の検索結果
の検索結果
あけぼの村物語
この作品は、山梨県で実際に起きた事件が主題です。3つの消失点に対応しつつ、場面は概ね4つに分けられます。画面右から、銀行倒産のために自殺した老婆とその孫娘、農道敷設によって自分の麦畑が潰されたことに抗議する村娘、地主への抗議及び襲撃の先導に立った人物を背負籠に入れて運ぶ男、そして画面の下辺には赤い川で溺死する事件の主導者が描かれています。圧政に耐えかねた村民たちが地主宅を襲撃したという事件そのものは描かれませんが、周辺事情を通じてその因果関係が浮かび上がります。寄り目や斜視の犬によって表された人物描写は、土俗的な雰囲気を高めています。
Harmless Kitty
奈良がドイツに住んでいた頃に描いたもので、タイトルは「悪意のない/罪のない子猫ちゃん」と訳すことができます。画面を見る限りでは性別は不明。猫の着ぐるみは、突飛に見えるかもしれませんが、それがあることにより、私たち、見る側のまなざしが、「Harmless Kitty」のまなざしとストレートに向き合うようになっているわけです。しっぽの部分に見られるように、描き直しが、視認できるように、つまり、半ば意図的に残されているのも、見逃せないポイントです。
抽象絵画(赤)
ヘラ状の道具を使って、何十層にも絵具が塗り重ねられています。この作品の制作途中に撮影された写真が33枚も掲載された本があって、それらを見ると、いま目の前にある状態からは、想像もできないほどの激変ぶりに驚かされます。「イリュージョン、より適切には仮象=光。光は私の一生のテーマだ」とリヒターは言います。キャンバスという物理的な面でもなく、また経過写真に表れているような、一層、一層知覚できる面でもない、けれどもこの絵画が、何かの面の上に載っているというレイヤーを感じることができます。ここにリヒターが執拗に層を重ねること、あるいは彼の言うイリュージョン、仮象=光の秘密がありそうです。
女のトルソ
ブラックはピカソとともに、20世紀でもっとも重要な美術動向の一つ、「キュビスム」を創始しました。キュビスムは、二次元の絵画平面上に三次元の奥行きを表すヨーロッパ絵画の遠近法や明暗表現を、根本から問い直しました。この作品は、ブラックのキュビスム期の作品の中でももっとも充実したものの一つです。いくつもの開かれた面に分解された女性の上半身は、さまざまな角度から見た像をつなぎ合わせたように絶えず揺らいで見えます。
Unnamed #7
「出来上がったキャンバスの上に描くのでは一層多くなってしまう」、そう考えた小林は、木枠をつくること、木枠にキャンバスを張ること、キャンバスに絵具を塗ること、それらすべてをなるたけ同時に行おうとしました。ともすればキャンバスや木枠との格闘、あるいは手に絵具をつけたダンスに見えてしまう方法論によってできたのが、この作品です(彼は基本的に筆を使いません)。ところでタイトルを見ると、「Unnamed(名づけられていないもの)」とあります。では、(タイトルではなくて)名前を持たないこの存在はいったいなんなのでしょう。ここにはなにが生れつつあるのでしょう。
残骸のアキュミレイション(離人カーテンの囚人)
草間の初個展の出品作のひとつです。時は1952(昭和27)年、場所は松本市第一公民館、期間はたった2日間でした。この作品が描かれる前年までは、草間はまだ日本画の技法を用いていましたが、本作では、油絵具が使われています。支持体は、麻袋。種苗業を営む旧家に生まれ育った草間にとっては親しみのある素材だったでしょう。1952年に彼女が地元の冊子『信州往来』に寄せたエッセイからは、アーティストとしての強い意志を読みとることができます。「文化は時代の新しい産物であり世界の空気を呼吸し世代を創造してゆくことを要請してゐる。これは画家の重要な使命である。現代を如何にして未来へときずきあげるか。歴史への批判と現在のポイントを踏み迷ってはならない。」
Y市の橋
橋の向こうには、国鉄の跨線橋と架線の鉄柱の複雑な交差が、細い線描で描かれています。深みのある色彩の川面は流れを感じさせません。橋の上と橋のたもとにいる人物はシルエットで描かれ、寂寥感をかきたてます。題材となった「Y市の橋」とは、横浜駅近くを流れる新田間川に架かっていた月見橋のこと。松本はこの橋を題材に、多くのスケッチや油彩画を残しました。1945(昭和20)年5月、横浜大空襲によって当時の横浜市域の34%が焼失し、月見橋周辺も焦土と化します。戦後まもなく彼はこの橋を再訪し、その被災した様子も描きました。
雲の上を飛ぶ蝶
作者によれば、ある昆虫学者から海を渡る習性をもつ蝶の話を聞いたことがきっかけで、この絵を構想したといいます。とはいえ、実際の蝶は、雲の上の高さまで飛ぶことはないでしょう。しかもこれらの蝶や蛾は、おそらく図鑑などをもとに、平面的に描かれています。平面の重なりとしてさまざまな向きで画面に散らばる蝶や蛾は、重力から自由になり、それを見る私たちの視線をも、ふわりと浮遊させてくれます。
タチアオイの白と緑―ペダーナル山の見える
ペダーナルとはアメリカ合衆国のニュー・メキシコ州にある、高さ3006メートルの卓状台地(mesa)のこと。作者にとってニュー・メキシコの自然と文化はインスピレーションの源泉で、1940年にはペダーナルの見える土地を購入し、アトリエを構えてもいます(ちなみに彼女の遺灰はこの山の上に撒かれました)。当館は1956年に、オキーフ本人から、彼女の夫であった写真家アルフレッド・スティーグリッツの作品を受贈してもいます。
アルマ・マーラーの肖像
アルマ・マーラー(1879–1964)は、オーストリアの作曲家、グスタフ・マーラーの妻でした。美しく、芸術的才能にも恵まれた彼女は、グスタフの没後、1912年頃から7歳年下の画家、ココシュカと恋愛関係にありました。その後アルマは、後にバウハウスの設立者となる建築家、ヴァルター・グロピウスと再婚しますが、ココシュカは等身大のアルマの人形を持ち歩くなど、恋の破局からしばらく立ち直れなかったようです。この作品では、美しいとも恐ろしいとも見えるアルマの姿が、《モナ・リザ》を意識した構図で描かれています。
