展覧会

会期終了 所蔵作品展

所蔵作品展 MOMATコレクション(2024.1.23–4.7)

会期

会場

東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4F-2F)

2024年1月23日4月7日の所蔵作品展のみどころ

芹沢銈介《1972年のカレンダー(1月)》1971年 国立工芸館蔵、金子量重コレクション

MOMATコレクションにようこそ! 
当館コレクション展の特徴をご紹介します。まずはその規模。1952年の開館以来の活動を通じて収集してきた13,000点超の所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展です。そして、それぞれ小さなテーマが立てられた全12室のつながりによって、19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れをたどることができる国内随一の展示です。

今期の見どころの紹介です。9室「高梨豊『町』」、11室「あるがままのもの」は、企画展「中平卓馬 火―氾濫」(2月6日~)に関連した展示です。また10室では、国立工芸館が所蔵する染色家・芹沢銈介の代表作を存分にご覧いただけます。さらに1室「ハイライト」では鑑賞プログラムの実践の蓄積、12室「作者が語る」では、アーティスト・トークのアーカイヴを活用した企画も試みています。

企画展との連動、美術館活動の蓄積の成果など、いずれも当館コレクションの厚みのなせる業と自負しています。どうぞお楽しみください。

今会期に展示される重要文化財指定作品

今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。

  • 川合玉堂《行く春》1916年|1室
  • 原田直次郎《騎龍観音》1890年、護国寺蔵、寄託作品|1室
  • 和田三造《南風》1907年|1室
  • 萬鉄五郎《裸体美人》1912年|2室
  • 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年|3室

展覧会について

4階

1-5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで

「眺めのよい部屋」
美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。

「情報コーナー」
開館70周年を記念してMOMATの歴史を振り返る年表と関連資料の展示コーナーへとリニューアルしました。年表には美術館の発展に関わる出来事のほか、コレクションの所蔵品数や入場者数の推移を表したグラフも盛り込んでいます。併せて、所蔵作品検索システムのご利用も再開します。

1室 ハイライト

川合玉堂《行く春》1916年、重要文化財(左隻)

3,000㎡に200点近くが並ぶ、所蔵作品展「MOMATコレクション」。「ハイライト」では近現代美術を代表する作品を揃え、当館のコレクションの魅力をぎゅっと凝縮してご紹介しています。
日本画のコーナーでは、春を待つこの季節にふさわしい名品を、ケースの外には日本近代洋画の人気作や日本の前衛美術に大きな影響をもたらした西洋の作家たちの作品を並べました。ここには、桜の花びらが渓流に舞い散る情景を描いた川合玉堂の《行く春》など、重要文化財3点も含まれます。
今回はいつもの作品解説のほかに、鑑賞のきっかけとなるような問いかけを示しました。これらの問いかけは、子どもから大人まで多くの方々が参加してきた当館の鑑賞プログラムでの実践をもとに選んでいます。MOMATコレクションと初めて出会う方も、すでに顔なじみの方も、さまざまな視点から作品をじっくり眺めて、肩の力を抜いて鑑賞をお楽しみください。

2室 「新か?旧か?」(前期展示:2024年1月23日~2月25日)

萬鉄五郎《裸体美人》1912年、重要文化財

何であれ、ものごとの最初を特定するのは難しい。MOMATの真ん中のMはモダン、つまり近代です。近代美術の始まりとは、いつなのでしょうか? ここに並ぶ作品の約半分は、1907(明治40)年に始まった官設の「文部省美術展覧会(文展)」に出品されたものです。この文展開設を日本の近代美術の始まりとする考え方があります(異論もあります)。
そして近代とは「常に前衛であれ」ということをモットーとする時代です。つまり直近の過去は否定し、乗り越えるべき旧いものになります。設立当初は歓迎された文展ですが、まもなくすると硬直したアカデミズムの牙城として、新しい世代の批判対象になります。残り半分の作品は、そんな文展の在り方とは異なる道を進もうとした作家によるものです。
これらの作品が制作されてから100年ほど経った現在の私たちには、やはり新しいものが旧いものより素晴らしく映るのでしょうか?それとも、新しいものにはない素晴らしさを、旧いものに見出すのでしょうか?

2室 春まつり(後期展示:2024年2月27日~4月7日)

菊池芳文《小雨ふる吉野》左隻
菊池芳文《小雨ふる吉野》1914年(左隻)
展示期間:2024年2月27日-4月7日

いつもならこの部屋では、日本近代美術の流れを紹介する最初の部屋として、おもに1900年代から1910年代の作品を紹介しています。しかし今期は制作年代の縛りをなくして、毎年恒例の「春まつり」をこの部屋でおこなうこととなりました。ここに並んでいる花木を描いた6点と、第1室で紹介している川合玉堂《行く春》、加山又造《春秋波濤》の2点をあわせた全8点で、この春もお花見をお楽しみください。大画面に描かれた菊池芳文《小雨ふる吉野》や日高理恵子《樹を見上げてⅦ》を、清家清の移動式畳に腰かけてご覧になると、地面に腰をおろして花を愛でる、日本式のお花見気分を味わっていただけることでしょう。
辻永《椿と仔山羊》と、斎藤豊作《すもも》《白い花の樹》は、日本の洋画家が花木を描いた(当館コレクションのなかでは)珍しい作品です。洋画家に花木を描いた作品が少ないのは、静物としての花瓶の花と違って、花木が洋画家の敬遠した装飾となじみやすいせいでしょうか。3点とも「春まつり」には初登場です。

3室 麗子、生誕110年

岸田劉生《麗子肖像(麗子五歳之像)》1918年

岸田麗子は、1914年に画家・岸田劉生と妻・蓁(しげる)の長女として生まれました。劉生による肖像画「麗子像」によって、日本近代美術史上にその名を刻む人物です。麗子が7歳の時に描かれた《麗子微笑》(東京国立博物館蔵)は、重要文化財にも指定されています。
麗子はモデルとしてポーズをとるだけでなく、劉生に教わりながら自らも絵を描くようになります。娘であり、モデルであり、そして教え子でもある麗子は、劉生にとって特別な存在でした。劉生は麗子が15歳の時に早逝しますが、その後も麗子は亡き父の教えを心に留めながら、絵画の制作を続けました。
この部屋では、当館が所蔵する「麗子像」を一挙に公開するとともに、劉生の長男・鶴之助氏から遺贈を受けた岸田劉生の資料群をご紹介します。写真や日記、はがきなどのプライベートな断片からは、麗子が成長する姿や、劉生と麗子の親密な関係性が浮かび上がってきます。

4室 近代の役者絵

平櫛田中《鏡獅子試作頭》1938年
撮影:大谷一郎

1920年代前半、劉生は歌舞伎鑑賞のために鵠沼(現:神奈川県藤沢市)から汽車に乗って東京の劇場へと足しげく通いました。その傾倒ぶりは、当時の日記や手帖スケッチ、アルバムからもよく伝わってきます。
4室では、そんな劉生と同じ近代を生きた役者たちを描いた新版画の作家、山村豊成(耕花)と名取春仙の作品をご紹介します。西洋絵画や演劇写真の影響を受けて、浮世絵由来の役者絵においても写実的な表現が志向されていくなか、誇張を残して役者の心理を巧みに表した豊成と、役者の容貌を素直に美しく描き出した春仙との個性の違いをお楽しみください。
この部屋唯一の彫刻である平櫛田中の《鏡獅子試作頭》は、隣の作品と同じく六代目尾上菊五郎をモデルに制作されました。試作を経て1958年に完成した《鏡獅子》(当館蔵)は長らく国立劇場に常設展示されていましたが、劇場の建て替えに伴い再開場まで岡山県の井原市立平櫛田中美術館に長期貸与され、2月にお披露目を迎えることとなりました。

5室 アンティミテ

有馬さとえ(三斗枝)《赤い扇》1925年

アンティミテとは、フランス語で「親密さ、安らぎ、私生活、内奥」といった意味の言葉です。19世紀末のパリで、身近な人々や子どもや動物の親密な情景を描いた一群の画家たちがアンティミストと呼ばれました。しかし考えてみると、アンティミテの主題は、なにもこの時代だけに限定されるものではありません。
17世紀オランダの風俗画から、現代アートに至るまで、そこかしこにみられます。ここでは、大正の終わり頃から昭和の中頃にかけて描かれた、アンティミテの系譜に連なる絵画や彫刻を集めてみました。女性の画家たちによる女性のポートレート、物書きや眠りなど何かに没入している人物、童話的な小さなものたちの世界、小動物の像、子どもや動物をいつくしむ姿など。そして、一見アンティミテとは無縁な広大な風景のなかに、ぽつねんと佇む人物や動物を見つけたとき、突如としてその風景はより身近なものに感じられないでしょうか。

3階

6-8室 1940s-1960s 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋(ソル・ルウィット《ウォールドローイング#769》

6室 1941–1945|戦争/美術

松本竣介《Y市の橋》1943年

1937(昭和12)年に日中戦争が始まり、翌38年に国家総動員法が施行されると、国民は戦争への協力を迫られていきます。美術家もまた例外でなく、多くの画家が戦地に派遣されて戦争記録画を制作します。また自由で前衛的な表現への弾圧も行われ、展覧会の禁止や美術団体の解散といった事態に至ります。
この部屋に並ぶ作品は、戦況が厳しさを増していく1941(昭和16)年(真珠湾攻撃)から45年(第二次世界大戦終結)の間に制作されたものです。戦争と美術の直接的な関係を分かりやすく伝えているように見えるのは戦争記録画です。また、それまでのスタイルを揺るぎなく継続させ、戦争の影響がほぼないかに見える作品、戦争への違和を間接的に示しているように見える作品もあります。この時代の表現を戦争か美術か、あるいは戦争協力か戦争反対かという二者択一の図式で整理するのはおそらく適当ではありません。どの作品にも戦争と美術とが含まれており、鑑賞において、その二つの要素を同時に見なければいけないという困難がここにはあります。

7室 存在と不在―見えるものと見えざるもののはざまに

岸田劉生《壺の上に林檎が載って在る》1916年

暗闇から光を発するように浮かび上がる果物や野菜を描いた浜口陽三の版画には、身近さと神秘性とが同居しているような性格があります。また制作年はさかのぼりますが、岸田劉生の《壺の上に林檎が載って在る》は、把手の取れた壺の上に林檎を置く非日常的な構図により、林檎という存在に見る者の視線を惹きつけ、対象の描写にとどまらない、林檎という存在の重みや不可思議さへいざなうような特異な魅力を放っています。両者を並べてみると、互いが互いを照らしあうような時代を超えた関係性を感じとれるのではないでしょうか。
この部屋では、金山康喜《アイロンのある静物》、マックス・エルンスト《つかの間の静寂》、山口薫《荒れた小さい菱形の沼》のような人の気配の希薄な絵画や長谷川潔、清宮質文、野田哲也の版画など、1950-60年代を中心に、現実と非現実のあわいにあって、見えるものと見えないものを行き来しながら、視覚だけでなく、心や思考に働きかける作品を展示します。

8室 流通するわれら

中西夏之《コンパクト・オブジェ》1962年
撮影:大谷一郎

「流通革命」─経営学者の林周二による1962年のベストセラーのタイトルは、この時代を端的に表しています。大型量販店の登場、さらには週刊誌ブーム、テレビの普及、「マスメディア」や「マスコミ」という語の浸透。とりわけ1960年代の10年間で、大量生産・大量消費は家庭生活を一変させました。この「革命」は美術とも無縁ではありません。この時期、美術とは思われていなかったような大衆的な図像や量産品が美術作品の中に続々と現れます。それは必ずしも社会をそのまま反映した結果ではなく、猛スピードで変化する社会をどのように批判的に捉えるかというトライアルでした。生活を支える流通基盤は、裏返せば人々を縛ることにもなるからです。
批判的な視線は、たとえば印刷物や郵便システムを介して、流通媒体そのものを乗っ取るような作例に見て取れるでしょう。美術家たちは俗なるものにまみれながら、増殖し、氾濫するイメージを迎え撃ったのです。

9室 高梨豊「町」

高梨豊《「町」より 本郷 文京区本郷四ノ三五ノ四 うさぎや》1975 (printed 2008)年

〈町〉の各作品の表題にある「本郷」や「佃」といった地名が示すのは、「界隈」と呼ばれる範囲。作者である高梨豊は、「『界隈』は町内よりひとまわり広い地域をさし示していて、土地の輪郭を知る上で重要な手引きとなった」と記しています。土地の固有性を体感するために、高梨は大型カメラの機材を担いで、あえて地下鉄やバスなど公共交通機関を使ってそれぞれの「界隈」の撮影に赴きました。
この連作は、三脚に据えた4×5インチ判の大型カメラによる、緻密な事物の記録の試みでもあります。カラーフィルムを選択したのは、現実の色彩を白から黒へのトーンに還元する、モノクロームの抽象性を回避するため。記録性というカメラの基本的な機能を前面に押し出したこの仕事は、1960年代末、高梨も参加した写真同人誌『プロヴォーク』を主導した中平卓馬が、1973年、かつての「アレ・ブレ・ボケ」と評された先鋭的な写真を自己否定し、「植物図鑑」をキーワードに「事物が事物であることを明確化することだけで成立する」方法を目指すと宣言したことに対する、高梨の応答でもあったように見えます。

10室 芹沢銈介と、新しい日々

芹沢銈介《木綿地型絵染文字文のれん 天》1965年

芹沢銈介(1895-1984)は伝統的な型染の技法を用いながら、ものの本質を明快に表した模様で独自の表現を切り開き、国内外で高い評価を受ける染色家です。終戦後まもなく制作をはじめた和紙による型染カレンダーは、戦後の人々の暮らしを晴れやかに彩り、芹沢の意匠が一般にも広く知られるようになりました。柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)らの作家もこれに触発されて染色を始めたほか、芹沢自身も量産のため「芹沢染紙研究所」を開設し、一緒に仕事をする若い仲間との出会いに気持ちを新たにしています。国立工芸館は、金子量重氏のご寄贈(2016年)による400点超の作品・資料[金子量重コレクション]など、充実した芹沢のコレクションを有しています。今回は和紙作品をはじめ、重要無形文化財「型絵染」保持者の認定を受けた後の着物やのれんなどの名品を中心に、芹沢とともに活動した染色団体「賄木会」の作家の作品も交え、東京国立近代美術館所蔵作品展「MOMATコレクション」の特集展示として、ご紹介します。どうぞお楽しみください。

11室 あるがままのもの

李禹煥《線より》1977年

1970年代の美術家たちは、物質どうしが起こす現象を見せたり、ただその場に物体を置いたり、あるいは触れただけとか、指し示すだけといったような、ぶっきらぼうでそっけない行為にこぞって取り組みます。いわゆる「美術作品」を新たに生み出すという創作行為そのものへの疑念や、物語や観念に依らずにあるがままのもの(事物)をつかまえたいという望みに発するそうした動向は、「もの派」とも呼ばれました。
1階で個展を開催する中平卓馬による、「植物図鑑」としての写真を目指すという宣言も、この潮流のうちにありました(榎倉康二、河原温、高松次郎、吉田克朗ら、この部屋のほとんどの作家は中平と同じ国際美術展に出品していました)。今や国際的に知られる「もの派」という名称につい引きずられてしまいますが、美術作品のようではない作品を表そうとするとき、つぶす、割る、刺す、といった行為を通じて、絵画の形式とたわむれるように見える例が頻出することも、興味深いところです。

12室 作者が語る

野見山暁治《ある証言》1992年

作品や制作についての考えを作者本人から聞くことができることは、作者が健在である現代の美術ならではの大きな恩恵です。当館では2005年から断続的にアーティスト・トークを開催し、その記録に取り組んできました。今年度、これまでアートライブラリで公開していた過去のトークに英語字幕を付けて、ウェブサイトで公開することにいたしました(第一弾の21本を3月初頭に公開予定)。
これにちなんで、青木野枝、黒川弘毅、児玉靖枝、野見山暁治、宮本隆司の5名のトーク映像とともに、作品を紹介します。このうち野見山暁治氏については、2003年に当館で個展を開催したゆかりも踏まえ、昨年102歳で世を去った氏の追悼も兼ねています。
制作した本人の言葉の持つ説得力は強く、その言葉によって作品理解や体験が更新されることもしばしばです。貴重な映像と合わせて、ひとつひとつの作品をあらためてじっくりご覧ください。また、ウェブサイトを通じて、ご家庭でもアーティスト・トークをお楽しみいただければ幸いです。

アーティスト・トーク 書き起こしテキスト

アーティスト・トークの日本語書き起こしテキストは下記よりダウンロードしてください。

動画制作協力:国立アートリサーチセンター

開催概要

会場

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F-2F)

会期

2024年1月23日(火)~4月7日(日)

開館時間

10:00–17:00(金曜・土曜は10:00–20:00)
入館は閉館30分前まで

休館日

月曜日(ただし2月12日、3月25日は開館)、2月13日 

観覧料

一般 500円 (400円) 大学生 250円 (200円)

  • ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。

5時から割引(金曜・土曜) :一般 300円 大学生 150円

  • 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
  • キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
  • 本展の観覧料で入館当日に限り、コレクションによる小企画「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。
主催

東京国立近代美術館

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