建物の紹介

建物の紹介


明治時代の洋風建築を移築・再現

国立工芸館 外観

明治後期に建てられ、1997年に国の登録有形文化財に登録された木造の旧陸軍施設「旧陸軍第九師団司令部庁舎」(明治31(1898)年建造、元は司令部執務室)と「旧陸軍金沢偕行社」(明治42(1909)年、元は将校の社交場)を移築・活用。展示室部分はRC造で復元して新築し、外観は今回の移築改修に伴い判明した建築当時の色を再現しています。

 

◆『現代の眼』635号より

国立工芸館の建築と松田権六の仕事場の移築・再生」森田守(株式会社金沢伝統建築設計 代表取締役)

 

 

旧陸軍第九師団司令部庁舎(2F 階段ホール)

旧陸軍金沢偕行社2F(2F 多目的室)

旧陸軍第九師団司令部庁舎
師団長室(2F ラウンジ)

3D鑑賞モニター

2D鑑賞モニター

1F

工芸とであう

日本の工芸にはじめてふれる方のために、工芸の各技法や専門用語などをわかりやすく説明。工芸作品を3D画像でインタラクティブに楽しめる、デジタル技術を用いたコーナーも。

 

◆『現代の眼』635号より

「「工芸とであう」鑑賞システムの試み」今井陽子(工芸課主任研究員)

2F

松田権六の仕事場

金沢出身の人間国宝、漆芸家・松田権六(1896-1986)の工房を移築・復元し、作家ゆかりの制作道具や関連資料、記録映像を展示します。

関連資料リスト

 

◆『現代の眼』635号より

「国立工芸館における作家アトリエの再現展示「松田権六の仕事場」」北村仁美(工芸課主任研究員)

 

芽の部屋

「作品」になる前のアイデアスケッチや図案などの資料を展示。

写真 太田拓実

 

ロゴタイプ・シンボルマークについて

国立工芸館のロゴタイプ、シンボルマークは2020年の石川県への移転開館の際に決定しました。
デザインを手がけたのはUMA / design farmです。

国立工芸館ロゴタイプ

国立工芸館シンボルマーク

ロゴタイプとシンボルマークをあわせた活用

◆『現代の眼』635号より

「「これからの工芸館」をイメージできる顔」原田祐馬(UMA / design farm代表)

 


 

 

国立工芸館の建築と松田権六の仕事場の移築・再生 森田守(株式会社金沢伝統建築設計 代表取締役)

写真1 明治42年の第九師団司令部庁舎
出典:『石川県写真帖』、石川県、1924年

写真2 明治42年の金沢偕行社
出典:『金沢写真案内記』、北陸出版協会、1909年

 石川県金沢市に開館した東京国立近代美術館工芸館(通称:国立工芸館)は、登録有形文化財の旧陸軍第九師団司令部庁舎(以下、第九師団司令部庁舎)と旧陸軍金沢偕行社(以下、金沢偕行社)の2棟を移築して一体的に整備した美術館である。
 第九師団司令部庁舎は1898(明治31)年に金沢城内に建設、戦後は金沢大学本部として使用され、1968(昭和43)年に現在地の隣地の石引に移築された。その際、敷地広さの制約からコの字型平面の正面を残して両翼部分を撤去した。
 金沢偕行社は1909(明治42)年に石引に逆T字型平面で正面を新築、背面に歩兵第七連隊の将校集会所を講堂として移築した建物であった。戦後は国税局が使用して、1970(昭和45)年に講堂を撤去した正面部分を敷地内で曳家ひきやした。
 2棟とも昭和43年以降は県の施設となり一般の人が利用することはなかった。1997(平成9)年に登録有形文化財になった後も活用されない状態だったが、国立工芸館の移転により建物が有効活用されることになった。

図1 第九師団司令部庁舎 復元1階平面図

図2 金沢偕行社 復元1階平面図

 今回の移築整備工事の1つめの特徴は登録有形文化財を移築整備して活用したことである。旧陸軍の明治期の木造建築物として2棟とも110~120年前に建てられた当初の木造軸組とトラス構造の小屋組をできる限り保存した。建物完成後は見られないが、継手や仕口、表面加工、構法などの当初の情報を持つ部材が残っていることに価値がある。また、上げ下げ窓も再用保存した。
 2つめの特徴は、2棟とも昭和43~45年に失われた部分の外観を古写真、古図面から復元したことである。第九師団司令部庁舎では両翼部分を復元して、窓の手すり装飾位置、ドーマーウィンドウを復元した。金沢偕行社では講堂を復元して、正面側建物の腰石張りを復元した。外観復元した部分の内部は展示機能等を持たせるため、鉄筋コンクリート造で整備された。また、解体移築工事中、木材の既存塗装の下層から創建当初の色が確認されたため当初の塗装色に戻しており、明治創建時の姿が再現された。

写真3 解体中の第九師団司令部庁舎の木造軸組
内法うちのりにはまぐさが入る

写真4 解体中の金沢偕行社のトラス小屋組

 登録文化財は外観の保存が求められ、内部はある程度自由に整備活用できるため、国立工芸館でも第九師団司令部庁舎の正面中央の階段室で明治期の欅造りの階段が見られる以外は、内部を展示コーナーなどとして整備した。階段室のシャンデリアは東京の旧国立工芸館(現在は東京国立近代美術館分室)である重要文化財の旧近衛師団司令部庁舎で使用のシャンデリアを参考に再現している。
 第九師団司令部庁舎は明治31年に第八師団から第十二師団の5師団が新設された際に同時に共通仕様で建てられた司令部庁舎の1つである。偕行社は各師団で全く意匠が異なる。性格、意匠の異なる両者が揃って残存している例は全国的にほとんどなく、2棟が隣り合って比較できるのはここだけである。
 昭和43~45年に2棟の建物の規模を縮小してでも残そうと判断した意義は大きい。

 

 展示コ-ナーには漆芸分野の人間国宝である松田権六氏の工房が凍結移築保存された。国立工芸館の建物が外観と軸部を保存して内部を整備したのに対して、松田権六工房は内部と軸部を保存して外観を整備した。
 軸部はほぼ全て再用、内部も柱、床板、天井板等の木材のほか、漆喰壁、畳、室、模様入り障子など全て再用保存した。漆喰壁は内部の壁貫、竹小舞、土壁ごと壁面で解体して石川に運搬して土壁の裏面を補強して再用した。漆喰の亀裂や剥離部分は新規の漆喰で補修した後、経年の汚れを再現した。松田邸の特徴として左官工法による葛壁を設えており、繊維質の葛壁であるがゆえに上塗層だけを丁寧に解体できたため、表具の技法で再用した。外部は展示コーナーの塗装クロス壁と調和するように同壁で仕上げた。

写真5 移築整備された松田権六工房
左側に葛壁が見える

 これらの移築整備工事には職人の技能が求められ、石川県や金沢市には歴史的建造物を保存活用していく風土と、伝統建築技能継承への取り組みがあることが寄与している。
 以上のように内部は、松田権六氏が創作活動をしていた空間をそのまま移築しており、今にも権六氏が工房に来て仕事をするのではないかと感じていただけたら幸いである。

 

 

「工芸とであう」鑑賞システムの試み 今井陽子(工芸課主任研究員)

国立工芸館 エントランス風景 撮影:太田拓実

 東京の北の丸公園から石川県金沢市に移転した新生・工芸館。ガラス張りのエントランスから入ると正面にそびえ立つ金子潤の《Untitled (13-09-04)》がパワフルにお出迎えします。通路を左に進み、アーチを2つ潜り抜けるといよいよ展覧会場!ですがその手前、木造エリアの一部を、私たちは「工芸とであう」と名付け、所蔵作品を高精細デジタル画像でご紹介することにしました。工芸館へようこそ。そして工芸観へようこそ。そんな気持ちをこめたスペースです。
 3台設置した70V型8Kタッチモニターのうち、2台は2D鑑賞システムに使用。大小さまざまな図柄の丸がシャボン玉のように左から右へと漂っていきます。

2D鑑賞システム 展開イメージ

 試しに丸の1つに触れてみましょう。即座に作品ページが展開し、画像と解説をご覧いただけます。画像は1作品につき2~3点ずつご用意。右下の虫眼鏡アイコンを押すとドーーンと拡大し、映しだされる作品の細部に目を奪われます。たとえば縮緬の微妙な凹凸まできっちり区分された染めの領域と陰影の効果。たとえばせガラスで形成した表層に潤む物質と光の協調。たとえば架台を掴む鷹の爪の鋭さや無機質な金属とは思えない生々しさ。それらはすべて作家が巡らしたに違いない造形思考の軌跡であり、鑑賞する皆さんが作品と対面した時に直感した意識のクローズアップともなればと期待しています。
 さて、残る1台のモニターには3D鑑賞システムを搭載しました。「別の角度からも作品を見たい」というご要望に少しでもお応えすべく開発されたものです。“正面”の反対側なら展示の工夫でいけそうですが、器物の“底”、これはなかなか難しい。実際、茶碗などの底面は古より継承された情報を含むもの。それを見どころの1つとしてきた歴史もあり、「鏡を使っては?」というご意見もいただきます。しかし工芸館が収集・展示の対象としている個人作家の仕事では、一方で作品を成立させる諸要素と自己との距離を測りなおし、フラットな地平にスクッと立って見せたいとする傾向も顕著です。美観の一言に収まりきらない作り手の想いと情報の並列とを秤にかけるのは容易くありません。
 そこで当システムでは、仮想現実ならではの物理的制約に縛られない環境の設定を試みました。利用者自身が角度も拡大も無段階に条件を整えるアクションは、能動的な姿勢の促進にも繋がりそうです。
 2つのシステムを置いたこのスペースが、工芸と向き合う終着ではなく出発点となるためにはどう機能させるべきか。「鑑賞」のキーワードを旗印に、技術とヴィジョンの両面から今後も検討し続けていきたいと思います。

3D鑑賞システム 撮影:太田拓実

国立工芸館における作家アトリエの再現展示「松田権六の仕事場」 北村仁美(工芸課主任研究員)

松田権六の仕事場 写真 太田拓実

松田権六の仕事場 写真 太田拓実

 シャッ、シャッ、シャッ…リズミカルな音が響く。「仕事はまず下段の棚板の隅に、青貝あおがいを蒔くところから始まる」とナレーションの声。漆による加飾技法の一つである蒔絵で、均等な大きさに砕いた微細な貝の破片を塗面に蒔いている音だ。カメラが作家の手元をクローズアップし、パラパラと細かな貝の破片が落ちる様子が、約2メートル幅の大画面に映し出される。映像とはいえ画面の大きさのせいか、空気を乱さぬよう思わず息を凝らす。

 金沢で今秋開館した国立工芸館では、「松田権六の仕事場」として常設展示のセクションを設けることになった。東京の文京区にあった仕事場を、移築・復元すると共に、文化庁による工芸技術記録映画『蒔絵—松田権六のわざ—』の上映と、実際に制作で使われた道具や素材類などをはじめとする関連資料が展示できるケースを設置し、松田権六の制作を多角的に紹介する。冒頭の音声は、このエリアで上映されているVTRから流れるものだ。
 

 同エリアの展示ケースでは現在、「《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》制作の周辺」と題し、制作工程で使われた置目おきめ(トレース用図案)やスケッチブック、また象牙、貝、卵殻などの蒔絵の素材、実際に使われていた道具類を特集展示している。映像でも登場する松田の仕事場は、仕事ができる実質有効スペースが、2畳+α程度の畳敷きの極小空間で、しばしば茶室に間違われるほどだ。手を伸ばせば座ったまま必要な道具、材料がすぐに取り出せる配置となっている。松田にとっては、狭いながらも飛行機の操縦席(コックピット)のような機能的な空間だったのだろう。ここから、《蒔絵鷺文飾箱》(1961年)や《蒔絵竹林文箱》(1965年、共に東京国立近代美術館蔵)など、戦後の名品の数々が生み出された。
 

 今回の特集展示では、松田権六が制作のために金沢で特別注文していた金粉も出品中である。《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》(1972年、東京国立近代美術館蔵)の棚板中央部には、特注の粗いやすり粉と、9号、7号の3種類の大きさの金粉が使われている(号数が小さくなるほど粉は細かくなる)。肉眼では、違いがわかりにくいが、よく見ると特注金粉は、その他2種の金粉よりわずかに輝きが強いように感じられる。

写真1  松田権六《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》 1972年 東京国立近代美術館蔵

〇で囲った部分の金粉には、特注の粗いやすり粉と、9号、7号の3種が用いられた。

 松田が使用していた特注金粉を、一般的な金粉(東京産)と比べてみると、後者は、粒の大きさ・形がほぼ均一で、きれいに揃っている。一方、特注金粉は、粗く、粒の大きさも不揃いだ。この金粉を、松田は1962年頃から携わるようになった中尊寺金色堂(岩手県平泉)の修理のために注文し始めた。金色堂の建立時にあたる平安時代に用いられていた粗いやすり粉と同じものを修理で使うためだった。

 

 松田が使用していた特注金粉を、一般的な金粉(東京産)と比べてみると、後者は、粒の大きさ・形がほぼ均一で、きれいに揃っている。一方、特注金粉は、粗く、粒の大きさも不揃いだ。この金粉を、松田は1962年頃から携わるようになった中尊寺金色堂(岩手県平泉)の修理のために注文し始めた。金色堂の建立時にあたる平安時代に用いられていた粗いやすり粉と同じものを修理で使うためだった。

 通常、蒔絵用の金粉(丸粉)は、金やすりで地金をおろした後、角をとって球形になるよう形が整えられる。平安時代には、丸める作業までなされず、やすりでおろしたままで用いられていたという。特注金粉は、平安時代の蒔絵粉を参考に、角をとる作業をほどほどのところで止めて仕上げた。おろし放しでもなく、かといってただ丸くするだけでもない。ちょうど米粒ほどの大きさになるように金粉を作るのは、たやすい作業ではなかったと聞く。こうしてできた特注の粗い金粉は、松田の創作意欲をそそったようで、《蒔絵竹林文箱》等の作品に使われ、松田自身の制作においてもなくてはならない素材となっていったと考えられる。
 

 粒の大きさや形が不揃いで粗い金粉を、松田が好んで使用した理由はどこにあったのだろう。一つには、粒が不揃いなため、金粉でモチーフを描き出す際、その輪郭線がきっちりと揃わず、多少デコボコとした効果が得られるという点。これによって、金粉の硬い印象が和らげられ、やわらかな蒔絵表現が実現できる。標準金粉では、粒が均一に揃っているため、輪郭線が整いすぎ、金粉の硬質な印象が前面に出てしまう。
 

 しかし、この作品《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》の棚板部分に蒔かれた金粉の場合、何かモチーフを描き出しているわけではないため、別の理由が考えられる。特注金粉の拡大写真を見ると、一般的な金粉に比べて、激しくねじれ表面積が大きいという特徴がある。これを塗面に蒔くと、漆の中に沈み込む部分があったり、逆に、表面へ出てくる部分が生じたりする。うっすらと漆(純度の高い透明な漆)が被った金粉は、漆の下から鈍い光を放ち、表へ出てきたものは強い光で輝く。こうした状態のところへさらに細かい金粉を蒔いていくと、最終的に、遠目には金地一色に見えるが、強く輝く金粉とそうでないものが混じり合い、一種独特の深みのある金地ができるという。
 

 さて、ここで金地がなされた《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》に戻って作品全体を眺めると、金地は、槇の枝葉に囲まれている。手前の枝に2羽のシジュウカラが止まり羽を休め、対角に1羽が飛ぶ。金地は鳥たちが遊ぶこの風景を明るく照らす陽光、あるいは動物や植物が生きる世界を包む空気としての意味合いをもつ。松田権六は、植物や鳥たちの背景を、控えめであるが滋味深い光で満たすため、特注金粉を使った蒔絵表現としたのではないだろうか。生命賛歌ともいうべき本作のテーマが浮かび上がってくる。
 

 《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》は、松田権六晩年の代表作で、蒔絵、螺鈿らでん撥鏤ばちる平文ひょうもんなどあらゆる技法を詰め込んだ、集大成としての作品とも位置づけられる。それゆえに、松田がこの作品にかけた気迫が映像を通して伝わってくるようだ。「松田権六の仕事場」では、VTRから流れる仕事場の音声をBGMとして聴きながら、実際に使われた図案や道具そのものを間近で見ることができる。制作された場所もすぐ目の前にある。「こんな風に作っていた!」という臨場感あふれる松田ワールドを、松田権六という近代の蒔絵師を生んだ金沢の風土を感じながら、ご堪能いただければ幸いである。
 

謝辞

「松田権六の仕事場」の構築にあたり、多くの方々にご協力をいただきました。とりわけ、松田権六氏のご遺族には、長期間にわたる惜しみないご尽力を賜りました。また、重要無形文化財「髹漆きゅうしつ」保持者・増村紀一郎氏には、工房再現のための貴重なご助言を賜りました。記してここに深謝申し上げます。

「これからの工芸館」をイメージできる顔 原田祐馬(UMA / design farm代表)

 2019年の12月、東京国立近代美術館工芸館の金沢への移転に伴う、新しいロゴタイプの指名制コンペティションにお声がけいただいた。工芸館は、東京国立近代美術館の分館という印象があり、地方から美術館を訪れる立場としては、最初の目的地になりにくいと感じていた。東京国立近代美術館は、2011年に開催された「ヴァレリオ・オルジャティ展」の広報物デザインを担当したこともあり、上京する度に興味のある展覧会に足を運んでいた。5分ほど歩いたところにあった工芸館は、素晴らしいコレクションが多く所蔵されているのも知っていたが、当時、「人間国宝」という超絶技巧の世界が、デザインに比べて、自分たちの住む世界との接点を見出せず、足を運ぶまでのハードルが高かったと記憶している。いま思うと、デザインは工芸に比べて、急速に変化している社会と共に生まれてくるものが多いという印象を持っていて、つくるプロセスが理解しやすく、現代の生活と近いものがあったので、入りやすかったのかもしれない。
 工芸館側からコンペに際して示された「これからの工芸館」は、今回の金沢への移転によって、人々の生活に近いまちなかに位置することになり、さらに多目的室やライブラリが新設されることで、より開かれたプログラムを開催することが可能になるというものだった。若年層も含めた、すべての層とのコミュニケーションを大切にしていく工芸館へ、というイメージだ。読み解き方や楽しみ方が掴めるだけで、工芸も面白く理解できるようになるはずなので、とても共感したのを覚えている。さらに工芸館の担当者とディスカッションを進める中で、収蔵作品の説明を聞いていると、つくり手がその時代に何を考え、どのような技術を使い制作していたのかを発見できた。モノだけでない多視点の見方を与えられるだけで、どんどんワクワクしていく自分たちがいた。このワクワクを感じてもらうためには、若い世代の人たちが、敷居を高く感じない、行ってみたいと思えるロゴタイプをデザインしなければいけないと考えるようになっていった。
 そこで、格式がありクラシックな印象のある明朝体ではなく、少しくだけたゴシック体をベースとし、色々な実験を繰り返した。つくり手の気持ちになってみようと開館当時の原弘氏によるポスターのロゴタイプをオマージュしたようなラフ(図版1)を考えてみたりするが、手を動かせば動かすほど過剰なデザインになってしまう。頭を悩ませているときに、「工芸や人工の“工”という字は、もともと二本の横棒で表現された「天」と「地」を結びつける「人」の営みを表していた」という竹村真一氏のテキスト(『宇宙樹』慶應義塾大学出版会)に出会ったのだった。3本のラインでできたとてもシンプルな漢字「工」という字を丁寧に編み直すことで、国立工芸館のロゴタイプをつくることができないかを考えるようになっていった。古い字形(図版2)を見ていても殆ど変化がなく、眺めれば眺めるほど色々なことを想起させる字形だ。そこで導き出したのが、上下のラインを支える中心の線に丁寧につくりあげられていく工芸作品を感じられることを意識し、明朝体にあるようなヒゲの要素(図版3)をつけ、ゴシック体をベースとしながらもしなやかさと力強さを持たせるよう心がけた、その要素を「国、立、芸、館」にも展開しロゴタイプを完成させていった。また、「工」のロゴタイプが構築されていくと、その余白のかたちが、2つの歴史的建造物(旧陸軍第九師団司令部庁舎、旧陸軍金沢偕行社)を繋ぐ国立工芸館の建物とも呼応し、工芸がつくり出す人の営みや環境を感じられるシンボルマークも同時にデザインを提案した。わかりやすくデザインされたものではないかもしれないが、敷居の高さを抑え、「これからの工芸館」が目指す顔としてのデザイン(図版4)ができたように思う。

 

図版1

図版2

図版3

図版4