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工芸館石川移転開館記念特集 現代の眼 オンライン版 国立工芸館における作家アトリエの再現展示「松田権六の仕事場」
戻るシャッ、シャッ、シャッ…リズミカルな音が響く。「仕事はまず下段の棚板の隅に、青貝(あおがい)を蒔くところから始まる」とナレーションの声。漆による加飾技法の一つである蒔絵で、均等な大きさに砕いた微細な貝の破片を塗面に蒔いている音だ。カメラが作家の手元をクローズアップし、パラパラと細かな貝の破片が落ちる様子が、約2メートル幅の大画面に映し出される。映像とはいえ画面の大きさのせいか、空気を乱さぬよう思わず息を凝らす。
金沢で今秋開館した国立工芸館では、「松田権六の仕事場」として常設展示のセクションを設けることになった。東京の文京区にあった仕事場を、移築・復元すると共に、文化庁による工芸技術記録映画『蒔絵—松田権六のわざ—』の上映と、実際に制作で使われた道具や素材類などをはじめとする関連資料が展示できるケースを設置し、松田権六の制作を多角的に紹介する。冒頭の音声は、このエリアで上映されているVTRから流れるものだ。
同エリアの展示ケースでは現在、「《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》制作の周辺」と題し、制作工程で使われた置目(おきめ)(トレース用図案)やスケッチブック、また象牙、貝、卵殻などの蒔絵の素材、実際に使われていた道具類を特集展示している。映像でも登場する松田の仕事場は、仕事ができる実質有効スペースが、2畳+α程度の畳敷きの極小空間で、しばしば茶室に間違われるほどだ。手を伸ばせば座ったまま必要な道具、材料がすぐに取り出せる配置となっている。松田にとっては、狭いながらも飛行機の操縦席(コックピット)のような機能的な空間だったのだろう。ここから、《蒔絵鷺文飾箱》(1961年)や《蒔絵竹林文箱》(1965年、共に東京国立近代美術館蔵)など、戦後の名品の数々が生み出された。
今回の特集展示では、松田権六が制作のために金沢で特別注文していた金粉も出品中である。《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》(1972年、東京国立近代美術館蔵)の棚板中央部には、特注の粗いやすり粉と、9号、7号の3種類の大きさの金粉が使われている(号数が小さくなるほど粉は細かくなる)。肉眼では、違いがわかりにくいが、よく見ると特注金粉は、その他2種の金粉よりわずかに輝きが強いように感じられる。
〇で囲った部分の金粉には、特注の粗いやすり粉と、9号、7号の3種が用いられた。
松田が使用していた特注金粉を、一般的な金粉(東京産)と比べてみると、後者は、粒の大きさ・形がほぼ均一で、きれいに揃っている。一方、特注金粉は、粗く、粒の大きさも不揃いだ。この金粉を、松田は1962年頃から携わるようになった中尊寺金色堂(岩手県平泉)の修理のために注文し始めた。金色堂の建立時にあたる平安時代に用いられていた粗いやすり粉と同じものを修理で使うためだった。
松田が使用していた特注金粉を、一般的な金粉(東京産)と比べてみると、後者は、粒の大きさ・形がほぼ均一で、きれいに揃っている。一方、特注金粉は、粗く、粒の大きさも不揃いだ。この金粉を、松田は1962年頃から携わるようになった中尊寺金色堂(岩手県平泉)の修理のために注文し始めた。金色堂の建立時にあたる平安時代に用いられていた粗いやすり粉と同じものを修理で使うためだった。
通常、蒔絵用の金粉(丸粉)は、金やすりで地金をおろした後、角をとって球形になるよう形が整えられる。平安時代には、丸める作業までなされず、やすりでおろしたままで用いられていたという。特注金粉は、平安時代の蒔絵粉を参考に、角をとる作業をほどほどのところで止めて仕上げた。おろし放しでもなく、かといってただ丸くするだけでもない。ちょうど米粒ほどの大きさになるように金粉を作るのは、たやすい作業ではなかったと聞く。こうしてできた特注の粗い金粉は、松田の創作意欲をそそったようで、《蒔絵竹林文箱》等の作品に使われ、松田自身の制作においてもなくてはならない素材となっていったと考えられる。
粒の大きさや形が不揃いで粗い金粉を、松田が好んで使用した理由はどこにあったのだろう。一つには、粒が不揃いなため、金粉でモチーフを描き出す際、その輪郭線がきっちりと揃わず、多少デコボコとした効果が得られるという点。これによって、金粉の硬い印象が和らげられ、やわらかな蒔絵表現が実現できる。標準金粉では、粒が均一に揃っているため、輪郭線が整いすぎ、金粉の硬質な印象が前面に出てしまう。
しかし、この作品《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》の棚板部分に蒔かれた金粉の場合、何かモチーフを描き出しているわけではないため、別の理由が考えられる。特注金粉の拡大写真を見ると、一般的な金粉に比べて、激しくねじれ表面積が大きいという特徴がある。これを塗面に蒔くと、漆の中に沈み込む部分があったり、逆に、表面へ出てくる部分が生じたりする。うっすらと漆(純度の高い透明な漆)が被った金粉は、漆の下から鈍い光を放ち、表へ出てきたものは強い光で輝く。こうした状態のところへさらに細かい金粉を蒔いていくと、最終的に、遠目には金地一色に見えるが、強く輝く金粉とそうでないものが混じり合い、一種独特の深みのある金地ができるという。
さて、ここで金地がなされた《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》に戻って作品全体を眺めると、金地は、槇の枝葉に囲まれている。手前の枝に2羽のシジュウカラが止まり羽を休め、対角に1羽が飛ぶ。金地は鳥たちが遊ぶこの風景を明るく照らす陽光、あるいは動物や植物が生きる世界を包む空気としての意味合いをもつ。松田権六は、植物や鳥たちの背景を、控えめであるが滋味深い光で満たすため、特注金粉を使った蒔絵表現としたのではないだろうか。生命賛歌ともいうべき本作のテーマが浮かび上がってくる。
《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》は、松田権六晩年の代表作で、蒔絵、螺鈿(らでん)、撥鏤(ばちる)、平文(ひょうもん)などあらゆる技法を詰め込んだ、集大成としての作品とも位置づけられる。それゆえに、松田がこの作品にかけた気迫が映像を通して伝わってくるようだ。「松田権六の仕事場」では、VTRから流れる仕事場の音声をBGMとして聴きながら、実際に使われた図案や道具そのものを間近で見ることができる。制作された場所もすぐ目の前にある。「こんな風に作っていた!」という臨場感あふれる松田ワールドを、松田権六という近代の蒔絵師を生んだ金沢の風土を感じながら、ご堪能いただければ幸いである。
(『現代の眼』635号)
謝辞
「松田権六の仕事場」の構築にあたり、多くの方々にご協力をいただきました。とりわけ、松田権六氏のご遺族には、長期間にわたる惜しみないご尽力を賜りました。また、重要無形文化財「髹漆(きゅうしつ)」保持者・増村紀一郎氏には、工房再現のための貴重なご助言を賜りました。記してここに深謝申し上げます。
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