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現代の眼 オンライン版 展覧会レビュー 「断層」という見方が教えてくれたこと
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1950年代終わりから70年代終わりまでの現代日本版画史は、東京国際版画ビエンナーレ(以下、東版ビ)の受賞作品によってつくられたといっても過言ではない。言い方を変えれば、東版ビは版画史をつくる舞台として注目を集め、尖端の版画作品による表現の競技場として機能したということだ。そういったことを実際の作品によって実感できる企画展「印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957–1979」が金沢の国立工芸館で開催された。同展はこの後、京都国立近代美術館でも開催される。
出品作品は、第1回展で国立近代美術館賞を受賞した浜口陽三の《青いガラス》から、第11回展に出品された李禹煥の《関係項A》まで、受賞作を中心とした56点、戦後のトップデザイナーによる第1回展から第11回展までのポスター13点、その他カタログやチケット、参加承諾書などの関係資料であった。会場の面積の関係から、コンパクトにまとめられた展示であった。
本展覧会のテーマは、東版ビの出品作家を中心に、同時代の多様な視覚表現のなかに交錯した版画とグラフィックデザインの様相を通して、印刷技術がもたらした可能性とその今日的意義を検証することとされている。版画もグラフィックデザインもプリントによって成立するメディアであり、両者共に「印刷」を介してあるいはその概念を思想化するなかで接近したり重なり合ったりしながら、しかし決定的な差異によって存在を示してきた。本展はその関係性を「断層」に見立て、接続とズレ、差異というキータームによって探ろうと試みていた。
版画とグラフィックデザインの断層の所在が明瞭となり、その接続とズレと差異に現代の美術表現の可能性を見出すこととなったのが、1968年開催の第6回東版ビの時であった。その時国際大賞を受賞した野田哲也制作の、シルクスクリーン技法で刷った自分の家族の集合写真画像などと木版摺りによる蛍光色の色面を組み合わせた版画[図1]と、横尾忠則がデザインした、通常は裁断されるはずのカラーパッチやトンボをあえて残し、浮世絵版画のぼかし摺りを援用しながらサイケデリックな色彩で構成した名所絵的な風景のポスター[図2]は、それまでにないレヴェルで版画とグラフィックデザインの断層を現前させることとなった。デザイナーの永井一正が、新聞紙型にサーブル紙を貼り合わせた厚紙に型押しした白のレリーフ状の版画作品を、版画家吉原英雄が鮮烈な青を配色したグラフィカルでポップアート風の版画を出品して共に受賞したことも、このような認識を深めることとなった。その断層が見せたものは、印刷やそれをめぐる考え方、創作思想、役割、性格、画面を構成する素材、様式や表現傾向などに見られる接続、ズレ、差異であり、現代美術の新しいテーマの所在であった。
このような第6回東版ビは、少なくとも現代版画に関しては表現のターニングポイントとして機能したといえる。それ以降1970年代の版画は、ポップアートやコンセプチュアル・アートの浸透を背景に、より一層「印刷」による表現の可能性を最大限に引き出しつつ、大量の印刷物やグラフィックデザインなどと差異を保つという方向で新しい表現史をつくった。本展に出品された横尾忠則《責め場1》《責め場2》《責め場3》や靉嘔《レインボー北斎 ポジションA》、木村光佑《現在位置—存在A》、黒崎彰《闇のコンポジションA》、高松次郎《日本語の文字》《英語の単語》などはその先駆となる作品だ。1972年の第8回展で国際大賞を受賞した、記号を組み合わせた文章をゼロックスコピーしてクリアファイルに入れてまとめた高松の《THE STORY》は、「印刷」を美術として提示し、美術や版画の概念を問う作品であった。
さて、版画とグラフィックデザインの断層に加え、やはり第6回展あたりから現前し始めたのが、それらと写真や映像との断層であった。1970年代に制作された版画やグラフィックデザインは、両者がそうだったようにそれらに接近したり重なり合ったりしながら、しかし決定的な差異によって存在を示し、時代の表現動向をつくりだしたといえる。本展出品の郭徳俊、若江漢字、安齊重男、井田照一、木村秀樹、斎藤智、森本洋充等の作品、そして杉浦康平、石岡瑛子、勝井三雄のポスターにはそのことが再確認できる。
本展は基本的に東版ビの受賞作品とポスターを時系列で展示し、作品の変化を見せるものだったが、版画とグラフィックデザインの接続とズレと差異を「断層」に見立てたことは、変化する表現の本質を探る新機軸として有効で、発見をもたらしてくれた。次は断層の分析が望まれる。


(『現代の眼』638号)
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