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現代の眼 オンライン版 展覧会レビュー 心象工芸展に寄せて
戻る私たちは現在、農業革命、産業革命、情報革命に続く新たなパラダイムシフトの時代を迎えている。この変革は、デジタルデータという新たなメディアを通じて、物質的な価値だけでなく、感覚的な評価や体験の質が重要視される時代を象徴している。この変化は、アートの領域にも深く影響を与えている。私たちは、作品の背後にある「心象」や「共感」の価値を見出し、それを評価する時代を迎えつつあるのではないだろうか。
農業革命は食糧生産の効率化を、産業革命は機械化と大量生産を、情報革命は情報の即時性とアクセスの普遍化をもたらしたが、この「心象」とは、私たちの内面にある感情や記憶、そして他者とのつながりを反映したものであり、それをどのように表現し共有するかが、今後のアートの重要なテーマともなっているように感じる。情報革命が進展する中で、社会全体で環境資源の有限感を共有し、個人が情報発信能力を持ち、市民権を得るという流れの中で、「心象」とは何か、そしてそれをどのように表現し、いかに共有するかが、この展覧会のひとつのテーマともなっている。
この展覧会では、各作家が独自の表現を通じて、鑑賞者の感覚に深く訴えかける作品を展示している。工芸作品が持つ手触りや質感、絵画や彫刻の視覚的な刺激、デザインが生み出す空間の雰囲気——これらすべてが単なる物質的な存在ではなく、心象を反映し、共鳴を生み出すメディアとして機能している。
彫金の重要無形文化財保持者である中川衛は、加賀象嵌の高度な技術と、器物における形状の美しさ、優れたデザイン性が高く評価されている。中川の作品は、金属の重厚感を超越し、光の作用によって生まれる陰影の煌めきも特徴的である。例えば、金沢の犀川上空を飛翔するトンビをモチーフにした《象嵌上四分一花器「天高く」》には、湿潤な北陸の風土が感じられ、繊細で豊かな美意識が表現されている。
一方、漆芸の中田真裕はコンテンポラリーダンスの経験を生かし、自らの身体の可動域や身体と作品との相互作用を基に、作品のフォルムやサイズを選んでいる。中田の《サウンドスケープ》は、北陸特有の轟く雷鳴と、雷によって一瞬浮かび上がる景色を意識しながら、内面の記憶や感情を彫り込むように、身体の動きそのものを漆で表現し、作品に反映させている。
また、刺繍の沖潤子は、幼い娘から手作りの手提げ袋が贈られたことをきっかけに、若くして亡くなった母の遺品の道具や古布を使い始めた。布を通じて命の連鎖の営みを表し、沖の作品《レモン 1》[図 1]では、鎌倉のアトリエでレモンを並べ、そこに差し込む光を表現することで日常の営みをも感じさせている。沖の刺繍には、布に針と糸を刺すという手法を通して、母から娘へと受け継がれる時間や、彼女自身の内面の思いが縫い込まれているようである。
さらに、ガラスの佐々木類は、米国滞在の後、日本への懐かしさの喪失や逆カルチャーショックを感じる中で、五感を呼び覚ます記憶の器としてガラス作品を制作する。佐々木の《植物の記憶/うつろい》作品群[図 2]は環境をひとつの事象として捉える現代的な視点を反映している。自然環境への関心を持ちながら、佐々木が感じた「かすかな懐かしさ」と「採集する行為」をガラスに閉じ込めた作品である。
また、金工の髙橋賢悟は 2011 年の東日本大震災で受けた衝撃をもとに、現代における「死生観」と「再生」をテーマにした作品を制作し続けている。大作《還る》[図 3]では、作品の空間構成で鑑賞者との対話を通じて新たな感覚的なつながりを生み出している。
そして、陶芸の松永圭太は大学で建築を専攻した後、生まれ故郷の岐阜に戻り、両親と同じく陶芸の道を選んだ。金沢卯辰山工芸工房での経験を生かし、松永は九谷焼の上絵付に用いられる転写シールを使い、工房のトタンを写し取った作品を作成した。彼の作品《蛻》は、原土の表情を活かし、プリミティブでありながら構築的なデザインが融合し、土に対する松永の制作態度と深い考察、そして継続的な挑戦の積み重ねによって形成されたものである。
心象工芸展では、現代社会に不可欠な豊かな自分と出会うことが意図されている。この展覧会を通じて、私たちは自身の内面に潜む無限の可能性と対話し、共鳴を深めることができるであろう。アートは視覚的な体験を超えて、感情や内面の価値を探求する手段として、私たちに新たなつながりを提供してくれる。この展覧会が、私たち自身と他者との新たな対話を生み出す場となり、心象の豊かさを感じさせる体験をもたらしてくれることを期待する。
(『現代の眼』639号)
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