937年11月190006633
14通号14号(2卷11号)1937年12月190006634

『現代の眼』640号

公開日:

Page Top