展覧会
瑛九1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす
会期
会場
東京国立近代美術館本館ギャラリー4
見どころ
瑛九(えいきゅう) とは何者か?
瑛九(えいきゅう、本名:杉田秀夫、1911-1960)は1936年にフォト・デッサン集『眠りの理由』で鮮烈なデビューを飾り、その後さまざまな技法を駆使しながら独自のイメージを探求した芸術家です。
当館は近年、彼の評伝を著した友人の画家、山田光春の旧蔵していた作品と資料を収蔵しました。
本展は、その中から約50点の初公開作品、書簡などの関連資料に加え、以前から所蔵している作品もまじえて、「レアル(リアル)」を求めて苦闘するデビュー前後の瑛九の実像を紹介します。
デビュー前後の3年間に焦点
25歳でフォト・デッサン集『眠りの理由』で鮮烈なデビューを飾り、その後もさまざまな技法を駆使しながら独自のイメージを探求した瑛九。
本展は20代半ばの3年間に焦点をあて、「レアル」を求めて苦闘する若き瑛九の実像に迫ります。
若き芸術家の苦悩を、作品と手紙でたどる
タイトルの「1935-1937」は瑛九が24~26歳だった、デビュー前後の3年間をさします。
近年新たに収蔵したフォト・デッサンやコラージュ など当時の作品約50点と、友人への手紙を中心とした多様な資料を初公開し、若き芸術家の苦悩と葛藤を、作品とたたきつけるような言葉の両面から追体験いただきます。
また、日本の前衛美術が活況を呈した時代に書かれた瑛九の手紙は、戦前の前衛アートシーンを語るドキュメント資料としても貴重なものです。今回その約60通をカタログに翻刻掲載という形で一挙公開します。
ミニ回顧展としての魅力も
さらにエッチングやリトグラフなど戦後の版画作品、油彩による晩年の点描作品など10点も展示。計60数点のミニ回顧展として、知る人ぞ知る瑛九の全体像に触れる絶好の機会です。
戦前、戦後の日本の前衛美術のなかで、岡本太郎などとともに重要なアーティストのひとりである瑛九。その真摯な制作姿勢が、当時まだ若かった細江英公(写真家)、池田満寿夫(版画家)、河原温(現代美術家)などに多大な影響を与えた功績も見逃せません。
瑛九は、理性の光がとどかない心の闇の中で手探りするかのように、彼にとってのほんとうの「レアル」を追い求めました。ヴァーチャルなものや、わかりやすい言葉などがあふれるいま、瑛九をとおして「レアル」なものに対する感覚を研ぎ澄ませてみませんか。
会場構成
本展は4部構成で年代順に展示し、特定のスタイルに収まろうとしない瑛九のあくなき表現への探究と変化を追います。
第1章 1935年(24歳)…「瑛九」以前の杉田秀夫
瑛九が本名の「杉田秀夫」で活動していた最後の年が、1935年です。そのちょうど10年前の1925年、瑛九は14歳で生まれ故郷の宮崎から上京します。以来、東京と宮崎を行き来しながら、美術批評、写真、油絵と模索を続けました。
1935年は美術展に初入選し、前年宮崎で出会った山田光春と仲間を集って、作品発表などの活動を行っていた時期にあたります。ここでは油彩による作品とともに、自らの表現を模索する苦悩を伝える手紙を紹介します。
第 2 章 1936年(25歳)… 杉田秀夫が「瑛九」となるとき―『眠りの理由』前後
1936年は転機の年です。切り抜いたデッサンや、さまざまなものを印画紙の上にのせて感光させた作品が評論家などに認められ、その独自の技法を「フォト・デッサン」と名づけ、「瑛九」という新しい名で鮮烈なデビューをはたしました。
第2章ではデビュー作にして代表作のひとつ、フォト・デッサン10枚入り、限定40部で刊行された『眠りの理由』を中心に紹介します。今回展示するのは、限定40部の番外として山田光春が大切に保管していた、表紙つきの貴重な完全揃いです。
第 3 章 1937年(26歳)… ほんとうの「レアル」をもとめて― 第 1 回自由美術家協会展への出品前後
瑛九がフォト・デッサンで表したかったのは、機械文明の発達につれて変容しつつある人々の現実の捉え方、つまり新しいリアリティの探求でした。しかし、技法の珍しさやヨーロッパの前衛美術との影響関係ばかりを指摘され、瑛九は批評家への不信をつのらせていきます。そして翌1937年の第1 回自由美術家協会展に彼が出品したのは、フォト・デッサンではなく「レアル」と題したコラージュの作品でした。
第3章ではこの出品作に加えて、関連作品10 点を初公開し、闇の中にうかぶ奇妙な物体のイメージにあえて「レアル」と名づけた瑛九の真意を探ります。
エピローグ … その後の瑛九と山田光春
その後の瑛九の歩みも、紆余曲折に満ちています。戦時中は東洋文化へ関心を示し、戦後は活動の拠点を移して、埼玉県浦和へ。エッチングやリトグラフなどの版画作品に取り組みます。そして晩年には、油彩による点描で画面全体に光があふれるかのような作品へと至りました。
ここでは当館が以前より所蔵している作品から、こうした瑛九の全体像をダイジェストで紹介します。また、瑛九没後に丹念な調査をもとに詳細な評伝を書きあげた友人、山田光春との関係にも光をあて、瑛九の作品と人生の双方に迫ります。
略年譜
- 1911(明治44)年 0歳 4月28日、宮崎県の生まれ。本名、杉田秀夫
- 1925(大正14)年 14歳 上京し日本美術学校で学ぶ(1927年退学)
- 1927(昭和2) 年 16歳 美術雑誌に評論を発表し始める
- 1930(昭和5) 年 19歳 オリエンタル写真学校で写真を学ぶ。以後、東京と宮崎を往復しながら制作
- 1934(昭和9) 年 23歳 山田光春と出会う。この頃からエスペラント語を学ぶ
- 1935(昭和10)年 24歳 中央美術展に初入選。山田光春らと「ふるさと社」結成
- 1936(昭和11)年 25歳 瑛九の名でフォト・デッサン集『眠りの理由』刊行
- 1937(昭和12)年 26歳 自由美術家協会の結成に参加。第 1回展に《レアル》出品
- 1948(昭和23)年 37歳 谷口ミヤ子と結婚
- 1951(昭和26)年 40歳 デモクラート美術家協会を結成する(1957年解散)。また、銅版画(エッチング)の制作を始める
- 1952(昭和27)年 41歳 埼玉県浦和市(現さいたま市)に移転
- 1956(昭和31)年 45歳 石版画(リトグラフ)の制作を始める
- 1957(昭和32)年 46歳 第 1回東京国際版画ビエンナーレ出品
- 1960(昭和35)年 48歳 3月10日、慢性腎炎の闘病中のところ急性心不全で没
没後
- 1960(昭和35)年 4月28日~6月5日「四人の作家 菱田春草・瑛九・上阪雅人・高村光太郎」(国立近代美術館)が開催される
- 1965(昭和40)年 友人たちにより「瑛九の会」が発足し、機関誌『眠りの理由』が刊行される。同誌に山田光春は瑛九の評伝を連載する
- 1976(昭和51)年 山田光春『瑛九 評伝と作品』(青龍洞)刊行
- 2012(平成24)年 山田光春旧蔵の瑛九作品、資料が東京国立近代美術館に収蔵される
はちきれるゼツボウ感で
1935 年 5 月 29 日、瑛九の手紙より
キャンバスをたたこう
ゼツボウが出発だ。
カタログ
大谷省吾(当館美術課長・本展企画者)による解説を収録。また、日本の前衛美術が活況を呈した時代に書かれ、戦前の前衛アートシーンを語るドキュメント資料としても貴重な瑛九の手紙、約60通を翻刻掲載しています。
デザイン:三木俊一(文京図案室)
定価:1,300円(税込)
目次より
闇の中で「レアル」をさがす
― 山田光春旧蔵資料から読み解く1935-1937年の瑛九:大谷省吾
ⅰ 1935「瑛九」以前の杉田秀夫
ⅱ 1936杉田秀夫が「瑛九」となるとき―『眠りの理由』前後
ⅲ 1937ほんとうの「レアル」をもとめて― 第 1 回自由美術家協会展への出品前後
エピローグ その後の瑛九と山田光春
瑛九から山田光春への書簡 1935-1937年
他
イベント
講演会
大谷省吾(当館美術課長・本展企画者)
「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
2016 年 12 月17 日(土)14:00-15:30
2017 年 1 月 7 日(土)14:00-15:30
場所:講堂(地下1階)
*開場は開演30分前、申込不要、聴講無料、先着140名
開催概要
- 会場
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東京国立近代美術館 2F ギャラリー4
- 会期
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2016年11月22日(火)~ 2017年2月12日(日)
- 開館時間
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10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)
- 入館は閉館30分前まで
- 休館日
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月曜(1/2、1/9は開館)、年末年始(12 /28 – 2017 年1/1)、1/10(火)
- 観覧料
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一般430(220)円
大学生130(70)円- ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
- 高校生以下および18歳未満、65歳以上、キャンパスメンバーズ、「MOMATパスポート」をお持ちの方、友の会・賛助会会員、MOMAT支援サークルパートナー企業(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ)、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。
- それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、会員証、障害者手帳等をご提示ください。
- 本展の観覧料で、入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)もご観覧いただけます。
- 無料観覧日
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12 月4日(日)、1月2日(月)、2月5日(日)
*本展および所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のみ - 主催
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東京国立近代美術館