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工芸館石川移転開館記念特集 現代の眼 オンライン版 国立工芸館と私

島敦彦 (金沢21世紀美術館館長)

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国立工芸館 外観(左:旧陸軍第九師団司令部庁舎、右:旧陸軍金沢偕行社) 撮影:太田拓実

学芸員になり立ての1981年以来、東京国立近代美術館工芸館には平均してほぼ年に1回は足を運んできた。皇居のほとり、北の丸公園の緑に囲まれ、人気(ひとけ)がなく、ゆったりとした時間が流れている、あの静寂が好きだった。

当初、富山県立近代美術館(現在の富山県美術館)に勤務していた関係もあり、同県出身の「石黒宗麿展—陶芸の心とわざ」(1981年)が最初の訪問だったかもしれない。いや、同じ年に開かれた「八木一夫展—火と土のメッセージ」が先だったか。記憶は少し曖昧だ。

いわゆる名品展よりも、漆芸と木工の黒田辰秋(1983年)、陶芸の鈴木治(1999年)、ジュエリーの中村ミナト(2015年)など、個展が印象に残っている。コレクションでは、工芸館の最後の「所蔵作品展 パッション20」にも選ばれた、四谷シモンの関節人形《解剖学の少年》(1983年)に時折出会えるのがひそかな喜びであった。

1994年の「素材の領分—素材を見直しはじめた美術・工芸・デザイン」のような、ジャンルを串刺しにする試みも興味深かった。陶の秋山陽、和紙の藤原志保、漆の田中信行らとともに、「もの派」を代表する菅木志雄が木にパラフィンを使った作品を展示していて驚かされた。現代美術との接点で言えば、雑草や花を精巧に木彫する須田悦弘の《葉》(2007年)が収蔵されている。須田の作品は、他の国立美術館にもあるが、工芸館では「彫刻」ではなく「木工」に分類されているのが面白い。

工芸館の魅力は、工芸諸分野だけではなく、グラフィックデザインの収集・展示にも注力してきた点だ。亀倉雄策、田中一光、福田繁雄、永井一正らトップデザイナーの個展はそれぞれ見応えがあった。金沢でも見られるのかどうか、楽しみだ。

こうして振り返ってみると、工芸館のこれまでの活動は、工芸の伝統や歴史をきちっと見守りつつも、狭い意味での工芸に安住しないぞ!という姿勢に貫かれてきたのではないか。旧陸軍の建物を活用した展示空間の魅力と制約は、東京と同様、金沢の国立工芸館にも引き継がれたが、分野の枠にとらわれないラディカルな取り組みに期待したい。

かつて、工芸的という形容は、現代美術において誉め言葉ではなかった。今なお、そうかもしれない。表面的な完成度はあるけれど、新たな問題提起を感じさせない作品に対して、(私自身も)しばしば用いてきたように思う。

しかしこの20年余り、工芸的という言葉の響きは必ずしも否定的な意味を帯びなくなったのではないか。新旧を問わず、たとえば超絶技巧的な作品(鈴木長吉の《十二の鷹》や満田晴穂の自在置物など)への関心の高まりも一因だ。現代美術の世界でも、村上隆の周到な工程を経て制作される絵画や彫刻、あるいは杉本博司の丁寧に額装された大型の白黒写真は、ともに工芸的な仕上げが欠かせない。金沢21世紀美術館所蔵のアニッシュ・カプーアの円盤状の彫刻《白い闇Ⅸ》(2021年5月9日まで、当館で展示)や加賀友禅に触発されて制作されたマイケル・リンの鮮やかな花模様の大壁画もまたしかりである。

金沢21世紀美術館は、現代美術館として有名だが、実は2004年の開館前から工芸を収集、富本憲吉から1980年代生まれの若い作家まで、国内外50名余りの作品を収蔵している。秋元雄史前館長が企画した「工芸未来派」展(2012年)や深澤直人監修の「工芸とデザインの境目」展(2016–17年)は、当館ならではの工芸への問いかけだった。昨年は、開館15周年を機に、これまでに収集した工芸作品を一挙に展示公開した。

国立工芸館に隣接する石川県立美術館、そこから徒歩5分の金沢21世紀美術館、さらに市内には金沢美術工芸大学や金沢卯辰山工芸工房があり、工芸のギャラリーや店舗が軒を連ねる。さまざまな立場から工芸を支えるこうした稀有な環境に、待ちに待った国立工芸館が開館したのである。

(『現代の眼』635号)

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