展覧会

会期終了 所蔵作品展

所蔵作品展 MOMATコレクション 

会期

会場

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー

4F所蔵品ギャラリー photo: 木奥恵三(以下、*印)(この会場風景は以前のものであり、現在の展示とは異なります。)
会場

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F~2F)

会期

2014年11月11日(火)~2015年3月1日(日)
前期:11月11日(火)~12月21日(日)
後期:12月23日(火・祝)~3月1日(日)

開館時間

10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)
※入館は閉館30分前まで

休館日

月曜日[ただし、11月24日(祝)、1月12日(祝)は開館]、11月25日(火)、2015年1月13日(火)および年末年始[12月28日(日)~2015年1月1日(木)]

観覧料

一般 430円(220円)
大学生130円(70円)

  • 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。
  • それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
  • ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
  • お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。
  • キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
  • 本展の観覧料で、当日に限り、「奈良原一高 王国」展(2F、ギャラリー4)もご観覧いただけます。
無料観覧日

12月7日(日)、1月2日(金)、1月4日(日)、2月1日(日)、3月1日(日)

主催

東京国立近代美術館

概要

所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内

 「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる12,000点(うち重要文化財13点、寄託作品1点を含む)を越える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。

 ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋が集合したスペースに生まれ変わりました。その1から12室までを番号順にすすむと1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。

 「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。

展示替えについて
年間4~5回程度大きく作品を入れ替えています(会期によっては、さらに日本画を中心とした一部展示替があります)。

ここが見どころ

新収蔵作品、セザンヌ《大きな花束》を初公開!

ポール・セザンヌ《大きな花束》1892-95年頃

 

 4F1室「ハイライト」で、今年度に購入したばかりのセザンヌ《大きな花束》(1892-95年頃)を初公開します。日本の作家にも幅広く大きな影響を与えたセザンヌの静物画の大作が、今年度当館のコレクションに新たに加わりました。そのお披露目展示になります。

このほか、注目される特集:
*2Fギャラリー4で開催の「奈良原一高 王国」展(11月18日-2015年3月1日)と関連して、写真家、奈良原一高の「王国」以外のシリーズを3F9室と2F11室でご紹介します。

*1Fの「高松次郎ミステリーズ」展(12月2日-2015年3月1日)にちなみ、1960-70の美術を特集します。荒川修作、出光真子、榎倉康二、大辻清司、岡崎和郎、河原温、工藤哲巳、中西夏之、奈良原一高、李禹煥、ジョーン・ジョナスとロバート・ラウシェンバーグを展示。

今会期に展示される重要文化財指定作品

今会期に展示される重要文化財指定作品
● 原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)
● 萬鉄五郎《裸体美人》1912年
● 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 
● 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年

当館ホームページ(美術館)内の重要文化財コーナーでは、所蔵する13点の重要文化財(1点は寄託作品)について、画像と簡単な解説をいつでもご覧いただけます。どうぞ重要文化財コーナーもご参照ください。

※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。

前期・後期の作品の入れ替えについて

前期(2014年11月11日~12月21日)のみに展示される作品
● 小林古径《機織(はたおり)》1926年
● 西沢笛畝《うないの友》1936年
● 鏑木清方《鰯》1937年

後期(2014年12月23日~2015年3月1日)のみに展示される作品
● 小林古径《極楽井》1912年 梅原龍三郎氏寄贈
● 冨田溪仙《紙漉き》1928年
● 北野恒富《戯れ》1929年

※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。

展覧会構成

「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。下記マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。

所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。

4F

1室 ハイライト
2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで
「眺めのよい部屋」

美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。
「情報コーナー」
MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。

1. ハイライト

 3,000m²に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけ見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで、一昨年の所蔵品ギャラリーリニューアルにあたって、重要文化財を中心にコレクションの精華をお楽しみいただける「ハイライト」のコーナーを設けることにしました。壁は作品を際立たせる濃紺、床はガラスケースの映り込みをなくし、作品だけに集中していただけるよう、艶消しの黒を選びました。
 今回は、今年度に新しくコレクションに加わったポール・セザンヌ《大きな花束》を初めて公開します。日本の近代画家にも絶大な影響を与えたセザンヌの、様々な試行錯誤の跡がみてとれる静物画の大作です。静物画とはいいながらまるで風景画のような豊かな広がりを持つ絵画空間をお楽しみください。油彩は、萬鉄五郎、中村彝、岸田劉生の重要文化財に加え、セザンヌに影響を受けた安井曽太郎が独自のスタイルを確立した時期の代表作のひとつ《奥入瀬の溪流》を展示します。日本画では、平福百穂《丹鶴青瀾》と吉岡堅二の《馬》を展示します。

2. 明治の絵画 リアルな自然を描く

黒田清輝《落葉》1891年

 絵画の近代化を模索する明治期の画家にとって、自然をいかにリアルに描くかは至上命題でした。ここでは風景画に限定せず、ひろく風俗画と呼ばれるものまで含めてその方法に注目してみましょう。
 第一にフレーミングの工夫。黒田清輝の《落葉》は、森の風景を俯瞰的に切り取ることで、まるでその中を実際に散策しているかのような印象を与えます。場面全体を説明するのではなく、あえて断片的に感じられるフレーミングを施すことで、生き生きとした体験を再現しようとしています。
 第二に人間の生活と自然とのつながりを提示すること。南薫造《六月の日》には麦刈に勤しむ農民の姿が、和田三造の《南風》には屈強の海の男たちが描かれ、背景の自然とワンセットで扱われています。人間が働きかけ、克服する対象としての自然という発想がベースにあるようです。いずれも中央に上半身裸の男性が描かれており、「肉体」や「労働」を自然とともに美的に享受する感性がすでに存在していたことを伝えます。それは都市に暮らす者の視点といえるかもしれません。

3.わたしと太陽

 「僕は芸術界の絶対の自由フライハイトを求めている。従って、芸術家の PERSOENLICHKEIT(人格)に無限の権威を認めようとするのである。[…]人が『緑色の太陽』を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである」。1910(明治43)年に高村光太郎が発表したエッセイ、「緑色の太陽」の中の一文です。外界の自然の姿すら変えることが可能な、芸術家のものの見方、感じ方の絶対の自由をうたう、大正デモクラシーの幕開けを告げる文章です。さて、赤いはずの太陽が補色の緑で描かれる――このたとえの背後には、オレンジと青の二つの補色で太陽を描くヴァン・ゴッホの作品のイメージがあったはずです。同じ1910年に発刊された雑誌『白樺』には、ゴッホの複製図版が多数紹介されました。輝くような色彩(図版の多くはモノクロでしたが)、息せき切った作画のスピード感を示す絵具の厚塗り、そして周囲に理解されない悲劇の生涯――ゴッホはたちまちのうちに、若い芸術家たちの拡張を求めて止まない「わたし=自我」を照らし出す、心の「太陽」となったのです。

4. 地震のあとで 解体と再構築

恩地孝四郎《人体考察(髪) 》1927年

 1923年9月1日、マグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲います。揺れによる建物の倒壊よりも火災の被害の方がはるかに大きく、地震直後に発生した火災はまたたくまに東京の中心部を焼き尽くしました。首都を壊滅させた震災は、ヨーロッパを荒廃させた第一次世界大戦に比較しうる衝撃を日本にもたらします。美術においては、その未曾有の経験に重ね合わせるかのように、旧来の遠近法によって制御された絵画空間を解体、再構築したキュビズムの造形言語や、日常的な素材を含む断片的な要素を組み合わせるコラージュの手法が浸透していきました。単一の視点で把握された安定した世界像はリアリティーを失っていったのです。
 また、震災からの復興の過程で、これまでの近代の道のりを反省しつつ既存の社会を変革していこうという動きが、「改造」という時代の掛け声とともに台頭してきます。1920年前後に登場した村山知義や柳瀬正夢などの前衛芸術家は、まもなく社会主義思想に共鳴してプロレタリア芸術運動を主導するようになりました。村山と柳瀬の造形は大きく変化しますが、プロレタリア芸術にもコラージュ的な造形言語は取り入れられています。

5. パリ、モナムール!

 「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」。これはアメリカの作家、ヘミングウェイの言葉です。第一次世界大戦から1920年代にかけて、パリは世界中からアーティストが集まる、まさに祝祭の街となりました。1910年前後に二人の若者、ピカソとブラックが進めた「キュビスム」の傾向は、続く他の画家たちによっても追求され、切り子細工のようにカクカクした女性像や静物画が生みだされました。日本人画家、藤田嗣治は、パリに着いた当初、こうした先端的な動向にも触れましたが、やがて甘美な女性像を描く独自の路線を開発、美術界のみならず社交界でも人気者となりました。写真家、アジェが撮影するのは、そんな華やかな場所からはずれた古い路地裏。藤田もアジェの写真を購入する顧客の一人だったと言われます。ちょうど佐伯祐三が《ガス灯と広告》に描いたような、同時代の「アール・デコ」 のポスターとともに、約90年前のパリのざわめきをお届けします。

3F

6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋

6. 北脇昇 混乱と秩序のはざまで

北脇昇《(A+B)² 意味構造》1940年

 岩や雲、壁のしみが、風景や人の顔に見えてしまうという経験は誰もが持っているはずです。このように対象の中に見出された偶然の形象を「チャンス・イメージ」といいます。1930年代の半ばにシュルレアリスムを吸収して独自の芸術を開拓した北脇昇(1901-1951)の想像力の根幹には、常に、このチャンス・イメージによる「驚き」の感覚がありました。その発想は、日常の様々な事物や光景に潜む「顔」を収集した「観相学シリーズ」を経て、やがて自然や社会の隠された「法則」や「秩序」を可視化するという方向へと飛躍します。北脇の絵画には、具体的なイメージのみならず、観念を示す図式的な表現が用いられるようになりました。
 この図式的な絵画は、日中戦争が泥沼化していく当時の社会に対する作家の態度の表明とみることができます。つまり合理的な精神を通して結晶のような秩序を見出すことによって、閉塞感に満ちた不安定な現実を乗り越えようと試みたのです。その際に北脇が依拠したのが、植物の生長変化というモデルと数学、そして東洋の易経だったのです。

7. 蝶は飛びさる、猫はじゃれあう

靉光《蝶》1942年

 1938(昭和13)年の国家総動員法によって、国民すべてに戦争協力が求められると、美術家も「戦争画」を描くという課題に直面します。現在「戦争画」と総称される作品のうち、正式に陸海軍の委嘱を受けたものは、当時「作戦記録画」と呼ばれました。あたかも各作戦を正確に記録した絵画のような名称です。しかし実際には、写真と比べ、画面が大きく色彩も豊かな絵画には、戦いをドラマティックかつ崇高に描き表す役割が期待されました。ドイツの哲学者、カントによると、「崇高」とは、美醜の別に関わらず、生命をおびやかしかねないほど圧倒的なものに対した時に引き起こされる感じです。したがって戦争画が示す「崇高」も、「美しい」ばかりではなく、時に凄惨な様相を呈します。こうした凄惨さが与える衝撃も含めて、戦争画は、当時展覧会に足を運んだ無数の人々の心を捉えたのです。今回は、藤田嗣治が戦争画と同時期に描いた《猫》、出征し、上海で病没した靉光がやはり戦時下に描いた《蝶》をあわせて展示します。いずれも、人間以外の生き物の姿を借り、隠された思いを描いたものと思われてなりません。

8. 出来事と自由

 1952年、サンフランシスコ講和条約の発効によって、日本は再び独立国として国際社会に復帰します。しかしまだそこには戦争の爪痕が残り、更にそのうえに築かれる新しい社会は、自ずと軋轢も生み出したことでしょう。こうした社会状況に対して、多くの作家たちが反応しました。たとえば、河原温の《孕んだ女》や石井茂雄の《戒厳状態》は、どちらも均質化、画一化を想起させるグリッドを地面や背景のモチーフに用い、その閉塞的な空間で疎外された人間の状況を表していると言えます。1954年、関西で吉原治良を中心に結成された「具体美術協会」の活動は、今取り上げた作家たちとは異なり、政治や社会的主題を読み取る ことは難しいでしょう。しかし、このグループの掲げた精神の自由というスローガンのなかに、戦中期における抑圧された表現活動への反省が含まれていると考えてみれば、既成のルールに縛られず、大胆な発想や方法によって作品を生み出そうとする態度もまた、状況に対する反応の一種だったとも捉えられます。

9. 奈良原一高 「人間の土地」

  「奈良原一高 王国」展(11月18日-2015年3月1日) にあわせ、奈良原のデビュー作「人間の土地」を紹介します。
 「人間の土地」は、長崎市沖に浮かぶ炭鉱の島、端島(通称“軍艦島”)に取材した第一部「緑なき島」と、たびかさなる火山の噴火により溶岩に埋まった桜島東部の集落、黒神村をとりあげた第二部「火の山の麓」から構成された作品です。外界と隔絶されたこの二つの土地を撮影することによって、人間の存在という共通項を浮き彫りにし、「今日生きること」を考えたかったと、奈良原は記しています。
 この作品は、1956年、銀座の松島ギャラリーで開催された個展で発表されました。同展は、ほぼ無名の新人の個展としては異例の反響を呼び、当時美術史を学ぶ大学院生だった奈良原は一躍、注目の若手写真家として脚光を浴びます。それは同時に、彼がこの作品について用いたパーソナル・ドキュメントという言葉とともに、戦後に出発した新世代の台頭をあざやかに印象づけるものでした。

10.人、人々

 今回の10室は、「人口密度」がやや高めです。人物像にスポットをあててみると、コレクションに含まれる作品の範囲内とはいえ、日本画ではどのような場面設定のもとに人物が描かれたか、その傾向が少し見えてきます。
 尾竹国観の《油断》は戦の場面を選び、群像を描いています。歴史画の合戦シーンは、躍動感に満ちた群像表現を行う上で恰好の題材でした。中村大三郎の《三井寺(みいでら)》は、能の演目に主題を得ています。十五夜の月のもとに立つ女性は、生き別れた子ども千満(せんみつ)を探して三井寺にたどりついた母の姿。この後、母は物狂いとなって鐘を撞き、千満との再会を果たします。
 風俗画や美人画には、古今の日常生活のなかの人物像が多く表れます。春の光景に若い女性、秋冬の光景には成熟した女性がとり合わされた例を見ると、四季の移り変わりに人生を重ねる思想が浮かび上がります。
 また、日本画では、全裸の女性を描くとき、全裸であるべき場面設定がなされる傾向がありました。福田豊四郎の《海女》には、そうした伝統の残影がうかがえます。

2F

111–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで

「奈良原一高 王国」展(11月18日-2015年3月1日)(ギャラリー4)

11. 1,000,000年後の1日に

 11室と12室では、1階企画展「高松次郎ミステリーズ」(12月2日-2015年3月1日)および2階企画展「奈良原一高 王国」(11月18日-2015年3月1日)にあわせ、関係する作家を特集します。11室は河原温と奈良原一高です。河原と奈良原は交流があり、奈良原は河原の初期作品を一時所蔵していたこともあるといいます。3階8室の《孕んだ女》のように、密室内のできごとを描く初期作品の後、河原の作品はずいぶん乾いた感じのものへと変化しました。それに伴い、河原自身は決して人前に姿を現さなくなります。〈I Am Still Alive〉〈I Got Up〉は、それぞれ「まだ生きている」「今日は**時に起きた」とだけ記し、知人に送ったハガキのシリーズです。必ず画面に描かれたその日に制作するルールの〈日付絵画〉も、〈I Am Still Alive〉や〈I Got Up〉も、少なくともそれらが制作された日には河原はこの世に存在していた、ということの証です。しかし本人に会うことができない以上、ぽつりぽつりと現われるこれらの作品以外に、河原がどこかに存在することを確かめるすべはないのです。

12. すべての事物が腐蝕し、崩壊していくこの巨大なガラクタ置場のなかで

 タイトルは高松次郎の言葉から取りました(1階企画展「高松次郎ミステリーズ」[12月2日-2015年3月1日])。ここに展示されるのは、ほぼ高松と同世代で、それぞれに接点を持つ人々です。多くが1930年代生まれのこの世代は、小・中学生で敗戦を、大学生から社会人のころに高度経済成長を経験しています。到来した平和とモノがあふれる時代の中で、高松は、いまやすべてを倦怠が包み、モノの実体に触れる実感は持てない。モノには既成概念や空虚なイメージがべたべたと貼りついている。そうであれば、触れえないモノに向かって永遠に解けない謎を追い続けるしくみを作ることが、いまや作品制作の意味ではないか、と訴えました。このように、モノ(実体)とイメージや言葉(非実体)の関係を一から問い直すことは、この世代の作家たちに共有されるテーマでした。荒川修作は、モノと言葉の結び付きの恣意性を図式として示しました。李禹煥は、木や石といった自然の素材を用い、なるべく人の手を加えずおくことで、モノの豊かな世界をもう一度取り戻そうとしました。
 もし現在でも芸術に存在意義があるとしたら、それはその難解さにおいてだろうと思います。作品の内容が“問い”という形でしか成立しえないことを意識している作家たちに、その答えのわかりやすさを要求するのは酷というものです。

イベント情報

MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド

日程

2014年11月11日(火)~2015年3月1日(日)
(12月6日(土)、7日(日)、13日(土)、20日(土)、2月14日(土)は13:00から実施します。)
休館日を除く毎日

時間

14:00-15:00

場所

所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合)

所蔵品ギャラリーでは毎日、作品解説が行われています。
当館のボランティア「MOMATガイドスタッフ」が、参加者のみなさまと会場をまわり、数点の作品を一緒に鑑賞しながら、作品についての理解を深められるようにお手伝いします。
作品とテーマは、ガイド前に1階エントランスに掲示されます。
約40名のガイドスタッフそれぞれ、作品とテーマが異なりますので、何度参加されてもお楽しみいただけます。

「MOMATガイドスタッフ」のページもあわせてご覧ください。「ある日の所蔵品ガイド」の様子を写真付きで詳しく紹介しています。

会期最初の土曜日は研究員による所蔵品ガイド

日程

2014年11月15日(土)

時間

14:00-15:00

※いずれも参加無料(要観覧券)/申込不要

MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー

毎月第1日曜日(無料観覧日)

日程

2014年12月7日(日)
2015年1月4日(日)
2015年2月1日(日)
2015年3月1日(日)

時間

11:00-12:00

場所

所蔵品ギャラリー(4Fエレベーター前ホール集合)

近代日本の美術の流れをたどりつつ、所蔵作品展「MOMATコレクション」の見どころを押さえたい方に。MOMATガイドスタッフが、参加者の皆様とともに4階から2階までをまわり、代表的な所蔵作品を、やさしく解説します。

Page Top