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現代の眼 オンライン版 展覧会レビュー 「ポケモン×工芸展」:デュアル・ミッションの成否を分けるもの
戻る「ポケモン×工芸展」。とてもわかりやすい展覧会名だ。ポケットモンスターを「お題」にした工芸作品が見られるのだろう、ということがよく伝わってくる。しかも出品作品のすべてが新作だという。キャリアのある作家から新進作家まで、20名の作り手たちの技と創意を、ポケモンという統一された図像体系を通じて鑑賞できるわけだ。ポケモンのことは何となく知っている、という程度だったが、未知の図像体系に支えられた異文化の文物を鑑賞するような心持ちで展示を楽しむことができた。
金沢での現代工芸の展覧会といえば、「工芸未来派」(2012年、金沢21世紀美術館)のことが思い浮かぶ。「工芸未来派」では、今展のポケモンに相当するような統一テーマがなかった。キュレーターが後に出版した同名の書籍を見ていると、「現代工芸って何でもアリなんだな」という印象をさらに強くする。それは課される枠がないことからくる野放図さ、自在さの印象といえるだろう。他方、「ポケモン×工芸展」では、お題があることで一種の枠が課されている。作り手は野放図に新作を送り出すわけにはいかない。ポケモンの図像体系に「準ずる」ことは、今回、工芸作家にとってはひとつの大事なミッションなのである。
話は変わるが、学芸員時代に「ウルトラマン・アート!」という巡回展の担当をした。怪獣のデザイン画を始めとする放映当時の資料のほか、ウルトラマンにインスパイアされた現代美術(映像を併用したインスタレーション)も出品されたのだが、そのインスタレーションでは、演出された「チープさ」を通して、皆が知っているフィクションに対する愛情と批評的態度が表現されていた。「ポケモン×工芸展」の会場では、こうした「チープさ」が感じられない。大抵の作家と作品が、いたって大真面目に見えるのだ。そうした印象は、友禅であれ、螺鈿であれ、自在であれ、会場のほとんどすべての作品がラグジュアリーに見える(すなわち「チープ」ではない)、ということと無関係ではないだろう。この真面目さの印象は、一体どこから来るのか。私にはそれが、素材や技法に「殉ずる」工芸作家たちの制作態度に由来しているように思われた。
「ウルトラマン・アート!」におけるインスタレーションは、コンセプト重視である。そこで用いられていた素材や技術は、演出上必要ではあっても、比較的容易に代替可能な要素の集まりである。他方、多くの工芸作家にとって、素材や技法は簡単に他で代用できるものではない。それらは、工芸作家のアイデンティティの一部をなしていたり、作り手たちがもつ世界観と切り離せないものだったりする。だから、お題にあわせて素材を替えてしまう、というわけにはいかないのだ。「ポケモン×工芸展」において、お題が外部から要請されたミッションであるとするならば、自らが選び取った素材や技法にこだわることは、工芸作家が自身に課している「もうひとつのミッション」であるといえる。これらのミッションが首尾よく果たされるかどうかは、作り手の側からすれば、素材や技法の特性を活かして、お題を納得のいくかたちで造形化できるか、に懸かっている。国立工芸館の側からすれば、ゲームやアニメというフラットな世界への来場者の関心を、三次元の厚みと素材感のある表現、そして作り手が日々身を投じている物質的現実との真剣勝負、いわば工芸の世界への関心へとさりげなく拡張することができるかどうか、ということになるだろう。
オープンして最初の週末、修学旅行なのか、会場は制服姿の中学生たちで溢れかえっていた。螺鈿の作品を見ていると、「これって貝殻なんだ」「(貝殻は)角度が変わると色が変わって見えるじゃん」「すごい…」という学生の会話が聞こえてきた。POKÉMONもKOGEIも、国際的な認知度が高い日本発のコンテンツだ。会場で出会うラグジュアリーな作品の数々は、そうした認知と期待に十分応えるものになっていると思う。でも、そうした期待に応えられていること以上に重要なのは、こうした子どもたちの反応のほうだろう。次代を担う若者たちの口からもれてくる、「これって貝殻なんだ」という素材や技法に対する素直な驚きの声。工芸の未来はおそらく、そこに懸かっている。ポケモンを入り口にしつつ、そうした感想が会場でどれだけ呟かれるのか。それこそが今回、工芸作家と国立工芸館が臨んだ二重の使命の成否を分ける本当の基準なのだと思う。
(『現代の眼』638号)
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