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現代の眼 オンライン版 展覧会レビュー 多様化する工芸の現在地

青木千絵 (金沢美術工芸大学工芸科准教授)

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“工芸とは何か” そのような問いに対し、工芸の現在地が俯瞰できる「ジャンルレス工芸展」が国立工芸館で開催された。本展では、国立工芸館が所蔵する工芸・デザイン作品を中心に、敢えて工芸と括らずに新たな視点で紹介することを目的としている。まず会場を訪れると「デザイン」と「現代アート」という従来の工芸からは少し離れた印象を持つエリアに区分されていることに驚かされる。しかし同時に、共感に近い感覚も覚える。最近では、私自身も含め、美術や工芸といったジャンルに拘らずに工芸素材や技術に向き合う作家が増えてきているからだ。

まず、「デザイン」部門である展示室1に入ると、富本憲吉の《色絵金銀彩羊歯文八角飾箱》に出会う。単純形態を連続させることで、新しい図柄を生み出すという富本独自の意匠は、未だに新鮮で洗練された印象を抱かせる。2階に上がった“芽の部屋”では令和に活躍する作家である見附正康、新里明士、池田晃将、澤谷由子らの緻密な意匠が鑑賞できる。池田晃将の《電光無量無辺大棗》[図1]では、現代の情報化社会を背景に映画「マトリックス」を彷彿させる意匠が印象的だが、その基盤には精密な螺鈿技巧が存在する。また、澤谷由子の《露絲紡》では、レース編みを彷彿させる西洋的な雰囲気を纏った意匠が見られるが、そこにはイッチン技法[1]を追求した先にのみ表現できる唯一無二の世界観が広がっている。漆の神様と呼ばれる松田権六が「技術と材料を生かす根本はデザインなんです」[2]と語っているように、やはりデザインが面白くなければ魅力ある作品は生まれないのだと実感する。これらの作品を見ると、従来の工芸では思いも寄らなかった表現対象とも言える独自の世界観が、技巧を尽くした確かな工芸手法の上で表現されていることに気付かされる。こうした意外性が現代に通用する魅惑的な美を備えた作品へと昇華させていくのだろう。

次の「現代アート」部門では現代陶芸のパイオニアとも言える八木一夫の《黒陶 環》や社会性を取り入れた幅広い表現を行う三島喜美代の《Work-86-B》など、まさに現代アートと言われる作品の数々が並ぶ。坪井明日香の《パラジウムの木の実》[図2]では、女性の乳房が積み上げられた中心に1房のぶどうが添えられており、女性が排他的に扱われていた制作当時、アバンギャルドな作品であったことは想像に容易い。メタリックな質感でありながらも陶芸作品であるという点にも見所がある。また、牟田陽日の《ケモノ色絵壺》では、九谷焼独特の色彩を活かし、華やかな花々に囲まれた中に構える白い山犬が臨場感たっぷりに描かれており、その求心力に惹き込まれる。いずれの作品も各々の表現したい世界が明確にあり、工芸の素材や技術を1つのツールとして捉えながら、自らの表現を探求しているように窺えた。

本展を通して、“工芸とは何か”という、おそらく工芸に携わる多くの現代作家が一度は考えるであろう問いに対し、工芸を基盤にしながらも現代アートやデザインに果敢に拡がっていく工芸の現在の有様を俯瞰することで、改めて工芸の現在を考えさせられた。元来、歴史や伝統を重んじる工芸には「古臭く技巧的で職人的」[3]と思われる側面があったかもしれない。しかし、私を含めた現代作家は、先達が切り拓いてきた道があるからこそ自由に表現でき、そしてそれが評価される時代に今、生きているのだと実感する。今後、益々拡がるであろう工芸の可能性に期待が膨む。

(『現代の眼』637号)


  1. 筒状の泥漿を作品に盛り付ける装飾技法であり、陶磁技法の一種。
  2. NHKアーカイブス「あの人に会いたい 松田権六」より引用。
  3. 岩井美恵子「時代の芸術—ジャンルレスな時代の工芸とデザイン—」、『ジャンルレス工芸展』(図録)、国立工芸館、2022年、p.4

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