展覧会

会期終了 所蔵作品展

所蔵作品展 MOMATコレクション 

会期

会場

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー

※4F所蔵品ギャラリー photo: 木奥恵三(以下、*印)
(この会場風景は以前のものであり、現在の展示とは異なります。)
会場

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F~2F)

会期

2014年1月21日(火)~4月6日(日)
前期:1月21日(火)~3月2日(日)
後期:3月4日(火)~4月6日(日)

開館時間

10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)
※入館は閉館30分前まで

休館日

休館日:月曜日[ただし、3月24日(月)、3月31日(月)は開館]

観覧料

一般 420円(210円) 大学生130円(70円)
*消費税増税に伴い、2014年4月1日以降、観覧料金が次のように変更となります。
一般 430円(220円) 大学生130円(70円)
*高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。

*それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
*( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
*お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。
*キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
*本展の観覧料で、当日に限り、「泥とジェリ-」展(2F、ギャラリー4)もご観覧いただけます。

無料観覧日(所蔵作品展と小企画「泥とジェリ-」のみ)

2月2日(日)、3月2日(日)、4月6日(日)

主催

東京国立近代美術館

概要

所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内

「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる12,000点(うち重要文化財13点、寄託作品1点を含む)を越える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。

ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋が集合したスペースに生まれ変わりました。その1から12室までを番号順にすすむと1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。

「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。

展示替:年間4~5回程度大きく作品を入れ替えています(会期によっては、さらに日本画を中心とした一部展示替があります)。

このページ内の会場風景はすべて撮影時のものであり、現在の展示と同じとは限りません。

*印:いずれもphoto: 木奥恵三

ここが見どころ

特集「何かがおこってる:1907-1945の軌跡」(2-10室)

前会期に引き続き、日露戦争後から太平洋戦争終結までの時代を考える特集です。日本では日露戦争後、「大正デモクラシー」の名のもとで個人の自由が叫ばれると同時に、自国の勢力を他国に及ぼそうとする傾向が強まりました。つまり、個人の自由な自我の拡張と、国土の拡張とは、同時に進行したのです。関東大震災をはさみ、文化は成熟し、人々は豊かな暮らしを享受します。一方遠い中国では日中戦争が始まり、やがて太平洋戦争へと帰結します。特に時代を語るたくさんの雑誌や、関東大震災からの復興ぶりを示す貴重な映画「復興帝都シンフォニー」の上映はぜひお見逃しなく。また2階ギャラリー4ではコレクションを用いた小企画「泥とジェリー」も開催中です。

 今期の展示は3つのパートに分かれています。
4階(1室) 「ハイライト」コーナー:代表的な所蔵作品をまとめてご覧いただけます。
4–3階(2–10室) 特集「何かがおこってる:1907–1945の軌跡」
2階(11–12室)「あなたの肖像―工藤哲巳回顧展」にちなみ、60–70年代の作品をご紹介。加えて奈良美智新収蔵作品初公開も!

今会期に展示される重要文化財指定作品

初公開のドローイングや高松自身による文章を駆使して、一見謎めいたその作品をわかりやすく ていねいに読み解きます。

*今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。

●原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)
●萬鉄五郎《裸体美人》1912年
●岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 [小企画「泥とジェリー」展(2F、ギャラリー4に展示します)]
●中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年

当館ホームページ(美術館)内の重要文化財コーナーでは、所蔵する13点の重要文化財(1点は寄託作品)について、画像と簡単な解説をいつでもご覧いただけます。どうぞ重要文化財コーナーもご参照
ください。

※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。

前期・後期の作品の入れ替えについて

一部会期中、作品の入れ替えがあります。

□前期【1月21日(火)~3月2日(日)】のみに展示される作品
 上村松篁《双鳩(そうきゅう)》1942年

□後期【3月4日(火)~4月6日(日)】のみに展示される作品
 小林古径《双鳩(そうきゅう)》1937年

展覧会構成

 「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。下記マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。

所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。

4F

1室 ハイライト
2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで
「眺めのよい部屋」
美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。
「情報コーナー」
MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。

1. ハイライト

 3,000㎡に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけさっと見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで、2012年夏のリニューアルを機に、重要文化財を中心にコレクションの精華を凝縮してお楽しみいただける、「ハイライト」のコーナーを設けました。壁は作品を美しく際立たせる濃紺、床はガラスケースの映り込みをなくし、作品だけに集中していただけるよう、艶消しの黒を選んでいます。
 今回は、新たに寄託を受けた加山又造の《群鶴図》(ルビ:ぐんかくず)を初めて紹介します。加山が琳派の酒井抱一の描いた作品に触発され、長年にわたって構想を練り上げて制作した作品です。油彩では、原田直次郎、萬鉄五郎、中村彝の重要文化財が勢ぞろい。海外作家も「ハイライト」の名前にふさわしいラインナップです。

2. 坂の上の雲

 日清戦争(1894–95年)、日露戦争(1904–05年)の勝利によって、日本は列国との不平等条約を改正し、真の独立国としての地位を獲得します。東アジアの新秩序の担い手を自任し、「世界の中の日本」という意識が芽生え始めるのもこの頃のことです。司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描きだしたように、明治維新以来追い求めてきた近代日本の国家像がひとつの完成を見たのです。それはまた、当時の国際関係の中で日本が「帝国」としての一歩を踏み出したことを意味します。日露戦争の結果、日本は1910(明治43)年に韓国を併合し、大陸進出への足がかりを得たのです。
 文部省主催の美術展覧会(文展)が始まったのは、日露戦争直後の1907(明治40)年のこと。第1回文展出品作の中には和田三造の《南風》のように、英雄的な男性像によって時代の気運を捉えたものも含まれていました。しかし、その一方で戦争遂行の負担を強いられてきた民衆の政府に対する不満が爆発。世間の関心の比重は次第に「国家」から「個人」に移りつつありました。

3. わたしと太陽

 「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている。従って、芸術家の PERSOENLICHKEIT(人格)に無限の権威を認めようとするのである。[…]人が『緑色の太陽』を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである」。1910(明治43)年に高村光太郎が発表したエッセイ、「緑色の太陽」の中の一文です。外界の自然の姿すら変えることが可能な、芸術家のものの見方、感じ方の絶対の自由をうたう、大正デモクラシーの幕開けを告げる文章です。さて、赤いはずの太陽が補色の緑で描かれる―このたとえの背後には、オレンジと青の二つの補色で太陽を描くヴァン・ゴッホの作品のイメージがあったはずです。同じ1910年に発刊された雑誌『白樺』には、ゴッホの複製図版が多数紹介されました。輝くような色彩(図版の多くはモノクロでしたが)、息せき切った作画のスピード感を示す絵具の厚塗り、そして周囲に理解されない悲劇の生涯―ゴッホはたちまちのうちに、若い芸術家たちの拡張を求めて止まない「わたし=自我」を照らし出す、心の「太陽」となったのです。 

4. ふるさと創生

 1927(昭和2)年、「昭和の新時代を代表すべき新しい日本の勝景」を選定するという号令のもと、大阪毎日新聞、東京日日新聞、及び鉄道省が共同で、日本新八景を選出するためのはがき投票のキャンペーンを新聞紙上で行いました。これは人々の熱狂的な郷土愛を煽り、投票総数は、当時の人口の1.5倍を超える約9,342万通にも上りました。日本新八景の審査基準には、「規模の大なること」「四季各々特色の在ること」などのほかに、交通が便利であることや施設の有無といった、観光資源としての潜在力が挙げられていました。こうした条件設定の背景には、鉄道網の整備や、生活にゆとりのある中間層が余暇に旅行するようになっていたことがあります。民俗学のフィールドワークとして、全国各地を巡っていた柳田國男の言葉を借りれば、近代という「新文化」の発展によって、「旅」は「其日暮らし」のつらいものから、「楽しみの為」の「旅行」へと変化していったのです。このなかで、自然は風景として整備され、人々の経済活動に徐々に組み込まれていきました。日本の原風景は、もとよりそこにあったのではなく、近代化によって創造されたのです。

5. 地震のあとで

 1923年9月1日、マグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲います。揺れによる建物の倒壊よりも火災の被害の方がはるかに大きく、地震直後に発生した火災はまたたくまに東京の中心部を焼き尽くしました。首都を壊滅させた震災は、ヨーロッパを荒廃させた第一次世界大戦に比較しうる衝撃を日本にもたらします。すなわち近代文明を問い直し、既存の社会を変革する動きが、「改造」という時代の掛け声とともに広く浸透するきっかけとなったのです。1920年代に登場した村山知義や柳瀬正夢といった急進的な前衛芸術家は、まもなく社会主義思想に共鳴してプロレタリア芸術運動を主導しました。震災によって江戸の名残が一掃された東京は、復興の過程でさらなる近代化を推し進め、華やかな消費文化の舞台となっていきます。機械の力とスピード、文化の新たな担い手となった躍動する女性像、都市の下層から聞こえる労働者の唄。これらが混然一体となって「大衆」を主体とする生活文化が伸長を始めるのです。

3F

6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋

6. 白日夢

 光と影が交錯する1930年代をひとつの像で描き出すことは困難です。たしかに1920年代との比較において、軍国主義の台頭を強調することは可能でしょう。1931年に満州事変が勃発し、五・一五事件(1932年)、二・二六事件(1936年)など軍部のクーデターが続き、1937年の盧溝橋事件によって日中戦争に突入したわけですから。社会主義者の徹底的な弾圧も行われました。しかしながら、人々の日常すべてが戦時体制に染まったわけではありません。先端的なファッションに身を包んだ「モボ・モガ」が見慣れたものとなり、ジャズやレビューや映画が流行し、湘南や須磨の海岸は海水浴客で賑わい、雑誌メディアの隆盛とともに大衆文化が開花したのも30年代のことなのです。世界恐慌が日本に波及して深刻な不況に見舞われても、20年代に端を発する大衆社会の欲望は衰える気配をみせません。このような日常生活への埋没が、大陸で繰り広げられている戦争を想像する力を鈍化させ、いつしか国土・国力の拡張政策を支えていたのかもしれません。

7. 遠くで銃声

 三崎亜紀の『となり町戦争』(2005年)という小説があります。自分の町ととなり町が戦争状態に入ったと報じられる。しかし日常は平穏そのもの。ただ広報誌掲載の戦死者数だけがどんどん増えて行く―という筋書きです。
 1937(昭和12)年7月、日中戦争が始まりました。一方でこの夏には、「別れのブルース」「アマポーラ」(淡谷のり子)、「アロハオエ」(灰田勝彦)といったヒット曲がリリースされています。3年後の1940(昭和15)年には、東京オリンピックの開催も予定されていました(1938年、日中戦争のため中止が決定され、幻のオリンピックとなりました)。見えないところで統制が進み、近所の誰かれが出征する。しかし日々の暮らしは穏やかに続き、遠くの戦争の実感はなかなか得られない。当時を生きた多くの人々が、もしかしたらこんな風に感じていたかも知れません。
 この部屋では、北脇昇、安井仲治、椎原治、小磯良平など、それぞれのやり方で、身近な日常と遠くの戦争とが絡み合うさまを示した作品をご紹介します。

8. 頭上の火の粉

 1941(昭和16)年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃をもって太平洋戦争が始まりました。「白日夢」の中でまどろみながら、「遠くの銃声」を予兆のように聞いていた人々は、いよいよ戦争の現実に直面することになったのです。美術家もまた陸海軍の委嘱を受け、「戦争画」(当時「作戦記録画」の名で呼ばれました)を描くという課題に取り組みます。勝利が続く戦争初期には、、鶴田吾郎《神兵パレンバンに降下す》(1942年)のように、どこか静かに戦闘を眺めるような作品も目につきます。やがて戦況が悪化すると、藤田嗣治《アッツ島玉砕》(1943年)や《サイパン島同胞臣節を全うす》(1945年)のように、本来画家が見るはずのない至近距離から人々の悲劇に肉薄する構図が生まれます。戦争末期には本土空襲が激化し、遠くの戦争は人々の頭上に直接火の粉が降りかかるところまで迫りました。鈴木誠《皇土防衛の軍民防衛陣》(1945年)は、空襲下の女性と子どもを描く、比較的めずらしい作品です。女性雑誌の中の女性や子どもたちの姿と見比べてみて下さい。

9.復興帝都シンフォニー

 関東大震災から6年が経過した1929(昭和4)年に、この記録映画は撮影されました。製作は東京市政調査会。東京市政調査会は、東京市長であった後藤新平の肝いりで1922(大正10)年に創立された都市行政のための調査研究機関です。関東大震災の前年のことでした。そして震災からの復興計画の策定と復興事業の推進に指導的役割を果たしたのが、当時内務大臣を務めていた後藤だったのです。
後藤はこの大災害を「理想的帝都建設の為真に絶好の機会」だと捉え、帝都復興院の総裁として辣腕をふるいました。フィルムには、道幅を拡充して舗装された道路や、隅田川に新設された耐震耐火の橋が映り、復興計画によって改善された都市機能が強調されています。その一方で、建設中の震災記念堂や、仮納骨堂で手を合わせる人の姿が挿入され、災害の傷が完全に癒えたわけではないことも示唆されます。人気のない早朝のシーンから、テンポの良いモンタージュで都市の生動感を表現していく手法には、「伯林:大都会交響楽」(1927年)からの影響が指摘されています。

10. 「同じ梢に咲いて会ふ」

 桜で有名な日本画家に菊池芳文や跡見玉枝がいます。どちらも江戸末生まれで、芳文は京都四条派、玉枝は桜画の三熊花顚(かてん)の系譜に連なります。芳文らが情感豊かに描きだしたのは、古来和歌にうたわれた桜の世界でした。
一方、明治末になると、散りぎわの潔さから、桜は軍歌にうたわれるようになります。1911(明治44)年に発表された陸軍唱歌の「歩兵の本領」は、「万朶(ばんだ)の桜か襟の色、花は墨田に嵐吹く、大和男子と生まれなば、散兵戔(さんぺいせん)の花と散れ」のフレーズが印象的です。さらに、太平洋戦争開戦前夜になると、有名な「同期の桜」がつくられ、「別れ別れに散ろうとも、花の都の靖国神社、同じ梢に咲いて会ふ」と、死をおおいに美化しました。
おそらく、軍歌に類したこの時代独特の文化が人々の日常に浸透し、桜の意味するものを微妙に変えてゆきました。戦時下に日本画家たちはよく桜を描いて売り上げを献納しました。そのときにはすでに、富士や菊といったモチーフと同様に、桜が「皇国」や「国体」のシンボルであることを、描く側はもちろん見る側も了解済みで歓迎したのです。

2F

11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで
2F、ギャラリー4 :所蔵作品を中心とした小企画「泥とジェリー」
詳細はこちら→「泥とジェリ-」展

11. 観察と幻視

 「あなたの肖像―工藤哲巳回顧展」(2月4日—3月30日)にあわせ、「観察と幻視」というテーマで、日本の写真家たちの作品を紹介します。
 挑発的なパフォーマンスで知られる工藤がそうであったように、彼が活動した時代の美術表現は、従来の作品概念にとらわれない、多様な展開を見せます。写真家大辻清司は、雑誌などのためにそうした新たな表現の現場を数多く撮影しました。自身もジャンル横断的な活動を展開した実験工房のメンバーで、思索家としても知られる大辻は、写真が果たしうる役割にすぐれて自覚的な観察者でした。大辻の写真は、かたちの残らない美術表現の貴重な記録であると同時に、それ自体が批評や解釈であると見ることもできるでしょう。
また、特異なオブジェなどによって文明社会に対する問いを発した工藤にちなみ、現実に対して幻視的なまなざしを投げかけ、文明批評的な奥行きを獲得している同時代の写真作品をあわせて展示します。

12. コスモス/イノセンス

 今回この部屋は、2つのテーマに分かれています。
ひとつは、右手側のエリア。1階で開催される「あなたの肖像―工藤哲巳回顧展」に合わせて次のような作品を中心に展示しています。量子や宇宙や無限など、科学的、宇宙論的とも言える世界観を見せる作品。変わった素材を使った作品。そしておぞましきものを取り入れた作品などです。
もうひとつは、左手側のエリア。こちらは、昨年末に奈良美智の代表作を購入したことを祝い、「イノセンス(無垢)」をテーマに作品を集めてみました。19世紀末から現代にいたるまでの絵画と写真を通してみると、子供の無垢さが、時に愛らしきものとして、時に畏怖すべきものとして、捉えられてきたことがわかります。

イベント情報

MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド

日程

2014年1月21日(火)~4月6日(日)
(2月8日(土)、2月22日(土)、3月1日(土)、3月15日(土)は13:00から行います。)

時間

14:00-15:00

場所

所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合)

  • 所蔵品ギャラリーでは毎日、作品解説が行われています。
  • 当館のボランティア「MOMATガイドスタッフ」が、参加者のみなさまと会場をまわり、数点の作品を一緒に鑑賞しながら、作品についての理解を深められるようにお手伝いします。
  • 作品とテーマは、ガイド前に1階エントランスに掲示されます。
  • 約40名のガイドスタッフそれぞれ、作品とテーマが異なりますので、何度参加されてもお楽しみいただけます。

  • 「MOMATガイドスタッフ」のページもあわせてご覧ください。
  • 「ある日の所蔵品ガイド」の様子を写真付きで詳しく紹介しています。

会期最初の土曜日は研究員による所蔵品ガイド

日程

2014年1月25日(土)

時間

14:00-15:00

MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー

日程

毎月第1日曜日(無料観覧日)

2014年2月2日(日)
2014年3月2日(日)
2014年4月6日(日)

時間

11:00-12:00

場所

4階エレベーター前集合

近代日本の美術の流れをたどりつつ、所蔵作品展「MOMATコレクション」の見どころを押さえたい方に。MOMATガイドスタッフが、参加者の皆様とともに4階から2階までをまわり、代表的な所蔵作品を、やさしく解説します。

トーク・イベント

鈴木勝雄(当館美術課主任研究員)+大木優子(当館美術課補佐員)

日程

2014年2月28日(金)

時間

18:00-19:00

蔵屋美香(当館美術課長)+大木優子(当館美術課補佐員)

日程

2014年3月7日(金)

時間

18:00-19:00

*いずれも参加無料、申込不要、要観覧券

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